違和感は戦場に
ああ、またか。
空の傭兵は今日も薄く笑う。時折自身を襲う虚無に抗うように。
持たざる者は、恵まれた者の起こす争いにいつも巻き込まれてばかりだ。タエと識別された彼は、黒肌の民の出身である。そしてメゾン区第一空軍のパイロットだった。
兵士の最高位であるツェーの位を得るまであと敵機を何機撃墜したらよいか、タエは計算してため息を吐く。
「今まで俺は何人の人を殺した……?」
いちいち覚えていられないほどの断末魔が、脳裏に浮かぶ。ツェーになって世界を変えることを彼はかつて約束し、ここまで上り詰めた。だが過酷な戦場は彼に世界への興味を失わせた。力を得るほどに、約束を遂行する意思が弱まっていく。これは何かの皮肉なのだろうか。
黒肌の民はメストス階級の駒となって戦う。強き者でなければ生き残れない。しかし、それは長く生き残り、軍の中枢を担うようになった黒肌の民の戦闘力がバカにならないことも意味する。滑稽なことにメストス階級の豚どもは、散々こきつかってきた支配下の民族の反乱を恐れているらしい。
ところで、防音処理が施されたはずの戦闘機を使いながら、操縦士は互いの声を聞くことができる。そう肉体に処理を施されたからだ。
内通や扇動、戦闘員同士の結託を恐れ装備された防音処理が、今や意味をなしていない。タエたち黒肌の民は、殺し殺される戦場の狂気に中てられて、自滅することを要請されている。
端的にいえば、一定以上戦功をあげ実力をつけた戦闘員には消えてもらいたいのだ。禁忌とされる科学技術を用いて遺伝子操作を施されテレパシー能力を身に付けた我々は、自らが殺した同胞の声を聞いて気が触れる――はずなのだ。
「俺はやはりおかしい……のだろうな」
タエは戦場に、いや世界の存在そのものに興味を失いつつあった。
「俺は……なぜ心が痛まないのだろう」
タエは独り言つ。
「人間を殺すことにか……? いや違う」
瘴気の充満する劣悪な環境に住まう黒肌の民は、そのままであれば十歳を待たずに死ぬ運命にある。メストス区に住む富豪たちは、空気の澄んだ人の生きられる土地を取り合う戦争のための戦闘員を黒肌の民から選び、遺伝子強化して戦場に向かわせる。生命を担保に命を天秤にかけ合う場所に向かわされるとはなんとも滑稽だ。
警報音が鳴った。
「――会敵」
今から交戦する戦闘機の操縦士は、幼いころに引き離された兄弟かもしれない。こんな世界じゃなければ、夫婦になっていた相手かもしれない。だが、感傷は無用――射線に捉える!
「何ッ?!」
タエは相手が旋回したのを見た。
「逃げる……? まさか、なぜ」
俺たちに戦わないという選択肢はないはずだ。体の最奥に埋められた個体識別機器が乗機と連携し、戦闘状況の逐一を本部に送る――死を恐れて戦わなければ、敵前逃亡の罪で飼い主に殺されるだけのこと。なのに、目前の敵機は道理に反した挙動をとる。
「なにが目的だ?」
考えられるこのイレギュラーの意味は三つある。第一に、これは罠であるという可能性。第二に、敵機の操縦士は戦場での死を嫌ったという可能性。人を殺すなら自分が死にたいなどという偽善に身を浸した、ふやけたパンのような意気地なさだ。そして第三に、何らかの方法で敵前逃亡を悟られなくした可能性。
ふ、と笑いが込み上げる。俺は何を言っているのだろうか。メストス階級の科学技術は絶対だ。どんな手段を使っても、操縦士につけられた個体識別と機体の識別番号、そしてその紐づけは誤魔化せない。
すらりとした体躯に臙脂色の髪、柘榴色の虹彩を持つ彼に、本当の名は存在しない。敵機撃墜数を表す戦闘服の勲章と、階級を表すタエという通称が彼と紐づいているだけだ。
年の頃は十五といったところか……。特権階級であるメストスの慣例における成人にすらまだ達していない少年が、ここまで人生に諦めしか見いだせなかった理由はあまりにも闇深い。
これはそんな彼が、世界のために戦う意味を見出す物語である。物語の始まりは、すぐそこに来ている――……。