30.あれは毒です、当たらないで!
戦いの音が雪山全体に響き渡る。炎と光がぶつかり合う閃光が、吹雪を切り裂いて遠くまで届いていた。雪が蒸発して白い霧が立ち上り、洞窟の壁が崩れて雪崩のように落ちてくる。
けれど、私とモア……――いや、あの男は「モーア」と呼んだ。それが正しいんだろう――モーアの間では、空気が止まっていた。
「モーア……もしかして、な――」
ゴウ、という衝撃と共に激しい水音が響く。
耳をつんざく轟音に肩をすくめてしまう。さっきまで炎やら光やらで戦っていたのに、今度は水かぁ――
「えっ」
私の温泉が、半分抉れていた。というか、絶壁の隙間だったそこが、限りなくオープンな場所になっていた。灰色の空がよく見えている。
岩に吸い込まれない量のお湯は、周囲の雪を温めながらどこかへ流れ、まだかろうじて穴に残っているお湯は、舞い落ちる雪を溶かしていく。
わ、わたしのおんせん……!!
唖然としていると、現状を忘れるなと言わんばかりに鋭い声が飛んできた。
「女神様!」
ハッとすると、弧を描いた矢がこちらに落ちてきた。
矢はモーアの足元に刺さったが、モーアは目にも止まらぬ速さで私の上から退いたらしく、いつの間にか半壊した温泉の前でゆらりと立っていた。
「ご無事ですか、女神様!」
レイジたちが駆け寄ってくる。
どうしてここにいるのかと問うと、先ほど矢を射ったであろう狩人が、「恐れながら……モアの情報を追っていました」と答えた。
モアの情報を集めるためにまだ麓の街にいたらしい。そんな時に山から轟音や破壊音が街を揺らし、住人は騒然となっていたとのこと。言われてみれば、あんな激しい音がしたら……そうか。結局、私が彼らを巻き込んでしまったんだ。
「ここは危険です、今すぐに離れてください」
「でも、女神様も今危なかったじゃん!」
たしかに馬乗りされてたけど、モーアに攻撃されてたわけじゃないんだよ。でも傍から見たら襲われてたので否定できない。
「あれは人間ではありません――貴方たちの適う相手ではないのです」
「だからって、見ているだけではいられません!」
戦士の女性がそう言った。
その気持ちを拒否することはできない。私も同じだから。
「レイジ――あれ?」
女性3人が私を囲む中、レイジだけはこちらを見ていなかった。
モーアの正面に立ち、彼女を見つめている。
「は――」
「レイジ……?」
「はは、見つけた……」
――まさか。
「まさか、会えるなんてな……」
「レイジ、まさか」
「見つけたぞ、モーア!!」
普段は淡々とした印象のレイジが、剣を構えて一気にモーアに切りかかる。女性陣の声は耳に入っていないらしい。
瞳孔は開き、口は笑っているかのように歪んでいる――長い間追い続けた仇が、目の前にいる。喜びと憎しみが混ざって、彼の顔を狂気に染めていた。
モーアは、レイジの村を滅ぼした――復讐相手なんだ。
モーアは大きな動作で、レイジの攻撃を避け、手をかざした。
すると彼女の背後に黒い水のような何かが現れ、刃の形に変化する。刃から僅かに滴る液体が岩に落ちると、ジュウッと嫌な音を立てて溶けていく。
「あれは毒です、当たらないで!」
レイジに向かって「お返し」とばかりに飛んでいく刃。黒い水のような液体が、黒い軌跡を残しながら空を切り裂く。
レイジがそれを避ける動きに合わせて、モーアも動いた。着地の地点を狙ったモーアの動きは大きく、迷いがない。「逃がさない」と言わんばかりだ。
しかし、彼らはパーティー。モーアの視線がレイジに固定されたその隙に、盗賊の女性が石のような何かを投げ放つ。
風を切る音と同時に、モーアはすぐさま身を翻し、彼らと距離をとった。
石は誰もいない空間を切り、鈍い音を立ててやがて床に転がった。
モーアの刃も岩壁に当たって消えたようだが、当たった箇所から煙が上がっている。
しかし、ここで防御の構えをとっていたはずの戦士と狩人が、その場に崩れ落ちた。一拍遅れて、盗賊の甲高い声が空気を震わせる。
なんで、と思う間もなく、彼女たちの足元を縛っていた黒い紐のようなものが、岩床の隙間に戻っていく。
私たちが宙を裂く黒い刃に気を取られている間に、足元の岩の間を縫って、モーアの操る黒い水が2人を「毒状態」へと誘っていた。
やはり、モーアの方が何枚も上手なんだろう。
2人は青い顔で倒れている。唇が紫に変色し、血管が黒く浮き上がっていた。息も浅く、体が痙攣しているのか、小刻みに震えている。盗賊は泣きそうな顔で2人を見ている。
――レイジの瞳に浮かぶ光に、憎しみが強まった。剣を握る手が、大きく震えている。
私が彼らに「モアの情報収集」をお願いしなければ、こんなことにはならなかったのに。
私は――神なのに……誰も守れない。
胸が痛い。息が苦しい。
……いや、天罰を使えば、モーアを止められるかもしれない。
でも、でも……さっき、モーアは、私に敵意はなかった。それなのに、彼女を裁くの?
「……許さない」
低く震えた声とともに、レイジが踏み込んだ。
剣を振りかぶり、モーアの正面へと飛び込んでいく。
モーアを見据えるレイジの背中を目掛けて、黒い紐が鞭のようにしなる。
「やめて、モーア!」
――フッと辺りが陰る。
雪がやんだ……わけではなかった。
――――ゴオオオオオオオオ
私たちのうえに、巨大な白いドラゴンが在た。




