隼人 時計の部屋
気がつくと、そこは広い部屋の中だった。暖房が効いているように暖かく、春の日差しにも似たような光で満たされている。
「ようこそ。」
声がして、隼人は声の主の方をゆっくりと振り向いた。
「また、貴女ですか。」
その人は、柔らかそうな椅子に深く腰掛けて、膝の上に両手を揃え、包み込むような微笑を浮かべた女性だった。中世のドレスのような服を纏い、長い髪を背に垂らしている。
「ええ。貴方と話すことが、とても面白いのです。」
ふふふっ、と若々しい笑声をたてて、彼女は立ち上がった。
「今日は、面白いものを見せて差し上げます。」
彼女はそう言うと、壁の前に立った。そして、その壁の一部を摘んで──、ばっと取り払った。
「……タペストリー、ですか?」
女性は剥がした布を裏返して見せ、
「御名答。」
と微笑んだ。
タペストリーには、一人の少女が描かれていた。大きな犬を抱き、椅子に座って差し込む光を眺めている。美しい絵だった。
「これは、誰ですか?」
隼人が尋ねると、彼女は、タペストリーを取り払った壁を指した。
隼人は、はっと息を呑んだ。
「……これは……?」
「人間が作った、時計というあの道具です。」
そこには、数え切れない程の時計があった。壁掛け時計、置き時計、砂時計、デジタル時計に、調理用のタイマーやストップウォッチまで──、とにかくたくさんの様々な時計が並んでいた。
しかし、不思議なことに、どの時計にも針が無かった。ストップウォッチやタイマーにおいては、数字が表示されていない。
──これは……。
「ここにあるだけではありません。人の数だけあるのです。そして、」
言って、彼女は広い部屋の、奥の壁にある一つの時計にそっと触れた。
「これが、貴方です。」
促されてその銀色に縁取られた時計に歩み寄ると、ようやくそれが自分であると納得できた。
その時計だけ、針が付いていたのだ。止まってはいたが。
「貴方は、不思議な人です。人間でありながら、死、というものから逃れ、時計を止めたまま生を保っている。」
その声には、奇妙な傲慢さが混じっていた。彼女の白い横顔は、自分の時計に興味の眼差しを向けたままだ。
「先ほど、彼の少女は誰か、とお尋ねになられましたね。」
柔らかな声色で言い、彼女は隼人を見つめた。
「はい。」
「じきに、彼女もここにやって来ますよ。貴方の目論見は成功したのですから。」
わけのわからないまま、隼人は椅子に腰掛ける彼女を目で追った。
「どういうことです──」
彼女の静かな声が、隼人の言葉を遮った。
「未来のことは、私にも分からないのですよ。」
目を開けると、そこは草原の中だった。
(──この夢……。)
三年前から時折、彼女の出てくる夢を見る。彼女は意味深な言葉を残して、いつも消えてしまうのだが……。
(……とにかく、寝袋を畳まないと。)
隼人は寝袋から出ると、ゆっくりと寝袋を畳み始めた。