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星と孤独と求めたジニア  作者: 一九山 水京
5/5

終章 「Memorial flower」

 準備は整った。

 食料は十分に備蓄してある。衣類もすべて取りそろえた。自分がいなくなったあとに森から一人で抜けられる方法と、一人にしたわけ、今までのこと、自分のこと、その全てを記した置き手紙も書いた。あとは自分が消えるだけ。

「……後悔はしない。もう決めたことだ」

 これでまた孤独の生活に戻るが、唯一ステラが自分のことを覚えてくれている。その事実があるだけで本当の孤独ではないと感じられる。それを頼りに生きることが出来る。

 ドアの前で深呼吸。そして心を落ち着かせる。声色で不審に思わせないようにしなければいけない。

「……入るよ。ステラ」

 そこには変わらず椅子にたたずむ彼女の姿。顔をこちらに向けてにこりと微笑みかけてくれる。

「その、持ってきているのよね? 目を治せるお薬を」

「あぁ。霊薬っていうきれいな青色の液体。これを飲むんだ」

「青色なんて、きっとキラキラしているのでしょうね。目が治るから見てみたいけれど、飲んでしまうから見られないわね。でもそんな薬なんて聞いたことないから、きっと手に入れるのに途方もない苦労をしたでしょう? 改めて本当にありがとうミラーク」

「いいんだ。それと効果が出るように寝ないといけないんだ。昼間から熟睡は出来ないだろうから、一緒に睡眠薬も飲んでもらうよ」

「分かったわ。ふふ、薬剤師だったからこういう時お医者様みたいね。先生って呼んだ方がいいかしら?」

「よしてくれ。ひよっこどころか卵くらいなんだから」

 他愛ない会話でさえ愛おしくて涙が出そうになる。涙は声にも出るから、必死にこらえる。

「さっき舐めてみたけど、特に変な味とかはしないから、今から渡す瓶に入っているのを全部飲んでしまって」

「分かったわ。んっ……ん……ん……ふぅ、全部飲めたかしら?」

 霊薬が流し込まれていくのを見て効果が現れなければと一瞬考えてしまったのを頭から振り払う。

「うん。飲めてるよ。じゃあ次は睡眠薬。粉薬だから僕が口に入れるよ。これ水ね」

「はい、あー……ん……んく……はぁ、お腹が水でいっぱいだわ」

「はは、そういえばそうだね。じゃああとは横になればいいから、ベッドに運ぶよ。持ち上げるよ」

 ステラをベッドに寝かせて横に座る。時間が長く感じる。体が、精神が、心がこの時を大事にしたいと必死で引き延ばしている。

「ねぇミラーク。私ね、目が治ったらやりたいことを考えているの。あ、もちろんお兄様のことを何とかするのは一番にやるわ。でもその後に落ち着いからね、あなたを連れていきたいところが沢山あるの。南門から出た先にある大きな湖に、西に行ったところに大滝もあるの。ほかにも色んなところがあるけど、あなたが知っているところも行ってみたいわ」

「あぁ。ステラには負けるかもしれないけど、いくつか良い所を知っている。案内するよ」

「本当? 嬉しいわ。とっても。あと、お願いがあるのだけど、寝ている間ずっとそこにいてくれない?」

「別に構わないけど、やっぱり不安?」

「いいえ違うの。起きて目を開けた時、一番にあなたの顔が見たいから。だからそばにいてほしいの」

「……あぁ……大丈夫。ここを離れたりしないよ」

 最低の嘘をつき、体中が罪悪感で埋め尽くされる。まだだ、まだこぼしてはいけない。

 布団からステラが手を出してくる。そのぬくもりを感じるのもこれで最後だと思わずにはいられない。

「あぁ、やっぱり落ち着く。もうこうしないと寝られないのかも」

「それは困ったな。さすがに城の寝室まではついていけないぞ」

「うそうそ。そんな困らせるようなことしないわ。ふぁ……」

「もう効いてくるかもだし、続きは、起きてからで……いいかい?」

「えぇそうしましょう……ミラーク」

「なんだい?」

「おやすみなさい。…………大好きよ」

「おやすみ。…………僕も、大好きだよ」

 規則的な寝息を立て始めたので、繋いだ手を放す……放せ。放さなければいけない。

「ふっ……く、う、う、うぅ……」

 押し殺していた感情が決壊する。こぼれた涙がステラの手に落ちた。慌ててハンカチで拭って、手を、放した。

 声だけはと喉を必死で絞り、用意していた置き手紙をそばのテーブルに置き、席を立つ。

 何度もそばで見て見慣れた寝顔。心の中にしっかりと刻み、ドアノブに手をかける。

「ありがとうステラ。君に会えて、僕は本当に幸運だった」

 部屋を出て、別れの一歩を踏み出そうとしたその時だった。

 ガシャァァァン! と金属が軋む音が外から聞こえてきた。

「っ!? なんだ!?」

 この森には野生の獣は住んでいるが、この屋敷に近づいて囲いの柵に触ることなんて一度もなかったしステラからも聞いたことがない。

 なので今の音は高確率で招かれざる客からのものであるということ。

 急いで一階に降り玄関のドアを開け放つと

「お、ビンゴ! やっぱり誰かがここでかくまってやがったなぁ!」

 柵の向こうには四人いた。三人を従うように立っているのは、見たことがあり最近思い出した男。ガラバ・リベリオン・サンロード。ステラを不幸に陥れた張本人を目の前にして、生来で一番の怒りが湧き上がってくる。

「お前、ガルバだな!」

「様をつけろクソガキ。俺様を知っていてその態度は不敬罪だぞ?」

「黙れ! 黒魔術や悪事に没入して実の妹まで巻き込んだ屑に付ける敬称はない!」

「あぁやっぱり話してるのかあの愚妹は。こりゃ問答無用で死刑だな。我が愚妹共々な!」

「ふざけるな。そんなことやらせるか。ステラの眠りをこれ以上妨げさせるものか!」

「威勢だけではどうにもならない現実ってのを俺様が教え込んでやろう。お前ら、門を壊せ」

 控えていた三人が門に取り付いて素手で破壊を始めた。すぐには壊されないだろうが、大人三人が容赦しなければいずれ歪むだろう。

 もう二度と入らないと思っていた矢先だが外で戦っても勝てる状況ではないので、まずは屋敷に立てこもる。それに苦肉の策もある。

「立てこもったってすぐに殺して……あ? 今俺様は誰かと話していたような……まぁいい。屋敷を見た感じ最近の生活のあとがある。あの愚妹がここにいる可能性は高い。おい、さっさと壊せよ愚図奴隷ども!」

 呪いが発動して、さっきのやり取りを忘れたついでにここに来た理由も忘れてくれればよかったが、やはり上手くはいかなかった。ガルバがここを怪しいと思っていることはミラークには関係ないので記憶から消えることはなく、今も侵入を継続している。

「やるしかない。とにかく窓を全部封鎖して……」

 立てこもっても不利にしかならない。侵入されるまでに迎撃の準備を行う。

 何よりも絶対に彼女に手出しはさせない。


              ・ ・ ・


「よぉし、やっと外れたか。時間かけやがって愚図奴隷ども」

 南京錠をかけて門に巻かれた鎖は強引に引きちぎられ、門も無残に歪んだ状態で開かれた。無理な力をかけた三人の手は皮が破れ血が滴っている。それをガルバは気にする素振りもない。

「じゃあ次の命令を与える。『屋敷の中に入り人間を殺せ』。さぁ行け!」

 ガルバが三人に触り言葉を繰ると鞭で尻を叩かれた馬のように一斉に駆け出した。

「この柵の門以外に抜け道はない。そして俺様は手を下すことなく事を終える。んんー、まさに支配者の采配だな」

 ニタニタとした笑みを作りながら屋敷のドアを破ろうとする三人を睥睨している。

 手や足の反動も顧みない乱打殴打ですぐにドアは付け根が外れ倒れて開いてしまった。

「(くそ! もう入ってきたのか!?)」

 予想以上に早い侵入に動揺が声に出そうになるのをぐっとこらえ、二階から様子を窺う。

 入ってきたのは門を破った三人。ガルバがいないところを見ると自分は危険を汚さないとでも言うつもりか。どこまでも卑怯な男だ。

「(それよりさっきも思ったが、あいつらはなんなんだ? 衛兵どころか普通の人間でもないような……)」

 ガルバに奴隷と呼ばれていた三人は共通して肌の所々がドス黒く変色している。視線もうつろで口元から涎を垂らし歩き方も不安定。これではまるで娯楽小説に出てくる歩く屍そのものだ。

「(用意できたのは一つ。どんなことをしてくるかわからないが、まずは一人倒す)」

 獲物を探して玄関すぐの一階をうろついている屍たち。そのうちの一人がドアに近づいてきたので、一番近くに来た瞬間にドアを開け、首に縄をかけて部屋に引きずり込む。急いでドアを閉めたところで縄がかかったまま屍が襲い掛かってくる。寸前で避けて仕掛けてある支柱を押し倒し、乗せていた金属製の彫像が床に落ちる。彫像には縄が巻いてあり、天井のシャンデリアを経由して縄で首をくくった屍につながっている。即席の疑似的な滑車の罠である。

 彫像の重さに引っ張られて宙吊りになった屍は苦しそうにしながらも首の縄を掻き毟っている。縄は重さも相まって千切れるのも時間の問題だろう。

 それを分かっているので、部屋に置いていた展示用の槍を握りしめ、渾身の力で突き刺した。

「っう……んん、ううぅぅぅ」

 手に伝わる肉を刺した感触が脳内に滲み、こみ上げる吐き気に逆らうことなく吐瀉した。

「はぁ、はぁ、はぁ……恨んで、くれていいから……」

 抵抗がなくなった屍に聞こえているかどうか定かではないが、許してでもごめんでもなく、受け止める返事をした。

「かぃ……ぁ……とぅ……」

「何か、話している?」

「か、ぃほぅして、くれて……ぁり、がと…………」

 その言葉を最後に屍はこと切れてしまった。それと同時に体を覆っていた黒い痣が油と水のように体から染み出し零れ落ちる。床に水たまりを作る痣はやがて乾いていくように消えていった。

「そんな……今のは、間違いなく黒魔術の呪いだ。僕だからわかる。だが、そうなるとこれ、いやこの人は……!」

 黒魔術の被害者の体には成功であれ失敗であれ呪象が肉体に残留する。ただの失敗ならステラのように肉体の表面上に現れたりはしないが、もし失敗した人でもう一度儀式を行ったら一体どうなる?

その答えがこの人だと思う。さらに推測だがこれは一度でもないと思う。何回かはわからないが複数回にわたって儀式を行い、呪象を蓄積した。そのせいで人としての思考能力や感覚も失ってしまった。

「あんな心臓を掻き毟りたくことを何度も味わわせるなんて……ふざけているにもほどがある!」

 ステラが見つからないように迎撃して手傷を負わせて退かせようと考えていたが、改まった。あんな破綻者を国の長に据えてはいけない。何よりステラの居場所にあんな害悪を近寄らせてはいけない。

「今この時に……被害者()の手で始末をつける。それと、彼らも開放する」

 決意を新たに腰に下げているナイフを触る。屍は残り二人。さっきの彫像の落ちる音を聞いて部屋のドアをたたいている。もうドアを開けるという簡単な動作ですらできない状態だということだ。

 この食堂は二つ分の部屋の大きさで、入り口も二つある。屍が殺到しているのと反対のドアで出る。

 屍の後ろを抜けて走るがさすがに気付かれて走り迫ってくる。距離を取るために二階に上る。手をついて階段を上っているので遅い。その間に二階廊下にある本棚に手をかける。上ってきて迫ってきたタイミングで

「これで止まってくれ!」

 本棚を倒し、下敷きにした。二人同時にするつもりだったが後ろにいた屍が難を逃れ本棚を踏み越えて襲い掛かる。

 腰のナイフを抜こうとするが、それより早く屍の突き出した手に突き倒される。その勢いのまま屍に馬乗りにされる。

「しまった、ナイフが!」

 倒されて自分と床に挟んでしまいナイフが抜けない。見下ろす屍の両手が、心臓めがけて振り下ろされた――


              ・ ・ ・


「そろそろ死んだかねぇ。物音がしなくなったし」

 外で屋敷の攻防を音で聞いていたガルバは静けさを機に決着を予感した。

「死体を確認するか。さすがにあの奴隷どもに最後までは任せてはおけん。まったく面倒だな」

 腰の長剣を引き抜きぶらぶらと余裕そうに屋敷に足を踏み入れる。そこで見たのは。

「おやおや? やっぱりあの愚妹を匿っていたやつがいたのか!」

 玄関正面の階段の一番上、二階に座りこんでいるのは血にまみれた胸を手で押さえて荒い息を吐いているミラークだった。

「屋敷が静かだと思ったら、俺様の奴隷を全部倒したのか! フハハすごいじゃないか褒めてあげよう! ただ名誉の負傷は小さくないみたいだなぁ?」

「うぐ……あ、あぁ!」

 傷が痛みよろめいて階段から転げ落ちてしまう。

「あーららぁ痛そうだなぁ。これから俺様の言う質問に答えてくれたらすぐ楽にしてあげよう。我が愚妹、ステラ・リベリオン・サンロード。金髪のガキはどこだ?」

「……ぃえ」

「あ? なんだって?」

「寝言は寝て言えクズ王子」

「そうか……答えはしたからな、叶えてやろう。とっとと死ね!」

 怒りをもって剣を振り上げ惨殺しようとする。

「あんたが、な!」

 呻いていたとは思えないほどの声を出し、床に縦横無尽に這っている縄をつかみ引き動かす。

「な!? うごば!!」

 そのロープに足を取られてガルバが体勢を崩して床に這いつくばる。体制を立て直そうと手をつこうとするが

「させるか!」

「ぎ! ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 起き上がることを許さぬように腕にナイフを突き刺して床に縫い付けた。少し力を入れれば抜けるだろうが、そんなことできるほど胆力のある男とは思えないし、実際そうであった。

「腕が! 俺様の腕がぁぁぁぁぁ!!」

「彼らの苦しみはこんなものじゃない。お前は相応の報いを受けるべきだ」

「ひ、は、はぁ? 何だってんだよ、黒魔術のこと言ってんのか? いいだろ一人や三人程度どうなったって! それに次期国王の俺様の役に立てるんだ! そのための犠牲と思えば幸せだろうが!」

「もう怒りなのか憐れみなのかもわからないほどだが、それらも全部ひっくるめてお前に虐げられた者の敵を討つ!」

「ひぃ!」

 もう一つのナイフでとどめを刺そうと思ったが、後ろから気配がしたので振り返る。

「な……なんだよ!?」

「……いや、敵を討つって言ったけど訂正するよ。こういうのは実の被害者が直々に手を下すべきだと思ってな」

 見えないだろうと思い横にずれるとガルバの視界に映ったのは、屍の一人だった。本棚で下敷きにした者が這い出てきたのだろう。

「あ……あぁ……があぁぁ」

「ま、待て! 命令しただろう! 殺すのはそこのガキだ! 俺様は貴様の主人だぞ!  聞いてるのか! おいちょ、やめ、ぎゃ、あああああああああああああああああああああああ!!」

 いくら呪われても生きている人間。恨みや妬みも生まれ貯め込んでいたことを、目の前の蹂躙が物語っていた。

 動かなくなったそれをよそにミラーク前に立つ。言葉なくもその眼差しで十分だった。

「もう……いいんだな」

「ぅ、ん……」

 言われなくともやるつもりだったその決意で心を突く。消えていく黒い痣とともに床に臥し、解き放たれる。

「安らかに……次は、幸福であることを願っている」

 決意したとはいえ涙が出ないわけではない。しかしいつまでも泣いているわけにはいかない。彼女が目覚めるまでにはこの屋敷での騒動をなかったことにしなければいけない。

「まずは彼らを外に、ぐっ!」

 血に濡れた腹を押さえる。この血は自分のものではない。二人目の屍のとどめを刺した時に流れた血で、自分で塗り付けたものだ。実際に自分の腹が裂けたわけではない。

しかし無傷ではなかった。とどめを刺した時に差し違えるように腹に殴打をもらってしまったがゆえの痛みだ。ひどい鈍痛が腹部を嬲り続けている。

「それでも俺は、ステラの幸せを――」

「ミラーク、なの?」

「え…………」

 反射的に見てしまった。それもしょうがない。その耳に唯一響く自分の名前。聞きなれたそれに抗えはしない。

 声のする上を見ると、そこにいた彼女と目を合わせていた。


              ・ ・ ・


 意識が戻ると、焼けつくような白色が私を待ち構えていた。

「うっ!」

 最近の私にとって睡眠からの覚醒は握ってくれている温かい手の感触と、おはようと語りかけてくれることを知覚することだった。視界なんて開いていても閉じていても黒一色なのだから意味なんてない。

 だが今回はいつもの二つがなく、意味のなかった方が私の意識の切り替えを感じさせた。

 咄嗟に手で顔を覆いいつもの暗闇に戻す。戻す、という行為をしてようやく自分の目に光が入ったのだと理解できた。

 恐る恐る両手を開き、眩い光を目に溜め込み、馴れてきたところで眼球が機能を始め白以外を映し出した。

 映し出されたのはなんて事のない屋敷の一室。その後動かす自分の両手を見て、そこから涙があふれて止まらなかった。

「嬉しい……本当に嬉しい……ミラーク、ミラーク!?」

 このために頑張ってくれた人を見ようと手を繋いでくれていた方に顔を見けるが、居なかった。ただ座っていたであろう椅子だけがある。

「どこ……どこにいるのミラーク」

 布団から出て部屋を探すがいない。この部屋の外にいるのだと考え部屋を出ると、そこにもいない。ただ廊下の中ほどに本棚が倒れていた。

「あんなところに本棚が倒れていたのかしら。いや、そんなこと……なにか聞こえる」

 考えている途中に声が聞こえた。目が見えない時期が長かったせいか聴覚が冴えている。玄関の方。誰かしらの声が聞こえた。

「きっとミラークだわ! ミラーク!」

 駆け足で足がもつれそうになるが気持ちで前に進む。目が治った。やっとミラークに会える。そうして二階の手すり越しに見えたものは――


              ・ ・ ・


 脳内はもう雑然とした有様だった。

 なんで起きている? 睡眠薬の用を誤ったか?

いや再三確認したから間違いはないはず。体質に合わなかったといっても早すぎる。

屋敷での戦いの騒音で起きてしまったか?

それならもっと早く出てきているはずだ。

 いや問題はそんなことじゃない、今重要視するべきは何だ。

 彼女の安否か、部屋に戻るように言うか、この状況の説明か。どこから説明すればいい?

 雨で生まれる泥水のように出てきても出てきても攪拌するだけで纏まることはない。纏まらないから山ほどある思考が何一つ口から出てこない。ただ見つめることしかできない。

 そんな状態が急激に転回することが起きた。

「私、あなたを――」

 宙に身を投げていた。正確にはステラが身を預けていた格子の手すりが折れて前のめりに倒れ落ちている。

「き、きゃあぁぁぁぁぁ!」

「ステラァァァァァァァァァァァァァ!!」

 頭の泥水はすべて吹き飛び体が先に動き出す。遠いわけでもないが一階分の高さゆえに間に合うか非常に怪しい。

 しかしそんな距離の概念など考えることなんてない。やっとつかみ始めた彼女の幸せ、こんな形でつぶさせてたまるか!

「間に合えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

後も先も構わず下に飛び込む。二人の影は重なり、やがてその身も重なって止まった。

「痛ぇ……だ、大丈夫かステラ!?」

「…………」

 両手に抱えたステラはぐったりとしていた。ただそれは怪我ではなく突然の落下の衝撃によって気を失っているだけだった。

「よかった。本当によかった……はぁ、はぁ……は、あ、は、は、あ、あ、あぁ、あぁ!」

 安堵の呼吸が乱れる。機を失った彼女の顔を見て、その綴じられた瞼を見て気付いてしまった。

 霊薬はもうすでに飲んでいる。

 屋敷のロープは敵対策のために切ったのですでに機能していない。

 明らかに目を開いてこちらを認識して名前を呼んでいた。

「あ、あぁ……あああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 言い訳のしょうもない。導き出される答えは同じ。呪いは確実に発動している。

 目が覚めれば自分のことは覚えていない。あれほど一緒にいた時間を、寝食を共にした屋敷を、つないだ手のぬくもりも。

 一番起こしたくない最悪の結末を引き当ててしまう。

 消えたものは戻らない。もう一度積み重ねることも叶わない。彼女はもう、永久に赤の他人という運命が定められた。他ならぬ自分のせいで。

「…………」

 深すぎる悲しみは涙すら乾かした。絞りだす声も底をつく。ただゆっくりと、愛する彼女を抱き上げて二階のベッドに寝かせる。

 腕すらなくなったかのような空虚な自分の両腕を眺め、何も言わず部屋を後にした。


              ・ ・ ・


「遅かったか……!」

 愛用の黒いローブを汚しながら森を走り抜けたシロネコが見たものはぐしゃぐしゃになった門と無理矢理壊された玄関の扉だった。

「報告を理由にステラちゃんのことを問い詰めてやろうとしたら城にいないときたからもしやと思いましたら、当たってほしくない予感が当たってしまいました……争いの形跡はあれど静か。これは本格的に遅かったですかね!」

 まだガルバがいるかもしれないのとミラークの呪いのこともかねて物陰に隠れながら屋敷に入る。

「おや? あそこでアジの開きみたいになっているのはあのバカ王子様? 隣で倒れているのは存じ上げませんが、おやおや? これは予想していない状況ですねぇ。ミラークくーん! お姉さんですよ! シロネコお姉さんですよー! 居たら返事してくださーい!」

 問題がいないと分かったので声を張るが返事はない。仕方がないのでこそこそと捜索を再開するも、それらしい人影はない。

「ミラークくんはともかくステラちゃんもいないとな? はて一体全体どういうこと……あ、いました!」

 窓の外を見るとひとりの少女が裏庭で佇んでいる。あの美しい金髪を見間違えるはずもない。

「ステラちゃーん! 無事ですかぁ!? お怪我はありませんかぁ!? 助けに来ましたよぉ!」

「その声……シロネコさん?」

「覚えていてくれてたんですねぇ! あ、その、目のことについては、ホント身を伏して謝罪したくって今はいいや! 無事そうで何よりです! というよりその、飲まれました?」

「……この庭の花、とっても綺麗ね。赤に黄色にオレンジ。私の好きなジニアの花が沢山。ほかにも青や白色も紫色もあって色とりどりで本当に綺麗」

「治ったんですね。もしや……お見掛けしちゃいました? 彼のこと」

「思い出すの。ここに初めて連れてきてくれたこと。そのとき私が言ったの。庭ならきっと色とりどりの花があるんでしょって。正直な彼は緑の雑草しかないって夢のないことを言うの。それで私が脹れていると言ったわ。君の目が治った時に為に君の期待以上の花畑を作っておくって。そして本当に作ってくれてたわ。本当に嬉しい。……でも違うの」

 振り向いた彼女の目からはとめどなくあふれていた。

「私が……私が本当に望んでいたのは! ……やっと見えるようになったのに、一番見たいものが見えないなんて、そんなの、そんなのぉ……!」

 見た目の服装からは想像できないほどやさしくステラを抱きしめる。

「大丈夫。大丈夫ですよ。彼も忘れたりしていません。そしてあなたが忘れていないのなら、絆は決して途切れたりしませんよ」

「シロネコさん……私、私……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 彼を求める声が森に響きわたる。しかしその声が彼に届くことはなかった。


              ・ ・ ・


 城下町ジェスカーは今年一番の賑わいで埋め尽くされていた。

 それもそのはず。今日は国王の即位式。この国のトップが新しく据え変わる目出度い日であるからだ。

 街の溢れんばかりの活気を見れば分かるとおり、代替わりした国王はとても優秀で国民全員に祝福される人物である。

 本来は長男であるガラバ・リベリオン・サンロードが次期国王として名が挙がっていたが、黒魔術との関りとそれに伴う事故死によって権利を剥奪。代わり(というのも失礼だが)に長女のステラ・リベリオン・サンロードが権利を有し、本日に至った。兄の悪事の解明、その後の真摯に国に尽くす姿に国民の誰もが心を打たれ、満場一致もありうる勢いでの即位だった。

「…………」

 街の賑わいに混じることなく人込みを避けて歩いてゆく。誰にも気にされないいつも通りの環境。馴れた足取りで廃墟に帰る。

「…………はぁ」

 人混みから脱し一息つく。こんな場所にも街の喧騒がわずかに聞こえる。それだけこの国にとって喜ばしいことの表れである。

 本当はあの森で死のうと思った。唯一自分に触れてくれる彼女を失った。唯一だったがゆえに心に甚大な欠落をもたらしてしまい、完全に自棄になった。

森で寝ころび目をつぶったその時、瞼の裏に彼女の姿が映った。こんなに愛おしく思っていたものが消えてしまった。自分が落ち度で失ってしまった。そう考えたが、ある事に気が付く。

「……消えてないじゃないか」

 そう、消えたのは自分だ。正確には彼女の頭の中にあるミラークが消えたのだ。決して自身の心の中から彼女が消えたわけではない。

 ここで死んでしまえば、それこそ消滅だ。彼女とのあの日々を記憶しているのはもう自分しかいない。本当に失われるのは、きっとその時だ。

 だから生きている。それだけを心の拠り所にして孤独の日常を過ごしている。それがミラーク・ロンハートの今である。

 人のいる場所で住むには自他ともに不自由が多すぎるので、この廃墟の一角が今の自分の唯一の居場所だ。こんなところでも雨風を凌げ、多少の人の営みをこなすことはできる。

 一番劣化が進んでいない場所を選び住み着いている廃墟にもうすぐでたどり着く。いつも通りドア代わりの暖簾をくぐり中に入ると、見覚えのない目につくものがあった。

「ロープ? なんだってこんなところにロープなんか張ってあるんだ? 誰かの悪戯か? ロープなんてくくって何を……ロープ……っ!」

 持っていた荷物を投げ置き廃墟を出る。外に続いているロープをたどって廃墟の街を走る。そんな馬鹿な、あり得ないと自分に言い聞かせながら、しかし捨てきれない、捨てられない希望を胸にひた走る。

 やがてたどり着いたロープの終点には、輝かしい記憶の中にいる金色が目の前にあった。

「…………ステラ、か?」

「……そういえば私を呼び捨てにする人って、肉親を除いてあなたしかいないのよね」

 振り返ると優しい笑顔をしているステラが似つかわしくない廃墟の中に佇んでいる。

「やっと、やっと会えたね。ミラーク」

「っ!? ど……どうして……どうして僕を覚えているんだ? 君はあの時に記憶を」

「あなたの事情はシロネコさんから聞いたわ。私よりよっぽど大変な目にあっていたのね。本当に感謝してもし足りない。確かに私はあの時ミラークを見ました。声をかけようと思って手すりが折れて落ちて、そこで意識を失ったことも覚えています」

「ならどうして君の中にまだ僕が残っているんだ?」

「これはシロネコさんと考えた推測だけど、ミラークの呪いはもう少し複雑だと考えたのよ。他人が自分を見て、視界から消えた時に全ての記憶が消える、ではちょっと説明が足りないんじゃないかって。あなたが視界から消えて、頭の中であなたを考えなくなったら、それに引っ張られて忘れる。ここまでして初めて記憶が消えると思うの」

「……じゃあ……君は」

「私はあなたが視界から消えたくらいで考えなくなったりしない。ずっとあなたのことを考えているし、想っている。それに頭の中だけじゃないもの。握ってもらった手の感触。撫でてもらった気持ちよさ。抱きしめてもらった時の温かさ。私は見る以外で、目で見る以上のたくさんの感覚であなたのことをはっきりと覚えているから」

 そっと手を握ってくれる。雨風が激しい時、何度このぬくもりが欲しいと身を震わせたか。

手から伝わる温かさで気付く。あぁ自分はあの時から死んでいたんだと。そう思えるほどに今、全身に温かいものが流れ、血の巡りを感じている。

「つまりね、呪いが忘れさせようとする力より、あなたを想う私の記憶のほうが強いってこと」

 それでもう耐えられなかった。体の中に水分などないのではないかと思うほど枯れた涙が息を吹き返す。

「許してくれ! 呪いのせいだとか言って君を信じられなかった! 本当にごめん! 最後まで君を信じなかった僕を許してくれ!」

「いいの、いいのミラーク。あなたは悪くないわ。あなたが私を想い続けてくれたからこそ私はあなたを見つけられたの。だから……私を離さないでいてくれてありがとう。ミラーク」

 どちらからともなく抱きしめあう。誰もいない空虚な廃墟の世界は、今この時をもって打ち破られた。

「そういえば、今日は即位式だったんじゃないのか? いいのかこんなところにいても」

「ずいぶん世間に疎くなったのね。式自体は昨日に終わっているのよ。今日は祝祭だけよ」

「それでも、こんなところにいていいはずじゃ」

「ミラークの居場所がやっと分かったのよ。それなのにあなたを一人こんな寂しい場所でこの祝日を過ごさせるなんて、女王にあるまじき行動だと思うの。違うかしら?」

「……余計な気を回してごめん。嬉しいよ。本当に」

「それでいいのよ。まだお祭りは始まったばかりよ。私と一緒に行きましょう!」

「ちょっと! 王女と一緒に歩いているところなんて見られたら周りになんて誤解されるか……あ」

「ふふ、今だけはあなたの呪いに感謝しなきゃいけないかもね、そのおかげで大手を振って一緒にいられるのだもの」

 急かすように背中を押されて歩かされる。

「その前に、聞いてもいいかい?」

「なに?」

「あの屋敷の裏庭にある花畑、なんて見てないかな?」

「……うん、見たわ。いつ話したか覚えてないくらいの時に私が言った好きなジニアの花もたくさん植えてあった。花自体もそうだけど、いろんな種類の花を育てるために山ほどの肥料が置いてあったのも、日当たりが悪いせいか近くの木の枝を切ったような跡があるのも、お茶ができるようなテーブルやイスが二人分新調してあるのも」

「そ、そこまで気が付いていたんだ。なんだか必死すぎるみたいで恥ずかしいな……」

「いいえ。その献身が本当に嬉しいの。私の世話だけで大変だったのに……ありがとう、今でも大切にしているわ」

「そっか。それならよかった。……僕のしたことは、無駄にならなかった、報われていたんだね」

「何もかも、あなたのおかげよ。さぁ、今までの分を取り返しに行くわよ! 今日のお祭り以外にもあなたとしたいことはいっぱいあるの!」

 手を引いて孤独から連れ出してくれる。もう、寒さは感じない。

「南門から出た先にある大きな湖で一緒にボートに乗りたいわ」

「あの森の近くにある牧場で一緒に羊と戯れるのもいい」

「この街の西にある大滝は常に虹がかかっているの。一緒に見ましょう」

「リフリーフの街を案内する。一緒に観光しよう」

「あの屋敷に行ってあの時のように一緒に泊まりたいわ」

「君のために作ったあの庭で一緒にお茶しよう」

「ミラークとならどこでだって楽しいわ」

「ステラとならどこにでもついていく。どこにでも連れていくよ」

 二人顔を見合わせて、誓う。


「「もう、絶対に寂しい思いはさせない」」


 どちらも深い暗闇にその身を落とした。しかしもう彼らの心に陰りは存在しない。お互いの光がお互いの闇を打ち消しあっているから。

 たとえどんな災いが降りかかろうとも、もう永遠にその重ねた手が離されることはない。

 五感すべてで感じる絆。その記憶がお互いの心を繋いでいるのだから。

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