ため息
自宅から徒歩6分の無人駅に向かう。
駅に着いたら8時10分の電車に乗り、席に座る。
いつも隣に座るばあちゃんもいて挨拶をした後、暖かくなりましたねなどとたわいのない会話をする。
ガタンガタンと体が揺れる。
トンネルを抜けると海が見える。昔はその海は綺麗に太陽に照らされていたが今はなんだか味気ない。
隣に座るばあちゃんにそれじゃ、と挨拶をして電車を降りる。
駅を出て商店街の中を通る。
どの店も開店準備を始めていてその人達に挨拶をする。
「佐藤くん、おはよう。」
「おはようございます。」
花屋のキイばあ。去年旦那さんが他界し、今は娘夫婦と暮らし店を切り盛りしている。
「今度またお花、買っていってよ。叶恵ちゃんも喜ぶよ。」
「ええ。いずれまた妻の好きなすみれの花束を買いにきます。」
その妻と別居中なんて言えたもんじゃない。
今晩の夕食をどうしようなどと考えながら歩いていると、ドンッとこの時期には珍しい厚手のロングコートを着た人とぶつかった。
「すみません。」
そう謝ると相手な人もペコっとお辞儀をしていった。
考え事をしながら歩くものじゃないなと思いながら会社に向かった。
「あれ…ないな…。」
「どうしたんすか?」
「いや、ケツポケットに入れてた財布がなくて…。」
「ええ〜先輩、ポケットに財布入れてるんですか?」
ダメですよう、と後輩に指摘される。
「つい癖で…な。」
「だからなくなるんですよ。ってか家に置いてきたんじゃないっすか?」
「いや、置いてきてたら電車に乗れてないよ。」
「佐藤くん、どうしたんだい?」
営業部の部長だ。
「お疲れ様です。いや、なんでもないです。」
「先輩、財布落としたんですって。」
俺が最後まで言い終わる前に割り込んできた後輩。
財布の話をこれ以上したくはなかったし、部長に話したところで財布が返ってくるわけでもない。気が利かない後輩だ。
「それ、すられたんじゃないか?」
「すられた…ですか?」
普段からあまり聞かない単語にかなり驚いている。後輩も驚いているのかぽかんと口を開けている。
「ここ最近営業で回っている帰り道で商店街の人と話すんだが、スリが多発しているらしいんだよ。しかもそのスリをしている奴がこの間商店街の雑貨屋でなん回も万引き行為をしている姿が防犯カメラに写っていて警察に被害届を出したりしてるらしいよ。」
「救いようのない奴ですね〜…。」
「部長、そいつの特徴とかってわかりますか?」
「まさか先輩、スられたとか言いませんよね…?」
そう聞くと部長が腕を組んで髪の毛の少ない頭をポリポリ掻いた。
「確か茶色い厚手のロングコートを着ている…とかだったような…?」
「厚手のロングコート!今朝ぶつかってきた人が着てた…!」
「ええ〜…せんぱ〜い、なあにやってんすか?」
言い方が控え目に言ってすごくうざい。
「佐藤くん、財布の中身は?」
「カードとかは入ってなくて、金も1、2万なんでまあ…。ただ、その財布去年妻が誕生日プレゼントにくれたやつで…。」
部長と後輩があからさまにうわ、という顔をした。
「先輩、ファイトっす!」
「俺はだが、一回妻のプレゼントをなくしたことがあって、それを言ったら1週間ろくに口をきいてくれなかったことがあった。」
部長がぽんっと俺の肩に手を置きプリントを後輩に渡して去っていった。
「勇太、営業行くぞ。」
「はあーい。」
後輩が気怠そうに鞄を持った。
ため息をつくと幸せが逃げる、ということを思い出し、朝たくさんため息をついたことを悔やんでまたため息をついた。