名
魔物に対する恐怖心を拭いきれないタエとメゾン。そこに治療を終えたタタが見える。
「おお、元気そうだな」
心底ホッとしたようにメゾンがつぶやけば、区長は苦笑いする。
「ですから我々はあなた方に危害は加えませんってば。タタさんもきちんと手当てさせていただきましたよ。ただ、タタさんのは右足だけは麻痺のようなものが取れなかったようです」
区長の言う通り、タタは右足をやや引きずった歩き方をした。
「ま、治療というよりは修理でしたけどね……あ、失礼」
機械の身を貶める発言であったかもしれないと先んじて謝る区長に、メゾンが首を振る。
「いいんですよ、生身の人間にとっては私たちは確かに機械だ」
「そんなことより、右足の麻痺でタタは戦線に復帰できるのか?」
不安そうにメゾンに訊ねるタエをタタは茶化す。
「やーい、やっぱり僕がいないと心細いんだ。タエの称号を持つお前、意外に弱虫なんだな」
「馬鹿を言え、貴様などいなくても俺一機で事足りる。俺はか弱い二等兵を気遣って言っただけだ」
売り言葉に買い言葉、二人がバチバチとにらみ合いをしている。そんな最中に、メゾンはすっとぼけて話題を変える。
「そういや、タエは名前を変えるんだったな」
それを聞きやはりタタはタエを茶化す。
「ほーう、ミゾルタにでも改名するつもりか」
「俺はメシアと名乗る」
タタの茶化しの最後が萎む迫力だった。
「メシ、ア……?! 聞かない言葉だな」
メゾンと同じ戸惑いの反応を見せるタタとは違い、タタの後ろに立つ区長が顔色を変えた。
「救世主……」
ハッとタエの顔色も変わる。区長とタエの異変に、メゾンは目の焦点を二人に合わせ、注意深く次の動きを捉える構えをみせた。
「お前、どこでそれを」
「あなたこそ、古代語をなぜご存知なのです」
矢継ぎ早の問答の後は、しばしの沈黙。タタが目を白黒させて見守る中、初めに沈黙を破ったのは区長だった。
「タエさん……実は、私の名もメシアと言います。黒肌に市民権を与え、古代技術の復興を指揮し他区の侵攻を阻んださまを、市民が古代の救世主になぞらえて……」
「区長、あなたも名を持たぬ黒肌の民……」
「そう。私は私を支持する市民たちに名づけられ、それを生涯の名とすることを決めました」
誇らしげな区長を、タエは直視できない。メシアは民衆に対する“役割”であって、それは彼自身の名ではないようにタエには思えたからだ。
「つらくはないんですか」
「と言いますと?」
まるで称号としてのタエを名乗り続けてきた自分のように、区長も結局は差別の檻から抜け出せていないのではなかろうか。そんな思いが胸の内に去来する。
「重責では、ありませんか」
「まさか。名にいちいち責任を感じていたら身が持ちませんよ。それに、産まれたときに名付けられる“恵まれた人々”だって、所詮は親の願いを名に背負っている。付けられた名の元、どう生きるかは個人の問題です」
「そう……なのか?!」
タエにはわからない。愛された経験が皆無だからだろうか。役割を押しつけられる暮らしに、あまりにも浸かりすぎたからだろうか。
「ま、それはともかくとして」
メゾンが軽妙に話題を逸らす。
「我々は共闘する。区長メシア殿、よろしく頼みます」
二人は熱い握手を交わした。