追憶(後編)
「メゾン! 危ない!」
タタの金切り声で、彼は我に返る。
「――羽虫か」
メゾン区第二空軍、自らが開発したシステムが自分を狙い、照準を定めている。羽虫のなかでも特に大きい親機が大きな砲をこちらに向けている。彼は自分をかすめた弾の軌跡を目で追った。
「おい! 集中しろメゾン」
「わかっている」
彼は返事をするが、その目は虚ろだった。本部を潰し、黒肌の民を解放することが彼の目標であり、その戦後処理はレジスタンス組織の仲間に託してある。目的が達せられれば、彼は自死するつもりだった。
ヴァンを救い出したのは、メストス地域の地下で抵抗運動をする地下組織だった。アジトに匿われたヴァンは、組織の長にこの世の不条理の元凶を教えられる。
人類が生息できる壁のなかのわずかな土地は、そこで生まれてくる子ども全員を養うことはできない。各地で人工削減の政策がとられ、二人以上の子を産んでしまった家庭には憲兵が来て生まれて間もない子を攫って行く。
その子どもたちはある施設に送られ、壁の外、すなわち瘴気が濃く人間が十年も生きられない土地に捨てられるのだという。黒い肌は瘴気を吸った者に現れる身体症状であって、人種の差を表すものではない。
その事実は、ヴァンを酷く落胆させた。その落胆は、誇り高きメゾン区の住民と壁の外の薄汚いスラムの子たちが同じ人種であるという落胆だった。その心の卑しさを、組織の長はいち早く見抜き、厳しく叱責する。
「ヴァン、よく聞きなさい。君がメストス階級として生きられているのは、君が長子であったからに他ならない。いいかえれば、君の弟や妹がもし生まれていれば、彼らは黒肌の民になっていたということになる。それでもなお、君は〝あんなやつらを同じで不名誉だ〟と言えるのかね?」
「いえ、そんなつもりは……」
声が裏返った時点でヴァンの心は見抜かれている。そんなヴァンを見て、組織の長は数々の資料をヴァンに見せた。地上で戸籍を偽装し一般人に化けながら区の不正を探っていたスパイのまとめた報告書の数々だった。
生々しい人体実験の絵や、人間を運び込む列車はあっても誰も出てこない奇妙な壁沿いの建物、研究のために瘴気を当てられて奇形になった動植物の廃棄場――
三つの目を持つようになってしまった人間に、ヴァンは吐き気すら催してしまう。描かれていたのは政治犯とされている男性であったが、政府批判をしただけの農夫であることがスパイの調査によりわかっていると長は言った。
前足に関節がない狼、目がないウサギ、背から足が生えたカエル……それらにも声を失うとともに、そういった動植物に、黒肌の民は見慣れているのだという言葉がヴァンを震撼させる。
「我らと同じ人間が、二番目以降に生まれたというだけで劣悪な環境に落とされ若くして死ぬ。――君にはそれが正しい世界のあり方だと思うかね」
ヴァンは組織の斡旋で偽造された戸籍を得、民間の壁外調査員という職についた。壁の外に出向き、黒肌の民から戦闘員を見出して連行する。国家壁外調査員の方が給料はもちろんよかったがリスクが大きく、なにより誰もやりたがらない仕事だからか民間でも十分は給金を得られた。
仕事の休日に、実家を見にいったことがあった。地下に眠る書物を確認するために。しかし家は壊され、空き地となっていた。