第1話 シーナの事
シーナは、器量好しではなかった。だからといって、不器量という訳でもなかった。容貌という観点から彼女に就いてを述べるのならば、平均的な容姿の少女、という言葉が該当するだろう。とりわけ目が大きい、とか、鼻の筋が通っている、という偏りはなく、全体的に、そこそこに美しい、可愛い、少女だ。だから、僕は彼女が、例えば街の酒場の歌姫であったり、娼家の看板娘であったり、饗宴の席で幾人もの男達に言い寄られるのを如何にも慣れた風にあしらったりするのを、想像できないし、する必要もないと思っていた。彼女は服装の趣味もどちらかと言えば地味な方であるし、機織小屋の織り娘として稼げる給金ではその控えめな顔貌を補う程に派手で豪奢な衣服を纏う事は不可能でもあった。街中を歩いていても、愛らしさに誰かが溜息を吐いて振り返る、という事の決してない質素さ。それが、彼女だ。そして、それこそが、僕が彼女の事を愛しく思う理由でもある。彼女は、十台半ばという年齢にして、危うさや移ろい易さを持たない。彼女は凝り固まった形式や良識に従う事を心得ており、分限を超える事への慎重さも備えている。彼女は自分の所作によって他者に何かしら負の感情を呼び起こす事を何よりも嫌悪し、自分が被る悪事に関しては凛として受容しようとする。彼女は誰よりも落ち着いており、誰に対しても寛容なのだ。
そんな彼女が、時折、歳相応の子供らしさを覗かせる事があった。それは、例えば彼女が姿見の前に立っている時だった。彼女は自分の背丈ほどの鏡に顔を近づけ、憂鬱そうに自分自身と向き合いながら、呟く様に言った。
「わたし、自分自身の置かれている境遇に対しては、出来るだけ多くを認めて行こう、受け止めていこう、と思っているのよ」彼女は僕の方を向いて、続けた。「稚さい頃から父さんも母さんもいない、という事にも大きな不満を抱いていないし、織り娘の高くないお給金にも満足しているもの」
「何を言いたいんだい?」
僕が微笑を浮かべた目尻で、出来るだけ低い声で訊ねてやると、彼女は少しだけわざとらしく、困ったような、苦悩しているような表情を造った。
「例えば、この鼻」彼女は自分の鼻を、右手の人差し指で軽く押さえつけた。「もう少し、目が大きければ、とか、唇が厚かったら、と思うの。だって、そうすれば、この鼻だって少しは小さく見える筈だもの」そして、ううん、違う、と独り言の様に、トビ色の髪を絡ませながらかぶりを振ると、今度は自分の目を指した。「目が大きければ、もう少し顔が小さく見えて、鼻も相応の大きさに見えるのかもしれない。雀斑がなければ、お肌がもう少し明るく見えるだろうし…」それからまた、姿見と、小鳥の様に首を突き出して睨み合いをしながら、「わたしの両目って、鼻筋に対して少し歪んでる…」などと呟いた。
「だからって…」僕が彼女の背中に言った。「どうすることも出来ないだろう? だったら、悩んだって仕方のない事だよ」
彼女は少しだけ悲しそうな顔をして、僕の方を振り向いた。
「だから、絶望的なのよ…。他の事は薄幸でもいいから、もう少し綺麗な顔が欲しかったな」
僕にはとても、彼女が今以上の容姿を求める理由が解らなかった。ちっとも美人ではないけれど、愛くるしい彼女の顔を僕はたまらなく好きだった。だから、こういう時は彼女を軽く抱きしめながら、その耳許に、僕は今の君の容姿を一番好きだよ、と囁いてやるのだった。
そんな彼女の十六の誕生日が近づいたある日、彼女の許に、洋裁店での売り娘をやらないか、という話が舞い込んできた。どういう経路を辿って肉親の居ない彼女の許に来たのかは詳らかには解らなかったけれど、どうやら、同じ機織小屋で働いている中年代の織り娘からのようだった。彼女はその話を受けると、直ぐに僕のところに相談にやってきた。彼女は不安そうな表情を浮かべたまま、少し焦ったような口調で話した。
「先方はわたしの事を何も知らないの」彼女が言った。「若い女性の売り娘を募集しているみたいで、わたしに応募してみたらどうかって…」
僕には、彼女が何が不安なのか解らなかった。洋裁店で売り娘をやるのだったら、機織小屋で織り娘をする数倍の賃金は期待できるだろうし、街に頻繁に出入りする事も出来るようになる。
「売り娘をやりたい、という気持ちはないのかな?」
僕が訊いた。彼女はかぶりを振った。
「やりたいと思ってるよ。お洒落な仕事だし、お給金もずっといいみたいだし…それに、今の機織の仕事を何時までも続ける心算はないの」彼女は俯いた。「でも、わたしなんかでいいのかな、って思うの。わたしみたいな不器量な娘が、姿形に関する物を扱う店で使ってもらえるのかな…て、不安に思って」
僕にはなんとなく彼女の気持ちを理解できたけれど、あまりにも自己不信であるようにも感じた。確かに彼女は美形ではないけれど、だからといって採用されないような醜女とは到底思えない。それとも、彼女は採用された後、店で働く時の事を言っているのだろうか? どの道、実際に仕事をしてみないと解るものではない。
僕は、とりあえず応募だけしてみて、先方の話をよく聴いてから決めればいいんじゃないか、と提言した。それで彼女も少し落ち着いた様に首肯し、畢竟、洋裁店まで採用の手続きを取りに行く事になった。
僕は彼女に付いていかなかったが、洋裁店から戻ってきた彼女の表情はなんだか強張っていた。随分緊張したのだろう。
「次の休日に、面接に来て下さい、って…」彼女は俯いて言った。「どうしよう、凄く大きなお店だったの。ううん、それだけならいいんだけれど…」彼女は僕の顔を、何かを懇願するような眼差しで見詰めてきた。「やっぱり、わたしみたいな地味な娘は売り娘が務まらないんじゃないかな、って思ってしまったの。だって、店員さんたち、皆、綺麗な人たちばかりで、服の着こなしもなんだか恰好よくて…兎に角、わたし、一人だけ浮いてしまう感じなの」
返す言葉が中々見つからなかった。そんな事はないよ、と無責任な言葉で彼女を宥めたくはなかった。それで暫く彼女を心配そうに見つめてから、自信がないのだったらやめておけばいいよ、と言ってやった。
「もう面接を受ける、って約束はとりつけてしまったの?」
僕の言葉に、彼女は頷いた。
「だから、今更断る、っていうのもなんだか…」彼女は言葉を切った。「ねえ、わたし、一人で不安なの…面接の日、店の前まで付いてきてくれない?」
僕もなんだか不安になってしまったけれど、少しでも役に立てるのなら、と、承諾してやることにした。彼女は少し嬉しそうな顔を見せたけれど、それでもなんだか心配そうだった。
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