28.……誰だったんだろう?
ざわざわと耳の奥が鳴っている。
なんて言っているんだろう? 誰かが、問いかけてきてるような気がするんだけど――いや、期待? 不安? 分からない。聞こえるけど聞こえない。
もっと近くで、ハッキリ言って。
私なら大丈夫だから。だからもっと、みんなの――。
「こ、え――……あれ?」
天井が見える――そうか、寝てたんだ……でも、耳の奥のざわざわした感じは続いている気がする。
最近色々なことが立て続けに起きて、情報がよく分からなくて、ちょっと疲れたような気がしたから、眠ったんだった。神なのにこんなに疲れるなんて……こういうものなの?
「……誰だったんだろう?」
誰かから、話しかけられた気がしたんだけどな。
***
今日もクローゼットからティーセットを取り出して、ソファに深く腰掛ける。
最近はナールも隣に座って、いるのか? とりあえずふかふかのソファの上でふかふかしている。よく分からないと思うが私も分からん。
あと何故か人間の食べ物に興味があるのか、私の口にしているお茶やお菓子を食べたがっている。許可を出せばサイコキネシスでカップやお菓子を浮かして、体内に取り込んでいる、ようなことをしている。見た目は炎の中にお菓子たちが放り込まれてる様子だ。私はあまり深く考えないことにした。
『人の子の食べ物は不思議なのだ』
マシュマロがお気に入りらしく、ふわふわなところが良いとかなんとか。歯ぁないだろ。
私は焼きマシュマロが食べたくなった。
ナールが何個目か分からないマシュマロを体内に取り込んだ時、その違和感はやってきた。
「――ん?」
『フォンテ様、森に』
マシュマロとは裏腹に固く響く声。
森にある泉を囲う木々の前に、それは立っていた。
擦り切れたフード付きのマントの下に、これまた年代を感じるチュニック。よれた皮のブーツ。
フードの隙間からは、黒くべっとりとした長い髪が覗いている。
一見、旅人に見えるが、長い髪に挟まれたその目は酷く虚ろで、見るからに頬がこけている。半端に開かれた唇は乾燥か、はたまた別の要因か、皮がむけて血がにじんでいるように見える。
異様な気配のそれは、立ち姿から女性であることが分かり――その人物が、私たちが探していたモア、もしくはモーアと呼ばれるその人だとすぐに分かった。たしかに、この容貌から<水がいつか全て枯れる>なんて言われたら、不吉でたまらない。
私は大きく息を吸い込んだ。
「……ナール」
『敵意は、なさそうなのだ』
そう。不思議なことに、窓に写っているモアからは敵意のようなものは感じない。だからこそ、胸の奥がざわついた。
そのままの様子で、彼女は一歩、泉の方へと足を踏み出した。
一歩。また一歩。
そうして泉の前へやってくると、膝から崩れ落ちた――ように見えたが。
「祈ってる……?」
結婚式を挙げたあの夫婦がとったポーズによく似た姿勢で、モアは動かなくなった。やはり敵意などは感じない。
むしろ――……。
「あ」
モアから、擦れた声がこぼれた。
「あ……あぁあああああぁぁあぁぁぁ」
喉の奥から絞り出されるように歪んだ声が、鼓膜を震わせる。
大きな声ではないけれど、耳にビリビリと響くような不快感に、思わず眉をひそめてしまう。
やがて、彼女の姿が揺らぎ始める。水面に大きな石を投げ込んだように波をうって揺れるその姿に、やはりモアは人間ではなかったと、頭のどこかが冷静に判断した。
大きな揺らめきの後、とぷんっと地面に吸い込まれるようにモアは姿を消した。
「……今のは、モア、でしょうか」
『恐らく。遺跡で感じた毒に近い気配だったのだ』
モアの姿が消えて、3秒も経っていなかったと思う、その瞬間。
『フォンテ様!』
「――うっ」
モアの比にならないほどの大きな大きな強い気配が、私たちを縛った。
黒くて大きな塊をぶつけられたような衝撃と、眩暈がするほど痛いそれは、今まで何回も感じたことがある気配に近く、でもそれ以上に強い感情をはらんでいた。体が、うまく動かない。
これは、何? 憎しみ? 殺気? それとも悲しみ?
ソファに座っていることすら辛い。背もたれを握りしめてなんとか体を起こしてはいるけれど、今にも手を放してしまいそうだ。ソファの布を強く掴む手は、自分の手とは思えないほど震えていた。
顔が冷たい。息がしづらい。視界がチカチカする。肌が逆立っている。
何が起こっているのか分からず、ナールに尋ねると、予想はしていたものの、聞きたくない答えが返ってきた。
『そこに、在るのだ……!』
肩を揺らして何度も息を吸い、首だけで窓の様子を伺う。
「あ……」
先ほどモアがいた木よりも奥の奥の木の陰に、誰かがいた。
――エザフォス……? じゃ、ないか。
気配はあの老人だと思う。でも、すっと背筋を伸ばし、体格が男性のように見えた。服のように揺れる布も見えるけれど、全貌までは分からない。
不思議なことに、その影があの老人だと言うことも、纏う雰囲気からやはり「神」であることも、分かってしまった。
好意的ではないその神は、オアシスの時のように泉の近くに来たりはしない。温泉の時のように、影の中からこちらを見るわけでもない。
ただ、「森の泉」に向かって、憎悪ともとれる感情をひたすらにぶつけていた。




