17、紫が持つ秘密
まだ太陽も昇りきっていない朝。その少女は立っていた。
まるで、誰かを待つように。静かに、その場に立っている。まだ冷たさの残る風に、綺麗なすみれ色の髪が揺れる。その髪と同じ色をした瞳が、薄暗い空を見上げ、ゆっくりと閉じられる。
「……『約束』、守りに来た……」
それは何かを愛しむ様に、哀れむように紡がれた言の葉。
あまりに小さなその声は、風に流されていき、少女の姿もいつの間にか消えていた……。
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「ふぁあ……おはよう、ソラじぃ」
「うん、おはようウミ。でも、まだじいちゃんになった記憶はないぞ!」
「気のふぇい気のふぇい……」
「顔洗ってシャキッとして来なさいっ」
「ふぁいふぁい」
全く……。休日になるといつもウミはだらけるんだから!
エプロン姿の俺は今、キッチンで朝ごはんの準備中。軽快なリズムで人参、玉ねぎ、ピーマンを刻む。今日はハムとソーセージ、どっちを入れようかなぁ。伊達に主夫やってませんからね。そこらの中学生よりは上手に料理ができると思ってますよ!
「ソラ様、何かお手伝いする事はありませんの?」
ふよふよとローグが俺の回りを飛びながら聞く。寝癖を直しきれていない前髪が、ちょっとだけクルッとなっている。
「んー、ゴミ捨て行って来てくれると嬉しいなぁ」
「分かりましたの!」
うん、喜んでゴミ捨てに行ってくれるローグはかわい……じゃなくて、偉いぞ!
「あの、ソラ様」
「ん?」
「またチャーハンですの……?」
「文句があるなら自分で作りなさいっ」
「まあ、私は食べないからいいんですの。あの子がブツブツ言うだけですのー」
あの子って、ウミの事かな。ま、まあ、ウミなら文句を一日中言ってそうだけどね……。
「それで、どれを持っていけばいいんですの?」
「玄関まで持っていってあるから、それヨロシクー」
「かしこまりましたの!」
うん、朝に強い子万歳。可愛い子ばんざ……これ以上言うと読者様に引かれそうだな。やめておこう。
「行って来ますですのー!」
「いっふぇらふぁーい」
「いってらっさーい。んでもってウミ、歯磨きしながらしゃべらない」
「ふぇいふぇい」
ローグとすれ違うように入ってきたウミは、寝癖もロクに直しておらず、髪が暴れ放題だった。顔を洗ったはずなのに、まだ眠そうなとろーんとした眼がゆらゆら揺れる。
……平日のウミと休日のウミ。どっちが本物のウミなのか正直、兄の俺ですら分かりません。
「げ、またチャーハン……」
「げってなんだよ!」
「べふにぃー」
シャコシャコと歯を磨きながらリビングを出て行くウミを睨んでいたら、ふと気がついた。
「ウネとジャウネがいないような……」
あのウネウネコンビ、どこ行きやがった! ゴミ捨て当番ってよく考えたらウネだし、ジャウネは俺の手伝いしてくれるはずなのにっ。
「ったく、まだ寝てるのかな……」
「ソラにぃ」
「ん?」
「火傷するよ」
「え? あぁ!!」
いけないいけない! ご飯を炒めようとしてたのに、味見しようとしてたよ。しかも素手で……。
良い子は真似しないように! まあ、誰もしないと思うけどね。
「そだ、ウミ。ウネウネコンビ、見なかった?」
「ウネウネコンビ? ……あぁ、ウネとジャウネの事ね。まだ寝てる」
「起こしてき」
「ヤダ」
「即答!?」
「面倒臭いしぃ近付きたくないしぃ嫌だしぃ」
「若者が何を言っとるか!」
「ソラにぃも若者でしょー。んじゃ、任せた!」
「任されないよ!」
「ケチー」
歯磨きを続行しつつ、起用に話をするものだ。そろそろうがいをするのか、部屋を出て行く。ふと何かを思い出したかのように振り向いた。
「じゃ、おやすみ」
「うん、おやすみー。……って二度寝はさせないぞ!」
ウミは二度寝すると夕飯まで起きないんだから!
「いいじゃーん」
「じゃあ、ジャウネとウネを起こしてきたら、させてやろうぞ」
「嫌だ」
「お兄様命令であるぞ!」
「自分でお兄様って言ってさ、恥ずかしくないの?」
「ものすごーく、恥ずかしいぞ」
「……」
冷めた目が俺を睨む。とりあえず、視線をスルーして料理に専念する。
「寝ちゃダメだよ? 寝ないでくださいよ?」
「分かった、寝ないよ。今しみじみと自分の兄はどこか抜けてるなぁって思っただけ」
「抜けてる? 歯も髪の毛もまだ抜けてないぞ!」
「……はいはい。そーでございますね。んじゃ、ウネウネコンビ起こしてくるわ」
「ありがとー、ウミ」
「上がダメなら、下がしっかりしなきゃねぇ……」
?? 何の事だろう。というか、妹にものすごく冷めた目で見られる俺って何?
ふふふー♪ 朝の散歩はやっぱり気持ちがいいですわ♪
「ゴミさえなければ、もっと最高ですのに……」
両手に握ったビニール袋を睨んで、ため息をつく。やっぱり手伝うなんて言わずに、散歩でもすれば良かったと後悔する。そこでようやく気がついた。
「今日のゴミ当番、ウネビガラブでしたわ!」
で、でも、今から戻っても私が面倒臭くなってやめたとか思われそうですし、折角ソラ様達のお力になれるのですから、気にしないようにするんですの……。
あ、そうだ。今日のお風呂掃除は、ウネビガラブに押し付けましょう。
「決定ですの……っと」
ゴンッ
「す、すみませんですの」
私とした事が、誰かにぶつかってしまうだなんて……。そういえば、ソラ様ともぶつかって出会ったような。
「ローグ?」
「はい、なんですの? って、あなたは!」
裸足に淡い紫のワンピース。それに、綺麗なすみれ色の瞳と髪の毛。この子を私は知っている。
「ヴィオロシィ! こ、こんな所で会うなんて、何を」
「ローグ、『約束』守りに来た?」
透き通る綺麗な声が、私の言葉を遮る。
「……え?」
「私、『約束』守る」
強くそう言い残して、ヴィオロシィは消えていく。
「待ってくださいですの、ヴィオロシィ! 『約束』って誰と? 何の事なんですの!?」
「私、彼との『約束』守る。彼、1人になった。だから一緒に行く。彼、―――」
最後まで言い終える前に、ヴィオロシィは風と共に去って行ってしまう。
彼って、誰の事なんですの? それに一緒に行くって……。もしかして、妖精界へ?
「まだまだ、聞きたい事があるのに……。ヴィオロシィ、貴方は何をしようとしているんですの?」
私の問いかけをヴィオロシィへ運んで、風よ……。