Scene10 プ・ロ・ポ・ー・ズ
「薫、結婚しよう。」
よりによって新年早々、何故、このタイミングなんだろうか。彼のその一言に私は驚きと迷いを露にした。
きっとドラマなんかだとここで主題歌でも流れてるんだろう。愛する人からのプロポーズ、感動するに決まっている。
しかし、現実では必ずしもそうとは限らない。こっちにはこっちの事情というものがある。
「雅人・・・その返事って今すぐじゃないとダメ・・・かな?」
いかにもプロポーズといえば!という感じで指輪のケースを差し出した彼の表情がみるみる強張っていく。
確かに逆の立場だったらそうなるのも無理もないと思った。男からしたらプロポーズというのは人生を賭けた大勝負であると同時に、絶対に負けられない闘いなんだと友達の旦那さんが言ってた気がする。
あんたは日本代表か!と、そのときは思ったが自分も歳を重ね、1人の相手となんだかんだ関係を長く続けていけば、それもわからなくはないと今なら思える。
少なくとも自身の中では100%の勝算がない限り男性はプロポーズはしないだろう。断られる=そのまま別れるということにだってなり兼ねない。今さえ楽しければいい、そんな子供じみたことを言ってられない年齢なら尚更だ。
だから、雅人のこの発言には相当な覚悟があったに違いないということは重々承知しているつもりだ。それでもなお、わたしが
「・・・ごめん。でも、雅人のことが嫌いとか、別れようとか思ってるわけじゃないの・・・ただ、今はタイミングじゃないっていうか・・・。」
と本心を伝えると
「・・・うん。」
彼はショックなのを隠せない様子で頷く。
「本当ごめん・・・わたしも独立してまだ1年で、やっとお客さんも付いてきたし、開業資金もペイし終わったばっかりだから・・・」
これも間違いなく事実だ。私は約1年前から個人でエステティシャンをしており、親戚がかつて住んでいた家の1階を改築して設備などを整えたサロンを経営している。
元々は専門学校を卒業してから勤めに出ていたものの、マッサージのオイルひとつ、もっと細かいことまで言えばサービスで出しているお茶ですら自分が選んだものを提供したいという気持ちが強くなり、早く独立したいと思っていたのだ。
エステ業界と言うのは表面的には華やかかも知れないが、裏事情は相当ハードである。
ひたすら体力勝負だし給料は安く、ボーナスや有休などといった待遇など夢のまた夢。若い女の子が中心の業界のため、その過酷さから離職率は非常に高く、たいていの人が2年足らずで離れていく職業でもある。
だが、それでもわたしはこの仕事が好きだった。ギスギス、ドロドロした女社会の中で最初に勤めていたサロンが凄く和気藹々としていたのも大きいが、仕事内容自体が辛いことがわたしにとっては辞めるための十分な理由にはならなかったからだ。まだ若かったこともあってか、これぐらい普通なんだと思い込むことが出来た。
何より2年目くらいからは先輩たちの手伝いではなく自分で施術をさせてもらえる機会も増え、私を指名してくれるお客さんも付き始めた。独立した今でも私のもとに足を運んでくださる方がいるのは本当にありがたい。
とは言え、当時は経済的にも、自身の能力的にもすぐに独立の夢は叶わず、20代前半はみっちり働いて自信をつけていく日々だった。
しかし、1年ちょっと前である。偶然にも親戚が子供の手が離れたから海外に移住すると言い出し、それまで家族で住んでいた家を出ることになったのだが、日本で働いている子供たちや、もしものときのために売りに出したりする気にはならないとのことだったので、わたしが意を決して借りることにしたのだ。
きっとこれは独立するチャンスなんだ、と。
当時まだ25歳の自分が独立するにあたって、立地条件の悪くない場所にタダ同然で借りれる物件があることは非常に強みだった。しかも2階はそのまま住居として使っているので、自宅としての家賃も浮いていることが約1年で借金を返済しきれた最大のポイントだと思う。
もちろん最初の3か月くらいはなかなか数字が伸びず、友達に来てもらったり、知り合いからお客さんになりそうな人を紹介してもらったり、自らポスティングに行ったりと何でもやった。従業員は自分1人だけなんだから、基本的にはどんなことでも自力でやるしかないのだ。
「・・・そうだよな・・・。」
現実を直視したからなのか、彼の表情から「納得」の二文字が伺える。
「でもね、わたしが自分の事業を続けてこれたのは雅人のおかげだよ。それに、将来のことも考えてるし、結婚するなら雅人がいいって・・・雅人しか考えられないのは本当だから・・・だから、今はまだこの仕事を続けさせて・・・お願い。」
正直な気持ちを彼にぶつけた。
「うん、わかった!この話はまたそのうちしよう。困らせてごめんな。」
こういう潔さが彼の好きなところだ。それに、このプロポーズの返事を今は保留にしたところで何かが変わるわけじゃない。
いや、そう思いたいと言った方が正確かも知れない。
「それとさ、今年も今月中には親御さんに挨拶に行きたいんだけどいいかな?」
「もちろん。2人とも喜ぶと思うよ。」
別に結婚を前提に、などとは言ってはいないが、雅人のことは以前に両親にも紹介したことがある。
そして、わたしが結婚に対して前向きに考えられない本当の理由はこの両親にあるのだった。
年が明けて何処の会社も年度末に向けて忙しくなってきたこともあり、ここ何日かは会社終わりに施術を受けに来るOLさんも多い。
今晩来てくれたのも、とあるデザイン事務所で営業をしている六笠彩乃さんという年齢はわたしより1つ上の、大人っぽくて黒髪のボブが似合うステキな女性だった。
マッサージをするときには当然半裸に近いわけだが、背中やふくらはぎなど女性のわたしから見ても「セクシー」と言うより「エロい」と思わされてしまった。
年下の彼氏がいるらしいが色んな意味で彼女に夢中なんだろう。
彼女を紹介してくれた常連の貴未恵さんが施術後に咥えた煙草に火を着けながら
「今度あたしの友達でエロい子がいるから紹介してあげるよ。」
と以前に言っていた意味がよくわかった。
業務を終えて2階にある自宅の入り口に向かうと、そこにはダークグリーンのブレザーの上からコートを羽織った妹がいた。一瞬、疲れすぎて幻でも見たんじゃないかと思ったが、間違いなく私の妹だった。
「雫、なんでここにいるの?」
ちょっと遊びに来たというレベルではない荷物の量に驚きながら、わたしは尋ねた。
「それがさっきお父さんとお母さんとケンカして、家出してきたんだー。だから、しばらくここに住まわせて。ね?お姉ちゃん?」
大きな目をパチパチさせながら雫は私にそう頼み込んできた。
「・・・わかった。事情は後で聞くから、とりあえず入って。寒いし。」
「やった♪百田雫、今日からお世話になります!」
我が妹ながら本当に可愛い奴だと思った。
「三学期に入った途端だよー!家でも学校でも、進路進路ってさー。17歳にいきなりそんなこと考えろっていうのは酷な話だと思わない?」
すべて本人談によれば、周りの大人たちは高校2年の三学期になっても卒業後の進路がまるで定まっていないこの子に集中攻撃を仕掛けてるらしい。
終いには担任の先生が自宅に電話したのがきっかけでプチ家族会議になり、そこで両親に頭ごなしに将来についてもっと真剣に考えろなどと言われて堪忍袋の尾が切れたらしく、荷物をまとめて家を飛び出してきたんだとか。
今どき家出なんて凄い行動力と褒めてあげるべきか、両親と同じように叱るべきなのか、姉としては非常に難しい立ち位置である。
「でも、珍しいね。お父さんが雫に怒るなんて。」
お父さんは私たち姉妹を本当に溺愛している。それはそれでありがたいし、幸せなことなんだろうが、その理由がわたしにはなんとなくわかる。
「本当だよー。お母さんはともかく、お父さんに言われるなんてマジ予想外。」
バイト先のケーキ屋さんでもらってきたという余り物の焼き菓子を口に含みながら雫はそう漏らした。
この子からしたら「お母さん」で間違いでないのだが、わたしにとっては漢字で書くと「お義母さん」という認識である。つまり、彼女はわたしの本当の母親ではない。
わたしと雫は半分しか血が繋がっていない姉妹だ。歳が9つも離れているのも、あまり似ていないのもそれがひとつの理由である。
わたしが小学生になったばかりの頃、両親が離婚した。
当時はまだ一人っ子だったわたしにとって母親が突然いなくなったという事実は「家族」という存在の脆さを突き付けられたような感覚だった。
そのときは2人ともまだ20代の若い夫婦で、離婚に至った原因はお互いのことを嫌いになったとかではなく、お母さんの仕事に対する未練と言うか、意欲が治まらず、どうしても勤めに出たいと言い出したことがきっかけらしい。
お父さんからすればそれ自体は構わなかったようなのだが、次第に仕事にのめり込むあまり家庭がないがしろになり始めたことで2人の間に軋轢が生じ、こんな状況では子育てが出来ないと意を決したらしい。
自分が社会人になってから気付いたが、小さい子供のいる夫婦である前に、男と女である前に、1人の人間なんだと思う。
2人が離婚してからもたまにお母さんには会ってはいるが、わたしのことを大切に思ってくれているんだというのはきちんと伝わってくる。
ただ、当時の彼女はまだ母親よりも1人の人間として充実した人生を送りたいと思ったんだ、と自分に言い聞かせてるし、仕事というものが人生においてどれほどの比重を占めているか自営業になってみてわかった。
「お姉ちゃんはいつエステの仕事に就こうと思ったの?」
「わたしは高3になってからだったかなぁ。大学に行きたいとも、すぐに就職したいとも思ってなくて、消去法的に専門かなって。何かしらのスキルも欲しかったし、そのときはエステティシャンってオシャレでカッコいいなー、くらい。」
雫の問いにわたしは正直に答える。
「だよねー。そんな感じでいいじゃん別にさー。進路とかやりたいことが明確に決まってるからって偉くもなんともないじゃん。」
確かにそうだ。ましてや、わたしの場合は9年も前の話。あの頃以上に価値観が多様化し、あらゆる物事がコロコロ変わる今の日本で、それが決まってることはどれくらい重要なのだろうか。そう思う反面
「でもね、雫。自分がどう生きていきたいかは早めに決まってる方がわたしは得なんじゃないかなって思うんだ。もっと平たく言えば物事の好き嫌いがはっきりしてる方が、何かと楽なんだよ。」
「そんな大人な考え方はごく普通の女子高生には出来っこないよ。」
と、やや落胆気味で雫は呟いた。
そんなこんなで約6年ぶりにわたしたち姉妹はひとつ屋根の下で暮らし始めた。
とは言っても雫は平日5日間は学校があって、バイトもしてるので、思っていたより部屋にいる時間は短かった。
わたしはというと、定休日の火曜以外は営業中はサロンに常駐してるので、例えば雫が土日にバイトが休みで、特に予定もなくて部屋でゴロゴロしていようと顔を合わすことはほとんどない。
しかし、基本的に晩ごはんだけは2人で一緒に食べるようにしていた。
別に予定を合わせているわけではないのに自然とそうなったのはやはり姉妹だからなのだろうか。その日の出来事について話したり、テレビを見ながら笑ったり、歳が離れているのもあってか実家にいた頃よりも今の方が精神的な距離が近いように思えた。
つまり、この子も大人になったなぁ、と姉としては感じてるわけである。
一緒に住んでいた頃は雫はまだ小学生だったので、ちょっとませてきたなと思う程度だったが、17歳にもなればメイクも覚え、自分の身の周りのことはたいてい自力でこなし、想像していたよりも我が妹はしっかり者だということがわかった。
特に晩ごはんの残りを自分でお弁当箱に詰めてから登校するのを見たときは、軽い感動さえ覚えたくらいだ。
2人で住み始めてから10日ほど経った頃だ。
サロンを閉めてから部屋に戻ってくると雫がキッチンで何かを作っていた。
「いい匂い。何それ?」
「たらこん炒め。」
まったくもって聞いたことのない名前の炒め物に困惑してるわたしの顔を見て
「たらこと糸こんにゃくの炒め物だから『たらこん炒め』。」
と雫は続けた。わたしも何が入っているのかわかり
「美味しそうだね。」
と答えた。
「お母さんがよく作ってくれるの。無性に食べたくなっちゃって。」
そう話す雫の表情が一瞬曇ったように見えた。
「帰りたいの?」
「べ、別に・・・・」
もちろん、この子が転がり込んで来た時点で実家には連絡済みだが、やっぱり親元を離れたことのない17歳の女の子なんだと胸中を察するには、姉としては十分なやりとりだった。
「あのさ・・・お姉ちゃんの『本当のお母さん』の話、聞かせてよ。」
予想外の切り返しに戸惑いながらわたしは答えた。
「ど、どうしたの?いきなり?」
「だって、お姉ちゃんのお母さんってことは、あたしのお母さんでもあるわけじゃん?」
「その解釈はおかしくない?戸籍のこととか含めて。」
そう言ってわたしが笑うと
「でも、お姉ちゃんのお母さんがいなかったら、あたしたちは姉妹にはならなかったんだよ?一緒に暮らしてた期間は短いかもしれないけど、やっぱりどんな人なのかは気になるし・・・それに・・・お父さんとお母さんがいたらこんな話できないじゃん・・・・」
「そっか、そうだね。」
この子にはそれを知る権利があると実感したわたしは幼い頃の記憶を呼び起こすことにした。
「へー、雫ちゃんが来てるのか。」
雅人のプロポーズの答えを保留にしたまま約半月が過ぎた1月の下旬、サロンの定休日に彼が予定を合わせてくれたので、2人で買い物や食事をしたりと今年初のデートらしいデートになった日の帰り道のことだ。
「そうそう。たぶんそろそろホームシックなんじゃないかなぁとは思うけど、まだ意地張ってるのか帰るつもりないみたい。」
ちなみに馴れ馴れしく「雫ちゃん」と呼んでいるが、雅人はうちの妹に会ったことは1度もない。確か写真は何度か見せてあげた記憶がある。
「まぁ、一時的なもんだろうな。それにしても女子高生、いいねー、若いねー。」
「おばさんで悪かったな。」
わたしは冗談交じりで笑った。
「そうじゃないよー。でさ、最近の写メとかない?」
「ほらー、やっぱり若い子の方がいいんじゃないの?」
そう言いながら最近部屋で一緒に撮った写メを見せる。
「おー!綺麗になったなー!でもさ・・・」
わたしが呆れながら「何?」と相槌を打つと
「前から思ってたけど、薫と雫ちゃんってあんまり似てないよな。2人が並んでるの見て改めて思った。」
「うん、そうね。ていうか前にも言わなかったっけ?わたしたち半分しか血が繋がってないの。」
「え?初耳なんだけど・・・」
「そうだっけ?わたしの戸籍上の母親、つまり雫のお母さんと、私を産んだ母親は別の人なわけ。わたしが小学生のときにお父さんとは離婚してるの。」
もう歳も歳だし、大事なことなので2年以上付き合っているうちに絶対に話していたと思ったがどうやら私の勘違いだったようだ。みるみる彼の表情が固まっていく。
「なぁ、薫・・・。俺の勘違いだったら悪いんだけど・・・もしかして結婚に対して・・・」
「したくないわけじゃないよ。」
雅人の言葉を遮るようにわたしは言った。
「ただね・・・お母さんは家庭よりも仕事を選んだの、あのとき・・・。それで嫌いになったり、憎んだりなんてしないけど・・・きっと今のわたしが結婚したとしたら、お母さんと同じ選択をしちゃうんじゃないかなって・・・。」
「でも、別に今すぐ子供が出来るわけじゃないし・・・それに俺は薫の仕事のことも理解して・・・」
「雅人は何も悪くないよ。本当に感謝してる。プロポーズも嬉しかった。でもね、今はまだ・・・家族になるって覚悟が出来ないの・・・ごめん。」
また彼の言葉を遮って本音を漏らした。
「雅人のことは大切だから・・・早まりたくないの・・・。」
そう続けると、涙をこらえているせいでそれ以上は言葉に出来なかった。
彼の中では意を決していたはずなのに、こんなことを言う女と関係が続けられるだろうかと思われたかも知れない。
過去最高に後味の悪いデートを終えて私は自宅に戻ってきた。もしかしたら数日後には彼と別れているかもしれない、そんな不安に苛まれる。
「ただいまー。」
それを雫に悟られまいと、いつもの調子で声をかけると、部屋中に甘いような、焦げ臭いような匂いが漂っていた。
「あ、お姉ちゃん、おかえりー。ごめんね、散らかして。」
「何してんの?」
「シフォンケーキ焼いてるの!」
それと同時にオーブンレンジのタイマーが鳴る。慌てて雫がドアを開けると
「うわーー!また膨らまなかったー!なんでー?」
結果は失敗だったことは見るまでもなくわかった。
キッチンを片付けるのを手伝いながら
「雫、好きな人でもできたの?」
と、聞くと彼女は照れ臭そうに頷いた。
「来月バレンタインだから・・・そのとき渡そうと思って・・・バイト先で習ってきたんだけど全然上手く焼けないの・・・。」
言葉に詰まりながらも答える様子が凄く可愛かった。
「そ、そういうお姉ちゃんこそ、彼氏と上手くいってるの?週末うちに挨拶行くんでしょ?」
今はその話はやめてくれと思いながらも、動揺してるのを悟られまいと
「う、うん。今日もデートしてきたよ。」
と、スマートに切り返したつもりだった。
「お姉ちゃん、なんか様子がおかしい・・・もしかして、プロポーズでもされた?」
「えっ!?」
この子は何故か昔から妙に勘が鋭い。結局動揺を剥き出しにしてしまった。
「お姉ちゃんもとうとう結婚かー。でも、今どき26で結婚なんて早い方じゃない?」
「それがさ・・・今すぐする気はないって言っちゃったんだよね・・・。サロンのこともあるし・・・。」
「えー?そうなの?彼氏、凹んでるんじゃない?」
「たぶん・・・」
いや、今日の帰り際の表情を思い出すと、それは間違いないと言えよう。
「なーんだ、家族が増えるのかなーって期待してたのに。」
「雫はわたしが結婚したら嬉しい?」
「姉の門出を祝福しないような、薄情な妹に見える?」
冗談っぽく雫は笑った。
「この前、本当のお母さんの話してくれたじゃん?あの時にね、あたしの中でもうずっと引っ掛かってたことがスッキリしたっていうか、納得できたの。お姉ちゃん、本当はお母さんのこと母親だなんて思ってないんだろうなって。」
「べ、別にそういうわけじゃ・・・」
「それが悪いとかってわけじゃないよ。だし、無理もないっていうか、逆の立場だったらあたしもそう思っちゃう気がするんだ。」
「雫・・・。」
こんな大人びた発想まで持つようになっていたと思うと、やっぱり驚かずにはいられない。
「でもさ、血が繋がっていようがいなかろうが、紙切れの上だけだろうが、あたしたちは家族だから。家族であるってことは、凄く安心できるなって、あたしはお姉ちゃんと一緒にいて思ったの。」
さっき雅人に発した時と「家族」という言葉のニュアンスがわたしの中で変わり始めた。
「だって半分しか血の繋がってないこんな家出少女を面倒見てくれてるんだもん。ひとつ屋根の下で暮らしたことのある家族じゃなきゃありえないじゃん?」
「そうだね・・・。」
「だからさ、男の人が結婚しようって言うってことは、家族になろうってことだと思うの。そこまで本気になってくれてる人がいるなら、お姉ちゃんはもっと甘えていいんじゃない?まぁ、これも前にお父さんが言ってたことだけどね。」
「お父さんそんなこと言ってたの?」
「うん、まだ若くてその思いが足りなかったから、お姉ちゃんのお母さんとは別れちゃったんだろうなって。それに、あたしからしたら今はケンカしてるけど両親に代わりはないし、そこに対してモヤモヤしてるから結婚できないなんて悲しいじゃん?お姉ちゃんにはお姉ちゃんの人生があるんだから。」
あまりにも説得力がある妹の言葉に驚き、言葉を見つけられずにいると
「まぁ、単純にお義兄ちゃんができると思うとあたしは嬉しいけどなぁ。」
と、雫はこっちを見ながら笑いかけてきた。
まさかとは思ったが、彼が本当にこんなことをしでかすと思わなかった。深々とわたしの両親に頭を下げる雅人を見て、わたしは言葉を失った。
「お、おー。そうなのか。薫からも聞いてはいたが、ついに結婚か。めでたいめでたい。」
お父さんは驚きながらも笑っている。
「薫、おめでとう。」
お義母さんもそれに便乗する。
「ちょっと2人とも待っ・・・」
「でも、まだ薫さん本人から認めてもらってはいないんです!」
雅人が私の言葉を遮った。それと同時に両親の顔に「困惑」の二文字が浮かび上がる?
「どういうことだい?2人で話し合って決めたことなんだろう?」
お父さんはいつになくしどろもどろしている。
「結婚のことをまったく話してこなかったわけではありません。でも、薫さんにとってそれはいつ来るかもわからない『いつか』のことで、僕にとっては今が絶好のタイミングだろうと意識のズレが間違いなくありました。」
この雅人の表現は凄く適切だと、何故か冷静に聞き入ってしまった。
「お恥ずかしいことに、僕は薫さんと付き合い始めて2年以上経つのにお義母さんのことを何も知りませんでした。」
「薫・・・お前、雅人君に言ってなかったのか?」
「・・・ごめん。」
お父さんの問いに私は謝ることしか出来なかった。お義母さんは居心地悪そうに視線を反らしている。
「プロポーズをしたのは今月頭、年が明けたばかりの頃です。それから今日までずっと考えていました。この保留になったままの返事はいつもらえるのか、このままで関係を続けられるのか・・・それでも僕の想いは変わりませんでした。」
「雅人・・・。」
「薫さんの仕事のことを考えるとすぐに入籍や結婚式とはいかないかも知れません。それでも僕は薫さんと・・・お二人とも家族になりたいと思っています。いろんなことを支え合いながら乗り越えていけるような・・・。」
帰りの車の中で彼は胸を撫で下ろした。
「ふー・・・生きた心地がしなかったぁ・・・。」
ハンドルを握る手がまだ微かに震えている。
「もー、ビックリさせないでよね。本当、急にあんなこと言い出すからどうなることかと思ったよ。」
「悪かったよ、でも俺が想ってたこと、きちんと薫にもわかってほしかったんだ。そのためには親御さんにもきちんと宣言できるくらいの覚悟が必要じゃないかって・・・。」
「うん、もう伝わったよ、痛いくらいに。それにちょっと・・・格好良かった・・・ありがと。」
「まぁ、積もる話はうちに着いてからだ。今いろいろ話そうとすると事故りそうで恐い・・・。」
「いや、いいよ、今で。ていうか、わたし次第でしょ?待たせてごめんね。」
「え?マジ?今言うの?心の準・・・」
「結婚・・・しよっか。」
わたしが雅人の言葉を遮ると同時に、彼は急ブレーキを踏んだ。
わたしが雅人の部屋で遅めの夕食の支度をしていると、彼が珍しくキッチンまで入ってきた。
「いい匂いだな。それ何?」
「たらこん炒めだって。雫が教えてくれたの。お母さんの得意料理なんだって。」
「そっちの土鍋から湯気出てるやつは?」
「これは鶏団子と野菜の蒸し鍋。本当のお母さんがね、よく作ってくれてたんだ。わたしさ、小さい頃野菜が嫌いで、でもこれなら食べれたんだよねー。」
子供の頃の記憶が蘇ってくる。
「いいお嫁さんになってくれそうで俺は嬉しいよ。」
雅人の零れる笑みにわたしも笑顔を返した。
「なんてったって、お母さん2人分だからね。」
☆鶏団子の蒸し鍋☆
材料(2人分)
☆鶏ひき肉・・・200g ☆塩・・・2つまみ ☆酒・・・大匙
☆ショウガの搾り汁・・・大さじ1 ☆ごま油・・・大さじ1/2
・キャベツ・・・1/4玉 ・お好みの野菜、豆腐など・・・適量
・塩・・・適量 ・お好みのタレ・・・適量
① 鶏団子を作る。星の材料をボウルでしっかりと混ぜ合わせたら団子状に成型しておく。
② キャベツは芯を取り除き、食べやすい大きさにちぎって水洗いしておく。
③ 野菜は一口大に切り、根菜などの固いものは下茹でしておく。
④ 土鍋にキャベツをしっかり敷き詰めて軽く塩を振り、①と③をその上に乗せ、蓋をする。
⑤ ④を弱火にかけ、湯気が出てくるようになってから10分ほどそのまま加熱し、蓋を開けて鶏団子に火が通っていたら出来上がり。
⑥ ポン酢やごまダレ、食べるラー油など、お好みのタレで食べる。
KAORU’s Point♪
「この料理のポイントはなんといってもたっぷりのキャベツ!その水分で蒸し上げるので、少ないと火が入りきらないことも。土鍋の種類によってはこびりつきやっすいものもあるから、その場合は先に薄くごま油を塗っとくのがオススメ♪」
☆たらこん炒め☆
材料(2人前)
・しらたき・・・150~180g ・たらこ・・・20g ・塩・・・適量
・ごま油・・・適量 ・青のり・・・適宜
① しらたきはハサミなどで食べやすい長さに切り、下茹でして水けをしっかりと切っておく。
② たらこは皮を取り除きほぐしておく。
③ 熱したフライパンにごま油を敷いてしらたきを炒め、全体に油が回ったらたらこを加えて絡める。
④ たらこにも火が通ったら塩で味を調えて皿に盛り付け、お好みで青のりを散らす。
KAORU’s Point♪
「炒め始めたらとにかくスピーディに!辛いのが好きな人は明太子で作るのもオススメだよ。」
食事を終えた後、雅人は一度席を立つと、ポケットに手を突っ込んだまま戻ってきた。
「薫、左手出して。」
察しはついたが、ここはこの雰囲気に身を任せよう。黙って頷いて左手を差し出すと、彼は優しく指輪を嵌めてくれた。
「雅人、ありがとう・・・改めて、よろしくね。」
「こちらこそ。」
それからしばらくわたしは彼の腕の中で静かに涙を流した。こんなに幸せな涙は生まれて初めてだと思う。
車で自宅まで送ってもらい、部屋の鍵を開けるとそこに雫の姿はなかった。
洗面所の電気が点いてるので、シャワーでも浴びてるのだろう。
わたしは今日1日の出来事を振り返りながら、これから始まる生活に思いを馳せていた。しばらくしたら籍も入れる予定だし、ゆくゆくは2人で式場を見に行ったりすると思うと表情が緩んでしまう。
「あれ?お姉ちゃん帰ってたの?」
うっとりしてるところを雫に見られてしまった。パジャマ姿で髪を吹いている姿が、何故か凄く子供っぽく見える。
「うん、ただいま。」
「あー!指輪!!ってことは・・・」
「うん、結婚するよ、わたし。」
「お姉ちゃん!おめでとう!!結婚式楽しみだなー。」
「えっとね、雫・・・挙式はだいぶ先になるんだけど、その前にね・・・」
この状況でこれを言うとこの子が困ることくらい容易に想像できたが、先延ばしにしてもしょうがない。
「わたし、この部屋出ることにしたから。早く仲直りしてお父さんとお母さんのとこに帰んなよ。」
「・・・え?」
<新たな日々の始まりを告げるのは、
絶対に揺るがない、左手に光る2人だけの永遠の約束。>