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アルカンシエル  作者: 下弦 鴉
最終章 ユネプロミス―約束―
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69、美シイ世界

 虹色に輝く階段を上っていく間、俺達は無口だった。

 黒に近い灰色の空間を裂くように、ひたすらに上へと階段は続いていた。上り始めてどの位の時間が経っているのか分からないけれど、かなり上っているはずだ。下を見ても上を見ても果てしないこの空間で、無口になるのも仕方ない事なのだろうか。


 ただし、無音という訳でもない。一歩、また一歩と歩みを進める度に、シャランシャランと澄んだ音が鳴るからだ。階段もそれに合わせて、足を置いた所から外へと波紋のようなものが生じていた。それはとても綺麗で、あまりにずっと下を見すぎて、階段から足を踏み外しそうになるほどだった。そういう時、ヴィオロシィは俺の手を強く引いて、正しい道へと返してくれた。そして、こう言うんだ。


 『本当に帰りたいなら、心、奪われちゃダメ』


 妖精界に捕らわれてしまう。そう、彼女は悲しそうに言うんだ。きっと、まだ心の中でソラさんを想い、代わりになる俺と妖精界で暮らしたいと思っているからなんだろう。けれど、ソラさんの残した言葉の真意を考えて、俺を人の世界へ帰した方がいいのかもしれない、なんて考えているんじゃないかと、俺も精一杯頭を使って考えていた。


 声をかけるべきなのか。じゃあ、なんて声をかけるべきなんだろうか。「心配ないよ」。「俺を帰す気はある?」。考えたら余計に分からなくなった気がする。

 もし、ソラさんだったらなんて言葉を選び出すだろうか。「大丈夫だよ」。それとも「信じてる」とかだろうか。果てない悩みが悩みを産んで、俺の頭の中で増殖していった。

 気の利いた事を言おうとすればするほど、ぬかるみに足をとられて身動きができなくなった。もがけがもがくほど絡み付いて、抜け出そうとしても上手くいかなかった。

 「……そうだ、ヴィオロシィ」

 不意にふわっと浮かぶ。ぬかるみにはまった片足がすっと抜けて、硬い地面を踏みしめる。

 「君に何度も妖精界コミュナット・フェリップに誘われてる時に、声が聞こえたんだ」

 少し後ろを振り返った彼女は、話の続きを促すかのように静かに頷いた。

 「柔らかくて優しい、聞き覚えのある声なんだ。その声が聞こえるとね、心があったかくなるんだ」

 愛してる。そう言ってくれた声は、今もよみがえってきては俺の心を包み込んでくれていた。

 「その声は、たぶん母さんだと思うんだ」

 「ソラの死んだ、お母さん?」

 「……ズバッとそう言われるとちょっとキツいなぁ。だけど、そうだね」

 「死んだ人、声、出せない」

 「うん。だけど、死んでないなら話は別だよ」

 あからさまに何を言ってるのか理解できない顔で、ヴィオロシィは俺をみつめた。

 「ソラさんが言ってたよね。『誰かの心に魂の欠片を渡すんだ』って。母さんも、俺の心の中に、その魂の欠片を渡してくれたのかもしれない」

 「けど、いないもの、いない」

 「うーん、なんて言えばいいのかな……。ソラさんなら上手く言ってくれそうなんだけど」

 なかなか抜け出せないもう片方の足が、ぬかるみの中へ沈んでいく。懸命に地面の足は踏ん張って、這い上がろうとその全ての力を注いでいた。

 両親は昔死んだ。それは、覆す事のできない事実だ。けど、確かにその『存在』を感じる。今まで気付かなかったのが不思議なくらいに、とても身近に母さん達を感じた。柔らかい笑顔と、優しい香り。空に流れる、ほわほわとした雲のような暖かな気配。

 「俺にも良く分からない」

 ぬかるみでもがいてももがいても、答えが出ない。それって、いけない事なんだろうか。

 「良く分からないけど、俺の中に確かに母さん達がいると思うんだ」

 もがくのをやめてみる。すると、足は案外簡単にぬかるみから抜け出す事ができた。

 「俺の中で生きてる。死んでしまったけど、確かにここにいる」

 胸の辺りに手を置く。トクトクと自分の鼓動を感じた。生きている証。今ここにいるのは、紛れもなく『俺』だ。

 硬い地面を踏みしめた。どろどろに汚れた体で、真っ直ぐ前を見据えると、眩しい光が俺を照らしていた。きっと眩しくて、眩しすぎて気付けなかった光。俯いて下ばかり見ていたから、いつの間にかぬかるみにはまってしまって。それでも抜け出せたのは、大切なその光のおかげなんだ。

 「姿、声、なくてもいる?」

 不思議そうにヴィオロシィは言う。

 「触れられない、届かない。それでも、いる?」

 「うん。触れられないし、この手は届かない。だけど、今を生きている俺が想い出せば、ずっと母さん達は傍にいてくれるよ」

 いつの間にか立ち止まっていた俺達は、しばらく見つめ合った。すみれ色の綺麗な瞳だ。この瞳から悲しみが消えれば、もっと綺麗に輝くだろうなぁ。

 ヴィオロシィは色白の手をそっと胸に当てていた。その瞳を閉じると、深く息を吸い込んで、それからゆっくりと吐いた。それを何度か繰り返すと、わずかに微笑んだ。

 「ソラ、見える。笑ってる。幸せそう、私、嬉しい」

 「うん」

 今度は寂しそうに眉を寄せた。

 「ローグ、泣いてる。私、彼女、苦しめたから」

 「そっか」

 「ウネビガラブ、ジャウネ。私、怒ってる。いつも悪いの私」

 「……」

 「ブルゥ、ブルゥプロフォンド、ベート。心配してる。私のために」

 「みんな、ヴィオロシィが大切なんだよ」

 胸元で小さなこぶしを握り締めて、ヴィオロシィは口をへの字に曲げた。

 「ソラ、言った通り。みんな、ここにいた。私、気付かなかった」

 再びすみれ色の瞳を現して、彼女は俺をしっかりと見た。くっきりとした輪郭、神秘的な紫の奥で、何かがはじけて輝いていた。

 「ソラ、私、いるべき場所違う。それぞれに、大切な人、いる」

 「うん」

 「だから、ソラ。ソラ、寂しくない、辛くない。私も、同じ」

 口元が不器用に上へ上へと上がる。ギギギと錆びた音が聞こえてきそうだ。

 「分かった。みんなの言う事。分かった」

 寄った眉が離れていく。優しい光を取り戻した瞳が、優しく笑いかける。ヴィオロシィの笑顔は、本当に綺麗だった。




 今まで見ようとしなかったものは、自分の嫌な所。

 今まで目をそらし続けた理由は、嫌われるのが怖かったから。

 今まで気付けなかったのは、自分が誰よりも弱々しかったからだ。

 ソラもローグ達も、私より強い。だから、私を支えてくれて、答えを教えてくれた。ずっとずっと知りたくて、ずっとずっと耳を塞いでいた事を、そっと優しく教えてくれた。

 こんなにも簡単に彼らを感じられる。手を伸ばせば触れられそうなくらい近くに、そのものを感じる。人も妖精も、きっと心にずっといる。離れていても、いなくなっていても、私が望んだ時に、傍にいる。

 実際にはいない。だけど、暖かい。ずっと傍にいるのに、失われない暖かさが支えてくれてる。だったら私も、彼らの支えになってみたい。彼らの心に居れるように。


 リン


 不意に階段の音が変わる。階段はまだ続いているが、そこで足を止めた。ソラも足を止めると、不思議そうに私を見上げてきた。

 「入り口、ついた。ソラ、下がってて」

 2,3段ソラは階段を下ると、これでいいか? と首をかしげた。頷いて返して、もう一度入り口を確認した。


 リーン


 妖精しか入れない階段の綻びに、妖精界コミュナット・フェリップの入り口はある。あとは合言葉をささやくだけでいい。

 「小さな光よ(ペティテ・ルミアー)、永遠へ導け(メネゼエラ・アイモートゥルテ)」

 徐々に続いていた階段がほどけて消えていく。解れた階段はやがて大きな扉へと形を変えていった。古い洋館の扉のようなそれは、まるで生きているかのように、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫へ色を変えていく。虹の妖精が通る、妖精界への扉がそこに出現した。

 「うはぁ……」

 間の抜けた声、思わず笑ってしまうと、ソラもそれに気付いて笑った。

 「この先、妖精界。ソラ、来ちゃダメ。魅せられそうになったら、私、止める」

 「うん、ありがとう」

 変わらない事はつまらない。何か変化があってこそ、生きている価値が産まれる。永遠を生きるのなら、少しずつ違う方がきっと楽しい。だから、必ずソラを人間界に帰そう。




 ヴィオロシィが大きな扉の、鳥の羽のような取っ手を掴むと、重そうに両手で引っ張り開けた。眩しい光が漏れ出してきて、思わず両手で目を覆う。光が弱まり、両手を下げると今まで見た事もない世界が広がっていた。

 金の粉を振りまく蒼い蝶。そよ風にあおられる風鈴のような美しい色とりどりの花に、星を散りばめたかのように輝く草。天高く何かを求めて伸びる巨木。白銀に輝く鳥達が、澄み渡る青空を舞う。地平線から流れる沢は、水あめのように透明で滑らかに妖精界を歩んでいた。

 「綺麗だ……」

 見惚れるとはこういう事なんだろうな、と思った。ずっと見ていても飽きが来なさそうで、自然と足が前に進んでいく。もう少し、あと少し見ていよう。そう思えば思うほど、引き込まれて心を奪われる。

 「――! ――ラ! ダメ、ソラ!」

 ハッと我に返ると、俺の胴の当たりを抱きしめて、扉から遠ざけようと押し返す少女が懸命に俺の名前を呼んでいた。

 そうだ、魅せられてはいけないんだ。目の前に広がる美しい情景から目を逸らし、激しく頭を振る。そうすれば、これ以上前に進まなくて済むような気がした。

 「……止めてくれて有難う、ヴィオロシィ」

 扉を背にして、感謝の言葉を述べても、彼女は俺を抱きしめたまま動かなかった。

 「ヴィオロシィ?」

 「忘れないで欲しい。ずっと、私、忘れないで欲しい」

 掌に爪が食い込むほど強く彼女は拳を握る。分かったといっても、離れるのはきっと寂しいんだ。

 「うん、忘れない。ヴィオロシィもこの景色も、ソラさんも。『約束』する」

 「うん」

 『約束』すれば、きっと君の支えになれると思った。小さな灯火でいい、そこに在れるなら。

 「……帰ろっか」

 背中で、ヴィオロシィが頷くのを感じた。


次回、『アルカンシエル』完結!


……とても完結の前に「堂々」なんてつける事ができませんでした。えぇ臆病者ですとも。常に怯えていますとも。


本当はこの話で終わるはずでした。だけど、ちょっぴり伸びました。本当にちょっぴり。

なので、あと一話、この虹の物語を愛でてくださいましたら幸いです。

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