白球と共に
桜の花がほころび始めた3月中旬。ここ、聖都学園高校でも卒業式を迎えた。野球部員たちの髪もそこそこに伸びて来て、洒落っ気のかけらもなかった生徒たちが、それなりにめかしこんで体育館に並んでいる。
厳かな雰囲気の中、何人かの女子生徒たちが既に感極まってすすり泣いている。
奈美も涙を流している。クラスを受け持っていない保健体育の教師でも、この日は特別なのだろう。特に野球部の生徒たちが壇上に上がって卒業証書を受け取る場面ではすすり泣く声が僕のところにも聞こえてきた。
みんないい顔をしている。ここで過ごした3年間…。僕が知っているのは1年だけ。けれど、それまでの2年間を彼らがどう過ごしてきたのか、彼らの顔を見れば判るような気がする。
「みんないい子たちなんだから」
いつの間にか僕の隣に居た奈美が呟いた。
「ああ、解かっているさ」
「ねえ、約束は覚えているわよね?」
「もちろん」
そう、僕はここに来て奈美と約束をした。と、言うよりさせられたのかな…。一つは甲子園に連れて行くこと。そしてもう一つは…。
その約束を果たすために僕のスーツのポケットにはあるものが入っている。僕の返事を聞いて奈美はさっきまでの涙が嘘のように満面の笑みを浮かべた。
式が終わって教室に戻る。なぜか野球部の生徒だけが見当たらない。
「奈美ちゃんのところじゃない?」
関根が教えてくれた。
「お前は?」
「俺はサッカー部だから」
夏の大会が終わった後、関根はサッカー部に戻り、冬の選手権大会で全国大会に出場した。
「野球部のせいで、みんな火が付いちゃったみたいでさ。おかげで、こっちはいい迷惑だったよ」
関根はそういいながらも満更では無いようだった。
体育教官室へ行くと、野球部員全員がそこに居た。
「お前ら、こんなところで何をやっているんだ? 早く教室に戻れ」
「いやだよ。だって、俺たちもう、卒業しちゃったからな」
僕は途方にくれた。彼らがここに居たのでは奈美とのもう一つの約束が…。
「いいじゃない! 彼らに仲人を頼んじゃえば?」
思わぬ言葉が奈美の口から飛び出た。
「監督、早く出せよ。そこのポケットにしまってあるんだろう? 指輪が」
「な、なんで?」
「そんなの解かるさ。1年間ずっと二人を見て来たんだから。俺たちだって、いつまでもガキじゃないんだぜ」
奈美が面白そうに笑っている。
「奈美、お前…」
「ほらっ、早く!」
そう言って奈美は左手を差し出す。僕はポケットから指輪が入った箱を取り出した。ふたを開け、指輪を外すと、奈美の薬指にそっとはめた。その瞬間、生徒たちの囃し立てる声が体育教官室に溢れた。
「先輩、ありがとうございます」
「もう、先輩じゃないだろう?」
「はい、旦那様!」
そう言って奈美が僕に抱き着いてきた。
「お、おい。生徒たちが見ているだろう」
「いいじゃない! だって、この子たちのおかげだもの」
「そっか…。そうだな」
奈美の肩越しに見えた2枚の写真を僕は見つめた。奈美の机の上には2枚の写真が飾られている。一枚は県予選で優勝し、凛とした顔で優勝旗を掲げている野球部員たちの写真。もう一枚は甲子園で全員、泥だらけになって笑っている写真。もちろん、どちらの写真にも僕と奈美が端の方に並んで写っている。
甲子園での一回戦は雨の中での試合だった。雨の中、みんな必死で走って、必死で守った。結果は7-8で惜しくも敗退したのだけれど、この子たちのおかげで僕は奈美との二つの約束を果たすことが出来た。
そして、僕と奈美の夢は白球と共に決して忘れることなない想い出に変わった…。