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厄介な遺言

作者: ゲンジ

 

 携帯電話が鳴る。家のベッドから時計を覗くと朝の七時。そんな時間に起きたのはいつぶりだ。全くクソうるさい、何度ぶち壊したことだろう。その度死ぬほど後悔する。決して安い品物じゃないから。もちろん出るわけないわな。何と言っても頭が痛くて、話してる場合じゃない。昨日飲み過ぎた。安い焼酎は悪酔いする。ベッドの隣には彼女がいたが、今はいない。別の新しい男の蜜を見つけに行った。俺の蜜は取りやすくて、量も少ないようだ。悲しくなるね。一度覚めると目を瞑っても中々眠れない。ムクッと起きて洗面台で顔を洗って鏡に映る自分の姿は、痩せて疲れ切った渋い顔をしている。小さい頃は、もうちょっと自分でもイケメンになる者だと信じてた。生きてきた苦味だけが俺の中で消費されずに残る。建て付けが悪い窓を開けると、冬の寒々しい風が勢いよく入り込んでくる。人々は仕方なく今日を始めようとしてた。

 携帯電話にメールが入る。兄貴の久坂部信明からだ。家族とまともに連絡してる唯一の人。高校を卒業してから家にはほとんど帰っていない。かれこれもう十年前のことだ。

 紀夫爺ちゃんが亡くなった。葬儀は爺ちゃんたっての頼みで、近親者のみで行うことになった。明後日になる。秋人は可愛がってもらったんだから出ろよ。という内容のもの。そうか紀夫爺ちゃんがついに逝ったか。恵子おばちゃんが亡くなって確か十年たつ。元気な人だったけれど、老衰には勝てない。確か華々しい栄光も時間が経てば枯れ果て、ゴミ箱に捨てられる。避けられない運命。サイクルってやつだ。世界を限られた偉人たちは例外だろうけど。そのサイクルは俺たちの唯一残された平等かも。開けっ放しだった窓から止むことなく、肌が痺れるような強烈な風が吹き抜けたが、俺は窓を閉めない。肌を刺す痛覚が、今現実を生きている感覚に浸れたから。

 紀夫爺ちゃんは東京の地元八王子では知らぬ者がいないほどの資産家だ。戦後の闇市から資金を作り、地元で二束三文の土地を多く買った。最初はみんなに反対されたが、成功者の常套句だ。確固たるビジョンがあった。戦後高度成長期に沸く日本は八王子にも例外なく人と金が押し寄せた。土地の価格はうなぎ上りで、転売を繰り返す。その利益で何件も会社を作り、または無理にでも買収して一代で目を見張るようなグループ会社を設立した。事業内容は不動産会社と投資会社だ。的確な情報と先見の明、冷酷で無慈悲な決断でグループを大きくしていった。従眼光は鋭くて、その存在感だけで周りは怯えて恐怖する。市長や地元議員でさえ無視はできない。家族でさえも対峙するのを憚られた。まるで独裁政権の王様だぜ。

そんな独裁者に俺は不思議と可愛がられた。酒が強かったのは家族で、俺だけだったから妙に馬があった。それに他の家族には秘密にしてるけど、自分の店を出すときに、少なからず融資してもらった。もちろん利子をつけて返済したさ。ちゃっかり孫で金儲けをするのは流石に徹底してる。

一度だけ紀夫爺ちゃんが入院した頃に見舞いに行った。世田谷にある病院で確か半年前だ。他の家族や近親者に会いたくなくて、面会時間ギリギリに滑り込んだ。ガン国立医療センターで一番豪勢な個室に入り、広すぎるベッドに一人爺ちゃんは静かに寝ていた。顔はしわくちゃで髪もほとんど抜け落ちている。前に見た時よりも体もげっそりしていた。禿げてそうなったのか、それとも抗がん剤の影響か分からない。縁起物の即身仏の木彫り人形のようだ。その時から末期の肝臓ガンだと聞いていた。

 物で溢れた部屋だ。紀伊国屋フルーツの盛り合わせ、高級マスクメロン、入院生活にはふさわしくない色とりどりの花達。大きすぎる薄型テレビ、棚にはマグカップやガラスコップがずらりと並ぶ、大きすぎる備え付けの冷蔵庫。マックブックノート型パソコン。棚には見たこともない文庫とブルーレイの円盤たち。

 紀夫爺ちゃんは眼中になかった。気にもとめていない。そっと豪勢な個室に入っても、特に驚いてない。来ると一言も告げていないのに、俺を待ち構えていたような気がした。驚きもしなかったから。まず酒は何を飲みたいと聞かれたのは、さすがに面食らったね。ここは病院で、紀夫爺ちゃんは入院してるんだから。既に末期の癌なのに。

ふざけて、じゃあウィスキーのオンザロックと告げると、真面目に頷いて、ベッドの下からスコットランド産のバランタインを当然のように取り出す。棚の奥から真新しいグラスと冷蔵庫からキューブ状の氷を取り出し、慣れた手つきで酒を作る。あっという間にウィスキー入りのグラスを差し出す。グラスの中で琥珀色に揺れる液体は飲むのが憚られるくらい綺麗だ。思い切って飲むと、格調高く洗練された味が口の中に広がる。飛び上がるほど美味しい。高級店のバーには劣るかもしれないが、そこら辺の寂れた街角のバーよりは優ってる。

俺は酒を飲みにきたんじゃないんだと呆れて言うと、紀夫爺ちゃんは不思議そうな顔をした。じゃあ一体何しにきたんだって感じだ。ボケた訳じゃないことは分かる。目に生気が宿っているから。人よりも少しイカれてる。でもその行動は常に正しかったりする。俺はすっかり酒のおかげでリラックスできた。俺は見舞いに来たんだと話したら、そんなつまらないことできたのかと怒られた。それも結構本気で。なんで見舞いに来て怒られなきゃいけないんだ。俺も爺ちゃんも大酒飲みだ。

 それから看護師が何人か来て、晩ご飯の用意をしようとした。そこは健康を考えて魚料理で実にヘルシーそうだった。面会時間は終わっていたが、俺は何故だか追い出されなかった。ウィスキーを片手に持った俺を、驚いていたが、注意もしなければ追い出しもしなかった。これも独裁者の威厳ってやつか。

 その後、紀夫爺ちゃんもウィスキーをゆっくりと飲みながら、若い時に太平洋戦争に行った話をした。俺はそんな話を聞くのは初めてだった。それも記憶を頼りに脈拍のない話をする。いきなり密林でイギリス兵から逃走してる話から始まった。場所や、どんな戦闘をしてるとかは全くないんだ。脳裏に焼き付いてる情景を断続的に話していく。編集を忘れた戦記映画を語っているようだ。暑くて頭が沸騰しそうになって、泥の道を脚を引きづりながら歩く。食料がすぐ底がついて、腹が減って仕方なかったと仕切りに言う。目に付く食べれなそうなものは何でも食べた。ネズミがご馳走だったんだ。考えられないだろ。でもこれは全部本当だ。お腹と背中がくっつくという比喩があるだろ、確かに極限まで餓えると、くっつく瞬間がある。腹が消えたんじゃないかって、自分の中でそれがわかる。そうなると、もうだめだな。食い物のことしか頭に考えられなくなる。戦争に勝つなんて、どうでも良くなる。戦友が無残に殺された怒りも、どうでも良くなる。生きてる間に一番惨たらしい死にかたって分かるか。俺はわからないと答えた。見捨てられて、誰にも分からない場所で飢えて死ぬことだと静かに答えた。俺は黙っていられたのは、酒が美味かったからだ。

 葬式の日、荻窪で始めたコーヒー専門店を初めて臨時休業にした。駅から離れて、民家に密集してるが知る人がしる名店。とは行っても店の広さはカウンターが六席と四人が座れるテーブルがある工程だ。こだわって、注文を受けてから豆を挽く徹底ぶり。ブラジル豆やエチオピア豆などこだわって焙煎をしたものを季節によって取り寄せてる。注文を受けてからじっくり焙煎した豆を砕いて、じっくり焦らすドリップ方式で抽出する。そんな手間暇かけたコーヒーは一定のマニアから受けが良かった。だがそんな非効率的なコーヒだけで店が成り立つわけがなく、夜になるとバーに様変わりする。マティーニ、ジントニックなどの酒を出す。実はこっちの方が受けがいい。静かに酒を飲みたい男女が集まってくる。これは本意じゃないだけど仕方ない。

 電車を乗り継ぎ、世田谷の葬式会場に向かう。大それたセレモニーホールは近親者だけの葬儀には大き過ぎる。でも誰もそのことに意見は言わない。馬鹿らしい見栄の張り合いだ。

 家族や親戚一同だけが集まっている。その中心にいるのは、父親の仁紀だ。太った腹を葬祭用のスーツに無理やり押し込んでいた。今やグループ会社の総帥はこの人だ。先代からの引き継ぎは何の問題も起こらなかった。従順な二代目というレッテルが妙に似合う人。どうやら遺言に近い近親者のみで葬儀してくれという遺言が気に入らないならしい。今の地位は全ては、今ある棺桶の中の人のおかげなのに。

一歩離れたところにいるのは兄貴の信明と母親の伸子が鎮座していた。本当なら、仕事関係の人がやたらと押し寄せるはずなのに。椅子を並べても、そのほとんどが余白だ。でかい会場なだけに、とても不自然なような気がした。もっとこじんまりとした会場を紀夫爺ちゃんは望んでいたんじゃないだろうか。しかし家族を含め、親戚一同は俺をゴミのような目つきで眺める。全くぶち殺したいくらい素晴らしい家族だぜ。嬉しくて涙が出てくるよ。

このセレブティーで華麗なる一族の劣化版のような家族にはじき出されていた。正確には自分自身で出て行ったんだ。なんせ俺は落第生だったし、反発することでしか両親とコミュニケーションを取れなかった。高校を卒業するとさっさと実家を出た。リュック一つでね。あぁそれと家にあった金庫に入っていた現ナマの諭吉を有る限り、百枚の束を何個かくすねて出てきたのが、一番の軋轢になっていがみ合う。まあ好き勝手生きてる訳だから我慢しないとな。

葬式が始まって、坊主が読む眠くなるようなお経と父親の単調な弔辞を我慢して聞いていた。線香をあげて程なく出棺する。最後に棺から見えた紀夫爺ちゃんはどこか膨れっ面のようで、気に食わないようだった。独善な見方だけど、あんなつまらない葬儀の後じゃ、気持ちはわかるよ。例え亡くなった後でもね。霊柩車で火葬場まで運ぶ。泣いてる人もいたが、俺は涙の一つも出なかった。まだ実感が湧かない。起き出して、酒を飲もうと誘ってくるんじゃないかってさ。他のみんなは大粒の涙を流して泣いていた。俺だけが渇いている。

人里離れた火葬場で骨になるのは、一時間を要する。約八十年かけて作り上げてきた体が消滅して、人が骨に変わる貴重な時間だ。それまで待合室でささやかな食事が出た。俺は一言も口を開かず、黙々と緩くなったビールを飲んだ。家族と親戚一同は大した話もせずに、世間話をする。誰もが手持ちぶたさで、何を話したらいいか分からないと行った感じ。本心を言わないが、こんな面倒な葬式はさっさと済ませたいのがわかる。強烈な個性を持った存在が消えることの意味をまだわかっていない。代わりはいないだぜ。表面ばかりを取り繕うことばかりを考えてる。家族や親戚は誰も酒が強くないので、俺だけが浮いていた。いや、この家に生まれてからずっとそうなのかもしれない。こういうくだらないと感じる瞬間、無性にアルコールが欲しくなる。そうなるともう駄目だ、抑えきれない。空のビンビールが目の前で次々と机に並べられていく。

火葬が終わったので、収骨室に案内された。銀のテーブルに並べられた骨は癌に侵されて弱っていた体とは思えないくらいしっかりしてる。壺の中に入れる時には、俺は足元がおぼつかなるくらい泥酔していた。せめてつまみを食べながら飲めば良かったな。遺骨を拾うのを辞退して火葬場に備えかけのベンチで仰向けで寝ていた。周りの白い目はさらに白くなっていくのがわかる。上等だよ、こっちから願い下げだぜ。こんなしみったれた火葬場なんて酔わなっきゃいられるかっていうの。

骨壷をお墓に納骨して終わりになるが、俺はそこで辞退した。それは立派なお墓だろう。やりきれない。何より足元がおぼつかないでね。最後に母親から何か言われたかもしれない。お前はこの家の恥さらしだとか。でもよく覚えてない。酒を飲みすぎると、いつもこんな失敗する。本当に自分にうんざりしてるんだけど、止められないんだ。猫背でトボトボと帰る。爺ちゃんは一つの目標だが、俺はただその周りをウロウロとするだけで近ずくことも出来ない。うまいことやりきったぜ。羨ましい限りだよ。

兄貴の信明が慌てて追ってきた。走ってきたのに、息さえ切れてない。前にスポーツジムに行って体を鍛えてるんだと豪語していた。この爽やかな兄貴だけが希望だ。これからもっと完全体に近付いていくことだろう。将来グループを背負って立つ人だけに、媚を売っておかなければ。封筒をこっそり渡してきた。これはなんだと聞くと、生前に紀夫爺ちゃんから秋人にってさ。絶対渡してくれって。中身は見てない。遺言状じゃないことは確かだよ。正式な遺言状は葬儀の三日後にわかる。全くたまにお前が羨ましく思うよと、ブツブツ訳のわからない台詞を吐いてまた走って火葬場に戻った。自由に生きる弟と、宿命を背負わされた兄。

封筒を振ってみたが、金じゃないことは確かだ。形状を見ればわかる。俺は礼服のポケットに入れて帰った。正直どう帰ったのかよく覚えてない。記憶があやふやでだけど、ちゃんと電車に乗り、単身様マンションに帰って、ちゃんとシャワーまで浴びている。習慣ってやつは身を助ける。

数日後に兄貴からの電話。今度は出ることにした。まだ夕方の五時だったし、店にはお客は誰もいなかった。この前のお墓の納骨に立ち会わなかったことに多少の罪悪感があった。兄貴は渡した封筒は見たかと尋ねた。俺はすっかり忘れていた。酔っていて帰って来て礼服のポケットに入ったままだ。自分でも呆れるな。

秋人ならやると思ってた。それでさ、弁護士から正式な遺言状が開示されてさ。家族親戚一同仰天だぜ。遺産の七割は恵まれない子供達に寄付するんだ。親父なんか呆れかえって、母親はおいおいと泣き続けてる。葬式の時よりも泣いてた。俺は愉快だった。紀夫爺ちゃんは損得で動いて、ボランティア精神は皆無だと勝手に思い込んでたから

 兄貴は珍しく興奮していた。無理もない。聞いた俺だって愉快だからだ。してやったり。ということは俺の取り分は微々たるものだと理解すると、途端に憂鬱になったりして。俺に渡した封筒を目を通していないことを責めもしなかった。

 店を早めに切り上げて、自宅に帰った。急いでうざったい靴下を脱いで、礼服のポケットから封筒を取り出す。中身は何と、通帳と立派な象牙のハンコがだった。荒い鼻息で通帳の中身を確認すると、一億という金額が記載されいる。何度ゼロを数えても一億という金額に達する。殺到しそうになるのを抑えるのがやっとだ。色々なプランが頭の中で駆け巡る。もっとお客が入る大きなキャパが入って、駅に近く立地も申し分ない新しい店を移したら素敵だ。それをサプライチェーン化して店をどんどん増やす野心が芽生えた。世界中のお客に俺の店で淹れたコーヒーを飲んで、舌鼓する情景まではっきりと頭に浮かんだ。それは新しい発見だ。封筒から便箋が落ちた。達筆な字でびっしり書き込んである。震える手で便箋を開いた。

 

 今から書いてある内容は他言無用にしてほしい。一生かけて後悔してきた恥部だからだ。これは誰にも話してこなかった。秋人だけには話しておきたい。どうか最後まで読んでほしい。

もうずいぶん昔の話だ。まだ二十歳の頃、太平洋戦争に駆り出された。その隣にはいつも高瀬隆一という男がいた。こいつのおかげで生き残れたと行っても過言じゃない。上官から厳しく情け容赦ない殴ることが当たり前の軍隊の訓練所で知り合った。当時の日本人としては大柄で、百八十はあった。こいつの態度は横暴で、聞き分けがなくて、軍部の絶対的な規律である上官からも命令も、冷ややかな態度で接していた。だからよく殴られていたが、平気な顔をしてた。

 隆一のことを元々好きだったわけじゃない。奴といると生き残れると直感したからだ。奴は危機察知能力みたいなものが高くて、本当に危険な場所や戦闘は避ける様にしていた。高い生命力。隆々たる体躯。生命への餓鬼感。生き残るという何事にも変えがたい意思。

 そのうち東南アジアでの戦闘に参加した。これが全く愚策としか言いようのない作戦だった。歩きずらい密林を抜けて、険しい山岳地帯を登ってたどり着いたのは、強力な機関銃で待ち構えたイギリス兵だ。散々に負けた。退却途中、密林で二人で励まし合いながら生き残ろうとした。お互いに生き残る決意と意味を確認し合った。隆一は古くからの土豪で婚約して間もない可愛い妻がいるらしい。ここを切り抜けらば未来は明るかった。自分はとてもそんな理由はなかった。何となく生きてきて、勉強や運動ができるわけじゃない。赤紙が来て訳も分からずこの忌々しい密林に連れてこられただけだ。次男坊が帰ったところで、大して喜ばない。でも何故だか昔から生きたいと願う傾向が強かった。それは自分には何かあるという根拠のないものだった。弾薬も食料の補給もない。食べられる者は何でも食べた。葉っぱはあらかた試したし、昆虫は見境なく口にした。もちろんネズミもな。成人男性の必要なカロリーを賄えるはずがない。物資の補給は皆目期待していなかった。隆一も筋骨逞しい体がほとんど骸骨だ。

密林の悪路を杖代わりに銃創を使って何とか歩いてた。イギリス兵が壊滅状態の日本兵を要に追っくるし、ひどい赤痢にかかり下痢が止まらなかった。おかげで骨と皮で肋骨が浮き出て頬はこけ、目だけがギョロッと飛び出してる。生命が維持できるギリギリの範囲にいた。そんな日本兵がこの密林の至る所にいる。生命維持が尽きた者の累々とした死体。しかも空は散々降りの雨だ。道はぬかるんで足を土の中にひきづりこもうとする。雨季が終わる頃にはその戦闘は終わると少尉は声高らかに話していたのに。完全な計画の失敗だった。兵士たちは所詮捨て駒でしかない。

 死体を眺め過ぎて、あるべき正しい姿が死体で、まやかしの姿こそが生きた哀れな日本兵なんじゃないのか。払っても湧いてくる大量の蝿。死肉を食い破る蛆虫。死んでいった兵隊すぐに生きてる兵隊に身ぐるみ剥がされて、あっという間に素っ裸になった。節操も何もあっったもんじゃない。もはや敵も味方も区別がつかない。狂いそうだった。死体の頬肉なら食べられるという噂を聞いたが、食べたやつの半分は気が狂った。裸になって奇声をあげながら何処かへ走っていく。俺が気が狂わなかったかというと、隆一が常に気をしっかりと気を保っていてくれたおかげだ。

 二人して、肩を支え合い、安全な日本軍陣地にもう少しというところまで来た。最大の難所、メコン川を渡らなければならなかったが、雨季の影響で川幅は大きく広がり、濁流の勢いは凄まじい。渡れるわけがなく、外洋まで流されるだろう。思わず天を仰いだ。それは流石に隆一も同じだった。執念深いイギリス兵は、すぐ後ろに来ていたはずだが、それよりも腹が減って、生き絶える方が先だろう。朽ち始めた体に這いずり回る蛆がそれを物語っているようだった。いつでも死んでもらっても密林は準備が出来ている。

 忘れもしない。約十メートル先に死体が転がっていた。その脇には麻の風呂敷を抱えていて、ほつれた風呂敷からこぼれ落ちるのは、鈍い白さを保った米粒たち。現地の農村から奪ったのだろうか、兵士から奪ったのだろうかわからない。とにかく米だった。何度頭の中に描いた事だろう。飛び出したのは二人同時だ。最後の力を振り絞った。米が奪われて食べれないのかと思うと我慢ならない。誰にも取られなくない。有らん限りの力を出して前に推進した。足は痩せ細り、杖がないとまともに歩けない。確実に不利だった。

 気がついたら、地面に落ちていた大きな石で隆一の頭を何度も殴っていた。倒れたところをさらに石で頭部が変形するまで殴った。返り血で顔が真っ赤になったのを今でも覚えてる。犯した罪の重さ、最大の友の生命をこの手で葬り去ってまで、誰にも渡したくなかった。

 死体から風呂を敷を剥ぎ取り、誰もいない場所まで行って、白米を夢中で食べた。本当にお茶碗一杯分くらいの量だったが、今まで食べたどの米よりも美味しい。自分が意地汚くて残飯に群がる豚のように思えた。書いてる今でさえ、その気持ちは消えることはない。散々降りの雨は体を乾かすことを許さなかった。おかげで帰り血は流れたが、溜めた水分は全て眼球から涙となって流れ出た。泣き疲れると眠る、それを何度も繰り返した。

あの日、大切なものが壊れてしまった。人が感じるはずの当たり前の痛み、思い計ること。それから数日して、イギリス兵の捕虜となった。捕虜生活はとても褒められたものじゃなかったし、労働は過酷を極めたが、食事が出る。それにあまり苦痛を感じなくなっていた。国際世論の助けで一年後には日本に帰国できたが、大事なものは壊れてしまったままだ。帰ってきたら家族は案の定次男の俺を歓迎してはくれなかった。日本のために戦ったことへの感謝も謝罪もなかった。いいさ、構わない、やりたい事をやるだけだ。東京に出てきて、無法地帯の闇市に店を持って懸命に働いた。田舎に安い野菜を買い出しに出て、東京の闇市で高く売る。自分には商才があった。だから生き残ることに執着したんだと確信したよ。残飯にありつくことも、僅かな金をむしり取ることも、苦じゃなかった。

懸命に働き、事業も順調で、良き妻にも可愛い子供にも恵まれてても心は晴れない。自分の中の卑しさは決して消えることはなかった。金を稼ぐ事のみ執着した。その時だけ、過去を消し去ることができる、存在価値があると思い込めた。稼いだ金をせめて、償ってほしい。生きてる間に自身がやらなければならないことは、分かってる。でも向き合うことが、自分の卑しさを陽の光の中に炙りだすことが怖くて堪らなかった。そんなことになったら完全に狂ってしまうだろう。卑怯で醜悪だろう。触れたくない秘密を語った上で頼みがある。もし高瀬隆一の子孫はまだ存命していたなら、そしてその一族が金に困窮しているようなことがあったら、この金を渡してほしい。今更、秋人に託すこのじじいを笑ってくれ。


手紙はここで終わっていた。店舗を拡大させていくという野望は、露と消えた。しかし、後ろの方で得体の知れないものが巨大な地響きが音を立てて近づいてくる。それは避けられそうにない。じっと耐えるか、立ち向かうかだ。どこかに抜け道を探す。または宙を羽ばたくことが出来たなら。でも俺は所詮地べたを這い回るコーヒ中毒の盛りのついた猿だ。色々な思考の断面が頭の中で交差して逡巡する。少し考えるのを止めよう。暖房を付けずにいたので、足の付け根が冷たくなっていた。俺はその部分を手で摩って、早く暖かくなりますようにと何度も呟いた。もちろんそんなことをしても全然暖かくならない。

次の日から仕方なく行動に移そうとした。だけど何に手をつけていいのかわからない。そもそも紀夫爺ちゃんはどこの戦闘に参加したのかさえわからない。それにその子孫が生存しているのかも分からない。紀夫爺ちゃん自身で調べれば、簡単に調べられただろうに。これが妄想なら本当に笑って済ませるのに。本当だとして普通孫に頼むか。紀夫爺ちゃんには本当に感謝してるが、迷惑以外ないって。だって俺はほとんど自分のことしか考えてないんだ。爺ちゃんの言いつけじゃなければ、この金を躊躇なく使うだろう。なんせ家を出る時、金庫から金を拝借した男だ。罪の意識なんて何もなかった。せめて兄貴に話せたら、心も軽くなるだろう。だけど他言無用だって書いてあったしな。

少なくともどんな戦闘だったのかを知る必要はある。そこが起点だ。生憎俺は歴史は苦手だ。特に戦争の話なんて真っ平御免だった。太平洋戦争を専攻してる歴史学者に連絡を取ったが、門前払いされた。得体の知れない男に時間を割くほど暇じゃないって感じの対応だった。戦争に詳しいく、本も出しているジャーナリストとも話を聞こうとしたが、やっぱり門前払いされた。金にならない話を聞いても時間の無駄という対応だった。暴力に訴えてやろうかと考えた。みんな俺を小物扱いして馬鹿にしやがって。うちの店に来てコーヒーの一杯でも飲めば、考えは変わるはず。そりゃ最高のコーヒーだからだ。でもそういう奴らは、俺の店に来ようという労力を割こうとさえしない。下らないよ。

仕方ない、一番聴きたくない相手だが、父親ならば、何か知っていても不思議じゃない。紀夫爺ちゃんの息子なのだから何か知っていても不思議じゃない。ともかく兄貴に父親とアポを取るように頼んだ。兄貴は少し驚いて、間を置いてから、仕方ないなと了承してくれた。それからは妙にヘラヘラ笑っていた。何を変な勘違いしてるのかわからないが、歴史的和解を期待してるなら見当違いもはなはだしい。そんなことは起こりっこない。俺たちはイスラエルとパレスチナのような間柄なんだ。あいつから数々の虐待まがいの暴言を受けてきたんだ。殺さなかったのが不思議なくらいだ。

指定された都内の出来立てのオフィスビル。建築家が凝っているのか丸くて白い建物。そこの一階におしゃれなカフェがある。俺はそこに青いナイキの上下ジャージで来た。父親と会う約束になっている。ここの近くにグループの事務所がある。平日の昼間ということもあるが、みんな型通り綺麗にアイロン掛けされたスーツを着用してる。一般ビジネスマンよりも多くの納税を収めている金持ちエリート層だろう。誰一人楽しそうな人はいない。一番奥の席に座ったが、隣に座る五十代の渋い男はノートパソコンに向かいながらキーボードを忙しなく叩いている。頼んだコーヒー飲むと酸味が少し強くて雑な味だ。ただカウンターの女子が馬鹿みたいに可愛いので、全て許される。その笑顔を見るために通っても構わない。時間通りに親父の仁紀は現れた。青いチェック柄ダブルのスーツを着ている。この前のようではなく、体にぴったり合ってる。うんざりするほど上品な人だ。それに比べて俺は全くの風来坊。ジャージ姿をみても、もはやそれを注意する気もないようだ。上等だよ。

親父はクリームが沢山のった甘そうなウィンナコーヒーを啜っていた。紀夫爺ちゃんが戦争での話を聞いていないか、何でもいいから詳しく頼む。実は個人的に戦争の話をまとめてるんだと矢継ぎ早に訪ねた。もちろん大噓で興味もないのに。その問いに父親は答えず。独り言のように話し出す。

この店は新しくてオシャレなのに、珍しく美味しいウィンナコーヒーを出すんだよ。ウィンナコーヒーはね、紀夫父さんが毎週同じ喫茶店に連れて飲ませてくれた思い出の味だ。これを飲んでると、色々と思い出されてきて、楽しくも哀愁な気持ちになる。決まって日曜日に喫茶店に連れてきてくれてさ。忙しい父親と一緒に居られるのは嬉しかったけど、その話す内容は大体腹が減ると人はどこまで狂うか、そしてどこにフォーカスしているのかわかない眼で話すんだよ。私を見ているようで私を見ちゃいない。決まって同じ話をした。そんな話でさ。メロンソーダを飲み終えると退屈だったのを覚えてる。

分かってるよ。そんなつまらなそうな顔をするなよ。秋人は顔に出るな。戦争の話だよな。確かに行ったことは知ってるよ。でもその話になると意図的に避けていた。言わなくても、態度でわかる。急に黙り込んで、虚ろになる。そもそも自分をさらけ出すのを極端に嫌がってた。何重にも仮面をかぶって生活してたようなものだ。だからなのか、あれほどビジネスで冷酷な判断を下すことができたのかもしれない。バブルが弾けてグループは傾きかけた。だけど紀夫父さんは大規模なリストラをした。みんな驚愕したよ、今まで尽くしてくれた部門を根こそぎリストラした内容だったから。ただそれで会社は生き残ったのは事実だけど、心底恐怖した。

そう嫌な顔するなよ。亡くなってから紀夫父さんのこと改めて考えるは、初めてだから感情が溢れ出したんだろうな。勘違いしないで欲しいのは憎んでたわけじゃないってことだ。留学や車の費用だって出してくれたし、色々な相談にも一緒に考えてくれた。参考になったのは別だけどな。今いる地位だってほとんどはあの人のおかげだ。感謝してるだよ。

父親の本音を久しぶりに聞いた。だが俺にしゃべっていると言うよりは、独り言のようにも聞こえた。それに親父は他人の顔をすぐに察する。それは紀夫爺ちゃんが、何を考えているか、捉えどころのない不思議な存在だったからだろう。顔色で心の内を覗こうとしていた。そう言う意味では父親も苦労はしてるってことだ。ここで引き下がるのが本来の俺なのだが、食い下がった。本当に何も知らないのか、何か押し殺したような行動とか、癖みたいなものなんてないのか。それに恵子ばあちゃんは生前何か言ってなかったか。その俺の姿に父親は目を見張っていた。

そうだな、今思い出したんだけど、梅雨の時期になるのを恐れていたな。その時期だけは体調が悪くて辛そうだった。湿気が多くなると体が狂うらしい。もしかしたらそれも関係あるのかもしれないな。それとこれは本当に酔った時にしか語らなかったが、あの世に行ったら間違いなく殺されると語ってた。亡くなっているのに、あの世でどう殺されるんだと聞いてもそれを繰り返すだけだった。母さんは何も語らなかった。必死に不思議な父さんを支えてたよ。それだけで十分幸せな人だった。もしかしたら、全て知っていたのかもしれない。でも何も語らなかった。

収穫はないように思えたが、結果的にあの手紙には信憑性はある。梅雨と死後の恨み。ちょうどコーヒーも飲み終えたし、頃合いだ。今日はありがとう、素直に感謝の言葉を口にしていた。わざわざ足を運んでもらったせめてものお言葉だったが、反発してきた身としては、火が出るほど恥ずかしかった。親父も何だか、恥ずかしそうに答えた。

何だか役に立てなくて悪かったな。そうだ、大学からの知り合いで、戦争マニアの男がいる。こいつに聞いたら、何か分かるかもしれない。そう言って、ポケットから取り出した革の手帳を取り出してその一枚を丁寧に破って、連絡先を渡してくれた。悪い男じゃないんだけど、変わった男だ。それと今度の正月には帰ってこいよ。母さんもああ見えて、顔を見るのを楽しみにしてるんだから。俺は気の無い返事をした。まぁ、一日くらいは帰ってもいいかな。兄貴の思惑通りに進むのは癪に触る。やっぱり親父と会わなきゃよかったと思い込みたい自分がいるが、そうじゃない自分もいる。歴史的和解はまだ先だ。

店を出ようとしたら、隣の席に座っていたサラリーマンのノートパソコンの画面が目に入る。キーボードを打って忙しそうにしてたのに、仕事をしてると思い込んでいたら、ただ動画サイトでお笑い番組を視聴してた。それもクスリとも笑っていない。何を信じるのは自由だが、見なきゃよかったことばかりで、何も信じない方が良いのかもしれない。

一億円が手元にあると、誘惑にかられる。金の力が及ぶ範囲はとてつもなく大きい。どんなに駄目だとわかっていても妄想する。チェーン展開する野望はもちろんあるが、時が経つにつれ、邪な欲望が湧く。酒で満たしたプールに溺れてみたい。そこに横たわる水着の美女たち。うちのマンションに並べられた、芸術性と使い心地を追求した高級家具たち。風呂場にサウナを常設して、思う存分汗をかく。何度か預けられた通帳とハンコを持って銀行の前まで行った。その度、思い直して回れ右をした。紀夫爺ちゃんの救いのない深い絶望が、俺にのしかかり重しになったからだ。その重りは何十キロという鉄球の足枷だ。

カラッと晴れた休日だった。六本木駅を降りると、みんなどこかウキウキしてる。カップルや家族がお洒落な街を堪能しようと、押し寄せる。ここに戦争マニアの居住地がある。そこに足を向けた頃には春の兆しが見え隠れしていた。厚いコートを脱ぎ捨てられる快感。小さい公園では梅の花がひっそりと咲いていた。春風が強いのが難点だけど、それさえも風を感じることが出来る。紙のメモに書かれていた場所は都内港区の立派なマンションの最上階。一階にはコンシェルジュがいるような場所だ。俺だって元はお金持ちのお坊ちゃんだから、高級な場所は慣れているけど、流石にびびったね。事前に訪問すると連絡はしてある。こんな素晴らしい場所に戦争マニアがいるんだろうか。騙されてないよな。表玄関横に部屋番号インターフォンを押すや否や、何も言わずに自動扉は開いた。最上階の部屋に着くと、すぐに重厚な扉は開いて中から小太りな男が現れる。髪は短い縮毛で顔の表面が脂ぎっていた。あぶらとり紙で何度拭いても、油が浮き出てくるんだろう。顔は潰されたカエルのような顔をしていて、恐ろしい。俺のこと恋人が来るかのように待ち構えていた。一緒にはとても生活出来そうもない。褒められる事は、異様なくらい歯が白い。

作りは見る限り2LDK。水滴一つも付いていない洗面台。歯ブラシ、コップは新品同様だ。床は塵一つなくてピカピカだった。居間に通されて、座り心地が良いソファに通された。そこに今まで飲んだ頃ないくらい美味しいお茶が出された。全ては用意されていた。この日の為に、準備してきたと考えたら身震いした。俺は身動きがこのカエルのような男に丸呑みされるかも知れない。そして顔から油となって滲み出てくるんだ。

野間口という男は気さくに喋り続けた。主に俺の父親との関係だ。大学時代に知り合ったとか、その時の合同コンパなどの、毒にも薬にもならない内容。俺は聞くふりをして、実際に何も聞いていなかった。その技術はカフェの仕事で身に付けた。この人はかなりお喋り好きなようだ。じっと我慢する。

そういえば、戦争の話を聞きに来たんですよね。何を聞きたいの。いやー戦争の話を聞きたいなんて、奇特な方ですね。そういう方はとても少ないんですよ。特に若い方には。俺は野間口から戦争の話をしてくれて感謝した。いい加減うんざりしていたからだ。早速便箋の内容を話そうとした。だがそれは叶わない。本当に残念な事なんです。つい六十年前に日本国の為に戦った兵士達の事を憂いないなんて、この国は狂いつつある。アメリカが日本各地をあれほど焦土化させておいて、なぜ日本人は従順で怒らないのか不思議です。あまつさえ基地まで許すなんて。それに基地の外でアメリカ人が犯罪を犯しても、我々の法律では裁けない。はっきり申し上げて占領されているに等しいです。野間口は話すにつれて勝手に興奮して、半狂乱になっていく。親父がおかしな男だと言ったのは本当だった。アメリカを憎んでいる人は珍しいなと思った。きっとこの人は生まれてもいなかった戦前の記憶を留めている。

俺は無理やり話を遮った。止めなかったら、朝までアメリカの植民地論と軍国論を聞かされる羽目になっていただろう。野間口はぽかんと口を開けて、俺の話を聞き入った。紀夫爺ちゃんが残してくれたメモをの内容。主に戦闘の経緯とジャングルの描写や最後に出てきたヒント、大きいメコン川。もちろん最後の殺人は避けた。すぐにそれはインパール作戦ですねと言う答えが返ってきた。そんな作戦は初耳だ。

間違いないですね。雨季、餓鬼、病気、死体、条件が揃ってる。インパールとはインド北東部の都市の名称です。当時の敵国イギリスが占領していました。そこに連合国側から中国に向かう補給路が繋がっていました。これを援蒋ルートと言います。それを遮断する目的で当時の日本軍が占領下に置いていたビルマ現ミャンマーから、インド北東部インパールまで行軍する壮大な計画でした。日本軍は太平洋戦争と日中戦争もこなしていましたからね。中国の補給路を立ちたかったんです。途中密林の悪路あり、険しい二千メートル級の山岳地帯ありの、全長四百七十キロの苦難の道です。四十四年三月に行われました。

よくもまあそんな昔の戦闘の情報量がポンポン出てくる。そして腕組みして考え込んだ。世界地図のありようでは、確かミャンマーの上にインドがったんだよな。その間に密林や山岳地帯があるって知らなかった。そこでイギリと日本が戦ったって言うのが、理解出来なった。知識が余りにも足りないことはわかっていた。その補給路を断ちたいというのもわかるが、そんな見知らぬ場所で、戦い死んでいくのが理解できない。どれだけ戦略的に重要だと、論理的で巧みな説明をされても俺は納得しないだろう。野間口はさらに続けた。

第十五師団、第三十一師団、第三十三師団、それにインド軍で九万人近い兵力でインパアールに迫りました。三十キロから六十キロの荷物を持ちながら、熱帯雨林の悪路を抜けて、二千メートル級の山岳地帯を超えていくだけでも困難な道ですよね。それなのに兵站という戦略が欠けていました。これは分かりやすく言うと、後方支援、補給ということですね。つまりは食料や弾薬のことです。本来雨季が到来する前にインパールを武力で占領しているはずでした。上層部は三週間で作戦を決行させる考えでしたから。その分の食料と弾薬しか持って行かなかった。足りない分は現地の農村から牛を掻き集めて連れて行きました。荷物を運搬させながら、最後に食料にしようと考えていたんです。馬鹿らしい、今の緻密な真面目な日本人のイメージにはかけ離れたもので、私でも怒りでワナワナと震えます。

行軍全域の制空権はイギリスに取られています。イギリス兵は戦闘機で地上に補給を落としていました。兵器だって段違いに優れていた。それでも日本兵はずいぶん頑張って戦いました。弾薬さえあれば、或いはもっと善戦していたかもしれない。インパールだってもう少しのところまできた。でもそのうち弾薬と食料は尽きます。もう上の指示など待ってられない、撤退するわけですけど、イギリス兵は執拗に追ってくる。その間に最悪なことに雨期が到来しました。それも日本とは比べ物にならないくらい強烈な雨が毎日降り続きました。中には千年に一度の大雨だったという記録もあります。、雨に打たれ続けて体力はなくなり、次々とマラリアかアメーバ赤痢、餓死で次々と亡くなりました。危機的な状態ですね。亡くなった日本兵たちは雨季で腐食が早くすぐに蛆虫が湧いて、あっという間に白骨化させていきました。そこから白骨街道という名称も生まれました。実際は四ヶ月以上作戦は続いていたんですよ。

少ししか情報を与えていないのに、野間口はまるで落語家の十八番のように語る。何度も手を替え品を替え、鏡に向かって練習してきたのかもしれない。情熱を持って夢中で話した後の野間口は恍惚としていた。文献や資料を読み、やっとこの話ができる日が来た。決して腹を抱えて面白がる内容じゃない。凄惨で無謀な作戦に参加せざるを得なかった紀夫爺ちゃんのことを考えれば尚更だ。それを意気揚々と話す姿は、俺をイラつかせるせるには十分だ。くそ作戦なんて興味ないが、その兵士達の絶望が俺を突き動かせる。

野間口は今になって、戦闘のことを聞きに来たのか知りたがった。まずそれが最初だろ。亡くなった紀夫爺ちゃんが太平洋戦争に参加していて、その戦闘を知りたくて。自分で調べても良かったんですけど、確証が持てないので、専門家に聞いた方が正確ですから。野間口は専門家という言葉に感銘を受けていた。これも接客の心得ってやつだ。褒められたことに気を取られて、俺のことを真意を疑問に思わなくなる。少なくとも今この瞬間はね。

さらに入れてくれたお茶を褒めちぎった。これは本当だから言葉がスラスラ出てくる。それに関しては、一つも嬉しそうじゃなかった。ムカつく奴だ。わかるとは思えなかったが、ズケズケとその戦闘に参加した日本兵のリストはないかと強請る。野間口はほんの少しだけ頭の中で整理して、勢いよく隣の部屋に駆け込んでいった。大切なコレクションを見せびらかしたくて仕方ないのだろう。そして荷物をガサゴソと片付け始める。しばらく待っても、ガサゴソと片付けてばかりで一向に戻ってこない。三十分経って我慢の限界だ。高級家具を壊したい衝動に耐えかねた俺は、こっそりと隣の部屋を覗く。美しい鶴が器用に羽を使って、織物を織っていてくれたら、これほど嬉しい事はない。でも実際はやっぱり違った。部屋を埋め尽くす書類の束で悪戦苦闘する野間口。足を置く場所にも苦労する。顔の油はさらに浮き出て、気持ち悪いくらい艶っぽい。整理整頓という概念がこの部屋だけは消し飛んでいる。隣の部屋はこんなに綺麗にチリ一つなく、備えられているソフアやテーブルなどは傷一つないのに。この紙の束が全てが戦争の資料ならば、死んでいった兵士たちの怨霊に取り憑かれえる。脳が完全に右脳と左脳で独立してるんじゃないのか。

 すみません、これだけ紙の資料があると、どこにどれを置いたかわからなくなるんです。あるのは確かなんですがね。確か亡くなられたのは、高名な紀夫さんでしたよね。三日ほど猶予をいただければ、必ず明細な名簿リストは集めておきますので、それを郵送します。最初は断ろうと思った。流石にそんな時間を割いてもらったら申し訳ない。どんな戦闘に参加したこと知れただけで御の字。まあ最終目標は、高瀬隆一の子孫に会うことだけど、俺だって一応礼節は心得てる。断ったら、辛そうな顔をしてお願いです。やらせてくださいませんかと、悲願された。今度父親に会ったら抗議してやる。変わり者具合は少しどころじゃいぞ。

 私はこうして毎日家も篭って戦争のことを調べてます。働いたのは大学を出て最初の一年だけです。広告代理店で働くのは嫌いじゃなかったんですが、どうにも侵略の歴史が頭から離れなかったんです。私が調べないと、同じ過ちを繰り返すんです。歴史は繰り返しますから。人は愚かで、少しずつしか進歩できません。恋人もいたんですが別れました。幸いにも収入は親が残してくれたマンションが数棟ありまして、その家賃収入で事足りますから、生活には不十しません。私のような生活は世間からは特異なようで、嫌悪されたり妬まれたりします。こんな事くらいでしか、私は世の中に貢献できません。

 俺でさえ働いてるっていうのに。それならば、大いに活躍してもらおうじゃないか。高瀬隆一という人が、その戦闘に参加してるんです。同じ部隊で行動を共にした戦友というやつで、その人のことも調べてくださいませんか。その人に紀夫爺ちゃんはとてもお世話になったというんでお願いします。野間口はおもちゃを与えられた犬のように嬉しそうだ。涙まで目に溜めている。こいつにはこうやって何かおもちゃを、戦争題材を与えれば幸福に生活できる。色々教えてもらったのに、黒くて醜悪なものが俺の中でこびり付く。がっかりする事ばっかりだ。唯一ここに来て、良かったことは美味しいお茶を飲んだことだ。

 三日後に俺の店に野間口は折り目正しい淡いグレーのジャケットと、細いスラックス、反射するくらい磨いた革靴を履いて来た。カウンターに陣取り、頼んだ資料を調べ上げるのにどれだけ大変だったかを雄弁に語る。俺が丹精込めて越して作ったコーヒーを、水を飲むように流し込んでいく。もっと味わえよ。特に高瀬隆一という人物を探し出すのは一苦労だったようで、戦争マニア仲間のネットワークをまで使った。北海道に住む友人の一人から情報を取り寄せた。そいつは兵士の名簿マニアで、素晴らしい男だと唾をTB足ながら話す。俺は布巾でテーブルを拭きながら、苦労をねぎらい続けた。そのうち、野間口の顔に油が浮いてきて、直視できなくなる。疲れ知らずで二時間ずっと喋りっぱなしだ。帰る間際にやっと目当ての二人分の名簿リストを渡した。さすがに疲れたぜ。やっと帰るのかと心待ちにしていたら、その後、興味深い話をした。

あの調べてくれって頼んでいた、高瀬隆一って男。資料を取り寄せてから、記載された住所を見て、なにか引っかかるなと思い、改めて興味本位で調べてみたんです。面白いことがわかりました。そういえば、どこかで聞いたことある名前だなとは思っていたんです。古い土地の文献などに載っていたのをすっかり忘れていました。昔ですけど、練馬の一帯の豪農だった男です。広い土地を持っていましたし、顔役だった。戦争で亡くなってしまいましたけど。それを思い出していたら、もっと早く教えられたんですけどね。私もまだまだです。

俺は驚いたことを顔に出さず、ウンウンと頷いていた。よく頭の中にその言葉を刻む。そして軽やかに帰ろうとして、財布を出したので、今日ばっかりは奢りますと伝えると、素直に応じた。最高に美味しいコーヒーでしたと捨て台詞を残して去った。嫌になる男だけど、最後の捨て台詞は我慢の甲斐があった。あんなにはっきりと美味しいと言われることなんてないからさ。野間口はそれからこの店の大切な常連になった。喋りすぎなきゃいい人なんだけど、あと油が顔の表面に浮かなきゃ。

 資料を読むと確かに高瀬隆一の名前と、当時の住所が記載されている。つい、小躍りした。東京郊外の練馬と記載されている。でもあって何を話せばいいのだろう。小躍りしていたのに、急に冷めた。本当のことは絶対に話せない。でも合わなければならない。それだけは確かだ。

最近、悪い癖が出ると、例のムラっけ移ろいやすい心。アルコールを強く欲すると、知らない鬱蒼とした密林に取り残される想像している。それは決して足枷を与えるだけじゃなかった。俺の移ろいやすい心情を効果的に中和して落ち着きを与えてくれた。今まではアルコールに頼って、飲みすぎて失敗を重ねたのに。それがなくなっていくのは自分でも信じられない。

俺に厄介な役目を与えたおかげで、思わぬ作用がでた。紀夫爺ちゃんの人選が絶妙なんだろ。結局、全ては正しいってことだ。菓子折りや、着ていく服装を考えていたら、日は伸びて、さくら咲く新学期が始まろうとしていた。いや、それは嘘だ。着ていく服なんていくらでもあったんだ。何をしゃべればいいのか、どうやって、もし困窮してたらお金を受け取ってもらえばいいのか、考えが纏まらなかっただけだ。

 人に助けられてばかりだったが、あとは自分で調べた。後は人に聞き込みしかない。今のネット時代は検索能力さえあれば、片がつく。朝早くに軽装で電車の通勤ラッシュにとは反対方向の練馬に行くために中央線に飛び乗った。練馬駅はまだ人がうじゃうじゃいたし、開発が進んで立派な駅だった。ここはもう田舎ではない。知らない土地で心細い面持ちになったが、それは杞憂だった。とにかく心を落ち着けたくて、駅の近くにある昔ながらの喫茶店に入った。コーヒーは大して美味しくなかったけれど、雰囲気がレトロチックで気に入った。そこのババアじゃなかった、店主に高瀬隆一のことを聞いてみる。まあ小手調べで、軽い気持ちだった。素っ気なくあっさりと、そりゃあなた、高瀬コーヒーの人じゃないという返答。

高瀬コーヒーって言ったら、全国各地に百店舗展開してる超大手だ。確か一部上場も果たしている。ちょっと待ってください、間違えじゃないですか。この人は六十年前に亡くなっている人ですよ。同じ高瀬だから勘違いしてるんじゃと聞いたら。間髪入れずに、だからその奥さん、確か高瀬園子さんって人が苦労して立ち上げた店なのよ。ここら辺の人たちはみんな知ってるわよ。今は確か老後施設にいるって噂だけど。自分の唇がワナワナと震えるのがわかる。それが怒りなのか恐れからくるものなのか分からない。憎っくき商売敵だと。

色々なことが頭の中を駆け巡る。それも彗星が流れる速さで消えていく。でもその彗星の光のおかげで、足元先が見える。立ってる位置だけは明瞭としてる。立ち止まりながら歩いた先は、遥か高い壁がそびえ立っていた。

高瀬コーヒーと聞いて、行動は早かった。せき立てられるように動いていた。沸き上がる怒りがエネルギーに変わっていたことは確かだ。かねてより敵視していた企業だから。相手にもされていなかったけど。撥ね付けられては、食い下がる受付との電話対応。あなたの高瀬隆一さんにとてもお世話になった者の孫なんですが、どうしてもお礼がしたいと食い下がる。社長とお話がしたいのです。相手にされるわけない。でもそれしか思いつかなかったし、それが正しいように思えた。突き動かされる熱は冷めることはない。でも諦めなかった。アポを取るのに一苦労した。一週間かかったが、次の月曜日の午後三時から一時間だけ時間を取ってくれた。秘書の人が俺の熱意を現社長の高瀬良一さんに伝えてくれたのだ。

新橋にある立派な商売敵の本社ビル。全国展開している会社にはぴったりな建物。まあ俺の店なんて、蟻以下としか見なされていないだろう。見下しやがって。今日ばっかりはジャージじゃない。ちゃんとスーツ借用してきたさ。しわくちゃなのは笑って誤魔化す。皮肉なことに、野間口が住んでいる立派なマンションに近いことがわかった。大きな遠回りをしたようだ。もっと商売敵のことを調べていれば。今更どうでも良い。今この瞬間が大切なんだ。何の躊躇もなく地面を踏みつけるように、堂々と正面から入る。

綺麗な受付の女性に案内される。ずっと目の前で揺れ動くお尻。コーヒーチェーン店を経営していくということは、これほどの人が必要なのか。サッカーができるくらいの大きいフロアにずらっと並んだデスク。そこにいる人と活気。それが五階分もある。どこも照明が明るくて、働いている社員も皆若い。自分たちが世界を形作ってるとか、将来を担ってると思い込んでる。案内されたのは最上階で社長室はその奥のガラス張りの室内だ。外から丸見えで、何か相談やアイデアがあったら、気投げなく社員に入ってもらいたくて、扉は常に空いている。憎たらしいくらい素晴らしい会社だ。

緊張して口が乾き足は震えそうだったが、胸を張り顔をあげていた。気圧されては、声まで震える。舐められるわけにはいかないのだ。

案内されたお客様用のふかふかした椅子に座る。相手の高瀬良一は気取ったところがなくて、取っつきやすいのが一目でわかる。ノーネクタイでネイビーのスーツを着ている。真っ白い髭面で顔は黒くて、笑うとクシャッとした顔で、こっちまで嬉しくなる。少しブルドックに似ている。だが和やかな雰囲気は最初だけだった。高瀬隆一の名前を出すまでは。

私としてはその名前を聞くたびに胸焼けを起こしそうになる。ほとんど、呪いですね。全く記憶にないんですけどね。一歳になる頃にはミャンマーの森林で亡くなったますから。母は父のことをほとんど話さなかった。思い出すのも嫌だったんです。これは親戚のおばちゃんに、こっそりは話を聞いたことです。母は父を憎んでいた。強引に結婚させられたようです。元々は恋仲の許嫁がいたようです。その地域では評判になるような美人だったようです。それを聞き出した豪農だった父に無理やり一緒にさせられました。父は誰もが知るくらい悪漢だった。そのあとは酷い、殴る蹴る、暴言を何度も浴びせられて、覆いかぶさるように強姦した。それも半ば監禁させられていたようです。母は地獄だったでしょう。それも父は放蕩息子で金を湯水のように使った。詐欺師のような男によく騙されたり、米の先物取引に投資して大損したり、返済能力のない人に金を貸したりね。とどんどん土地を売って先細りして、私の種を母に残して、戦地に行ってしまった。その時には僅かな土地と蓄えしか残っていなかった。

そして終戦になり、後に父が亡くなったと聞いて、母は心底ホッとしていたようです。世界が一気に開けたんでしょう。活動的になっています。僅かなお金を駆使して、近く農家から安く買い取って、闇市場で売ってお金を貯めました。女手一つで闇市で活動するのには、本当に苦労したでしょう。ヤクザやら愚連隊が幅を利かせていたようですから。でもそんなこと全然苦にならなかった。父との生活に比べたら、なんて事なかった。出向いてバンバン新鮮な野菜を売りさばいた。

もその時の闇市状況は知らないが、もしかしたら近くに園子さんんと紀夫爺ちゃんがニアミスしているかもしれない。同じように闇市で躍動していた。その時出会っていれば、どうなっていただろう。でも今は考えられない。

その後は、ご存知の通り、ウェブのホームページに載ってる内容と同じです。母の高瀬園子が初めて喫茶店で飲んだコーヒーに感動しましてね、自分なりにコーヒーを研究したようです。焙煎されたコーヒーを入手する仕入れ。おしゃれな食器や落ち着いた店内の選定を経て、貯めたお金とあちこちから借金して自分の店を持ったんです。勝算はあったようです。一度も年度減収する事なく成長を続けてきました。それは今も一緒です。

心苦しいのですが、迷惑なんです。母は苦労をいとわず働き、私を育ててくれました。それもこんな素晴らしいコーヒー店まで譲ってくれた。そんな母を苦しめる存在を今更掘り起こしてどうするんですか。それに変な噂が流れたら、企業イメージも損ないます。マスコミはすぐに嗅ぎつけて、おもしろおかしく書きますからね。あなたがわざわざ来て感謝をしてくれるのは本当にありがたいですけどね。

紀夫爺ちゃんは隆一さんを殺したことで、損なう部分が大きかったが、一方で悲しみのどん底にいるはずの高瀬家にとっては、朗報だった。本当のことを話して、話をややこしくして、混乱させるのも得策じゃない。今の状態を壊されるのを望んでない。それに今の経済状況では手元にある一億円など、渡したところで投げ返されるだけだ。だけどやれる事はまだある。老後施設で暮らす園子さんに、合わせて欲しいと食い下がった。名も名乗らず、何も語らないので、感謝だけ伝えたいと。何度も頭を下げた。そうしないことには、森林の中で、絶望に打ちひしがれる過去から、一歩も抜け出せないだろう。俺自身がそうしたいからってのもある。嫌がったが、しぶしぶデスクの引き出しから、老後施設のパンフレッドを渡してくれた。

残念ながら、もうアルツハイマーが進行して、私の顔さえわからない。だから何を話しても仕方ないです。どうやらここで休憩は終わりです。全くとんだ昼休憩になった。おかげで食欲はなくなってしまいました。そういう割には、俺に対する態度はもの優しく、笑顔に満ちていた。元のブルドックに戻ってた。鳴り響くチャイム。休憩は終わり活気ある現場仕事がまた始まる。邪魔者は消えるのが一番だ。受付の女子に連絡先交換しようと持ちかけたら、素直に教えてくれた。それで少し救われたな。まだ昼だし、このまま行こうと決めた。

 老後施設は練馬区にある。全く何度も同じ所をぐるぐる回ってる感じだ。駅から離れた、森の中にくれるように建っていた。壁が茶色で地味だが、作りはしっかりしている。一瞬そこに老後施設が、あるのか見落としてしまう。風景に溶け込みすぎている。中に入って、園子さんに会いたいと恰幅の良い職員に伝えたが、事前に家族の承諾がある人ではないと面会は拒否していると言われた。そこを何とかどうにかなりませんかねと、粘ったが、頑として受け入れられない。なかなか警備が堅固でこれを突破するには骨が折れる。暴力に訴えるわけにはいかないので、最終的には懐にある金をつかませて、強引にでも入ってやる。同じような職員が近寄ってきて、社長の良一さんから、了承済みという連絡が入ったと伝えられた。そうしたら態度まで変わって、俺にペコペコしだした。良一さんのことを神のように感じた。

 どうやらここは、高瀬家が創設した老後施設だそうだ。施設の職員が丁寧に教えてくれた。聞いてもいないのによく喋る。だが俺はそんなことはどうでもよかった。歴史などどうでもいい。今ある現在を観察することに忙しい。大きな梁が何本も天井に横たわっている。とても頑丈に造られていて、木の新鮮な空気が鼻に通る。それだけで、体が活性化する気がするよ。中には普通の家を少し大きくした程度の広さだったが、中の空調は綺麗で快適な温度に保たれてる。窓はなるべく少ない作りで、外界との世界を隔絶してる。家具や装飾品は古めかしいものばかりだが、作りがしっかりしていて、長持ちしそうなものばかりだ。質がいいアンティークを集めてきたんだろう。職員と老人たちの数は丁度同じで、介護をする方もとても余裕がある。ここはとても裕福な人じゃないと入れないらしい。

ここに居るゲストたちは、みんな髪が白くて、車椅子に座っていて、半ば頭がパンクしている。夢うつつのような目をして、心ここに在らずだ。きっと天から昔の知人や別れた家族の呼ぶ声が聞こえてるんだろう。意識を半分そちらに持っていかれてる。

案内された場所は面会室という名の小さい個室で、まるで取調室のようだ。そこに車椅子に座ったおばあちゃんがいた。若い時は本当に美しくて、人を惹きつける面影は残ってる。多分、彼女目当てに喫茶店に来る常連客だっていただろう。だが今は顔の筋肉はたるんで皺だらけのおばあちゃんだ。それにアルツハイマーが進行して、誰が誰かわかっていない。下を向いて何かをぶつぶつと呟いてる。俺が挨拶を交わしても顔を見ようともしない。曲がりなりにも女性に無視されたのは、少しショックだった。

彼女の目は混濁の一途を辿っている。揺れ動く蝿をずっと追いかけている。それを追いかけたり、諦めたりしている。こうなったら、正直になろう。教会に行って、神父に秘密を打ち明けるように。俺はゆっくりと、しかしはっきりと相手の目を見て話した。それでいて口調はフランクに。約束を破ることになるかもしれないが、どうせわかりっこないんだ。

紀夫という人がこの前亡くなったんだ。もうヨボヨボの俺のおじいちゃんだから仕方ないんだけど。葬儀の日に託された手紙に、戦争時代にあった殺人が書かれてたんだ。戦闘での殺人ではないんだけどね。その相手はあなたのご主人だ。もちろん好きでやったわけない。戦争という無残で過酷な状況が作り出した殺人で、止むに止まれぬ行為だった。でもそれで紀夫爺ちゃんは亡くなるまで、悔やんでも悔やみきれない深い心の傷を刻んだ。それでも傷を抱えながら懸命に生きてきた。社会的な名声と財力も申し分ないほどに。まあ園子さんほどではないかもしれない。でもさ、頑張ってきたんだよ。俺よりも何倍もさ。本人は園子さんに会いたかったみたいなんだけど、どうしても恐ろしくて来れなかったみたい。卑怯だと罵られても仕方ない。でもあんまり責めないでやって欲しいんだ。半世紀以上前の話だし、その間ずっと本人は深い深淵のような苦悩を抱えて生きてきたんだから。俺はどうしても、家族という間柄もあるけど、責めることができない。あり得ないかもしれないけど、これは願いだけど、園子さんも少しでも分かってほしい。とにかく許されることじゃないんだけどね。前置きが長過ぎる六十年前に来るべきところを今日謝りに来ました。今まで本当にすみませんでした。

園子さんは俺が話している間も、虚ろな目をしていたが、俺の姿をはっきりと直視していた。だが何も答えてくれたない。言いたいことは言った。懐にしまった一億はどうしようか。ここに置いていってもいいけど、流石に迷惑だよな。もう部屋を出て行こうとした。そうしたら絞り出す声が聞こえた。うめき声に近い。もちろん幻聴なんかじゃない。確かに耳の鼓膜を伝わった音の羅列だ。園子さんが直接言葉を発した。

それで良かったんだよ。驚いて振り向いても、下に俯きながら何度もゴニョゴニョと同じ言葉を発している。偶然に出た言葉だとは思えない。どう言うことなんですかと尋ねても、説明はない。園子さんが発した精一杯の言葉だった。それだけで十分だよな。極上の酒は一口飲むだけで、後はもういいんだ。その余韻を楽しむべき。

深いお辞儀をして、仮の取調室のを出た。老人たちは並べられて、介護士から丁寧にご飯を食べさせて貰っていた。その顔はみな感情はなく、ロボットのようだった。俺たちもあんな風になってしまうのだろうか。知らないでいた方が、よっぽどいいってことが世の中にはあるんじゃないのか。それに全てが遅すぎるんだよ。彼らはもう何も考えられないんだから。でも最後に俺に発した園子さんの言葉は何だ。絞り出したような声の響き。許されることはないかもしれないけど、前を向く事は出来るんじゃなだろうか。俺はまた深いお辞儀をして、足早に施設を出た。

様々な因果や、もつれ合う交差した運命。それでも前に進まなければならない人々の孤独。溢れてくる思いが、目の前のことを集中させてくれなかった。

疲れ切ったのか、三日間、ベットから出れないでいた。店に来る常連の女に連絡して、食材だけを調達してくれるように頼んだ。冴えない女だったが、甲斐甲斐しく食材を買って、あまつさえマンションまで来て、その食材で調理をしてくれた。素直になるのは良いことだと学んだ。そうしたら、ムクッとベットか抜け出して、女を優しく抱きしめていた。お客には手を出さないように心がけていたのに。それも冴えない女に。きっと弱ってたんだな。

後日、夏が近い昼だった。とびきり暑くて、全身が溶けそうな地面がゆらゆらと空気が揺れる大嫌いな時間。俺は一億円の用途を突然決めた。もちろん私用ではない。自分の快楽や野心に使うには、重すぎる。その用途は突然目の前に提示された。自分のマンション近くの駅で、同じような歳の男が小さい拡声器で、必死に訴えている。選挙演説かなと思ったが違う。その必死さと熱量と焦燥感は、姑息な政治には到底出せないだろ。大切な物を必死で守ろうとしている男の姿だ。

まだ二歳になるうちの娘が、心臓が肥大してあと一ヶ月の命とお医者様から宣告されました。唯一の生き残る希望は、アメリカに行って心臓移植手術をする事です。それには莫大なお金が必要となります。どうか私たちを助けてください。父親以外にも、その家族や、友人が集まってネバーギブアップとプリントされた同じシャツを着て、募金を募っている。とてもダサい。前なら何の関係があるんだと、無視して素通りするところだが、配っているチラシを貰ってみた。そこにはまだほんの子供が様々なチューブ管に繋がれて、ベッドに横たわっている写真が載ってる。こんな姿になっても微笑みを浮かべていた。俺はその写真を見て、勇気付けられた。

銀行の送金は実にスムーズだった。銀行窓口の小太りおばさんは、戸惑う俺に優しく振込用紙の書き方を教えてくれた。手数料を入れて一億にするには少し計算が必要だったが、近くにあった電卓で事足りた。流石に一億という金額に窓口のおばさんは驚いていたが、実際に通帳と印鑑を見せたら、迅速に動いて十分もしないうちに、手続きは終わった。俺は思わずそのおばさんの手際の良さに、親指を立てて賞賛していた。もしかしたら自分にも、向けていたのかもしれない。俺の人生でも会心の行動だ。アメリカで移植手術が一億で足りるのかわからない。でも足しにはなるだろう。肩の荷が軽くなった気がした。紀夫爺ちゃんから与えられた金が、心臓病の二歳児の希望に変わった。やった事は振込用紙に記入しただけだが、それは歴史的瞬間のようだった。終戦記念に署名をしているようだった。実は言うと記入してる時に感じた。そこには戦時中、紀夫じいちゃんとその仲間だった兵士たちがみんな影のように現れて、俺の書く動作を一挙手一投足見守っている。その視線を俺は強く感じて、おびえたけれど、頼もしくもあった。書き終わった瞬間、歓声でもあげてくれると期待してたが、すっと一斉に姿を消した。それから一度も姿を現さない。終わったわけではないのだ。

戦時中の隆一さんを止むなく殺害した罪の意識を抱えることで、懸命に生きて金を稼いだ。高瀬園子さんは戦時中に隆一さんが亡くなったことで立ち直り、高瀬コーヒー店を繁栄させた。二人とも知らないところで、複雑に関係して、結びつきお互いを支えていたんだ。そして俺を通して交わった。でもそれはまだ続いていく。また誰かが俺のようにあたふたして、運命を反転させるかもしれない。例えばあの心臓病の二歳児のように。

俺の店に行く間、眩しい日差しが容赦なく肌に突き刺さる。汗が噴き出すが、それをぬぐい去ろうとは思わない。夏は嫌いだが、それを今日だけは満喫したい。雨季は近いが、今日だけは勘弁してくれ。何なら裸になって、道路に寝転んで体に熱を感じたい気分だ。熱中症になるのがオチだけど。

言っとくけど、俺は店を拡大することに諦めてるわけじゃない。何が高瀬コーヒー店だ。何が効率化だ。何が可愛らしい店員だ。上等だよ。特製のチラシを作成して近所に配ってみようか。それにフェブサイトを格安で業者に作成してもらおう。もっとやれる事はある。今年は少し特殊な夏になりそうだ。


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