文花 旅立ち
開きっぱなしになった窓から冷たいが吹き、ボロボロになったカーテンが音を立ててはためいた。
その少女は、一人で席に座っていた。窓から延びた蔦の絡んだ机が並んでいる中で、その机だけが、枯れかけた緑に覆われないままになっている。まるで、そこだけ違う空間であるかのように。
教室には、草が生えていた。フローリングの床の隙間から延びた雑草。教壇に生えた早過ぎるタンポポが風に揺れている。
「今日も実験失敗かぁ。あぁあ、最後まで誰も来ないなんてなぁ。」
セーラー服の少女はそう言うと、緑に染まった教室からふっと消えた。
どこもかしこも、草で覆われている。都会のビル、止められた自動車、電信柱や家の玄関ですらも。あと十年もしたら、街は森になって、寝るところがなくなってしまうかもしれない。
(それでも……いいかな。)
少女──紺堂 文花は胸の中で呟いた。
あれから、今日でちょうど三年経った。
全ての人が消えて、植物以外の時が止まってしまったあの日。まるで誰かがそういうスイッチを押したかのように、時間は止まってしまった。
周りから、自分以外の人はいなくなってしまった。母も、父も、弟も、友達も、先生も。
気がつけば、草ばかりが勝手に延びて、家も学校の校舎も緑に染めてしまっていた。
そして──、自分も人間ではなくなっていた。
まず、お腹が空かなかった。水すら必要なかった。しかも、背も三年前のまま、髪も爪も延びず、寒さを凌ぐ上着さえあれば、南極でさえ行くことができた。……つまり、行きたいところに自由に行けるようになっていた。瞬間移動、みたいなものだろう。行きたい、と強く望めば、おおよそ地球上のどこへでも行けた。
最初のうちは、寂しくて、悲しくて、身を捩りたくなるような日々だった。周りに誰もいない、自分すらよく分からない。いつまでこのままか、想像もつかない。家に帰りたい、と思ったら家のリビングに立っていた時はあまりの出来事に卒倒しそうになった。
しかし、それも一年経てば随分と薄れていた。代わりにやってきたのは、半ばこの状況を受け入れて諦め、むしろ楽しんで行かなくては、という不思議な気持ちだった。幸い、文花には飼い犬のコタロウがいた。コタロウも自分と同じだった。水すら必要ない文花とコタロウは、毎日いろんな遊びをした。……けれどそれも、すぐに去っていった。
今はとにかく、人に会いたかった。コタロウに飽き足りたわけではない。誰かと話して、笑いあって、楽になりたかった。
だから、一年前、文花はとある誓いを立てた。
──あと一年、ここに留まって、何もなかったら、人を探しに行こう。
そして、今日がちょうどその日だった。
「ねえコタロウ、どこに行きたい?」
これまで暮らしてきた中で必要だった物をお気に入りのリュックに入れて、文花はコタロウに尋ねた。最も、柴犬のコタロウに意味がわかる筈もなく、ボロボロになった大好きなボールを咥えて遊んでいる。
行きたいところは山ほどあった。死ぬことすらできなくなった今なら、エベレストの頂上にだって行けるのだ。
(えっと……、じゃあアメリカ行ってみようかな。自由の女神の上に乗れたりするかもしれないし。)
次の瞬間、少女とその飼い犬は姿を消した。