35、お化け屋敷に棲まう者
「…………くぃ」
ゾッとするような、低く暗い響きの声が長い廊下に木霊する。
「……くい……。憎い……」
そのたった一言で、辺りの空気がざわめき凍えた。凍てつく言葉が繰り返し同じ言葉を紡いだ。静かな夜の澄み渡る空に輝く星さえも、その言葉1つで輝きを失わせるだろう。
怒り、否、悲しみにも似た紅い瞳が、外に立っている人物を捕らえて揺らめいた。
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汐見に連れられてやって来ましたよ、噂のお化け屋敷。ちなみに、ウミは留守番です。ついて行くとしつこかったけど、明日部活のある妹を夜中連れて歩けると思いますか!?
「さあ、ここが私の家よ」
汐見はちょっと自慢気に言って、その身を翻した。
というか、これを普通の人は家なんて言わないよ? 普通の人なら、
「な、何この屋敷……」
メルヘンチック。ファンタスティック。プラスチック。……あ、最後のなんか全然違うや。あぁ、そんな冷めた瞳で見つめないでっ! 弱い心がズタボロになるからぁ!!
「屋敷? こんなのそんなたいそうなものじゃないわよ」
十分たいそうなものなんですけど! うーん、恐るべき汐見財閥……。
「あ、この気配だぜ。俺が帰りに感じたやつ」
ウネの隣、つまり俺の頭の上で嫌そうにジャウネが言う。もちろんですが、妖精さん達は強制連行です。全員まとめて。
「確かに、禍々しいものを感じますわ」
ローグは俺の左肩に座って、身を震わせる。
「風もこれだけ澱んでいるとなると、かなり強力な魔であろう」
「てぇ事は、ヤバい感じ?」
「……我らだけでは厳しいかも知れんな」
「えぇ!? そ、そんな……」
「ん? どうしたのよ」
「べ、別になんでもないよ」
汐見が俺の声に気付いて首をかしげる。なんでもないと両手を振りながら誤魔化した。
さて、予想外だ。想定外だ。どうしよう。あぁ、どうしよう……。
「祓えるかもしれんと言ったのに、自信満々に出かける青年が悪いのじゃ」
「だってさぁ、どうにかなるかもしれないんでしょう?」
「まあ、ただの魔なら私達でも大丈夫でしょうけれど……」
「ちょっと特殊になると、お手上げだぜ。まあ、俺には端から関係ねぇけど」
「何をぬかすか! お主は気配を追えるだろうが!」
「えぇー、メンドイ」
「面倒臭がるではない!」
さてどうしたものか。話についていけないぞ。妖精さん達だけで話が進んでいくぞ。そして祓えないとか困るぞ。
「まあまあ、ソラ様がポカーンとしているので、落ち着いてくださいですの」
「ぬ? なぜポカーンなどとする必要があるのじゃ」
「まああれだ、馬鹿だからだな」
「酷くない!?」
一言馬鹿で片付けられるのが一番辛いんだぞ!
「何よ、また独り言?」
重そうな門を目の前に、振り返った汐見があからさまに嫌そうな顔をする。
「え、いや……」
「とりあえず、行くなら行くわよ」
「あ、ちょ、ちょっと! ま、ちょっと待ってぇ」
くるしっ! な、なんで襟を掴むの!? く、首が、締まって……首がぁぁぁ。
「……ソラ様って……」
「あれだな。尻に敷かれるタイプだ」
んだとこのやろう! ……おぅ、さ、酸素がなくなってきたぞ。
「おぅ、珍しく意見が合うな」
そんな薄情な3匹のようせ
「匹?」
さ、3人の妖精の冷たいお言葉を聞きながら、首根っこをつかまれてお化け屋敷へ連行される俺なのであった……。
高い天井。広い玄関。長い廊下。全てが清潔感溢れる白に包まれているのに、どこか怪しい光を宿して艶めいていた。普段は華やかに輝いているであろうシャンデリアも、家に住む者がいなければその役目は果たせないようだ。玄関から入ってすぐ目に飛び込んでくる絨毯は、真っすぐに階段に向かって白い床を紅に染めていく。それは階段の踊り場で二手に分かれると、さらに上へと伸びていく。そこには大きな絵が飾ってあるけれど、暗くてよく見えない。きっと、よくある肖像画だと思うけど。そして左を見れば永遠に続きそうな廊下。右も同じく。
まあ、パッと見違和感一切なし。そして、思った事が一つ。
「……豪華ホテル」
ふっと浮かんだ言葉がこれって……いいのかな?
「まあ、庶民からすればそうでしょうね」
「しょ、庶民て……」
あ、アンタ様は同級生をなんだと思っているんだよ……。
「どうだ、ジャウネ。何か感じるか」
「んー……」
ウネの問いに答えて、ジャウネはフラフラと俺の頭から飛び立ち、2,3歩前にいる汐見の周りを一周し、あっちへこっちへ匂いでも嗅ぐかのように彷徨ってから、差し出した俺の手の平に戻ってきて言った。
「いたる所から怒りと憎しみ? そんなモンを感じるな」
「やはり、専門外じゃな」
「ですわねぇ」
3人の妖精はそれぞれに重いため息を吐く。そんなため息吐かれても、俺にはさっぱり分からないんだけど?
「ねぇそれさ、外でも似たような事言ってたけど何の事?」
「我とローグが魔法を使える事は知っておるな」
「うん、前に聞いたからね」
汐見の動きを目で追いながら、話を聞く。広間のようなところに立つ彼女は、不安げな表情で辺りを見回しては、ちょっと歩いて立ち止まるを繰り返してる。
「我らは闇に対するものは扱えるが、ここに憑いている魔はおそらく怨霊。我らの対象外なのじゃ」
「……?」
ごめん、馬鹿でごめん。全く、これっぽっちも分からないよ……。
「つまりですわね。私達のような善良な妖精や精霊は、光に属しますの。けれど、魔や妖、悪しき思いに飲み込まれた者達は、闇に属しますの。この汐見様の家に憑いているものは、魔、つまり闇です。闇なら、私達のような光が祓えますわ。けれど、人の想いは闇であっても、それは人の感情そのものなんですの。人の感情を癒せるのは、人だけなんですのよ。ですから私達にはどうする事もできませんわ」
「ほうほう、なーるほど」
「ホントに分かってんの?」
「……だいたい」
「まあ、そうだと思っていた」
悪うござんしたね、想像通りで!
「でもさ、魔を浄化って俺とかでもできたりするの?」
「まあ、同じ人ですし……。ソラ様は特別に力を持っているようですし……」
「力? あぁ、妖精が見えるって事?」
「それだけでも結構すごい事なんだぜ」
「ふーん。全然そんな事考えた事ないな……」
見えて当たり前。見えなかったらそれはそれで。そんな感じにしか思ってなかったなぁ……。
「浄化するにしても、やり方を……ねぇ、ウネビガラブ」
「あぁ、我らは知らぬ」
「へぇー、知らないんだ。……ん? 知らない!?」
階段の近くに飾られていた花をなでていた汐見がビクッとする。そして、猛烈な勢いでこちらに近付いてきて、俺の目の前で止まる。な、なんと言う至近距離……!
「独り言? それとも何かの儀式? 嫌がらせだったら……」
「だ、だったら?」
はにかんだ笑みを浮かべる俺に対して、ニコッと汐見は微笑み、そして、鬼になった。
「だあぅっ!!」
「こう、なるかもね」
な、なるかもねって……し、してるじゃないか……。
「ヒールで思いっきり踏みつけるのは、反則じゃ……」
「何か?」
「い、いえ、別に!」
「そ」
……なんだ、汐見の今までの俺の中でのイメージが音をたてて崩れ去っていくぞ。
清楚なお嬢様。物静かで、心優しく友達も多い人気者。のはずが、お、鬼だよこの人!
「行くわよ、有澄」
ちょっと涙目で、踏まれた哀れな右足をさすりながら聞いてみる。
「い、行くってどこへ?」
「どこってもちろん、音がした場所。一番怪しいでしょ」
「まあ、ねぇ」
あの、我が家で怖がってましたよね? 確かに、怖がってましたよね。なんで今はそんなにも勇敢に立ち向かう事ができちゃうの? 俺の記憶がおかしいの?
「一番危なくもあるがな」
「ですわね」
「ま、近くに危なそうなのいたら教えてやるよ」
「あ、ありがと……」
「さっさと行くわよ、トロいわね」
いつそんなにも離れたのか。汐見はもう、広場の中央あたりに仁王立ちし、こちらを睨んでいました。……目力は矢吹並だな。
その時だった。
「うぅ……」
「ん、どしたの? ローグ」
ひらひらと花びらが散るように、肩から落ちるローグを掌に受け止める。
「ソラ、あの女突き飛ばせ!」
「え?」
「もたもたするな、怨霊があっちからやってきた!」
ウネが掌からローグを奪いとって少し離れ、ジャウネがさらに急げと声を上げる。
ギィ……コォ……
鈍い、重い鉄通しが擦れ合う音がした。嫌な予感が背筋を駆け上がる。
ただそれだけが、前へと足を動かした。
「汐見、危ない!!」
「……え?」
ギィ……コォ……ギィ………………………………………ガッ!!
天井に飾ってあったシャンデリアが、嫌な音と共に落ちてくる。その、月の光の当たらない暗い所に、うごめく黒い影と光る紅い瞳を見た気がする。
でも、そんな事気にしている暇はなかった。落ちてくるシャンデリアの真下にいるのは、汐見。唖然とした表情で、一歩も動かずに、いや動けずにいた。
―――間に合え。
汐見は混乱しているのだろうか、目を見張ったまま全く動かない。
―――間に合え!
迫るシャンデリア。スローモーションの様にその瞳に映る。
―――間に合わせるんだ!
恐怖が、彼女を包み込んだ。
くそぅ……こうなったら!!
ガッシャーーーーーン!!
静寂に包まれた黒き漆黒の闇夜に、ガラスの割れる音が高く遠く、響き渡った。
次回、あの人に秘められた力が明らかに!?
おそらく、あまり驚くような事ではないけれど……。