1章 イザカという男
舗装されていない道。歩けば、ザッザッと、砂を削る音が鳴る。そんな道の両側には、赤煉瓦で造られた店が、所狭しと軒を連ねていた。この街で他に見えるものと言えば、色のハゲたコンクリートの平屋と、錆びついていて、大きな門で閉ざされた大聖堂。そして、唯一豪華な建物、有権貴族のコルシュカ邸があるのみ。建物も、二階建てが最高で、二階以上に大きな建物はない。見た目は閑静だが、人の息つく生活感はしっかりと漂っており、それなりの人口もある。一部では、賑わいも見える雑多な街だ。この一帯は、山々に囲まれ、他の街とは断絶した場所に位置していた。故にここ、ワナガッカの街は、独立国という意味合いの言葉で、「イペト」とも呼ばれていた。今夜は風が強く、地面の砂が何度も捲き上る。こんな日には、建物の中にいるのが一番良い。それも、ただ1人で居るには味気ないから、どこか酒場にでも居ようかと言うのが、この街の人々の考えることである。街中で一番賑やかな中心部にある大衆酒場、ガッツェオか。女性に人気の酒場、ウィッチ・ロマンか。はたまた、一部の武器マニアが集う、ガン・デ・ポロンか、街にはこのように沢山の酒場があった。大概の店は客で満席になってる事が多い。店員を呼ぶ声やら、歌い出す男の声、どこかでは酔っ払いが喧嘩する声までも、各々店の賑わいの一部になっていた。一方で、そうでない店もあった。街の中心部から外れ、街と森の境界に在る店、イザカヤだ。席数は、他の酒場が20、30あるのに比べ、カウンター3席に2人がけのテーブル席が1つ、角にソファが1つ置いてあるだけの小さな店だ。客数も毎回1人2人程度。潰れないのが不思議だと言う人もいる。そもそも、店の名前も変わっていた。この街ではまず見かけない字で「伊左嘉屋」と表記されていた。故に街の人々の間では、「変わり屋」という意味で、バッドボーリアと囁かれていた。外観は、赤レンガでできた他の店とは違い、コンクリート造り。所々剥げた黄色の塗装が、夜の街では多少明るく見える。入り口に、ポツリと灯る小さな電球だけが、開店していることを意味していた。
「相変わらず誰も来ないな。」
店の中で、男が声を上げる。今夜はこの男しか、客はいないようだ。
「そう思うなら、アンタが客の1人や2人、連れてきたらどうなのよ」
その男に対して、カウンターに立つ店主が、嫌味ったらしく応える。
「いいんだよ、繁盛しなくても。ここの酒が美味いのを知ってるのは、少数でいいんだ。」
「あら、褒めたって何も出ないわよ?」
「分かってるって。にしても、バッドボーリアなんて誰が言い出したのか知らねーけど、俺はいい意味でバッドボーリアだと思ってるぜ?」
30代とおぼしきその男は、少年のように笑いながら言い、ワガニャック・ヴィンラーを一口煽る。このお酒は、ワナガッカの街で作られた特別なブランデーだ。その口当たりは、何とも言えぬ深い香りと、後味に残るブラックベリーの風味は、ワガニャックならでわの美味しさである。ここではマロンと呼ばれる木ノ実をすり潰した食べ物を、酒と一緒に嗜むのが売りだ。
「アタシは何と言われようと、気にしちゃいないわよ。」
「さすが、ママらしいや。オカマはハートが強いってこった」
「誰がオカマよ!身も心も女なの!」
店主であるマダム・コリシアは、ブランデーの瓶を机の上でドンッと音を立てて置き、声を荒げた。確かに彼女は女ではない。俗にいうオネエ、オカマという類いだ。バッドボーリアの由来は、もしかしたらこの店主のせいかもしれないと思う人間も、少なからずいる。
「ところでママ。イザカの野郎はどこに隠れてるか知らねーかな?」
男が、ママにそう尋ねた瞬間だった。
ー....ウゥーウゥーウーーーーー!!…ー
店の外、それもかなり離れた場所からサイレンが鳴り響いた。
「おっと、噂をすればじゃねーか」
そう言いながら、男は席を立ち窓際に寄って外を眺めた。外では、黒服をビシッと決めた男女8人が、遠くで何か叫んでいる。
「あら、あなたとよく似た格好だこと」
遠くに男女を見据えた後、ママは男に向いた。
「まぁそりゃ、俺もあいつらの仲間なんでね」
男はあくまでも他人のような口ぶりでそう言った。
「あらそう。だったらアタシの敵ね」
ママは、いつも以上に冷静に、目を細め眉間にシワを寄せ、相手を睨め付ける。
「おっと、あんたもユキアスさんを敵に回す気か?」男はおだけて言う。
「ユキアスだか、シリアスだか知らないけど、アタシは独立なんて反対よ」
マダム・コリシアは真剣な目で言い放った。
「そりゃ残念。もうここにうまい酒を飲みに来られなくなっちまった。まぁ奴もここには来てないみたいだったしな。」
「彼が目当てだったのね。あの子を捕らえるなんて絶対無理よ。」
腰に手を当て、仁王立姿で向きなおる。
「何故だ」
男の問いに、マダムは自信満々に答える
「彼がイザカ・ヴィンラーだからよ」
「だったらなんだ」
「この街には色んな力を持った人間がいるわ。差し詰めあなたも何か持ってるんでしょうけど、どうせあまり役に立たないような力なんでしょうね。」
「何が言いたい」
イライラした声色で、男はマダムに詰め寄る。
「彼の持ってる力は、あなたたち政治家のための道具じゃない!特別で複雑な力なの、彼はそれを一番理解してる。だからあの子は、絶対にあなた達なんかに捕まるなんてヘマしないわ」
「政治家ねぇ、俺らがそんな品のいい奴らに見えたなら光栄なこった。」
そう言いながら、男はマダムの口に自分の口を重ねた。
「ちょ、なにすん、、ん!?」
「俺のくだらねぇ力はこれだ。俺の口に触れたものはなんでもくっつける事ができる。」
「....んっ!!」
「まぁ俺か他のやつに口づけされりゃ、力は取れるけどな」
男は出入り口へと向かって歩く。
「せいぜい、そこで口つむってな」
扉を開けたところで、思い出したかのように言い放つ。
「あー、最後に自己紹介がまだだったな。URM所属のヴレインだ。お見知り置きを」
にこりと笑い、ヴレインと名乗った男は未だサイレンの鳴り響く街の方へと姿を消した。