48、『強欲』という名の願い
ちょっと派手にしすぎただろうか。私にこのドレスは、変だっただろうか。後ろを向いて、自分が映った大きな鏡に微笑んでみる。ダメだ、変な感じがする。きゅっと締まったウエスト。波打つスカートは少し光沢を帯びる。肩も露出して、胸元も広めに開いている、こんなドレスは私に似合わない気がする。
「だいじょーぶですよぉ、矢吹さん」
「ぬはぁ!」
「とっても綺麗です。私も惚れちゃうくらい」
意地悪く笑うのは、水色のドレスのウミちゃん。この子は時々心臓に悪い事を……。
「きっとソラにぃも綺麗だって言ってくれますよ」
「ふぇ!?」
「可愛いなぁもう」
肘でつつかないで、脇は弱いのよ。
スカートがふわっと広がるドレスのウミちゃんは、一回転してお辞儀する。柔らかそうな袖の肩が笑ってる。
「もう、年上をからかわないの!」
「ごめんなさい。でも、本当に綺麗ですよ」
グッと親指を立てる。ウミちゃんは嘘を吐かない。奴は嘘を吐くけれど。
「さぁさ! ソラにぃに矢吹さんのナイスバディを見せ付けてやりましょ!」
「な、何言ってるの!」
「今日だって、キス寸前だったじゃないですかぁ。キ・ス♪」
「ウミちゃん? からかわないでって、言ったよねぇ?」
「でも、ニヤニヤしてましたよね? 何想像してたんですか?」
「悪い子に教える事なんてありません! さっさとホールに行くわよ、パーティーが終わっちゃうわ!」
「はーい♪」
カツカツと高いヒールの音を響かせて、人目も気にせず衣装ルームをあとにした。
遅い、遅すぎる。いつまで待たせるんだこのヤロウ。なぁにが「すぐ終わるからぁ」だ! 女はいつもそうだ。服に時間を費やしすぎる。服なんてどれでもかまわないだろうが!
「ごめん、ソラにぃ波月さん。遅くなっちゃった」
「遅い!」
後ろから走ってくるウミは、広がるスカートの裾を握って、矢吹を引っ張りながら来る。
で、なんで待たされてない矢吹がふてくされた顔をしてんの?
「おめかししたね、ウミちゃん。矢吹も」
「えへへ~」
「ぁぅ……」
嬉しそうなウミに対して、暗い矢吹。んー、やっぱり熱でもあるのかな?
「ソラ、ストップ」
「ぬおぅっ」
一歩踏み出した俺の襟首を掴む波月。首が、首が絞まって……。
「額を当てるのはダメ。手で確認して」
「りょーか」
「あー、やっぱ待って」
「えぐっ」
二歩目を惜しくも踏み出せなかった。さらに首が絞まっただけ……。
「矢吹は、その……熱じゃない」
「うーん?」
「体調が悪い訳じゃないんだ。だから、大丈夫だよ」
「そーなのか」
ウミにつれて来られた矢吹を見やる。友達じゃなくっても、気分が悪そうなら放ってはおけない。
「大丈夫か、矢吹」
「……平気よ」
頬が赤い。というか、顔全体が赤い。だけど、波月が心配するなと言う。矢吹も平気だって言う。
「無理はすんなよ。折角可愛い格好してんだから」
ビクッとして、矢吹の全ての動きが止まった。お団子にした茶髪も、服がこすれもしない。瞬きも、呼吸も忘れているみたいだ。
……って、さすがにそれはヤバくないか!?
「矢吹、呼吸しろ!」
「ふあっ!」
止まった時間が動き出したらしい。なんだよもう、心配させやがって。
「ったく。らしくねぇなぁ」
「……服がキツいの」
「んだよ、声が小さくて聞こえねぇよ」
言い忘れてた気がするけど、俺らがいるのはひろ~~~いホール。観客席とかまである、ともかくおっきなホール。ステージでは優雅な演奏が繰り広げられて、その周りで宿泊してる人達が楽しそうに踊ってる。隅の方ではテーブルに料理が並べられて、楽しそうに笑いながら食事をする人も目に付く。
「波月さん、踊りましょ!」
「いいよ、よろしく」
楽しそうな小さなお姫様と、爽やかな笑顔の王子様が踊りの輪に加わる。いつの間にあんなに踊れるようになったんだろう、お姫様は。王子様もなれてるみたいだし。
「水でも貰う?」
「大丈夫よ」
大丈夫そうじゃないから言ったんだけどなぁ。
だからといって、俺は踊りなんてできないし。料理も食べたいけど、矢吹は食欲もなさそうだし。砂浜のあの時から様子がおかしすぎやしないか?
「あ、上で休んでいいみたいだ。座るか?」
「え、ふぇ、ふ、ふたひで?」
「日本語で頼む」
「……」
なぜ黙る! お前日本人だろう! 日本語で話せるだろう!
「行くぞ」
「え、ちょ、まっ……」
半ば無理矢理手を取って、人をさけて進んでいく。心配するなって言う方が無理だよ、波月。
「きれーだなぁ……」
「そ、そうね」
ど、どどどど、どうしよう! 2人っきりになっちゃったじゃない! うわー、うわー、うわー!
「お、波月だ。ウミはどこだろ」
音楽が変わるたびに、2人組みで踊っていたペアは変わってた。みんな楽しそうで、綺麗にリズムにのって踊ってる。私はそういうの苦手だから、足を踏んだり蹴ったりしちゃう。有澄にそんな事したら怒るだろうし、呆れられちゃうよ。
「おーい、聞いてるかー?」
「ちょ!?」
本日二度目のどアップ。心臓に悪いどころじゃないわ!
「何か食べない? 俺、取ってくるよ」
「え、えっと」
「なんでもいい?」
「うん」
「んじゃ、行ってくる。あ、ついでに三枝さん探してくる」
「え?」
「だってお前、気分悪そうだし。明日には帰るんだ。今日が楽しめないのは辛いだけだろ?」
「だ、大丈夫だって」
「でも、さっきからずっと顔赤いし」
気付かれてた。
「ちょっと、その……」
「なんだよ」
アンタのスーツ姿がカッコ良すぎるせいだなんて、口が裂けても言える訳ないじゃない!
「ともかく、行ってくるからな」
「私は、本当に大丈夫だから! 楽しみたいから、三枝さんは呼ばないで」
立ち上がった有澄の細い腕を掴んで、必死で言った。
「分かった。だけどいいか? 無理してるんなら言えよ」
それはアンタも同じでしょうが。
「じゃな」
手を振って、去って行く。階段を下りる背中を見送って、深く深く息を吐く。
いつも通りでいいじゃない。なんで緊張してるのよ。アイツは何も変わらない。いつもと、何一つ変わりはしていない。『折角可愛い格好してんだから』と、言ってくれた。いつもの調子で、『可愛い』って。
嬉しいけど、ものすごい複雑だ。アイツは私の気持ちを知らないで物を言う。
私は、私は……有澄が好きだ。
どこがどう、という訳じゃない。見た目なんて後回し。心が綺麗で、優しくて。ちょっと馬鹿だけど、いや、ちょっとじゃないわね。かなり馬鹿だけど、他人に優しくできる、アイツが好きなんだ。そっと差し伸べてくれる、あの頼りなさげな手が好きなんだ。
いつから好きになったのかも、私ははっきり覚えてる。だけど、有澄はきっと忘れてる。ずっとずっと前の事だもん。
でも、私はそれで救われたから。私はそれで、笑っていられるから。有澄のおかげで、ここにいれるから。
幸せを私に分けてくれたのは、君だったんだよ、有澄―――。
**
「転校生の、矢吹真璃ちゃんです。みんな、仲良くしてあげてね」
「はーい!」
綺麗に揃う声。だけど、みんな私を見ない。それはきっと、容貌のせいだ。きつい目元。開かない口。表情の変化になれない頬。誰も近付かせない、暗いオーラ。
「何か挨拶してもらえるかな?」
先生が紹介してくれた。それで十分じゃないか。
「ヨロシク」
たったその一言だけで、私は精一杯だった。
「あの子暗いよねぇ」
「だよなぁ」
「お嬢様って感じ」
「話しかけても返事しねぇし」
明るく振舞いたかった。返事くらいしたかった。だけど、次から次へと言葉がとんでくる。考える時間が追いつけない。だから、どれから答えればいいのか分からなかっただけなのに。
「やーい、ひっかかったひっかかった!」
教室のドアに仕掛けられた黒板消し。私の頭で弾んでから、床へ落ちる。
「汚いわね、近寄らないでよ」
掃除中に投げつけられたぞうきん。服が少し汚れてしまっただけなのに。
『死んじゃえ!』『学校に来るな!』『きもい』
忘れてしまったノートに書かれた、悲しい言葉。
帰り道。落書きがされた2冊目のノートを抱きしめて、ぶつかられたりしながら歩く。
私は、仲良くしようと努力したのに。みんなに溶け込めるように、頑張ったのに。無駄な努力だったんだ。考える時間も、話す機会も与えられないままに、迫害された。もう、輪には入れない。
「あ、でたよ。妖怪だ」
妖怪?
「今日は何とお話ですかぁ?」
冷やかしの声が飛ぶ方向。その先には、笑う男の子がいた。
「迷子の猫又がいたんだ。公園はどこって聞くから、教えてあげたんだよ」
猫又なら知ってる。長く生きた猫がなるという、妖怪の一種だ。
「そんなのいるわけねぇだろ」
「あ……」
絡んできた男の子に突き飛ばされて、その子は転ぶ。だけど、
「僕には見えるんだ。無視なんてしたら、可哀想でしょう?」
なんで、笑っているんだろう。
「ばっかみてー」
「妖怪なんだもん、仕方ないじゃん」
「だよなー」
笑い者にされてるはずなのに、なんであの子は一緒に笑っているんだろう。
「妖怪は学校に来るなっつーの!」
容赦ない言葉。無垢なる刃。深く、私を傷つけたモノ。
「妖怪は妖怪の住処に帰れよなっ!」
道に落ちている石が、男の子に次から次へと投げられる。さすがに笑って耐えてはいられない。顔をかばってしゃがみこむ。
助けたい。……だけど、私は無力だ。
「あんら達、ソラお兄ちゃんをいじめないれ!」
少し舌足らずな声が、男の子をいじめる少年達に襲い掛かる。しかし、迫力などある訳がない。
「あ、妖怪の妹だ! 喰われる前に逃げよっ」
駆けてきた少女にも、心無い言葉を残して彼らは去った。残ったのは、男の子と女の子。
「いったたぁ」
「だいろーぶ?」
「有難う、ウミ。大丈夫だよ」
なぜ、君は笑えるの? あんな嫌がらせされて、ボロボロになってまで、なぜ。
目が、合った。遠くにあるはずの瞳が、すぐ近くに感じられる。彼は私に笑いかけた。優しく笑いかけてくれた。それに気付いた女の子が、私の元へ来て腹の辺りをパコパコ殴り始めた。
「ソラお兄ちゃんをいじめたら、ゆーさないんだから!」
「あ、ダメだよウミ。その子は悪い子じゃないから」
「いじめたら、ゆーさないからね!」
きつく睨まれてしまった。何を言えばいいのか分からない。
「ごめんね、大丈夫? あ、これは妹のウミ。僕は有澄ソラって言うの。ヨロシクね」
傷だらけの、白くて細い手が差し伸ばされる。そして、彼は笑う。
どうしたらいいのか分からなくて返事ができず、固まってしまう。けれど、答えたい。この子と少しでもいい、話がしてみたい。
風が吹く。髪が揺れる。心が不安と緊張でいっぱいになった。
「あ、あたしは、やぶ、やぶき……」
やっと出た声が小さくなって消えていく。自分でも聞き取れないほどに。
「まりちゃんね、ヨロシク!」
でも、聞き取ってくれた。待っていてくれた、私の答えを。私が、手を伸ばすのを。
それからは、彼が教室に顔を出すようになった。その度に、生徒達は避けていたけれど、彼と話す私を不思議そうな顔で見ているだけで、何もしてはこなかった。
そのうちに、いつの間にか笑うようになった私には、1人2人と周りに人が増えた。どんどん増えて、クラスを超えて友達ができた。代わりに、彼とは話せなくなってしまった。
「妖怪とは話さない方がいいよ」
「そうそう、何言ってるか分からないし」
「でも……」
「アイツ、1人で誰もいないところでしゃべってるんだぜ? 変だって思わない方がおかしいよ」
それはそうかもしれない。だけど、誰よりも優しい心を彼は持ってる。誰よりも、素直で真っ直ぐだ。
その日は忘れ物をしたので、友達を先に帰らせて学校に戻ってきた。嫌がらせはもうされない。けれど、心のどこかにまだ安心しきれていない自分がいる。
「あ」
有澄君だ。1人で廊下に立ている。そして、何かと話していた。咄嗟に曲がり角に隠れて、様子を窺った。遠目に見た彼は、だいぶ暮れてきた夕日に横顔を照らされて、困った顔をしていた。
「大丈夫だよ」
何と、話しているんだろう。
「そんなに心配しないでって。……え、呪う!? ダメダメ、絶対!」
見えない相手に向かって、大げさに手を振る。
「大丈夫、僕は平気だよ。いじめられたって大丈夫だから」
私を救ってくれた彼は、まだいじめられている。それまで目をそらせていた彼の右腕には、包帯が巻かれている。自然に目が行ってしまって、胸が苦しくなった。私が友達と笑いあっている間に、彼はどんな事をされていたのだろうか。
「え、何で人を嫌わないのって? んー、好きだから」
ろくに考えもせずに出した答えは、真っ直ぐに私の心を突き刺した。
「僕はね、どんな事されたっていいんだ。みんな、楽しそうに笑ってるんだもん」
本当に嬉しそうに彼は笑う。だけど、いじめる子達は笑っているのではない。嘲笑っているんだ。私にはそれが分かっている。それでも未だに孤立を恐れて、彼に救いの手を伸ばす事ができないでいた。あの時から、ずっと。
「気持ちが悪いって言われるよ。だけどね、人が泣いたり、苦しそうだったりするのは、嫌なんだ」
優しい顔で、何かに話しかける彼の姿が歪む。自分の無力さ、不甲斐なさに腹が立つ。
「だってさ、こっちまで辛くなるでしょ? だからね、どんな形であっても笑ってて欲しいの!」
自分を犠牲にしてまで人の幸せを願う、優しい心。自分がどんなに苦しくても人の笑顔を願う、真っ直ぐな気持ち。
「ウミやキミは心配するけど、僕は平気だよ。みんなの笑顔が、僕の力になる。だから―――」
**
『僕が傷つく代わりに、傷つかなくてすむ人がいるなら、それでいいんだよ』
そう、言った。無垢な笑顔で、何もない空間に向けて。
それがずっと変わらない、有澄の心。昔のまま、誰かが傷つこうものなら、自分を犠牲にして救う。
ご両親が亡くなった時、ウミちゃんは泣いていた。でも、有澄は泣かないでウミちゃんを抱きしめ、唇を噛み締めていた。自分まで泣いたら、ウミちゃんも不安になると、分かっていたからかもしれない。
彼は護る者の為に、いくつ自分を犠牲にしてきたのだろう。
その頃から、有澄はどこか切ない笑みで笑うようになった。あの時のような明るい笑顔ではなくなってしまった。私は、自分を犠牲にしなくても、有澄が幸せになれる方法を見つけたかった。こんな悲しい顔で笑うようになる前に。
けれど、間に合わなかった。もう彼は、寂しそうにしか笑ってはくれない。私が今も昔も無力だから。孤立を恐れて手を伸ばさなかった手を、また差し伸べる事ができなかった。
「ごっめん、遅くなっちゃった」
君は人が悲しむ顔を見たくないと言った。私も、有澄が悲しむ顔を見たくない。
「矢吹?」
君は涙を見たくないと言った。私も、有澄の涙は見たくないよ。
「おーい……」
今の私もまだ無力だけど、護りたいんだ。少しでいい、頼りになりたい。
そしてあの頃にように、楽しそうに笑っていて欲しい。笑って傍に、隣にいて欲しい。
こんな願いは強欲かもしれない。それでも構わない。ただ君の、有澄の傍にいさせて欲しい。
今度は、私が有澄を助ける番なのだから。
「ちょーっぷ!」
「いった!」
ふ、不意打ち!? ていうか、いつからいたのよ!
「ほい、ハンカチ」
「え」
「見なかった事にしてやるから」
何をよ。言い返す前に、頬を伝うものに気がついた。
「矢吹が何を考えて、何を思ってるのか知らないけど」
有澄は着ていた上着を脱いで、そっと肩にかけてくれる。ネクタイをずらしてほっと息を吐き、隣に腰掛けた。
「泣かれるとさぁ、いろいろと困るから。まあ、見逃してやるから、たまってるもの吐き出しちゃえば?」
変わらない優しさがここにある。変わらない愛しさが、心を揺さぶる。
「バーカ。あんたに見せる涙なんて一滴たりともあるわけないでしょ」
「うっわ、心配してやってるのに言ってくれるな」
ふざけて笑う、その笑顔が愛しい。
「私の涙は安くないのよ」
「へいへい、そーでございますか」
君への負担なんて、これ以上増やしたりしないから。
「お腹すいた、何もって来たのよ」
「シェフのおすすめってのをいくつか。……あ、全部食うなよ!」
「早い者勝ちよっ」
「な!」
だからせめて、今この時だけでいい。この瞬間だけでも構わないから、
―――笑っていて。
と言う訳で、矢吹と有澄の過去を語ってみました。
矢吹が何を想い、彼の傍から離れないのか。
これが伝われば、今回は大成功です。
最初は前後編で構成しようかと思っていたのですが、ぎゅっと凝縮して一話にまとめ、すっきりさせました。故に、おかしな所があるやも知れません。ご一報いただけると嬉しい限りでございます。
サブタイもいくつか候補が上がり、うーむうーむと唸った結果は二つに絞られ。
今もなお、変わらぬモノ or 『強欲』と言う名の願い
になりまして。
前者はどこかで見た事あるような……と思ったため、変形し、再び悩む事になったのですが、あみだくじの結果、はい見たとおりにございます。
つまりですね、最終話並に自分のもっているものすべてを使って、今回の話を書いたつもりだという事です。
それだけ、矢吹がどんな想いでいるのかを知ってもらいたかったのです。有澄の綺麗な心も届けたかったのです。
本編だけで伝わるのか不安すぎて、あとがきが長くなってしまった事を深く後悔しております。自分、頑張れ。
では、長々と失礼しました。