とある風景の1つ
「おい、雄二。今から茶屋に行かんか?」
執務を終え、同じ師で学んだ木場修二と共に風呂に入り2階座敷でゆっくり茶を飲もうとした矢先の事だった。
木場の話を聞くと、川原通りの茶屋に最近出るようになった看板娘がいるらしい。
茶屋に出るようになったその娘は、またたく間に町一番の美人の看板娘との評判が町人のみならず武士にまでその評判が知られているらしい。雄二はその看板娘を一目見ようと自分を風呂に誘った。
友人の浅はかな思い付きになぜ気が付けなかったのかと自分を悔いたが、ふと木場の顔をみて言う。
「お主、2月経てば婿養子として白浜家に入るのではなかったのか?もしこのことが白浜家当主の耳に入れば破談になる上、家から厄介者として追われるぞ」
木場修二は木場家次男として生を受けたが兄が家督を継いだため「冷飯食い」として扱われていた。そんなとき、遠戚である白浜家が婿養子になりうる人物を探しており、その白羽の矢が立ったのが木場修二であった。早速縁組が行われ一昨日結婚の日が決まったことを風呂に入る前に本人から聞いた。そのこともあって、町一番の美人がいる茶屋に行くのは軽率ではないだろうか?
しかし修二はそんなこと気にも留めずにこういった。
「心配するな。俺が茶屋に入ったのは、友である雄二と風呂に入った帰りにもう一杯茶が飲みたいがために寄っただけ。そしたらそこが偶然にも美人がいると評判の茶屋だっただけの事だ。決してやましいことではない」
「そうは言うが、お主の家は広町にあり河原町の茶屋に行くには不自然に見えるぞ」
「そのためのお前じゃないか」
修二の言葉にようやく自身も泥沼に足を入れられようと……いや、もう膝まで入ってしまっていることに気が付く。自身の家は河原町の先の鯉町に家を構えており父母と3つ下の妹と暮らしている。修二は、父の世話になったこともある1人で近いうちに縁談が決まったことを伝えに行くつもりと話していたがそれが今日であったのだ。
「そしたら私が困るぞ。桜に見られでもすれば、桜の父上を通じて親父の耳に入りかねない。そしたらお主も問い詰められるぞ」
その言葉に修二も一瞬ためらうが一度決めたことはやり通す男である。すぐに気を取り直すかのごとく熱い茶を一気に飲み干す。ゲホ ゲホとむせるがすぐに何事もなかったかのようにふるまう。その様子を見ながら出された茶をゆっくりと飲み干し2人で2階座敷を離れる。
その噂の茶屋は、川原町と鯉町に架かる橋のすぐそばに店を構えていた。他の市中にある茶屋とは変わらないがどうやら2階にも席を設けており夜に川を見ながら茶を飲めればさぞ良い気分であろうと思うが今回ばかりは景色ではなく美人を見に来たのだった。
「主人。茶と茶菓子を2つ」
修二がそう頼むと店の奥から「へい」と聞こえる。空いている席に腰を下ろすとすぐに盆を持った女が出てきて、茶と茶菓子を置いてゆく。盆を持ってきた女も美人であったが念のため噂を持ち込んできた本人に聞く。
「あの子がそうだったのか?確かに噂通りの美人だったな」
「いや、あの子ではない。確かに美人であるが前々からいる娘だから違う」
そう断言するのだから信用しようと思う。あの子がまた出てきて違う客に茶を出す姿につい見とれてしまう。背は少し高いけれど整った顔は美人と言っても過言ではなかった。
そう思いながら茶をすすり、菓子を食べようとすると2階から1人の女が降りてくる。着た服は茶を出してきた娘と同じものであれども顔を見ると息をのむ。その姿はまるで浮世絵に出てきてもおかしくはない美人だ。周りで茶を飲んでいた者もその姿に見とれていたのが分かる。さすが、町一番の美人の看板娘である。2階から降りた子がこちらに気が付いたのか軽く会釈して店の奥に引っ込む。
「あれが噂の町一番の美人の看板娘か……」
「ああ」
そう答えることしかできかった。周りの声に耳を傾けると。
「あれが噂の美人か。噂では親に遊郭に売り飛ばされるところをここの主人が助けたらしい」
「そうなのか?おらが聞いたのは身売りで働いているらしい」
「あんな娘がもし遊郭にいたら全財産出してでも行くな」
3人が納得したような雰囲気の所に修二が話しかける。
「なあ、あの娘変じゃないか?なんと言うか町人らしからぬ雰囲気があると言うか……」
そういわれ再度あの美人の事を思い出す。確かに服1つ取っても町人と変わらないが一つ一つの動作で見れば確かにきちんとした教育を受けたものの動作であったと思う。武家の子女ではなくともそれなりの作法を身に付けたも家の者に違いなかった。
そう考えていると後ろで話していた3人が帰り、主人が片づけに来ており思わず呼び止める。
「ご主人。先ほど2階から降りた娘はどういった者だ?」
「はい。実はですね、ある家の子女で世間知らずでは困ると父親より奉公しに行くように言われ私の所におります」
「またえらく変わった父親だな」
木場の言いたいことはごもっともである。父親が何をやっているかは知らないが、もし商人であれば自分の所で奉公させればいいもののわざわざ他の商人のところで奉公させずともいいのにと思うが、逆を言うとそれだけここの店主は信頼されているのだと思う。
茶を飲み2人で出てゆこうとすると、店に3人の男が入ってくる。刀を差していることから武家の者か浪士もしくは浪人であろう。そう思うほど着こなしがなっていない。その男の1人を見た時、私の嫌そうな顔を見た修二が3人を見る。
「新見家の嫡男か」
そう呟くと席を離れるのを止め、3人が出てゆくのを待つ。
新見家嫡男の義孝は、悪い意味で有名である。清水家・木場家と同格で現在の当主は、武家を取り締まる役職についているが、その息子は良い話を聞かない。噂では賭博場の用心棒をやっておりかなりの町人が泣かされているらしい。仮に訴え出ても、証拠が出ない限り下手には出られないため手をこまねいていると聞く。今の所義孝が跡継ぎであるがおそらく弟だろうともっぱらの噂である。
3人は茶屋であるにもかかわらず持ってきたであろう徳利で酒盛りを始めた。文句の1つ行ってやろうと思った矢先に運悪く美人の看板娘が男たちの前にとおりかかろうとすると義孝につかまる。
「おう、お前が噂の美人さんか。いい面をしているじゃないか。はやく酌をしろ」
嫌がる看板娘に対し義孝は無理強いをしようとするのに対し修二が席を立ち義孝の手を掴み看板娘との間に入る。
「さっきから見ていれば何をやってるか。この面汚しめ」
「おう誰かと思えば、木場の次男坊。やるのか」
義孝が脇差を抜き修二の喉に刃先を当てようとする。この二人の怒号に引かれたであろう見物人たちが店の周りを囲んでゆく。見物人は物珍しさから見物しているが茶屋にしてみれば流血沙汰になるのではないかとヒヤヒヤする状況である。
一触即発の二人の間に割って入る。
「武器を収められよ」
「そこをどけ、清水の坊ちゃんよ。五体満足で帰りたいだろ」
「どけ雄二。邪魔立てするのであれば容赦しないぞ」
2人の脅しを聞きつつもこの場は穏便に済ますべく話す。
「頭を冷やされよ。私闘は禁止されているであろう。それをやろうと言うなれば双方とも切り捨てるぞ」
「修二よ。ここで事を起こせば破談になる。せっかくの良縁をつぶす気か?
新見家も流血沙汰になればご当主殿は、確実にお主に切腹を申し渡すぞ。それに、奉行所にこのことが取り上げられればどちらが非なのかはっきりするがどうする」
義孝は茶屋内を見渡し味方が2人以外いないことに面白くなさそうな顔をしながら店の外へと出てゆく。ふっと緊張の糸が切れ店の中に落ち着きを取もどす。店の外の野次馬も波が引くようにいなくなる。席に座ると店主がお茶を持ってくる
「頼んだ覚えはないぞ」
不機嫌そうにそういうが、店主は言う。
「いえいえ。あなた様のおかげで大事にならずに済みました。もしお嬢様に何かありましたら旦那様に見せる顔がありません」
そういうと深々と頭を下げる。
「やはり、ご主人はどこかに奉公されていたのだな」
修二の指摘にしまったという顔をする。おそらく、ボロが出ないようにしていたのだろうがさっきの騒動で出てしまった。あたふたしている主人に看板娘が前に出る。
「助けていただきありがとうございます。私は秋と申します」
秋と名乗る看板娘に対し修二は秋さんかとつぶやく。どうやら、美人看板娘の名前を知らないでいたらしい。
「申し訳ないのですが、私の事はあまり詮索されない方がよろしいですよ。清水家の嫡男清水雄二さま。そして、木場家次男……ではなく白浜家の婿になるのでしたっけ?木場修二さま」
秋の言葉に絶句してしまう。私も修二も秋に対し何一つ自分たちの事は漏らしていないのに家の事や修二に至っては婿入り先の情報まで持っている修二もまさか、婿入り先まで言い当てられるとは思っていなくて絶句している。
話し合う前に2人の考えは一致してしまった。
「作用のようで……修二帰ろうか」
「ああ……」
ある程度先ほどの言葉で秋の正体は頭の中で考える限り2つ出てきた。
1つ目は隠密稼業の者。もう1つは、将軍家より授かった役職。武家を監視し武家の者としてふさわしくない者を放免できる唯一の役職お目付け役のどちらかである。
そんなことを考えると修二が何かを呟いているのが聞こえる。耳を澄ませると支離滅裂ではあるが、どうやらあの茶屋には近づかないようである。
少し歩くと私の家に着き修二は私の父に結婚をすることの旨を伝えると父もわが子同然に可愛がっていた修二に祝いの言葉を述べ祝福した。
修二を見送る際父より「見送った後道場に行くように」と言われ道場の引き戸を開き中に入る。夕暮れの時である故道場の床は暖色に染まる。それを眺めると扉に何かが落ちた音がしたため開けようとすると開かなくなる。どうやら、引き戸の外で何かが挟まったため出られなくなったようだ。助けを呼ぼうと声を出そうとすると妹が声をかける。
「兄上いかがされましたか?」
「千代か。何か引っかかって開かないのだが何かないか?」
「はいありますよ」
千代に引っかかっているものを取ってもらおうと言う前に千代がこんなことを言う。
「私が引っかけたのですから開かないのは当然であります」
千代が自分でわざと引っ掛けて私を出られないようにしたのは理解できたのだが、千代にそんなことをされる覚えがないと言うが帰ってきた答えは。
「兄上。胸に手を当ててよくお考えください。千代は悲しいです義姉上に黙って茶屋に行って鼻の下を伸ばすようなことされるのは……」
と言い千代は道場から離れる。おそらく、茶屋で見とれていたところを見られたのであろうそれを弁解すべく声をかけようとすると。
「雄二さま」
後ろから声をかけられ見てみると許嫁である桜が立っていた。小袖姿ではあるが手には長刀を持ち、刃をこちらに向けている。その顔は笑ってはいるが心の中ではどう思っているのかは分からない。
しかしこれだけは分かる。
今回の事を桜にきちんと説明しなければならない。