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34.――大丈夫だよ

 ここは……ああ、そうだ。

 私は今、温泉だった場所で、モーアとスィンヴァンと戦っていたんだっけ。


「あれ……」


 掌に何か残っている。よく見ると、黒く小さな輪だった。

 輪……そっか。モーアの左手には、スィンヴァンから贈られた指輪がずっとはめられていたんだ。

 最後に残った黒い輪は、私の手の上で煙のように宙に溶けた。

 ……抜け出せたんだね。


「モーアァァァ!!」


 スィンヴァンの絶叫が、雪振る空に木霊する。

 ようやく、彼が私にあんな殺気を向けていたのかが分かった。あまりに一方的で、私とは噛み合わない理由だった。

 っていうかあの聖書、あながち間違ってなかったんだ。人間用に残された本に実話に近い物語が書いてあるなんて、普通思わないでしょ。

 さて、私が生まれたのはスィンヴァンがきっかけみたいだけど……全然感謝する気が起きないな、当たり前か。


「皆さん――彼は、万物の神・スィンヴァンです」

「え……神様なんですか」


 モーアが消えて少し複雑そうな表情をしていたレイジ。彼にモーアの話をするのは……酷なのかな。どうなのかな。

 それはさておき、みんなにスィンヴァンの情報を共有する。彼が「泉の神の器」を狙っていて、私から器を奪おうとしていたことを。


『……だから、さっきの女が水の精霊の――』

「黙れ……」

「なんだ?」

「黙れええええぇええ!!!! 貴様ら……よくも私のモーアを!!!」


 突然の爆発。

 戦いの最中の落ち着いたなりはどこかへ行き、モーアの過去を覗いた時に見えた顔と同じ顔をしている。

 スィンヴァン、泉の神の器をモーアのものだと思ってるんだよね。


「スィンヴァ――」

「寄せ集めのがらくたが! 切れ端分際で神の真似事か?! 混沌とした魂の残響等、聞くに堪えんわ!」

「何を――」

「その器さえあれば、モーアは元に戻るはずだった! 貴様がッ! 貴様がモーアを殺したんだ!!」


 ナールが寄り添うように顔へ移動してくる。


『あれが殺害? 何を勝手な』

「……私は大丈夫です、ナール」


 それより、「寄せ集めのがらくた」とか「混沌とした魂」って何? 過去でも「奇怪な魂」と言っていたよね。


 思い出せ。

 エザフォスはこう言っていた。


「前任の女神が職務を放棄した」


 モーアの過去で泉にいた神は「ライゼンデ」で、男神だった。聖書にもそう書いてあった。だからこの後に、女神がもう一人いるはず。

 ディアスティマはこう言っていた。


「泣いてばかりで、全く泉の管理をせん神に、なんの意味がある」


 泣いてばかりの神――ライゼンデはあの時すでに……いなくなったはずだから、きっと彼のことではない。

 そしてあの時、スィンヴァンはディアスティマが取り上げた泉の神の器に「返せ」と言っていた。

 それからずっと泉の神の器に執着している。


 そこまで考えて、ようやく一つの名前(答え)に行き着く。


 前任の、職務を放棄した女神は――モーアだったんだ。

 彼女はきっと、ライゼンデを目の前で失い、きっと、ずっと泣いていたんだろう。

 あんな残酷な光景を前にして、ショックを受けないわけがない。彼女は純粋な人だったのに。

 きっとスィンヴァンは、ライゼンデの器にモーアを入れて、彼女を「泉の神」にしたんだ。でも、泣いていて仕事をしないから、ディアスティマに器を剥奪された……。


 じゃあ、「奇怪な魂を器に詰め込んで」いるのは、私……?

 胸が、きゅっと締め付けられた。


 ――大丈夫だよ。


 そうだ、大丈夫。私は――私だ。

 ありがとう。私は大丈夫。






『なんだ!?』


 ぎゅるり、と空間が歪んだ。

 スィンヴァンの周囲を青黒い光が渦巻き、その場そのものがスィンヴァンに吸い込まれるような錯覚を覚える。雪が溶け、岩がひび割れていく。

 あまりの異様さに、アルトゥリアスですら声をあげた。


「ふ、ふふふふふ……ハーッハッハッハッハッ!!」


 スィンヴァンが、狂ったように笑い出した。


「モーアは私のものだ……! 貴様ら全員葬って、モーアを取り戻すんだ……!!」


 まだそんなことを言っているのか。

 彼は何も分かっていない。

 そもそも、人間の魂を別の器に移し替えても――元には戻らない。私たちを殺したって、同じ。

 そう言いたいのに、スィンヴァンから放たれる圧力に耐えるのに精一杯で、声を出すことが出来ない。

 ナールやアルトゥリアスも地面へと足を踏みしめている。ヴァッサーとレイジは……すでに倒れている。恐らく、レイジのパーティー全員も倒れていることだろう。

 このままじゃ、ダメだ。

 力が違い過ぎる。

 このままじゃ、ここにいる全員――


 その時、天空から白い光と共に、スィンヴァンとはまた違う重い気配が下りてきた。


 ――ディアスティマ。


 白い髪と白い髭、金に輝く装飾をいくつも身に着けている。

 空気が重く沈む。吹雪が一瞬止まり、雪山全体が静まり返った。

 モーアの過去で見た彼よりも眩しく、圧倒的な存在感だった。


「最高神であり天空を司る男神・ディアスティマ……」

『あれが、最高神……』


 私の呟きに、ナールが呆然としたように答える。ナールのこんな様子は初めてだ。


「スィンヴァンよ……神同士の干渉は控えるよう、あれほど言ったはずだ。よもや、罪を忘れたわけではあるまいな」

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