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「フィアーラ、またそんな所で空を眺めていたの?」
「お姉ちゃん……。」
「貴方ね、空を見上げてばかりだと、足下を見失うわよ?」
「だってお姉ちゃん、今日の空は綺麗だよ。
綺麗すぎて、怖いぐらい……。」
「本当に良いお天気ね。
でもフィアーラ、屋根の上に乗るのはだめよ。」
呆れたように言う姉を見て、フィアーラは小さく頷いた。
肩の上で揺れる髪は淡い栗色で、瞳の色は少し薄めの緑。
フィアーラの目の前に立つ、12歳の彼女よりも6歳年長の姉は、
父親譲りの長く豪奢な赤の巻き毛に、
彼女と同じ薄い緑の瞳をしていた。
フィアーラの髪の色は、並んでも姉妹にしか見えないような、
若々しくて時に幼く感じる母親から受け継いでいる。
いらっしゃいと促す姉を見て、フィアーラはそっと溜め息をついた。
天窓の下にいる姉を見下ろしているのは、結構楽しかったのだ。
兄妹の中で一番小さなフィアーラが、
姉を見下ろせるのはこういう時だけなのに。
そんな事を思いながら、彼女は身体を窓の下へと踊らせた。
教会の屋根の上。
近所で一番大きな建物である教会の屋根に登れば、
その視界を遮るモノは殆ど存在しない。
そういったところで空を見上げるのが、フィアーラは大好きだった。
綺麗な空を見ているのは、とても気持ちが良いのだ。
「それにしても、天気が良すぎると、
また降ってくるかも知れないわね……。」
「お姉ちゃん?」
「ほら、遮る雲がないと、落ちてきやすいのかも知れないって、
この間父さんが言っていたでしょう?」
「…………落ちてこないと良いね。」
「そうね。でも大丈夫よ。家には父さんも兄さんもいるから。」
「……そうだね。」
本当はそんな事を心配していたわけではなかったが、
姉に言えるわけもなく、フィアーラは大人しく頷いた。
その双眸が寂しげな色に染まっている事を知る者は、いない。
俯いて歩くフィアーラだが、誰も気にしなかった。
空を見ていた後は、決まって彼女は俯くのだ。
今ではもう、誰もがそれが癖なのだろうと思い込んでいる。
教会で仕事をするという姉を残して、フィアーラは外に出た。
それなりに大きな街である所為か、人通りは多い。
そんな人混みを必死に走り抜けて、フィアーラは、森へと向かった。
本当は、立ち入る事を許されてなどいない森へ。
誰にも見つからないように、こっそりと。
走って、走って、走り疲れた頃に、
彼女は大きな木の根本に座り込んだ。
荒い息を繰り返して呼吸を整える彼女の頭上で、
大樹の枝達が一斉に戦慄いた。
けれど彼女は驚きもせずに、真っ直ぐとした瞳で空を見上げた。
枝葉の隙間から、眩いばかりの黄金の光が降り注ぐ。
それが長い髪に太陽の光を反射している所為だと知ったのは、
そのヒトに出会って間もない頃だった。
「また一人で来たのかい?怒られるよ、フィアーラ。」
「大丈夫。誰にも見つからないようにしてきたから。」
「困った娘だね。元気があって良いけれど。」
ふわりと、そのヒトはフィアーラの目の前へと舞い降りた。
文字通り、舞い降りたのだ。
長い黄金の髪が揺らぎ、
その髪の合間を縫うようにして純白の翼が広がる。
少女を見詰める双眸は優しい青で、
見るヒト全てに慈悲を与える光を宿していた。
天使の、青年。
フィアーラがこの天使と出会ったのは、一週間前の事だった。
その日も彼女は、いつものようにこの木の下で、
一人で泣いていたのだ。
狂ってしまって、自我さえ失って、
ただ殺されるだけの天使の為に。
誰もおかしいと思わない天使殺しの罪について、
彼女は一人で胸を痛めていた。
なまじ、天使に近い場所で生まれ育ったからこそ。
――誰の為に泣いているの?
優しい声が聞こえて、フィアーラが顔を上げた時には、
天使がいたのだ。
優しい微笑みを浮かべて、少女の涙を拭ってくれた。
真っ白な翼を広げて、真っ白なローブを纏って。
その天使は、何処までも汚れない、聖典道理の天使様だった。
――誰も、おかしいと思わないの。天使を殺しても。
――仕方のない事だよ。生きていく為なのだから。
――でも、でも、それじゃあ、天使が可哀想!
――……君は優しいね。名前は?
――フィアーラ。フィアーラ・レスペンド。貴方は?
――僕は天界の祈りの天使。名前はツァリエルだよ。
それが、少女と天使の始まりだった。
天使と少女の組み合わせは割と好きです。
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