第二話 銀腕の聖女♂と斧
聖女様との食事から暫くした頃。彼は教会から少し離れた茂みで日課である斧での素振りを行っていた。彼の身の丈の二倍はあるその斧をひたすらに降っていた為、草木が薙ぎ倒され、ちょっとした舞台のようになった場所に今日は美しいオーディエンスが居た。
彼女はいつもの正装とは違う、ゆったりとした寝間着を着て不出来な切り株に腰かけていた。
「レイルさんはどうして、そんなことをしているのですか?もし、筋肉がついたりしたら貴方のファンが減るじゃないですか!」
「聖女様はアレですよね。俺に筋肉がつくわけ無いから無駄な努力は止めろ………そう言いたいんですよね?」
「当たらずとも遠からず───ですかね……」
彼女は人差し指を顎に当て、なにかを考えているような素振りを見せる。しかし、煩悩で頭が一杯なレイルは聖女様が考えている内容よりも、この悩ましげな仕草に目がいって仕方が無いようだ。
「…………」
「……? なんですか。私の顔になにか付いていますか?」
「いやいやいや、違いますよ!そんなに凝視してませんよ!!」
彼の明らかに動揺した回答に聖女様はため息を吐きながら白い目を向ける。
「……自分で墓穴を掘ってどうする気だったんですか?」
「間違えました!!すみません。なにも付いてませんし、それよりも『当たらずとも遠からず』ってどういうコトですか?」
「随分と強引ですね。私という人間の種子ができた日の父ぐらい強引でしたよ?」
「そんなことは聞いてないし、聖女様は見てないから知らないでしょ!?!?」
「ええ。見た訳ではありませんが母が言っていました。『あの日はまるで獣のように盛っていて、腰が立たなくなるほど強引に犯された』───と。身内の下世話な話ですから、誰かに言い触らさないでくださいよ」
聖女様の口から放たれたとんでもない言葉に彼の心がパキッという音を発てた。
───これは悪い悪夢だ。
悪しにこれでもかと言わんばかりに下方修正を加えた夢とは一体どんな夢だろうか。そんな奇想天外なことを思えてしまう程に純粋な青年であるレイルは心を閉ざした。
聖女様の鍍金が剥がれるのを恐れて………。正確には本当の姿を直視する勇気がなくて。
「どうしたんですか?人形のような顔が崩壊していますよ」
「どうもこうも、俺にはちょっと早かったみたいです………」
「……?なにがですか?」
「知り合いの両親のアレとソレの話にリアクションをとることですよ……」
「そうですよね。貴方は同姓で肉欲を満たす人でしたからね。でもそれはルックスだけ見れば可笑しな点は何一つありませんから良いことだと思いますよ。貴方が異性とそういう行為をしていたら百合にしか見えませんし……」
聖女様の理解した上での誤解。所謂、いじりに彼は先程、閉ざした心をフルオープンに叫ぶ。
「同性愛者だという告白でもなければ、フォローも要りませんよ!!」
「……?違うのですか!?」
「なんでそんなに驚いてるんですか!?」
意地の悪い笑顔を浮かべる聖女様にいくら叫んでも無駄だと、やっと理解した彼は彼女に向けていた神経を全て手元の斧に向け、彼女を意識の外にやろうと必死に降る。
「レイルさーん。無視しないでくださーい!」
「………」
「いいんですかー? この前、レイルさん宛てに来てた貴族からの婚約のお手紙に勝手に返事出しちゃいますよー!」
「お願いします!! それだけは止めてください!」
彼は斧を地面に捨て、閃光の如く彼女の前で土下座を始め言う。その流麗な土下座に彼女も思わず感嘆の声を漏らした。
「………こう、美人に土下座させるのは、なにかグッと来るものがありますね」
だが、その後に続く言葉は安定の変態趣向だ。彼は背中の毛が逆立つのを感じながらも土下座を続ける。
「まあ、私を無視したことを申し訳なく思っているのなら許しましょう。なんせ私は平等を重んじる聖女ですから!」
「何一つ釈然としませんが、ありがとうございます………」
「うふふ。良いのですよ」
「なんで上からなの………?」
土下座を止め、彼は再び斧を降ろうと斧に向かった。だが、彼の腕を後ろから彼女が引っ張った。
「待ちなさい。お巫山戯はここまでにして大事なお話があります」
いつもから比べれば割りと真面目な表情で彼女は言う。
「ええと………ここに居るのってその為………」
「当たり前でしょう。逆に何をしに来たのだと思ったのですか?」
「俺をからかいに来たのだとばかり………」
「それも七割位ありますが、本題はこちらです」
───七割って、大事な話との配分可笑しくない?
と。思えどしかし、相手は聖女様だ。抗弁ほど虚しいものは無い。だから、彼は心のうちにそっと隠すことを決めた。
「………じゃ、じゃあ、その本題ってなんですか?」
「二年ほど王都の方へ行くことになりました」
「はあ……。って、えええぇぇ!?!? 急すぎじゃないですか!」
「ええ。王様の我儘なので急です」
彼のオーバーなリアクションに彼女は両手で耳を塞ぎながら言う。
「あの、でももっと言うタイミングってありませんでしたか? 食事の時間とか」
「それはダメです!」
「えっと………なんで───」
「だって! 食事の時間は貴方を弄り倒す時間と決めているからです!」
彼女は興奮しながら言う。
彼の居た堪れなさそうにしている表情を無視して尚も続ける。
「そして、これは一応、付いてこないか、という相談のつもりですが貴方に拒否権はありません。断ったとしても、なんらかの手段を用いて連れていくことでしょう。だって、私がこんなに面白い玩具を手放すとお思いですか?」
「そうであって欲しいです!」
「残念ですが、それは叶わぬ夢です。ですので諦めて私の玩具であることに甘んじてください」
どこまでも偉そうな彼女は腕を組んで言う。
───何もかもが可笑しい。
満更でもない彼は、そう思うには思うが口から出ることは無かった。
「ですので、無駄な足掻きはせず明日の早朝に出ますから心の準備をしておいてください!」
「えっ? いや、ちょっと待ってください! そのぉー……ねっ! 聞き間違いですよね? その明日だとかって。ね?」
「安心しました。健全な耳をお持ちなようで」
「………明日」
「はい。明日です」
───この聖女様は頭がどこか悪いようだ。
彼は激しい頭痛に襲われながら思う。
仮に明日行くにしても、今は夜中だ。これから準備するには遅すぎる。
少し思い出してほしい。『サルバリノ王国に行くにも馬を走らせて十日程掛かる』のだ。これはもう覆ることの無いことだ。それをなんの旅支度もせずに出発だとか抜かしおる。即ち彼女は
───バカだったのか。
彼はようやく真理にたどり着いた。
「あのね、聖女様。それ、無理だよね?」
「何故です? 私の計画は完璧ですが?」
「いやだって、王都まで馬に乗っても十日ですよ? なんの旅支度もしてないのに無理でしょ!?」
「そこは安心してください。貴方の衣服の変えから下着の変えまで、貴方が懺悔部屋でおじ様方に口説かれている間に済ませてあります」
「…………」
彼は唇を噛みながら空を仰ぎ見た。彼の心とは裏腹に空には満点の星空が広がっていた。
───嗚呼、星になりたい。
十七歳の夏。レイル・ノヴァは同い年の聖女様にパイパンを見られ、玩具扱いされ、挙げ句の果てには何もかもをやってもらっていたことにショックを受けていた。
「なんですか急に空を見たりして…………」
悔しさに無言のまま悶える彼につられ、彼女も空を見る。そして感嘆。
「………綺麗ですね」
「………そうですね」
彼は上の空に答えた。
「…………さて、明日は早いですから鍛練もそこそこに切り上げて寝てください」
聖女様はそう言うと教会の方へ歩いていった。手前、クシュン、と可愛らしいくしゃみが聞こえたが彼には届かなかった。
「…………」
彼は先まで聖女様が座っていた切り株に座り無言のまま空を見つめた。その姿は相変わらず美しいもので、虫さえも鳴くのを躊躇う。
………。
………………。
………………………。
「………そろそろ寝るかな」
アンニュイに浸るのを止め彼は斧を担いで教会に戻った。
斧を教会の横にあるそこそこ大きな木に立て掛け、教会の扉に手を掛けたとき、中から愉しそうな聖女様の声が聞こえた。内容は彼をどうからかうかという、下らないものだったが凄く愉しそうであった。
───玩具も悪くないかな。
彼はもう暫くは彼女の玩具に甘んじることを決めたのだった。
ここまで読んでくれてありがとうございます!
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