第6話 シーナの記憶
翌日からは、また仕事だった。僕は普段のように、鍛冶手伝いに汗を流しはしたが、度々シーナの事が気に掛かった。彼女が綺麗になったら、どうなるんだろう、とか、彼女が金を払えなくなっても、ケイトは容赦してくれるんだろうか、とか。でも、どんな考えも、結局はその通りになってみなくては解らない事であるので、暫く悩んでからやめた。
そうして五日間、僕は色々な事に頭を悩ましながらも、喧嘩になると解っていたのでシーナとは会わずに、過ごした。僕がこれ以上説得しようがしまいが、どの道彼女は変わってしまうのだ、と、半ば絶望的な気分でさえもあった。
が、休日を前にした仕事の帰りに、僕はシーナと会った。正確には、彼女が僕を待ち伏せしていた。
彼女は少し寂しそうな表情を見せながら、言った。
「明日、暇じゃない…?」
僕は彼女が何をしようとしているのかがよく解らなかった。
「暇…だけれど」僕は出来るだけの微笑を作った。「どうしたんだい…いきなり」
僕の言葉に、彼女は、そう、と小さく漏らした。
「よかった」彼女は落ち着いた笑みを見せた。「明日、久しぶりに何処かに出かけようって、誘おうと思ったの」
僕は笑みを浮かべながらも、彼女に訝りの眼差しを向けた。
「誘ってくれて嬉しいけど・・・」僕は彼女と視線を合わせた。「随分と突然だね」
彼女は答えなかった。代わりに、両腕を腰の後ろに回して笑顔を作ると、じゃあ、明日、できるだけ早く迎えに行くね、と行った。
「お弁当、作っていくね」
僕は、ああ、とだけ返答した。彼女は少しはしゃぐようにしながら、すぐに僕の視界から消えてしまった。
翌日、シーナが僕の部屋の扉を叩く時分まで、僕は寝ていた。彼女が扉を叩きながら、名前を幾度も呼ぶのが聞こえたので、それで目を覚ました。僕は彼女に待ってくれるように話し掛けると、大急ぎで身支度をした。
僕がシーナの前に姿を現すと、彼女は少し頬を膨らませて、遅かったね、と言った。僕は適当に謝ると、並んで郊外へと歩いていった。
特に行く当てがある訳ではなかった。とりあえず街を離れて、長閑な風景の中を幾時間でも歩きたいと思った。僕も彼女も寡黙で、時折吹き付ける涼しい風に髪を絡ませた。僕は歩きながら、幾度も、彼女の後頭部や横顔、歩き続けている事で染まった頬を見つめた。彼女は、今のままでも充分に可愛いと思った。けれど、彼女はこの顔を他の物と取り替えたいという…。僕はそれが、限りなく寂しく思えた。それで、風が目に沁みる時などは、彼女を直視できなかった。
適当に歩きつかれた所で、僕等は昼食を取ることにした。舗装のされていない細い道以外は地平線の向こうに山や雲が見えるだけという大草原で、僕等は苦労して比較的背の高く生い茂った広葉樹を見つけ、その袂の日陰に二人して並んで座り込んだ。
座ってから、僕等は互いに暫く何も言わなかった。二人とも、互いの呼気の音、時々腕を動かす時に聞こえる衣擦れの音、頭上の樹の葉擦れの音、虫達の羽音、鳥の声に耳を傾けていた。
体温が幾分と下がってきて、肌寒ささえ感じる頃になって、シーナは腕に下げてきた手編みの大きな籠の中から、昼食を取り出した。僕等は、やはり黙ったまま、パンやら乳やら燻製やら豆を柔らかく甘く煮たのを食べた。
そうしてまた、風や音を感じながら、樹にもたれ掛かっていた。
「わたしね…」突然、シーナが言った。「やっぱり、顔を綺麗にしてもらう事にしたの…」
僕は、自分は彼女のこの言葉に衝撃を受けたと思った。けれど…風の所為だろうか、そういう経緯がまるで当然であるかのような気持ちにしかなれなかった。それで僕はただ、ふうん、と答えただけだった。シーナは小さく溜息を吐いた。
「ねえ…」シーナが言った。「接吻してくれる…?」
僕は、隣に座るシーナの顔を見た。彼女は安らかな笑みを浮かべていた。僕は、ああ、いいよ、と小さく呟く様に言ってやると、彼女の薄い唇に接吻した…。
彼女は、その両手で以って僕の両手を掴んできた。それから、彼女の両頬に押し当てた。
「ね…?」彼女は上目遣いに僕の瞳を覗きこんできた。「よく見て…ね…?」彼女は僕の両手から手を離した。僕は多少鼻白みながら、そのまま彼女の両頬を撫ぜ、鼻先を辿り、唇を跳ね、顎をなぞった。それから額に手を当て、そのまま彼女の瞼を閉じさせると、も一度接吻をした。僕は何か、物凄く大切な宝物の喪失を予感した。だから、少し力を込めて、彼女のトビ色の髪を幾度も撫ぜてやった。「ね…?」シーナが、瞳を閉じたまま言った。「わたしの顔…目も、鼻も、口も、髪も…よく覚えておいてね…」
僕は、ああ、と小さく呟いた。
それからもう暫く僕等はそうしていたが、やがて、来た道を引き返し、教会が午後五時を告げる前には街に着いた。
毎日、午前7時頃に更新予定です。
ブックマーク、レビュー、感想を頂けると、とても励みになります。
普段はボカロPをやっています。
twitter:BoPeep_16
※無言フォロー歓迎です
こちらの小説も是非ご覧ください。↓↓↓
「少女になったボクは、少年になったキミに恋をする」
http://ncode.syosetu.com/n5689dl/