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32.レイジ、これを

 盗賊と狩人と戦士には、少し離れてもらった。2人はまだ顔色が悪かったけど、なんとか動けるくらいには回復している。しんどいところ申し訳ないけど、巻き込まれたら大変だからね。許してね。

 いくら雪が蒸発していようと雪山であることは間違いないので、少しでも温かくいられるようクリュスタロスの羽を渡しておいた。ちなみに、クリュスタロスは雪山に生息する大きな鳥形の魔物です。美味しくないらしいです。


「レイジ、これを」

「ありがとうございます」


 レイジには、いつの日か泉に落ちてきた剣と、アルトゥリアスの鱗を手渡す。

 アルトゥリアスは、クエレブレという種類のドラゴン。地下洞窟、源泉、地底に通じている湖に棲むというドラゴンだ。

 私の仮説が正しければ、モーアの攻撃は鱗で防ぎやすいはず。持ちにくいけど許せ。

 オアシスの底で発見されたこっちの剣は、誰のものか分からない。それに。近くで見ると刃がこぼれている箇所がある。でも、「泉の女神・フォンテ」の祝福を受けた剣だ。きっと大丈夫。


 レイジがそれらを受け取ったその時、アルトゥリアスの咆哮が地響きのように世界を揺らす。

 そして、男を狙う……わけもなく、モーアもまとめてぶっ潰してやろうと言わんばかりに尾を叩きつけた。

 とは言え、さすがにモーアを抱えたまま宙に飛び上がるのは厳しかったのか、男は体勢を崩す。もちろんそれを逃すはずもないうちの眷属が、男を狙って火球を飛ばす。

 火球はモーアの体に直撃した、かと思ったが、燃えることはなかった。元火の精霊のナールの炎なんだけどなぁ……うん。


 モーアは先ほどまでぐったりしていたが、元気を取り戻したのか、男の腕から抜け出し、地面へと降り立つ。

 男はモーアを気にかけながらもアルトゥリアスの猛攻を避けているが、たまに飛んでくるナールからの攻撃にも対応しないといけないからか、そちらに集中せざるを得ない。アルトゥリアスに攻撃の雷を放つけれど、ナールの光球に相殺された。モーアを守る余裕はない、そうでしょう?


 モーアと対峙するのはレイジ。精霊の器に入ったモーアが、人間に負けるわけない……という気持ちも、あの男にはあるのかな。


「はぁっ!!」


 レイジが剣を横に振ったが、それは避けられてしまう。モーアがすかさず黒い刃を飛ばすが、アルトゥリアスの鱗にぶつかったそれは、ビシャリと潰れ、液体となって白い鱗を滑っていった。

 うん。思った通り、防げている。

 なお、私は今妖精の恵みを、出血大サービスばりに持ち出している。

 特別な瓶も中身も、私なら採り放題だもんね!


「くらえっ!」


 ブオンッ

 風を切る鈍い音。

 見るとアルトゥリアスの鱗がモーアに向かってぶん投げられていた。

 モーアは視界を突然埋め尽くされたからか、戸惑っていた。

 私もまさか盾として渡した鱗をそんな風に使うと思ってなかったよ、レイジくん。

 戸惑うモーアを許すはずもなく、レイジはサイドに回り込んで一閃。


『……!!』


 レイジの一太刀はモーアの左足を黒い水へと変えた。ビチャビチャと岩を汚す黒い水。

 モーアは足がなくなったことで、体ごと岩の地面へと放り投げられた。彼女の横には、アルトゥリアスの鱗がぐわんぐわんと揺れている。


「モーアッ!!」

『逃がさん』

「ぐ――っ」


 アルトゥリアスの爪が、男を捕らえた。

 地面へ叩きつけられ、跡から煙が立ち上っている。


『よーし、任せて!』


 ヴァッサーから伸びた水の管が、モーアを絡めとった。モーアは悲鳴を上げ、ジタバタともがいている。それでもヴァッサーの管はモーアを包み、青い光で彼女を照らした。

 私は、そっとモーアに近づいた。


「モーア……貴方は、ずっと、苦しんでいたの?」

『あ、あぁああぅううう』


「はい」か「いいえ」の問いであれば、私には彼女がどう答えたか分かる。


「やめろ!! モーアッ!!」


 遠くから、男の声がした。


「そっか、じゃあ――手を」


 水の管の隙間から、黒い水に塗れたモーアの手が伸びてくる。

 私は、その手をとった。


「ナール」

『フォンテ様の望みの通りに――』


 ブワ、と熱気が私たちを包む。

 私は温度を感じないけど、それでも分かった。

 この炎が温かいことが。


 柔らかな炎がモーアの右足を、腕を、髪を燃やしていく。


「――っ!!」


 男の悲鳴も、今は聞こえない。


 モーアを浄化していく炎が、徐々に小さくなっていった。

 差し出してくれた左手と顔がまだ残されている。

 私はモーアの手を強く握った。彼女の目が、ゆっくり細められる。虚ろだった瞳に、ほんの少しだけ光が戻った気がした。


『……ぁ……う』

「――うん」


 モーアはついに、赤い光に包まれて……空へと消えた。






*****






 きっかけは、母親との些細な喧嘩だった。

 泣きながら森の中に駆け込み、勢いのまま走った。

 今考えると、なんと危険な行動何だろうと思えるけれど、当時はそんな考えに至らなかった。


「うあああぁぁん! ママのばかぁ!」


 泉の前で膝を抱えてグズグズと泣く少女の頭を、誰かが撫でる。

 驚いて顔を上げると、この世の者とは思えないほど美しい青年が、少女の顔を覗き込んでいた。


「どうして泣いているの?」


 優しい声に、優しい瞳。

 少女は青年が誰かも知らないまま、母親と喧嘩したことを話してしまった。

 青年はうんうんと頷き、少女の話を聞いてくれる。


「――っ!」


 少女を呼ぶ声がした。

 少女が「ママだ」と頬を綻ばせると、青年は安堵したように息を吐いた。そして少女を送り出そうとする。


「あ……きれいなお兄さん、また会える?」

「僕はいつでも、ここにいるよ」


 少女は目を輝かせ、母親の声のする方へ駆け出した。




 残念ながら、少女はそれ以降青年には会えなかった。

 確かに、彼は「ここにいる」とは言ったけれど、「会える」とは言っていない。

 それに気付いた時はとても悲しかったが、少女の祖父が「それはその泉の神様じゃよ」と言ってからは、とても納得した。

 何故ならあの青年は、今まで会った誰よりも美しかった。だから、人間じゃないと言われても不思議じゃない。


 少女はそれから、毎日のように泉に通った。花を供え、その日の出来事を話し、泉の前で食事をとった。

 同じ村の人からはおかしいと後ろ指を指されたけれど、少女は気にしない。


 やがて少女は、幼いころの元気な少女から、落ち着きのある女性へと成長していった。そして、村の人々から「敬虔な信者」と呼ばれるようになっていく。


 すっかり日課となった、泉の前での祈り――いつも通りの静かな時間に、今日は声がかかる。


「君は、いつでもここで祈っているね」


 顔をあげると、あの時の美しい青年――ではなく、髭を蓄えた男性が立っていた。彫刻のような美しい顔と体に、皮のマントと白い着物がよく似合っている。

 顔や体格は全然違うけれど、服装はよく似ている気がするな、と少女は思った。

 少し落胆してしまった自分を隠しながら、見知らぬ人への警戒を強める。


「ああ、すまないね。私はたまたま通りかかった――旅人さ」


 男性は整った眉を、申し訳なさそうに寄せた。

 肩を小さくするその男性に、警戒してしまったことを少しだけ後悔する。


「あの……」

「私の名前はスィンヴァン――しがない旅人だよ。君の名前を聞いても?」


 少女は、警戒を緩めながら答えた。


「モーア、です」


 名前を口にした瞬間、泉の水面が、ほんの少しだけ揺れた。

 少女は気づかなかった。

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