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アルカンシエル  作者: 下弦 鴉
最終章 ユネプロミス―約束―
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66、異ナル声ハ彼ヲ導ク


 リーーーン


 ヴィオロシィの掌で、その鎖が断ち切られた時、美しく響いた音と主に白い世界は形を失っていった。潰れ、曲がり、絡み、混ざり合って、上も下も右も左も分からなくなった。離れないようにと俺達は強く手を握り合い、形を変えていく世界の中で揺れていた。地面だったはずのものは、とうに消えていて、何もない暗闇が支えているかのように下にあるだけだった。

 不安定な世界の中で、ローグ達も必死に俺達の服や髪にしがみついていた。相変わらず言葉はないが、何かしようとしている事は良く分かった。

 「……」

 声は確かに聞こえない。だけど、口はしっかりと動いていた。ここから抜け出すための呪文だろうか。その間にも世界は崩れて、白かったモノ全てが闇に飲み込まれて暗く染まった。俺達だけが色を持ち、存在としてそこにあり続けた。

 『私、妖精だから』

 闇の世界で、ヴィオロシィの声が響いた。その刹那、眩しい一筋の光が俺に降りかかった。

 『大丈夫、ソラ。ソラ、ソラ、ソラ―――』

 狂ったように、ただただ俺の名前を繰り返す。少し怖くなって、繋いだ手を強く握った。いや、繋いでいたはずの手を、握ろうとしたんだ。

 「―――!」

 声も出したつもりだが、闇に吸い込まれてしまったのか、俺の耳には届かなかった。辺りを見回すが、人らしい形を見つけられない。ローグ達さえ見つけられなかった。

 何度叫んだ。何度も何度も何度も、愛しいあの人達の名前を。

 あぁ、独りきりにしないでくれ。

 必死に彼らの形を探して、彼らの声が聞きたくて、ただ叫び続けた。


 ―――何のために?


 ふわっと浮かび上がった疑問が、俺の記憶を掻き乱した。

 『消えてしまえ』

 冷たく抑揚のない幼い声が、乱れた記憶を潰していく。

 やる気のなさそうな顔をした男性を。黒い霧の中に浮かぶ、紅い瞳を。豪華な服に身を包んだ女性を。


 ―――僕ノ記憶ヲ、壊サナイデ。


 これは誰の声だ? 分からない。自分の声か? いや、違う……のか。分からない、分からない。助けて……。

 『大丈夫、私、いる』

 誰かの声がした。そしてその声は優しかったが、やはり自分の中の記憶を潰していく。目の前で握り潰されているわけでも、踏み潰されているわけでもないのに、『潰されている』という事実だけをやけにはっきりと頭が理解していた。


 どんどん、潰していく。どこか自分に似た、悲しそうに微笑む少女の姿。


 嫌ダ……


 潰された脆い記憶が、パリンと悲鳴を上げる。さらさらと風に髪をもてあそばれながら佇む、スラッとした彼の背中。


 嫌ダヨ……


 護れない記憶達が色を失う。子犬のような瞳に涙を湛える彼女の顔。


 嫌ダ……!


 吐き気がする。体の中に何かいるみたいで気持ち悪い。立っている事すら辛くなって、崩れるように膝をついた。その足場も不安定で、ぐるぐると濃さの違う闇色がうごめいていた。

 『ソラ、こっちおいで』

 記憶を潰す幼い声が、その闇色の中へと誘う。

 『怖くない。心配しないで』

 歪みうねった世界で、その声だけが届く。


 ―――ダメだよ。君はこっちに来るべきじゃない。


 渦巻く闇色へ手を伸ばした時、聞き覚えのない声が俺を制した。

 誰? 君ハ俺ヲ知ッテイルノ?


 ―――僕は君を知っているよ。君は知らないけれど、僕は君と同じ魂だから、僕は知ってる。


 同ジ魂?


 ―――そうだよ、だから繰り返しちゃいけない。


 何、ヲ?


 同じ過ちを。


 やけにはっきり聞こえた声が、闇の中に光を差した。

 『ソラ? おいで、こっち』

 幼い声が、言葉に従わない俺を呼んだ。


 そっちはダメだ。戻れなくなる。


 声が力強く俺の体を引っ張った。ずぶずぶと闇の中へと沈んでいた俺の体に、砕けて欠片となった記憶が絡まって、光を失って黒く輝いた。真っ直ぐへ俺へと降りそそぐ光が眩しくて、片手で光をさえぎる。目を凝らしてみれば、上へ上へと上がっていく灰色の階段が見えた。くすんで見えるその階段は幻のように見え、一直線にひたすら上に伸びていた。

 「こっちへ、行けば良いの?」

 なんだか頭がボーっとする。誰に何を問うといるのか、自分でも分からない。自分がこんなヘンテコな場所にいる理由さえ思い出せない。だけど言葉に従って、震える足で立ち上がる。力がまるで入らなく、立ち上がっても数歩進むとよろよろと膝をついてしまう。それでも、どうしてもあの光の先へ行きたいと思った。あの階段を上った先にあるものを、この瞳に映したいと思った。「行きたい」と強く、強く。

 『違う! ソラ、こっち!』

 頭の中で声が響いた。闇へ導く、幼い声だ。耳を塞いでうずくまる。聞きたくない言葉が、容赦なく俺を攻め立てた。

 『ソラ、あの世界いるべきじゃない。ソラ、辛い事ばかり。痛い、痛い、痛い。そればっかりでしょ?』

 確かそうだ。変なモノが視えるからと石を投げられたり、存在が邪魔だと痛い事ばかりされていた。痛いのは嫌だなぁ。

 『あの世界、ソラ求めてない。いたずらに、ソラ、傷つけてるだけ』

 非難中傷、それは俺に向けられるだけなら良い。だけど、……なんだろう。誰かの顔がもやがかかってはっきりと浮かんでこない。名前も声も朧で、今にも風に吹かれて消えてしまいそうだ。

 『大切に思ってくれる人、大事にしてくれる人。そんな人間いない。ソラ、私だけだから。私も、ソラだけだから』

 いくつか浮かぶ顔がある。いくつか優しい思い出がある。いくつか思い出したい事がある。迷いが煌めき、真意は翳る。

 『行くべき場所、人間界違う。妖精界コミュナット・フェリップ、ソラの居場所』

 『ソラ』の居場所。『俺』の居場所。『僕』の居場所。それは、誰かに決められてしまうものなのか? いや、決めてもらった方が認めてくれているという事になるだから、それでいのかもしれない。


 意志を強く保つんだ。負けちゃいけない。君は、僕のようになってはダメだ。


 声が告げる。二つの声は常に異なり、相容れない。来いと幼い声が誘えば、ダメだと別の声が告げる。その逆もまたしかり。ぐるりくるり、ふわりひらり。優しく、厳しく、そしてどこか冷たく、二つの声は響き続ける。俺は、耳を塞ぐ事しかできない。言い争いから逃れるように、自分の殻に閉じこもるために。



 ――、――、そしてソラ。貴方を、心から愛してる。ずっとずっと、想ってる。



 愛しい人の、恋しい人の声。覚えてる、優しくて暖かい、柔らかい声。


 光が強くなる。闇が薄れていく。無が有に変わる。声は姿に形を変える。俺は変わらないまま、階段と人と人の子の間でうずくまっていた。まるで、何かに懺悔するかのように。

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