62、戸惑う心に救いの手
『さよなら』が一番嫌いだ。
数ある言葉の中で、この言葉が大嫌いだ。
どうしても好きになれない、別れの言葉。
別れも『さよなら』も、この世界になければいいのに。
そうすれば、きっと。きっと―――
*
またいつの間にか眠ってしまった俺が目覚めた時、紫の子は寝ていた。猫のように丸まって、すぅすぅと寝息を立てているだけならば、かなり可愛いのに。往生際の悪い手が、俺の服をなかなか離してはくれなかった。起こさないように丁寧に指を解いて、服の裾を開放してもらった。随分伸びてしまったけど、まあ仕方ない。
そっとその場を離れて、壁沿いを歩いてみる。どこにもドアや窓は見当たらない。壁の感触も一定で、隙間はなさそうだった。まるで箱の中のおもちゃの気分だね。
部屋を一周し終えて、深々とため息をついた。ないと分かっているものを探すのは、案外精神的にキツい事だった。
出口がないなら造れば良いなんて、某王妃みたいな事は言わないで欲しいなぁ。この空間の外が、俺達のいる世界とは限らない。ほら、よくあるじゃないか。異次元だとか、時空の隙間だとか。そんなものだったりすると、人間である俺には何も出来ない。陰陽道も関係ないし。
「お?」
始めに言っておこう。俺が見つけたのは出口じゃないッス。テーブルの上に何かあるんス。
俺は見つけた不思議な玉に恐る恐る近付いてみた。爆発されたら困るから、触ったりもしないよ。
「綺麗だなぁ」
見た目は大きなガラス玉。土星みたいな輪っかが2つクロスしている。見る角度を変えれば、色も変化する。俺から正面に見れば濃い青に、左に動けば明るい緑に、ぐるっと後ろに回れば、玉は無限に美しい色で輝いた。
これが何なのか分からないけど、強い魔力を感じる。ローグとかが使う魔法の感じに似てるかな。という事は、紫の子が作ったんだろうな。何のためかは分からない。とりあえず放置。
「さて、どうしたものかなぁ」
なぜ、自分が外に出たいと思っているのか分からない。帰りたいと思っている事自体、自分自身で理解不能だ。俺の事を知らない人の所へ帰って、何になると言うんだろう。
突っ立っているのもただ疲れるだけなので、真っ白なソファーに思い切りダイブしてみた。ふんわりと包み込むクッションの感触が気持ちいい。顔をうずめると、ほのかに甘い香りがした。
「……母さん」
これが引き金になったのか、一気に家族の思い出がこみ上げてくる。長い間一緒にいられた訳じゃないのに、こんなにも思い出はあったのか。悪い事も良い事も全て、俺はこんなにも覚えているものなのか。
……あー、なんだか感傷に浸りそうだ。今、俺が帰るべき場所はない。だけど、帰りたい場所が確かにある。そんな矛盾。
「……帰りたい、か」
思った事を口に出して繰り返してみた。何も変わる事がないのは分かってる。でも、言葉に出せば真実に変わる事もある。言霊、言霊。言霊の力はすごいんだぞ。
気を他の事へ逸らそうとしたけど、今はもう何の繋がりもないその人達を思い、胸が苦しくなた。俺は1人になりたくないと願ったのに、今が一番孤独な気がする。気が効く妹も、親友の彼も、暴力的な彼女も、今の俺に繋がる事はないんだ。意地悪なおじさん達も、俺の存在なんて忘れているんだろう。桜井先生は心配要員が減って落ち着いているだろうな。
俺1人いなくなったって、あの人達の日常に変わりはない。いつも通りに暮らして行くだけだ。
たった1人くらいなら、俺みたいに、いてもいなくても変わらない存在なら、消えても世界は変わらない。変わるのは、俺の世界だけだ。あの笑顔の傍に、俺はもういられないだけなんだ。
それならなぜ、帰りたいと思ってしまうんだ? 消された記憶は戻らない。それなのに、もう一度俺が願うあの関係に戻れると思っているのだろうか。また、あの笑顔に囲まれる事が出来るって。
しかしそれは、ただの俺の願望でしかない。戻っちゃいけないんだ、あの人達の所には。
「戻りたいなぁ……」
言葉と想いが一致しない。頭では分かっているつもりでも、ちゃんと心が理解してない。心はみんなの所へ戻る事を願ってる。でも、頭はあの子と一緒にいる事を考えてる。どっちが正しい俺の気持ちかは、はっきりしている。けれど、それは望んではいけない事で……。
「うぎゅっ」
抜け出せないループに陥っていると、急激に背中に重みが加わった。頭を精一杯動かして、見上げるように重みの正体を見た。
「ソラ、なんで泣く?」
「え?」
「幸せ、違う?」
紫に潰されながら、動かせる右手で目元を拭った。そして、さらに目から零れ落ちる何か。いつの間にこんな液体流れ出してきたんだ? て言うか、この子はいつの間に起き出したんだ。
「泣かないで」
俺の涙を拭って、紫の子は不満そうに眉を寄せた。初めてこの子が表情を変えるところを見た気がする。
「ソラ、私、いるよ」
「……うん」
そうだよ、この子がいればいいだろ。俺を1人にしないと『約束』してくれたこの子がいれば、それだけでいいだろう? 何が不満なんだよ。教えてくれよ、『有澄ソラ』。
「気配、する」
「くぎゅ!?」
背中の上で思い切り体重移動をされ、背骨に膝がクリティカルヒット。痛いどころの問題じゃなくて、また別の意味で涙が出てきた。
「……渡さない」
「はい!?」
何を思ったか、紫は突然ソファーに寝転がっていた俺を引きずり降ろし、部屋の隅までそのまま引きずっていく。す、すまないが、首が、首が絞って……!
「彼に女神の祝福を」
俺はベッドに放り投げられて、彼女が何やら呪文を言うと、青白い膜が俺ごとベッドを包み込んだ。近付いて触れてみると、静電気のように指が痺れた。手で触れてみても、弾かれる感触がある。つまりは、ココを出るなって事か。
「風よ。我を護る盾となり、敵を貫く矛となれ」
彼女が突き出した右手に銀色の風が集い、鋭い槍の形へ変わる。横に斜めに出した左腕には深い青の風が集い、全身を包み込むような盾になった。どちらも風が絶えず渦巻いて、この世の物とは思えないほど美しかった。それを持っているのが、質素なワンピースの女の子なんだから不釣合いにもほどがある。それに、こんな重装備でどんな相手を迎え撃つつもりなんだろうか。
部屋の一角が少し歪んだ。ちょうど、あの子の目の前だ。白い壁が均一性を失い、無様に歪んでいく。渦巻き、溶け出し、穴が開く。虹色の空間が開け、予想外の人物達が飛び出してきた。
「……!」
思いがけない出来事で、喉が詰まった。呼びたい名が、叫びたい言葉が、喉で出してくれと必死に要求してくる。
「お、おも……」
下敷きになっている、あの栗毛を俺は知っている。
「ご、ごめん。今すぐ退くから」
慌てている、あのサラサラな髪の持ち主を知っている。
「ま、わ、私が最初に退きますから!」
可愛らしいあの子を、俺は知っている。だけど、『俺が』知っているだけで、彼らは俺の事なんて知らないはずなんだ。記憶から消されて、俺の存在を忘れているはずなんだ。
「……ローグ」
紫は仲間の名前を口にする。人間達のように、無様な登場をしなかった彼女達は、真っ直ぐに紫と向き合っていた。
「ヴィオロシィ、ソラ様をご返却していただきますのよ」
「おい、青年を物扱いか」
「見た目によらずひっでぇ事時々言うよな」
「そ、そんな意味ではありませんの!」
「はいはい、お間抜けさんは下がっていましょうね」
「お間抜けさんじゃないんですの!」
「今は、左様な事申している刹那ではないであろう?」
「……ヴィオロシィ、ボクらは君を止めに来た」
積み重なっていた人達が、真っ直ぐに立ち上がり、その周囲に妖精達は集まっていた。誰も彼も、ほんの少しの間会っていないだけなのに、とても懐かしくさせた。
「ソラにぃは」
「ソラは」
「有澄は」
『絶対に渡さない』
次回は航平先生作『アラヨット』とのコラボ回になります。
正直、グダグダだと思います。とってもダメダメだと思います。ネガティブでs(黙れ
そして、航平先生に大変申し訳ないのですが、今回のコラボは2話構成となっています。なぜなら、最終話ができてしまったからです。
と、言う事は、本編はあと5話ほどで終わると言う事ですね。なぜ数字が曖昧なんだって? それは確かな数を覚えてないからです(オイ
最終話に近づいている事を、最終話を書き終えて気付かされた自分ってダメ人間。それまで、緊張の糸がぷっつり切れないように気を引き締めて誤字脱字の点検をして参ります。それでもあるのは作者が馬鹿だから。
長くなってしまいましたが、これにて失礼させていただきたいと思います。本編はあと数話、コラボ回と共に最後までお付き合いよろしくお願い致します。