56、想いの記憶
なぜ。なんで。どうして。
そんな疑問詞ばかりが頭の中を回り巡って、余計に冷静でいられなくなってしまった。
なぜ、ソラにぃが存在していない事になってるの?
なんで、おばさんはソラにぃの事を覚えていないの?
どうして、ソラにぃに関する物が消えてるの?
「わかんないよぅ……」
涙が溢れて止まらない。握り締めた写真立てに、ぽたぽたと滴り落ちていく。
「私も忘れちゃうの? ソラにぃがいなかった事になっちゃうの?」
先ほどから一言も話さなくなった妖精達も、困惑の色を隠せないでいた。まさか、ヴィオロシィが人の記憶まで操作すると思っていなかったんだろう。この世界にソラにぃがいなかった事にすれば、『約束』を果たせるから。
「嫌だ、ヤダよ……」
私はまだ覚えてるよ、ソラにぃの事。幼稚園の頃からいじめられてたり、苦手なピーマンを私のお皿に移して、お父さんに叱られていたり。人に見えないモノが視える事を隠して、友人をたくさん作った事、不器用に料理を作っているソラにぃの横顔も覚えてる。
忘れてない。覚えてるよ。まだ、私の記憶の中にソラにぃはいるよ。
「……なぜ、ウミさんから記憶からソラさんが消えていないのでしょうか」
ポツリと、ブルゥがしゃべりだした。
「『肉親だから』だなんて、ヴィオロシィの魔法には通用しませんよね?」
「……確かにそうじゃな」
「ヴィオロシィの忘却魔法を跳ね返す事が出来るのは、強い絆。その証です」
ブルゥがゆっくりと飛び立って、何かを探すように部屋中を飛び回る。みんなはそれを目で追うだけだった。
「もし、それのおかげで忘れずにいられるのなら、ヴィオロシィは対抗できません。ソラさんを妖精界に連れて行く事も出来ないはずです」
目当ての物を見つけて、私の元へ飛んでくる。私が差し出した手に落とされた物は、薄く開いたカーテンから漏れた朝日に照らされて、ほのかに輝いた。
「まだ諦めてはいけません。絆は、ソラさんの想いは、まだここに宿っています」
*
俺が覚えているのは、目の前に現れたトラックと、突然襲った激しい痛み。
聞いた話によれば、トラックの運転手がわき見運転をしていたせいで起きた事故だったそうだ。運転手は大して怪我はなかったが、ウミは意識不明の重体に陥り、両親は病院に運び込まれた頃には亡くなっていた。
奇跡的に、そんな大怪我もせずにすんだのは俺だけ。折れた右腕を首から吊って、状況を飲み込めず、ボーっと床を眺めていたのも覚えてる。
何度も何度も謝りに来た運転手の顔は、もう随分と前に忘れてしまった。覚えるつもりもなかったし。謝るくらいなら、両親を返して欲しかった。
悲しいとか辛いとかじゃなくて、急に何も無くなってしまう恐怖が、俺をずっと暗い部屋に閉じ込めた。
そんな時だった、あの夢を見たのは。
「泣いてる?」
綺麗な声が一言そう聞いてきたけど、返事を返す気力もなくて、俺はただ床を見ていた。そうしていると、裸足が視界に入り込んできた。声をかけてきた誰かは、そっとその場にしゃがみ、綺麗な紫色の髪と同じ色の瞳で、俺を真っ直ぐに見つめてきた。
「悲しい?」
そっと俺の頬に触れる手は冷たくて、血が通っていないみたいだった。
「泣かないで」
俺の頬を愛しげになでる少女は、表情もない顔で真っ直ぐに俺だけを見ていた。
『泣かないで』と言われて、やっと自分が泣いている事に気付いた。けれど、流れる涙を止める方法を、その時の俺は忘れていた。
「……お母さんとお父さんがね、死んじゃったんだ」
久しぶりに発した声は、かすれて酷く聞き取りずづらかった。それでも、何も言わずに頬を撫で続ける少女に、俺はぼそぼそと話した。
「妹もね、死んじゃうかもしれないんだって」
『遊園地に遊びに行こう』なんて言わなければ。あの日、あの時、あの場所を、車で走っていなければ。
「……独りぼっち」
言葉の切れ端と、抑揚のない声。それだけなのに、胸がきゅうっと締め付けられて、息苦しくなった。
「独りぼっち、寂しい。私、嫌い」
隣に座った彼女は、小さな俺を抱き寄せた。そして、慰めるように優しく頭をなでてくれた。
「……僕も嫌いだなぁ、独りぼっち」
言葉にして初めて、自分が『寂しい』という事が分かった。訳も分からないうちに両親は亡くなり、いつの間にやら妹まで失いそうになっている。身近でさっきまで笑って話していた人達が、突然話さなくなり、冷たくなって現れる。揺さぶっても揺さぶっても目を覚まさない、笑わない冷たい顔。
「僕ね、独りぼっちにはなりたくないんだ」
自然とぼろぼろ涙が零れ落ちていって、止めようがなくなってしまった。かすむ視界の中の少女は、ゆっくりと立ち上がって、小指を差し出した。
「約束、する」
「……え?」
「私、君、1人にしない」
「ほん、と?」
こくりと頷いた彼女の小指に、恐る恐る自分の小指を絡ませた。
「じゃあもしも、僕が独りぼっちになったら、一緒にいてくれる?」
また少女は頷いた。そして、こう言った。
「一人になったら、私達、一緒。妖精界、行こう」
*
「うぅ……ん」
なんだかとても長い間眠っていた気がする。体の節々が痛い。そんな体を無理に起こして、伸びをしてみた。パキバキと凝り固まった筋肉も動き出した。
「て、ここドコ」
見慣れた堅くて青いベッドじゃなくて、真っ白いベッドはふかふかで気持ちよかった。
「いやいや、そんな事じゃなくて」
周りを見回せば、全て真っ白だった。真っ白の机と椅子、真っ白のタンス。それくらいしかないけれど、自分の部屋でもなければ、家でもないのは明らかだった。
どこからか、嗅いだ事のない不思議な匂いがする。変な気配は感じないし、危険な感じもしない。けれど、どこからどうみてもこの部屋に扉がない。と言う事は、この訳も分からない空間に閉じ込められているという事だ。
「ソラ、起きた?」
「!」
そして唐突に現れたのは、見覚えのある紫色の少女だった。表情の欠片もない顔が、俺の方をじっと見つめている。
「『約束』、思い出した? 大切な『約束』」
彼女は静かにそう聞いてきて、掛け布団の上から俺に乗る。下半身が動かせなくなってしまって、逃げる事は出来なさそうだった。まあ、出口がないのだから、どちらにしろ逃げれないのだけれど。
「……何の事かな」
「妖精界、行く、言った。私、一緒」
小指を差し出す彼女は、夢の中に現れた少女と瓜二つ。いや、本人なんだろう。
「……だけど、俺はまだ独りじゃないよ」
ウミがいてくれる。波月や矢吹もいる。まだ、本当に孤独になった訳じゃない。
「ソラ、独り。もう、私だけ」
さらに詰め寄った彼女は、俺の手を握り締めた。逃がさないというよりは、安心感を求めてと言った感じだった。
本当に夢だと思っていた少女が、今目の前に現れて、約束を守りに来たと言い張る。だけどまだ、早い。早すぎるんだ。
「独りじゃないってば」
振りほどこうとした手を、さらに強く握った彼女は、少し怒った様な顔をした。
「私、一緒。ソラ、独りぼっち」
「俺にはまだ友達がいるよ」
「いない。ソラ、私だけ」
所々足りない言葉使いで、そう強く言い張って引かない。この空間に俺を閉じ込めたのも、きっとこの子なんだろうなぁ。
「ソラ、記憶、消した。ソラ、私しか知らない。みんな、知らない」
「……え?」
「ソラ、大切。私とソラ、一緒。ずっとずっと、幸せ」
俺の方へふわっと倒れこむように抱きついた彼女は、幸せそうに肩に頬擦りをする。離さないようにと、しっかり俺を抱きしめた。
「ソラ、独りぼっち」
いや、ちょっと待て待て。落ち着け。だいじょーぶ、うん、大丈夫だから。
しかし、あまりにも唐突すぎて、意味が分からない。何がどうなって、どうなった? 俺が覚えている人達の記憶から、『俺』はいなくなったって? 俺を知っているのは、この紫の少女だけ。この世に俺を知っているのは、1人だけ。けれどそれは、約束があるからで……。
じゃあもし、その繋がりがなかったら?
俺は……、
僕は、
―――独りぼっち?
はい、と言う事で次回はガルー・ブレスト先生作『平凡ではない日常。』とのコラボ編という事になります!
話はまだ半分くらいしか出来ていませんが、きっとどうにかなるでしょう。というか、どうにかしなければなりません。
『脱ネタ切れ! 脱更新停滞!』
を目標に、下弦 鴉はこれからも地味に頑張らせていただきます。