第8話 変わらない物
翌日、僕は目を腫らしたまま起床した。もう昼時だった。
随分な遅刻だったが、鍛冶屋の主人は大して文句を言ってこなかった。時期的に辻馬車の組合からの馬車修理の仕事が多い事が幸いして、僕はそれほどシーナの事を考えずに、仕事に打ち込む事が出来た。
仕事が終わってから、シーナの所に行く気になれず、僕は独り、「太陽亭」で夕食を取りながら、少し酒を入れようと思った。
店は、もう随分賑わっていたが、騒がしいのが僕には返って幸いだった。僕が一番小さなテーブルに着くと、すぐにアンネッタが注文を取りに来てくれた。僕は酒を二杯と、パンとスープを注文した。彼女は少し訝るようにしながらも、すぐにもってくるね、と言い残すと、調理場へと消えて行った。
あまり良い気分ではなかった。少しでも酔えるといいと思った。
僕はまだ、新しいシーナとどのように応対していけばいいのかが解らなかった。予想よりも幾分も綺麗になっていたので、尚更、彼女にとっての自分の存在というものを見直さなければならなかった。
アンネッタはすぐに洋酒と食物とを持ってきた。忙しい時間であるにも拘わらず、彼女は小さなテーブルの僕の向かいに腰掛けると、心配そうな表情を作って、元気がないね、と言ってきた。
「今日は、シーナは一緒じゃないのね」
僕は首肯した。
「今日、シーナに会った?」
僕の言葉に、彼女はかぶりを振った。
「けれど、シーナが顔を綺麗にした、って事はケイトから聞いてるよ」彼女は、私も顔をとりかえたいなあ、と呟いた。「彼女の事で悩んでるの?」
僕は少し考えるようにしてから、小さく頷いた。彼女は、なんとなく解る気がする、と言ってくれた。
「よく、シーナと話し合う事ね」アンネッタが言った。「シーナは、確かに外見は変わっちゃったんだろうけれど、中身は元のままなんだから」
それから彼女は、私には何もしてあげられないけれど、と言って、幾らも慰めの言葉をかけてくれた。それから、二杯の酒の片方を奢ってくれた。
酒に少しだけ意識を委ねられる位になって、食事を終えて店を出ようとした時に、ケイトがやってきた。彼女はよく、独りで食事を取りに来るらしい。
彼女は僕を引き止めるような野暮な人間ではなかったが、出しなに、シーナが洋裁店に採用された事を告げてくれた。
「おめでとうをいってあげないとね」ケイトが、何時もの薄笑みで言った「それから、これからの事だけれど…」僕は立ったまま、席についたケイトに向かって頷いた。「シーナからの伝言。もし嫌じゃなかったら、夜の街が怖いから、出来るだけ毎日迎えにきて欲しいってさ」
その言葉は、僕を嬉しくした。けれど、出来るだけ表情には出さないようにして、ケイトに向かって、そうか、ありがとう、とだけ言うと、店を出た。
その日から僕は、どんなに都合の悪い時でも、売り娘の仕事を終えたシーナを洋裁店まで迎えに行くことにした。鍛冶手伝いの仕事は午後五時で終わるのに対し、彼女は午後六時過ぎまでの仕事だった。けれど、移動時間等を考えれば、それ程もてあます時間でもなかった。
迎えに行く度に、彼女は済まなさそうにお礼を行ってきた。僕は何時も、どうってことないよ、と返した。
洋裁店での売り娘の仕事というだけあって、シーナは今までに着た事もないような高級な服を纏っていた。支給されたものらしい。それがシーナにはよく似合って、ただでさえ浮き立つ容貌が、一層艶っぽく見えるのだった。
彼女と並んで帰り道を歩くと、確かにすれ違いしなに彼女を振り向く人間が多かった。彼女は、街ではちょっとした評判になっているようだった。その容姿が客引きにも役立っているとかで、給金も特別多く受け取っているという話も聞いた。
僕はそんな彼女に、度々、悋気を覚えなければならなかった。急に彼女が、自分と同じ天秤の腕には乗ろうともしない、離れた次元の人間になってしまったかのような印象を受ける事が多々あった。僕は、多分悔しかったのだと思う。自分の不甲斐無さが、彼女の権威が。美麗な彼女を隣にして歩きながら、とりとめのない事を話している時、僕は彼女の言葉を適当に受け流しながら、この娘と自分とを繋いでいるのは、最早、記憶と経験のみではないだろうか、そのような形のないものにしか接点は見出せ得ないのではないか、と思い、幾度となく気を滅入らせた。
とりあえず、僕は彼女を迎えにいける事に感謝しようと思った。これは彼女が僕に頼んだ事であるし、僕と彼女を常に繋ぎ止めておくための唯一の架橋であるような気もしていた。だから、残業で彼女を一時間程度余分に待たなくてはならない事も特に苦痛に感じる事はなかった。
時々僕は、自分はどうして今でも彼女を愛しつづけているのだろうか、と考える事があった。彼女の外見は、僕が愛したシーナの外見ではない。今の彼女を僕は非常に綺麗だと思うが、恐らく以前の顔の方を僕はより好きだろう。となると、僕が愛しているのは彼女の魂とでも言うべき精神体のような存在、まあ、つまりは、彼女の性格という事になるのだろう。僕が彼女と話している限りでは、彼女が美しい顔かたちを手に入れたからといって、性格までが変わってしまった、という事はなさそうだった。ただ、顔を換えるのは非常に困難であるのに対し、性格に関しては経験や環境によって比較的容易に変わりうる。この事は、僕を非常に不安にした。僕はなんとか、彼女が自分の容姿の事で傲慢になり、その質素な性格に変調を来すことのないように、出来るだけ多くの時間を彼女といられるようにしたかった。然し、その事を彼女に悟られないように努める事も忘れなかった。
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