09.イディナローク!
エレフに似たおじさまたちに居留守を使ってしまってどれほど経ったか。残念ながらまだ来ない。カルム湧水洞にも命知らずな冒険者は来ない。
――なんて、ずっと暇なら良かったのに。
「テメェらやっちまいな」
「へい!」
森の泉にまた変な人たちが現れた。
山賊感満載の服装の厳つい男9人と、そんな男たちに「お頭」と呼ばれる厳つい女。女王様のような鞭を持っている。彼女の合図で、男たちは荷車に乗せていた折れた剣や、ひしゃげたバケツを泉に放り込み始めた。
底部屋から聞こえてくるガンガンとした固い音は、私の頭に頭痛をもたらした。また掃除か。
それにしても、どこから情報を得たんだろう。彼らがわざわざここまで荷物を運んできたのだから、金銀ブローチの話を知っているに違いない。あの強欲男女には神罰を与えたし、あの女の子の家族が話をしたとは思えない。また脅されたならともかく。
「本当にこんなんで金が手に入るんすかねぇ」
「あの禿女を見たろ。あれは人のできることじゃねぇ」
「あの女、最期までテメェの髪を気にしてやがったよな! もう無ぇ同然なのによ!」
ああ、強欲女の方か。そういえば白髪にして、嘘を吐くたびに髪が抜ける罰を与えたんだ。嘘を吐くと罰が下る、が裏目に出てしまったようだ。
でもこのおしゃべりな男たちの話の流れ的に、女は殺されてしまったことが窺える。身から出た錆とは言え、なんかすまんね。ただ禿女と呼ばれているあたり、あの後も嘘吐いたんだろうな。
情報源も分かったし、そろそろ罰を与えに行かないと。
「ぐぎゃっ!!」
荷車の横に立っていた男が、ひっくり返ったような野太い悲鳴をあげた。男は近くの木に頭を叩きつけられ、ぐにゃりと横たわった。
残った男たちがナイフを構え、女も鞭を腰から外す。
「イディナローク!」
吹っ飛んだ男が立っていた位置には、ユニコーンが立っていた。ただし真っ黒だった目が赤く、前足で地面を掻いて――怒っている。
一説では、ユニコーンの性格は獰猛で、人を殺すこともあるらしい、だっけ。けれどこの間会った時は獰猛さはなかった。エレフが来た時も立ち去ってしまったし。だからきっと、この泉にゴミを捨てているところを見てしまったんだろう。
「おいおい、ここらへんにはユニコーンの棲み処もあんのかよ」
「油断すんなよテメェら!」
「ユニコーンを捕まえんのは厄介だな……」
「あっ! お頭は処じ」
スパアァァァンといい音が響いた。今のは正しい。
いくらユニコーンとは言え相手は9人。内1人は負傷持ち。急いで玄関に向かった。
リビングから玄関まで走って数秒のはずなのに、私が泉から出た時にイディナロークはもう1人、男を吹っ飛ばしていた。
残り8人は、こちらを凝視している。泉から光った女が出てきたから驚いているのか。呼んだのはそっちですけど。
私を見たイディナロークは、ようやく興奮が収まってきたのか、赤い瞳が黒に戻っている。そのまま私の横まで移動すると、再び山賊たちを威嚇するように足を掻く。
「マ、マジで……!」
特に表情を浮かべていない私を見て、男たちは後退る。
けれどお頭はそうではないようで、冷や汗を掻きながらも笑って見せる。そして右手に構えていた鞭を振り回した。
それの先端は、生々しい音を立てて左腕に絡みつく――ことはなかった。痛くない。何かが触れたのかな、くらいの感覚だ。
誰かが息を飲む音が聞こえたが、彼女の耳には入らなかったようだ。
「はっ! メガミサマとやら、これ以上痛い思いしたくなかったら、あたいらに――」
もうナイフや鞭が振るえないように。
もう誰かを暴言で傷つけないように。
もう余計な場所まで行かないように。
もう神にこんな口が利けないように。
「――――罰を与えます」
静かになった泉の前で、イディナロークが擦り寄ってくる。
『平気?』
あまり得意ではなさそうな念話で、心配してくれる様子はとても、とてもかわいい。
イディナロークの頭を撫でながら、こちらも念話で大丈夫だと返す。
『イディナローク、守ってくれてありがとうございました』
尻尾が左右に揺れる。かわいい。
『この泉好き。汚す人間、嫌い』
『ありがとうございます』
『この泉、優しい。フォンテ様と同じ』
泉のことを褒められたのは初めて。すごく、嬉しい。
『またここにも、オアシスにも来てくださいね』
かわいい生き物は大歓迎。
それにしても、ああいう人間ってやっぱりどこにでもいるんだ。今後ああいう人を避けるために対策が必要なのかな。
……女神のいる泉って看板でも建てる? ダサいな。もっとこう、神々しく、人間が近寄りがたい感じなのに動物たちは来れるみたいな、雰囲気にならないかなぁ。
『女神力アップ! 担当場所【イエロ】追加。まだまっさらな土地です。ご自由に作製ください』
イディナロークと別れて戻ったリビング。いつか見たことのある文面のメモが置いてある。
それはデシエルト・エロエにて1人でオアシスを堀った時だ。
もう一度言おう。
デシエルト・エロエにて1人でオアシスを堀った時だ。
またあの作業を1人で、1人でするの? めちゃくちゃ嫌だ。疲れて筋肉痛になるとかじゃない。1人で延々と掘る作業をすることが苦痛なのだ。精神にくる苦痛。
こういう時だけ眷属が欲しくなる。私の代わりに……いや、私と一緒に泉掘ってくれる人、いませんか。
――と、募集したら挙手しそうな人を1人知っている。そう言えば彼は一体どうなったんだろう。
基本はこの部屋で過ごしているからなのか、人間じゃないからなのか、時間の感覚が全くない。眠くもならないし――暇過ぎる時ベッドで眠ってみるけど――お腹も空かないし――クローゼットから食べたいもの出して食べることもあるけど――体は汚れないし――お風呂は好きだから頻繁に入るけど――時間の経過が分かるのは窓の風景だけだ。けれどそれも、ふと窓を見た時に明るかったり暗かったりする程度。何回太陽が昇っているかなんて知らない。
さて、そろそろ一度エレフセリアの様子を確認したい。
一度オアシスに出てみると、やたら大きな耳をしたウサギが数匹と、くるんとした大きな角を持つ羊のような牛のような生き物が水を飲んでいる。木陰には人の頭サイズのゴールデンハムスターが2匹、毛づくろいをしている。木には赤色の鳥も停まっている。これぞ私の求めていた光景。こういう風に活用して欲しい。
「あれ?」
地面が一部分だけ不自然に盛り上がっている。砂をどかしてみると、瓶が埋められていた。中には紙が入っている。
それを持って部屋のソファまで戻る。クローゼットからお茶を出すのも忘れない。
丸まられた状態で入っていた紙を広げ、読んでみる。
『フォンテ様へ。1年前、フォンテ様と約束をいたしました。ちょうど1年前の今日のこの時間です。しかし、僕がフォンテ様を見つけられませんでした。申し訳ございません。せめてこの1年、僕が何をしていたのかご報告をさせていただきます。』
噂をすれば、エレフからの手紙だった。ところでこの手紙、エレフに似たおじさまたちが来た時はあったっけ? 覚えていない。
手紙には、使用できる水の量が平民と貴族で大きな差があったこと、それ故に平民の中でも貧困層の人々が飲み水が少なく苦しんでいたこと、それを何とかしたかったことが書かれていた。そして2枚目の手紙には、どういう対応をしたのか等が細かく書かれている。
難しいことはいまいちよく分からなかったが、エレフが努力したことや、それに父や兄、宰相の協力があったことも分かった。
文章は『次こそフォンテ様にお会いできるようにします。その期間も、フォンテ様に相応しい人間になる努力を致します。』で締めくくられ、最後にエレフのフルネームと日付が書かれている。
3枚目は『フォンテ様と約束をいたしましたあの日から、1年と7日が経過しました。』から始まった。
『あれから2度訪れていますが、フォンテ様にお会いできずに枕を濡らしています。お名前を心の底からお呼びしても、気配もありません。何故でしょうか。僕は知らない間に見限られてしまったのでしょうか。そうだとしても、その旨を伝えて頂きたいです。』
知らなかった、ごめん。
4枚目。
『フォンテ様と約束をいたしましたあの日から、1年と15日が経過しました。フォンテ様のことを考えて過ごす毎日です。』
相応しくなる努力はどうした。
『この間は、様子を確認しに行った学校の子どもたちに笑われてしまいました。あまりにもボーっとしていると。』
一応頑張ってた。
『フォンテ様にお会いしたいです。僕はずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと待っています。』
突然怖いな!
5枚目。
『フォンテ様と約束をいたしましたあの日から、1年と19日と半日が経過しました。最近オアシスに訪れた人々がこの手紙を読んだようで、僕をモデルにした、王子が女神様に恋をするという内容の物語が出回っていると、兄から聞きました。早速買いに行きます。』
しれっと王子って告白するな。
6枚目。
『フォンテ様と約束をいたしましたあの日から、1年と23日と18時間が経過しました。先日の手紙に書いた物語、大変感動しました。フォンテ様にも読んでいただきたいです。そう言えば、父と宰相が先日こちらに訪れたようですが、フォンテ様にお会いすることが出来なかった言っていました。僕のことだけを避けているわけではないと分かって少し安心しました。1日でも早くフォンテ様に会いたいです。』
時間の刻み方よ。
7枚目。
『フォンテ様と約束をいたしましたあの日から、1年と27日と1時間29秒が経過しました。いい加減諦めるよう兄から言われました。あの日から1年と30日になる日に、またここに来ます。』