03.焼ける!!
「女神様! 麗しの女神様!」
「……」
「どうかあなたに、今一度お礼をさせてください!」
「……」
「僕の麗しの女神様!」
うるさい。
*****
担当場所【デシエルト・エロエ】が追加されたと通知があってどれだけ経ったのか。リビングの窓には未だには、ただただ砂が映っているだけだ。時間の変化はあるようで、砂と空の明るさが見る度に違う。
正直、このままでも良くない? だって見るからに泉ないもん。「ご自由に作製ください」なら作らなくても良くない?
そもそも泉を作るのは、女神の仕事なの? 森の泉の底を掃除した時も思ったけど、女神って肉体労働なの? ブルーカラー労働者(馬鹿にしているわけではありません、悪しからず)なの?
物語に出てくる女神って動物と戯れたり、人間に祀られたりするものだと思っていたけど、私の認識が甘かったのかもしれない。いくらホワイトな企業に見えても実際入社してみたら想像と違った、なんてこともあるに違いない。女神ってなかなかなれる仕事じゃないし、楽しそうと選んだのは私なのだから途中で投げ出すなんて良くない。
もう一度砂の映っている窓を見ると、なんとサボテンが映っていた。初めてだ。砂ばかりで変化は分からなかったが、もしかして今までも違う景色を映していた? よく分からなかったけど、水は砂漠の生き物たちにとって貴重なはず。私が泉を作ったらきっと役に立つ。
私はクローゼットから大きめのスコップを取り出し、玄関を出た。
ところでスコップとシャベルの違いって何?
忘れていたが、砂漠。ギラッギラの太陽が目に入った時、私は後悔した。
「焼ける!!」
反射的に腕を抱えてしゃがみ込む。こんな砂漠に肌むき出しで行ったら「日焼け」などという軽い症状で済むのか――と不安になったが、ふと気づく。
「あれ? 暑くない?」
そもそも暑さすら感じなかった。ああそうか。私は女神だから「温度」という概念がないのかも。ってことは日焼けもしない! めっちゃラッキーじゃん!
感動しながら辺りを確認すると、さっき窓で見たと思われるサボテンがあった。よし、このサボテンの近くに泉を作ろう。それから木も植えよう。木で日陰を作れるし、動物たちが食べられる果物の木なんかもいい。とりあえず、まずは泉から!
なんて張り切っていた頃が、私にもありました。
あれから掘っても掘っても掘っても掘っても拡げても掘っても掘っても、水が湧いてこない。体は疲れないけど、精神が疲れるこれ! これって本当に女神の仕事なんですかエザフォスさん! こういう仕事をやってくれる部下とかいないの? 神はぼっちなの? 女神力が上がるといつかもらえるの?
考えるほどむしゃくしゃしてきて、最終的にはスコップを放り出して大の字で転がった、砂の上で。どうせ可視化してないから見えないし、暑くも寒くもないし、もうどうでもいい。
私はそっと、目を閉じた。
ちゃぷり、と水の音が聞こえた気がした。
ふっと意識が戻ってきて体を起こすと、大きな満月がそこにあった。もとい、大きな泉に満月が映し出されていた。明かりは月の光だけで、幻想的な雰囲気になっている。
まあ大きいといっても、部屋の大きさで言ったら10畳ちょいくらいかな。でも泉の底は、けっこう深め。頑張って掘った成果かも。
水が溜まるのに時間がかかっただけで、泉にならないわけじゃないんだ。はよ言えや。
というわけで一回家に戻ってお風呂に入った私は、「砂漠で育って、誰でも食べられる果物がなる木! なおかつ木陰を作れる木」というわがままな念を込めながらクローゼットを開ける。クローゼットには木の苗がいくつか並んだ籠が置いてあった。これが本当にわがまますぎる願いを叶えてくれる木なのかな? でも植えなきゃ分からないし、木も時間をおけば育つのかも、と思ったら居ても立っても居られず、早々に木の苗を植えに行った。どんな木になるのかな、楽しみだ。
その間、森の泉の様子を見てみる。動物が水を飲みに来ていたところだった。今までは人ばっかりだったから嬉しい。動物は馬のような見た目の生き物だけど、馬には絶対ないであろう一本角が頭から生えている。そう、例えるならユニコーン的な……まさかユニコーンじゃないよね? 泉を汚す人が来るような場所にユニコーンなんて来ないよね? 一旦見なかったことにして、ソファ座ってお茶とお菓子をつまんだ。もし、また見たら幻じゃないと思って受け入れよう。今は幻ってことで、うん。
お茶を終えると、テーブルに恒例の紙が置いてあった。今度は何だろう。
『女神力アップ! 祝福の能力を手に入れた! 祝福した人や物にいいことが起こるよ』
段々この説明適当になっていってない? なに「いいこと」って。ざっくりすぎるわ。
でもこの祝福を使えば、木が早く育ったりしないかな。私は思い立ったら行動する派だ。さっそく砂漠に向かった。
が、木はもうすでに育っていた。なんなら当初の目的だった木陰も出来ているし、別の種類の木が実をつけている。私、2種類の木をいい感じに植えてたんだ。……あのクローゼット、有能すぎる。
もはや立派なオアシスに成長したそこには祝福要らずかぁとがっかりしていると、自分以外の気配を感じた。まだこの砂漠では何の生き物にも会ってないから、もしかしたらそうかも、と期待する。
ラクダと思われる生き物が視界に入った。見た感じ普通のラクダだけど口元に紐がついているので、手綱だろうか。その割に人が乗っているような感じはしない。できる範囲で近寄ってみると、人は乗っていた。しかし、ラクダの背にぐったりと倒れこんでいる。ラクダの背から落ちていないのは奇跡かもしれない。
水を与えた方がいいと思って「こっち!」と叫んだが、ラクダは反応しない。そのまま前へ歩いている。
そうか、可視化してないから見えないんだ。可視化してからもう一度「こっち」と呼びかけると、ラクダは一瞬だけ足を止めたが、そのまま素直に近づいてきた。そうしてオアシスまで誘導する。
背に乗る人を降ろす時にラクダはそっと膝を曲げ、降ろしやすいようにしてくれる。乗っている人とラクダは仲がいいんだろうな。だから背から落とさず、ここまで運んできた。ラクダをそっと撫でて水を飲むよう促し、私はその人を木陰へと運んだ。重さは感じなかった。
コップやタオルが手元にないので、木から大きめの葉を取って1枚は水に濡らして人の額へ。もう1枚は適当に折ってコップ状にした。もちろん、水を汲むために。
寝たまま口に水を入れるのは躊躇われたので、頭を持ち上げて膝を差し入れる。これなら水を飲み込むかな。水を少しだけ口へ流すと、ごくりと喉が鳴った。どうやらうまく飲み込めたよう。何回か同じことをしていく内に、荒い息は徐々に穏やかになっていく。良かった、ここ作って。
ラクダは泉から水を飲んだ後、木から果実を直接食べていた。やがて満足したのか、近くの木陰で腰を下ろした。やっぱりこの人が心配なんだ。
「この人とは仲良しなの?」
ラクダはゆっくりと瞬きをする。言葉が通じたのかよく分からなかったが、その行動は私の言葉を肯定しているように見えた。
視線を落とすと、そんなラクダの主人が寝息を立てている。ラクダの主人は、青年だった。褐色の肌と薄い金色の髪は、彼が砂漠の民だと主張している。着ている服はまさにアラビアンナイトの世界を連想させる物で、使っている布の豪華さと上質な肌触りから、彼が裕福な家の人間だと告げていた。ラクダと心を通わせているようなので悪い人ではないんだろう。顔も整ってるし。偏見? 違います。
彼が目を覚ますのをぼんやりと待っていると、唸り声と共に寝返りを打った。彼の顔が膝に埋まる形になって非常に恥ずかしいから、早く起きて欲しい。
その願いが通じたのか、5秒ほど経過した後青年はすごい勢いで顔をあげ、私と目が合った。そこからはやり5秒ほど経過した後、思い切り抱き付かれた。胸に顔をうずめられて。
「きゃあ!」
変態だ、と引きはがそうとしたがびくともしない。筋肉隆々とは程遠い腕には相当な力が秘められている――なんて冷静に言ってる場合か! 女の胸に顔をうずめるなんて何という無礼者!
「離し――」
「僕は死んでしまったんだろうか」
「いやだから――」
「だとしても、こんなにも美しい女神様が迎えに来て下さるなんて僕は幸せ者だ」
「なんでもいいから離してくださいっ」
その声が届いたのか、彼はハッと顔をあげた。するとようやく自分が胸に顔をうずめていたことに気付いたのか、顔を赤に染めて恐る恐ると言った様子で解放してくれた。遅いわ。
青年は少しだけ冷静になったのか、オアシスと近くに佇むラクダの様子に気が付いた。
「クルーク、君もここに……ということは僕は生きている?」
クルークというのはラクダの名前だろう。名前に相応しく主人を助けたクルークは本当に素晴らしいラクダだ。
「その子はクルークというのですね。クルークがあなたをここまで運んで来たんですよ」
内心咳ばらいをし、気持ちを切り替えて青年に教えた。あなたが感謝すべき相手はクルークだと。案の定青年は「僕の相棒が君で良かったよ」とクルークに抱き付いている。クルークも満足そうな表情に見える。
一通り感謝を伝えたのか、青年は今度は跪いて私の手に口づけを落とした。
「先ほどは大変失礼いたしました、女神様」
本当に。
「そして感謝を申し上げます。僕とクルークをここに導いて下さいまして、ありがとうございました。あのまま砂漠を彷徨っていたら、命を落としていたことでしょう。あなた様にはいくら感謝の言葉を述べても足りません」
「……私があなたがたをここに導いた?」
そんなこと一言も言っていないはず。
「クルークがそう言った気がしたのです。自分たちを助けてくれたのは女神様だと」
クルークまじ優秀。私もクルークが欲しい。私もクルークみたいな頼れる相棒が欲しい。クローゼットからはこういう生き物は取り出せないようなので非常に残念だ。
「これからもクルークに感謝を忘れないように」
「はい。もちろん女神様にも」
イケメンってすごい得。胸に顔つっこまれたけど、この綺麗なお顔と澄んだ瞳で許せる。
私は胸の前で手を組み、心の中で祝福と唱えた。すると青年とクルークが不思議な光で包まれる。きっとこれが祝福しましたよって証拠なんだよね。
「今のは……?」
「日が沈めば、帰ることが困難になります。あなたたちが無事に帰れるよう、私は祈っています」
あえて坦々と言い、可視化を解除した。当然青年たちからは見えなくなったようで、「女神様?!」と焦って周囲を見回している。
やがて私がいないと分かると、青年は名残惜しそうにクルークに跨りオアシスを後にした。現れた方角に向かったので、きっと大丈夫だろう。
良いことはしたと思って数日はのんびり過ごしていると、窓から「女神様!」と声がした。何事かと思って窓を確認すると、あの時の青年がオアシスにいて私を呼んでいた。傍らにはクルークもいる。
「女神様! 麗しの女神様!」
「どうかあなたに、今一度お礼をさせてください!」
「僕の麗しの女神様!」
うるさい。
「僕はあの日から女神様のことが忘れられないのです! おかげで夜も眠れない」
知らない。
「僕は毎晩、女神様の美しさと慈悲深さ、そして膝の温かさと胸の柔らかさを思い出して自分を慰めています!」
大きい声で言うことか! この人突然下ネタ持ち出してきた!! これもう罰の対象じゃない? 女神に懸想してるし妄想してるし! 綺麗な顔で言うことじゃない!
「それに無事に帰還できたこともお礼していません!」
お礼はもうついでだよこの人。
「女神様、もう一度僕に慈悲を!」
ああもう、うるさぁい!! 私の静かな日々を返して!