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ツァリエルの腕に抱かれて、フィアーラは初めて空を飛んだ。
高く、高く、眼下の建物が豆粒のように見える程高く。
それ程高いところまで飛んでも、不思議と怖くはなかった。
しっかりと身体を抱いてくれる腕があったからだろうけれど。
連れて行かれた天界は、真っ白な雲の上にある世界だった。
恐る恐る足を置いてみれば、意外にしっかりした雲だった。
足が抜ける事もなく、彼女はごく普通に歩けた。
その腕を引いて、ツァリエルが歩き出す。
走り出しそうな足取りは、彼の喜びを示しているのかも知れない。
そして辿り着いたのは、神の社だった。
神殿と呼ばれるような豪奢な建物がある。
その中を、ツァリエルは臆した風もなく歩いていく。
腕を引かれているフィアーラは、思わず硬直しそうになって、
けれど一生懸命気を失わないように努力した。
しばらく歩いて、ツァリエルが足を止めた。
鈍い音を立てて扉が開かれて、目の前には、棺があった。
ガラスの棺の中に、眠るヒトがいる。
男性か、女性か、そんな事も解らない程に、綺麗なヒトだった。
長い黄金の髪が、まるで太陽のようだとフィアーラは思った。
「このヒトが、神様だよ。」
「……神様……。」
「棺の蓋を開けるから、呼びかけてみて。」
「本当に、それで、目を覚ましてくださるの……?」
「それから、いっぱいいっぱい文句を言って良いよ。
天使達が可哀想とか、君が哀しく思う事、全部。」
「え、えぇ?」
「その方が、良いよ。隠さないで、思ってる事全部、言ってあげて。」
ニッコリと笑った天使の青年を見て、少女は困惑した。
けれど、コクリと、頷く。
ぎゅっと胸の前で両手を握って、棺の横へと回り込む。
眠るそのヒトの顔の横に立って、少女は怯えたように、
小さな声で、神様、と呼びかけた。
そしてその後、言葉を続ける。
一度言葉を口にすると堰を切ったように感情があふれ出して、
止まる事はないかと思える程だった。
自分でもどうにも出来ないままに、彼女はしゃべり続けた。
「起きてください、神様。貴方が眠ってるから、皆不幸なんです。
天使達は狂うしかなくて落ちてくるし、
落ちてくるから人間は天使を狩るし。
あたし、そんなの嫌なんです。天使を殺すのなんか、嫌なんです。
狂ってしまって、落ちてくる事しかできない天使達も、可哀想。
神様は狡いです。自分だけ逃げてる。
自分だけ苦しくないところにいる。
そんなの、絶対に、許されていいわけないです……ッ!」
「……上出来だよ、フィアーラ。」
「え?」
「お目覚めですね、神様。
お言葉通り、一番綺麗なモノを連れてきました。」
「……ツァリエル、か。この少女は?」
「地上の少女です。
狂い、死んでいく天使達を憐れみ、只一人涙してくれた、
この世で一番綺麗な心を持っていると僕が判断した、少女です。」
「……名前は、何という……?」
「え、あの、あたし、……フィアーラ、です。」
「綺麗な良い名だ……。」
穏やかに微笑むと、そのヒトは半身を起こした。
長い髪が白い肢体に巻き付くようにして広がる。
フィアーラとツァリエルを見詰めた双眸は、月のような白銀だった。
呆然としている少女の頬を名で、神は微笑んだ。
「起こしてくれて、ありがとう。
私は危うく、最も大切なモノを失うところだった。
皆、大切な私の子供達。
天使も、人間も、獣たちも、この世界全てが私の子供。
その全てを見捨て、
自ら哀しみから逃れようとした私は、愚かだな。」
「……あ、あの、ごめんなさい……。あたし、失礼な事ばかり……。」
「いいや。教えてくれてありがとう、フィアーラ。」
神はそう告げると、少女の額に口付けを落とした。
困惑している少女に、神は問いかけた。
何か褒美を与えたい。
欲しいモノはないか、と。
そして、それに対する少女の答えは…………。
――1年後。
「いらっしゃい、ツァリエル。」
「はい、こんにちは。それにしてもフィアーラ、欲がないね。」
「どうして?」
「ご褒美が、月に一度僕に会いたい、だなんて。」
「物凄く欲張りなお願いだと思うよ。」
ニッコリと、少女が笑う。
ある意味そうかも知れないと、天使の青年が苦笑した。
一年前、目覚めた神に少女が願ったのは、この青年と会う事だった。
初めて出会った天使の青年と、また会える事だけだった。
そして、その願いを神は聞き入れ、天使は月に一度、地上に降りる。
只一人の少女に、会う為だけに。
ただそれだけの為に地上に降りる事を、けれど天使は喜んでいた。
他の何もいらないと少女は言った。
この天使に会えるだけで良いと。
果たしてそれが恋情であるかどうかは、まだ誰にも解らない。
神が目覚めた後の世界には、もう、羽根は降らない…………。
END
もしかしたらこの先恋が芽生えるかもしれない感じのところで終わるのは、恋愛書くのが苦手だから←
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