魔物
「あれは――まさしく悪夢のような光景だった」
神妙な顔でなにを言うのかと思ったら、メゾンはファスト亜区の持つ古代技術を散々に貶し始めた。
「あれは人間の倫理観を根底から揺るがす凄まじい技術だよ。古代人もアレは適当な理由をつけて封印すべきだったな。いや、ピラミッドに隠していたお陰で最低でも五百年は人の目に触れずに済んだのだから感謝すべきなのかもしれない」
「黒肌の民はスラムで散々奇形の動物を見てきたじゃないか。瘴気を吸ったら生き物はあれほど醜くなれるのかと半ば感心したよ。三つ目の犬や、本来羽根がついているべき場所から足が生えてる鳥なんて見慣れてただろうに、そんなお前さえ絶句するほどの“ブツ”だったのか?」
瘴気に晒され続けた動物たちは奇形になるのに、スラムに住む子どもはごく一部を除いて五体満足のままだ。
人間はスラムにいることで肺を蝕まれやがて死に至るが、元から奇形である子どもは他の動物に比べ圧倒的に存在比率が小さい。その小さな矛盾の真相を知るのはここでは自分だけであったと、タエは苦々しく思い起こす。
と同時に、口減らしのために生身の人間、それも生まれて間もない子どもがメストス地域とスラムを隔てる壁から捨てられているという事実がよりおぞましくタエの心に迫った。
自分から捨てておいて、駒の兵士が死ねば欠員を埋めるために人間を拾いにくる。人間を機械の部品かなにかと勘違いしてやがる――
そう憤ったタエに、メゾンは残酷な静けさで告げた。
「古代の技術は素晴らしいよ、あれは人の肉体を食らい成長する魔物だった。古代の王国は他国民だけを食らう生物を産み出し、自由に世界を闊歩させることで望むままに版図を広げていった」
「生き物、だと……? それが五百年もあのピラミッドの中に生きていたのか?」
「そうだ、なんでも奴は休眠状態にされていたそうだ。ファスト亜区の連中はそれをわざわざ起こした上で、魔物の側に安置されていた王の遺体を詳しく調べることで特定の人種だけを補食対象にさせる技術を再現した。その技術を操ることで、この区を囲む結界が敵意ありと判断した来訪者を魔物に食わせていたらしい」
王の遺体は、五百年以上も魔物の側にありながら魔物に食われた形跡はなかったという。
「それって…………つまりは」
タエは胃の腑からなにかが逆流してくるのを感じた。そんなタエを見て、メゾンは視線を逸らす。
「そうだ。俺たちがこの区に入るときに結界に弾かれていたら、おぞましい魔物の供物になっていたということだ」
実直そうな青年としか思わなかった、区長の男に対し、底知れぬ畏怖が湧いてくる。人のよさそうな笑みの裏に隠れた残虐性。それはメストス階級のものと似通っており――
「その魔物を、解き放とうというのか? 人間の肉体を食らい成長するのだろう? 秘密を知るものが気に入らない人間を食わせて消すこともできるじゃないか。そんなの人間の手に負えない――新たな混乱が世界にもたらされるだけだ!」
「ずいぶんと酷い言われようだ」
タエとメゾンは身を固くした。区長の青年は苦笑いしている。
「そんなに怯えないでくださいよ。大丈夫です、あなた方を食わせるつもりはありませんし、元から不可能ですよ。私はタタさんを連れてきただけで……」
「信用できないな、不可能っていうのは」
「わかりませんか」
青年が真剣な顔をする。
「我々が初めて魔物を見たとき。休眠から覚醒させたとき。どちらも我々に犠牲者はいませんでした。我々は、初めから魔物の補食対象ではなかったのです」
タエは考えを巡らせ、やがて一つの仮説に辿り着いた。
「もしかして、我々は魔物を使っていた側の種族の末裔だった?!」
「私たちもそう考えています。あの生物を私たちは仮にアルファと呼んでいますが、アルファが“今、世界に存在している”人類を食べたことはありません。領土侵入者を“食べた”というのは言葉の綾で、噛み砕いただけで飲み込んではいない。それにアルファは黒肌の民は噛み砕くことすらしないようです」
領土を侵した者のうち、メストス階級の者だけを魔物は噛み砕き、黒肌の民の侵入者は噛み砕かなかった。黒肌の民の侵入者はゴーレムが倒していたらしい。
メストス階級も黒肌の民も同じ種族だと知っているタエには不可解極まりない事実だった。世界に残った人類がすべて古代の王国の末裔だったのなら、なぜ魔物は黒肌の民だけは傷つけないのか。黒肌の民は捨てられたメストス階級の子どであり、メストス階級は命じられれば噛み砕くのならば黒肌の民も命じられれば噛み砕かないといけないのに。