61、想うが故に
翌朝、おばさんに友達の家に行くと言って家を出た。連休を使って勉強をするんだと言ったら、「頑張ってね」と笑顔で送ってくれた。
そうして、ガラス細工を持って、再び波月さんの家に来た。ヴィオロシィを見つけて、ソラにぃを取り戻すために。
「いらっしゃい」
笑顔で出迎えてくれた波月さんは、周りの人の目から庇うように寄り添って歩いてくれて、なんだかドキドキした。
「今日は俺の部屋の近くに、誰も来ない様に言ってあるから、いろいろと安心できると思うんだ」
「そ、そうなんですか。有難うございます」
「いえいえ」
ニコリと笑う波月さん。昔から思うんだけど、波月さんは男として完璧な人だと思うのよね。高城君みたいになよなよしてないし、ソラにぃみたいに馬鹿じゃないし。モテて当然なんだけど、やっぱり家柄のせいで近寄ってくる人は少ないみたいで、ソラにぃや矢吹さん以外の人と話して笑っているところをあまり見た事がない気がした。
「さて、今日は何をすればいいのかな?」
「ひゃい!?」
「! ど、うしたの?」
綺麗な横顔に見とれているうちに、どうやら波月さんの部屋についていたらしい。ずっと顔を見ていたものだから、急に話しかけられると、あれよ。気まずい事この上ない。
「大丈夫?」
「はい!」
元気良く言って、なぜか敬礼をする自分。苦笑いすると、波月さんは笑顔で返してくれた。
「……えっと、どうするんだっけ?」
右側に浮いているブルゥに助けを求めると、呆れたようにため息をついてから言った。
「ガラス細工とお守り、貸していただけますか?」
「うん、構わないよ」
ウネが波月さんからお守りを受け取り、私はジャウネにガラス細工を渡した。
「手放していても、しばらくはソラ様の事は忘れませんので、大丈夫ですのよ」
「う、うん」
私の震える右手に気付いたのか、ローグは優しくそう言った。だけれど、不安にならずにはいられない。私がもしソラにぃを忘れてしまったら、ローグ達も見えなくなり、もう本当に何も出来なくなってしまう。矢吹さんはまだ覚えているらしいけど、非協力的だと言っていた。矢吹さんだけとの繋がりじゃ弱すぎて、ソラにぃを妖精界に連れて行かれてしまうかもしれない。そしたらもう、逢う事は叶わない。
「……これが、最初で最後の賭けになります」
部屋と廊下を隔てる障子を開けたブルゥに、ウネウネコンビがついて行く。その後姿だけで、私達にも緊張感が伝わってくる。具体的に、何をするかは聞いていない。だけど、成功すればヴィオロシィのいる所へ行けると聞いた。
「なるべく離れていてくださいですの。そんなに危険はないと思いますけど、念のためなんですの」
「分かったわ」
ローグ達が部屋を出て行くと、私と波月さんは部屋の隅まで下がった。まだ震えが止まらない私の手を、波月さんが力強く握ってくれた。波月さんも心配なんだろう。少し、手が震えてる。だけど、今の私達には願う事しかできない。
「準備はいいですの?」
「構わぬぞ」
「上等だぜっ」
「いいですよ」
「よいぞ」
「……」
各色それぞれに返事をすると、ローグは頷いた。そして、大きく息を吸い込み、吐く。
風が庭を巡り、木々はざわめく。静かな時の流れは、時間から切り離されたみたいだった。そんな時を、凛としたローグの声が切り裂いた。
「我、光の下に願う」
ふわりと優しい風が吹く。小さな庭に、妖艶な紫に光る魔方陣のようなものが浮かび上がった。奇怪な文字と、複雑にツタが絡んだようなそれは、ちょうど円になったローグ達の下で、ゆっくりと回転していた。
「記憶の欠片と想いの欠片。これを以って導かん」
ウネとジャウネが、それぞれ持っていた物を手放した。割れてしまうと思って、動きかけた私の体を波月さんが引きとめる。振り払いたい衝動に駆られたが、その必要はないようだった。魔方陣の上で、それらはふわりふわりと、不安定に浮かんでいた。時々触手のようなものがそれに触れると、澄んだ鈴の音に似た不思議な音が鳴った。
ローグがその瞳を閉じ、両手を前に突き出した。回りもそれに習う。
「我らが願いは1つ。想う人へ繋がる道」
ローグの呪文に反応してか、魔方陣が心臓の鼓動のように波立った。ガラス細工とお守りを包むように、それは球体へと変わった。鼓動は続き、奇怪な文字がのた打ち回る。文字はツタに変わり、ツタは水しぶきになった。水しぶきは大きな葉になり、小鳥となった。小鳥がさえずると、球体が割れ、ガラス細工とお守りが自然にウネとジャウネの腕の中へと戻っていった。それをしっかり受け取った彼女達は、半目に目を開いた。心がここにないような、魂のない目だった。
小鳥はしばらく、風を楽しむように羽ばたいていた。そして、歌う様に、けれど重い声でこう告げた。
『足りぬ。想いが足りぬ、愛が足りぬ。道は繋がらない』
小鳥は強い紫の光を放つと、砕け散って消えていった。それと同時に強い風が私達を襲う。吹き飛ばされたローグ達は木の幹や枝に絡まっていた。
「みんな、大丈夫!?」
風がやみ、時が流れ出す。しかし、ローグ達の返事がない。波月さんが倒れた障子を飛び越えて、廊下に立った。私もそれについていく。その隣に立って、服の袖を握った。
「……大丈夫だよ」
優しく波月さんは笑うと、私の頭についた若葉を取った。
「つっててぇ……」
「ジャウネ、お、重いですの!」
意識を取り戻したらしい黄色の下敷きになっている赤が、悲痛な叫び声をあげる。それを波月さんが助けて、2人まとめて頭の上に乗せた。
「ふぅ、やっぱり失敗しましたねぇ」
「……」
枝にてるてる坊主のように引っかかっているブルゥは苦笑いしており、逆さ吊りになっているフォンは帽子を落とさないように必死なようだった。
「見ておらんで助けぬかっ」
似たような状態のウネがうるさかったので、先に助けて頭に乗せてから、フォンとブルゥを助けた。
「あれ、ベートは?」
「こっちにはいなかったよ」
まさか、もっと遠くまで飛ばされてしまったのだろうか。
「……じゃ!」
ん、ベートの声が聞こえた気がする。きょろきょろ周りを見回してみたけれど、小さなあの姿は見当たらない。
「此処じゃ、此処におる!」
声はすれど、姿は見えない。波月さんと一緒に首をかしげた。
「下だぜ」
「下?」
ジャウネに従って、下を中心に目を走らせる。視界の隅の方で、何かがバタバタ動いているのを捕らえた。すると、花壇の小石と小石の間、その隙間にキューティクルな袴のお尻だけがもぞもぞと動いているじゃぁないですか!
わ、笑っちゃいけないのよね。うん、真剣な場面だもんね。笑っちゃ、……わ、わら……。
「ぷっ、ははははは!」
「わ、笑りてぬにて助けてくれ!」
笑うなとは無理な注文だったが、とりあえずそのままにしておくのも可哀想なので、必死に笑いを堪えながら引っこ抜いてあげた。
「……助やった」
私の掌で深々と土下座をすると、そのまましばらく動かなくなった。恥ずかしさのあまり、頭が上げられないのだろうか。
「それにしても大惨事だったね」
ため息と一緒に波月さんがそういうので、落ち着いて改めて回りを見てみる。確かに、大惨事と言ってもいいかもしれない。木々の枝が所々折れていたり、灯篭が倒れていたり。ローグ達も服がボロボロになってしまったし、何より部屋の中だ。倒れた障子はもちろんの事、机や本棚も酷い有様だ。よくもまあ、この状態で笑えたと自分に恐れ入る。
「うーん、親父には納木組が押し入って来たとでも言っておこうかなぁ」
は、波月さんが何やら一般市民の小娘の前で、生々しい言い訳を考えている事は気にしちゃいけないわね。うん、聞かなかったわ。ワタシ、日本語分ッカリマシェ~ン。
「……力不足で、申し訳ないんですの」
そして赤いの。空気を読みなさい空気を。今コメディに戻りかけたのに、辛気臭い顔で何語り出しちゃってるの。今はこの流れに乗っておきなさい。いつまたコメディが現れるか分からないわよ!
「仕方ないじゃない。足りないって言われちゃったんだもん」
そういえば。と、思い出して探し物をする。今日はやたらと何かを探す日らしい。特に小物を。そして見つけた物を手にとって、壊れていないか確かめて、ホッと息を吐いた。波月さんにも大切な物を返して、お互いに微笑みあった。
足りないと言われてしまった。小鳥に、想いが足りないって。愛が足りないって。
正直結構傷付いた。これだけ思ってもまだ足りないというのか。それほどにソラにぃが傷付いてるって事なのかもしれない。けど、想いは十分だと思っていたから、傷付いた。
「矢吹さんがいればなぁ……」
「えっ? 私? 私がなんだって?」
ぎょっとして波月さんと一緒に後ろを振り向いた。ちょうど塀を乗り越えて、どこぞのヒーローのように素晴らしい着地を決めたその人。栗色の髪をポニーテールにして、目にかかった前髪を払うと子犬に似た瞳が覗く。100点満点を付けたくなるボディは、全身ジャージ。それを覗けば美女である彼女。
「あ、や、やややや!」
「どうもぉ、あややでぇす! なぁんちゃってね♪」
似てないモノマネをして、着地した時についた土を払った。照れくさそうに笑った矢吹さんは、メチャクチャになった庭を器用に歩いて、私達の所へやってきた。
「ど、どうしてあんな所から!」
「いやぁ、波月の家はさ、1人じゃ正面から入りにくいのよねぇ。だからふほーしんにゅー」
親指を立てて、グッてしたけど、全然良くないよ? 全く良くないですからね?
「不法侵入は犯罪ですよ、矢吹さん!」
「ツッコムべきところはそこじゃないと思うんだけど……。まあいいわ」
ニッと笑うと、私達から虹の妖精を回収して、真面目な顔で言った。
「私のすべき事なんて分からない。私がしていい事なんて分からない。だけど、私がしたい事なら分かるから」
ふーっと息を吐き出し、少し怒った顔で続ける。
「馬鹿に馬鹿って言ってやらないといけないの。だから、有澄はあんた達の世界へなんて行かせないわ」
少し疲れた顔をしていたローグ達だけど、矢吹さんらしい言葉に笑顔が戻る。
「その喧嘩を悪化させないように、俺もいるからね」
「わ、私だっていないと、あの馬鹿にぃは面倒事ばっか持ち込んできますからねっ」
「そうそう。あんのバカヤローには波月も、ウミちゃんもいないとね」
なんだか元気が出てきた。ソラにぃには馬鹿ってしか言ってないけど、馬鹿野郎だってまだ伝えてない。
「……伝える事が大切。決意は、力になるから」
「分かってるわよ、そんな事くらいわね」
いたずらっぽく笑った矢吹さんは、そっとローグ達を地面に下ろして、お腹から何かを出した。うん、未来から来たネコ型のロボットみたいに。それは、ボロボロになったノートで、お世辞にも綺麗とは言えない代物だった。けれど、あの顔を見れば誰だって、それがどれだけ大切な物なのか分かる。
―――ねぇ、聞こえていますか?
「足りないものは私が全て補ってやろうじゃないの。だからさっきのやつ、もう一回かましなさい」
誰かの為に願うから、
「こっちは疲れているんじゃがな」
誰かの為を想うから、
「矢吹らしいけどなぁ」
誰かの為になりたいから、
「未だやらるるぞ」
諦める訳にはいかないの。
「うふふ、そうですね」
だから神様、
「……もう一度」
想いを繋いでください。
「いえ、何度でもですの」
その、誰かの為に。