26.あ、あるいは?
今日もベッドから身を起こす。そのまま立ち上がって、窓の近くまでそっと移動した。
……怖い。本気で怖い。
なんで、こっちが分かったの?
あの視線は、こちらを向いていた。
あの視線は、ただの人間のものじゃなかった。
ナールに言われた通り、しばらくは可視化するのはやめておこう。もし人の前に女神の姿を見せようものなら……いや考えたくない。
とは言え、監視は続けなきゃいけない。このオアシスは私の領域だし、私だってできるだけ情報を集めないと。それに、人間たちが知らないところで、何かが起きるかもしれない。
私は深呼吸して、窓の端からそっと外を覗いた。あの老人たちはもういない。何ら変わりない風景が流れているだけだ。砂に落ちる影が、時間とともに濃くなっていく。
……? 風が止まってる気がする。さっきまでは葉を揺らすほどに風があったはず……いや、風は吹いてるのに、葉が揺れてない?
『フォンテ様……あの気配が、まだ残っているのだ』
窓の真横に浮かんでいたナールが、小さく炎を揺らして囁いた。
ごくりと喉を鳴らし、揺れない木を見つめる。まだ、どこかで私を見てるのかもしれない。もしくは……これからもっと頻繁に見来るのかもしれない。
そんな嫌な予感が、当たってしまった。
泉の偵察から戻ってきたナールから、あんまりよろしくない情報を聞いた。
『アルトゥリアスから、カルム湧水洞の近くに変な気配があると聞いたのだ』
あいつホントにナールにはちゃんと協力するじゃん。私にはあんな態度のくせに――じゃなかった、ちゃんと報告してくれて何よりですこと。
『ただ、洞窟に入っては来なかったらしい』
それは、様子を伺っていたのかな。間接的に「窓」から覗いていた私たちに目をむけてくるくらいなんだから、きっとアルトゥリアスの気配にだって気付くだろう。
あれ?
「……なんで、気付かれたんでしょう」
可視化していたわけじゃない。泉の外で直接見ていたわけでもない。それなのに、あの視線は……私を、正確に捉えていた。
耳の奥がざわつく。鼓膜が擦られるような違和感を振り払うため、両耳を抑えた。
そうだ、どうして忘れていたんだろう。
「神はどの種族からも基本は見えない」
ナールから教わったのに。
***
そんなわけで、ナールと作戦会議をすることになった。
私はソファにどっかり座り直して、膝の上のナールをじっと見つめる。
「相手は神かもしれません」
『神……そうか』
ナールは腑に落ちたようだった。元精霊・現眷属神であるナールが気づけない――何にも気づけない私は何なんだよって話になるが、それは私のアイデンティティ崩壊に繋がるかもしれないので、二度と触れないでおこうそうしよう――相手とは、恐らく神なのではないかとナールも思っていたようだ。
神……私の知っている神はエザフォスだけだけど、そんなエザフォス本人から「神は普通、他の神と関わることはない」と聞いている。もちろんエザフォス以外の神に会ったことがないので、そういうものだと思っていたんだけど、今回の件は「私に会いに来ている」としか思えない。
砂漠のオアシスで遭遇してから、カルム湧水洞へ……この移動に、何の意味があるんだろう。
「そうなると、レイジたちを巻き込むのは得策ではないかもしれませんね」
『ふむ……』
神の間に人間を入れるのは酷だ。
でもそうなると。
「モア? モーア? とは一体なんなんでしょう」
『人型で、話すことができて、人の目にも映る、光っていたという証言はないとなると……かなり強い魔物の類か、あるいは……』
「あ、あるいは?」
『精霊の可能性もあるのだ』
精霊は神とは違い可視化は出来ないけれど、物や現象に宿ることで人の目にも映るらしい。なのでヴァッサーは人間から「人魚の形をした水」に見える。風の精霊ウェントスもかかしに宿って人間に話しかけたんだっけ。ちなみに、ナールは今私の眷属だから、火の玉の姿でも人間からは見えないし、その姿を可視化できるみたい。ややこしいね。
で、妖精では恐らくナールの目は出し抜けないらしい。なので、そんな存在が私の泉の周辺をうろついていたら、気づきそうなものだが…ということ。
ただ、ナールの目?を掻い潜れるようなかなり強い力を持った魔物なんてそうそういるものじゃないだろうし……となると、精霊の可能性も?
「今までの証言だと、旅人の女性、辛気臭いとかが特徴ですけど……そんな悪口しかない印象の精霊なんていますか?」
『あえて言うなら、土と闇の精霊が近いかもしれぬが』
ジメジメしてて暗いってことか。
『ただ、あやつらには理由がない』
それはそう。そもそも精霊って人間に興味がない。わざわざ水が枯れるって言い振らす理由がない……はず。
他にいる精霊は水・風・光だけど、敵対していないし、敵対する理由もない。土・闇・光の精霊に至っては噂すら聞いたことがない。
うう~ん、人間じゃない可能性が出てきたので、レイジたちに――モア?モーア?……めんどくさいから一旦モアでいいか――のことをお願いしたのは間違いだったかもしれない。人智を超えるのであれば、さすがに申し訳ない。モアが普通の人間ならいいんだけど。
いや、まだ人間じゃないと決まったわけじゃない。変な人間なだけかもしれない。そう思っておこう。
――などと悠長に思ってはいけなかった。
その気配は、なんと温泉にも現れた。
『……そこに在るな』
「……」
ナールの指す「そこ」は洞窟内の影になっている部分だった。目を凝らすと、そこに人影のようなものが揺れている。湯気の向こうに、本当にぼんやりとだけ輪郭だけが見えているだけなのに、こちらを向いていると分かってしまう。
オアシスで感じたあの老人と同じだ。相変わらず刺すような気配が洞窟内に充満し、いつもはお湯の中に漂っているジリャオの葉が、水底に沈んでいる。
デシエルト・エロエのオアシス、カルム湧水洞、その次にイエロの温泉……なんだか、私の管理の水源に来ているように思えてしまう。
『フォンテ様、今日は我に任せてゆっくり風呂に浸かっていると良いのだ。フォンテ様が心を砕く必要はない』
ナールの炎が大きく揺らめき、温泉からの気配に警戒している。だというのに、私が酷い顔でもしていたのだろうか、とても気遣ってくれている。
私は、このまま隠れていて良いのだろうか?
『まだ情報が少ないし、あれの狙いも分からぬ。フォンテ様が姿を見せるには早計である』
私の不安に寄り添うように、ナールが目線まで下りてくる。立ち上がった私の目の前で、淡い火の色が小さく靡いている様子を見ていると、心が落ち着いてきたような気がする。
でも。
「ありがとうございます、ナール。でも――これから温泉に向かうのでしょう? 私は、ここから見守ります」
見守るくらいしか出来ないけれど、お風呂にはいかない。
そう伝えると、炎の色が濃くなったナールは分かったと頷いた。
ありがとう。




