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Scene9 エ・ン・キ・ョ・リ・レ・ン・ア・イ

挿絵(By みてみん)


クリスマスイブ、私は見慣れないとも、見覚えのあるとも言える景色の中にいた。

新鮮なようで懐かしくて、色も音も匂いも、人も街も風も、少なくとも今はまだ私の日常にないものばかり。


次は絶対に私から逢いに行くからね。

涙をこらえながらそう言った今年の夏。

「本当に来ちゃったんだ。」

もしかしたらわかる人もいるかも知れないが、間違いなくこの国の常用語ではない言語で独り言を漏らす。

時計を見ると約束の時刻まではあと3時間。空港からは1時間ちょっとだと聞いていたし、経路は調査済みだが、不安がないわけじゃない。私は足早にターミナルを後にした。

「待っててね、フィリップ・・・。」


空港のバスターミナルに向かう通路の壁一面に貼られたポスターには有名な俳優さんの新作映画の宣伝を兼ねているであろう写真に大きく『Wellcome!!』という文字が書かれている。

改めて感じる異国の空気に胸を躍らせながら、私はポータブルプレイヤーから伸びたイヤホンを耳に付けた。今から4、5年前の洋楽のヒットチャートを聴いていると、当時の出来事が脳内で再生され始める。いや、洋楽と言うより今の私にはこの国のポップミュージックという表現の方がしっくり来る気がした。


英語に興味を持ったのはまだ中学生の頃。

小学生まではなかった英語の授業が始まり、もともとあまり勉強好きではなかったわたしは見慣れないローマ字に四苦八苦し、早くも憂鬱になっていた。

しかし、ある男性との出会いがその状況を一転させた。と、言うと大袈裟だが、ゲストティーチャーという形で夏休み明けから週に1回カナダ人の先生が授業に来るようになったからだ。

英語に苦手意識のある私は最初のうちは彼と接すること自体に抵抗があったが、毎回授業の初めに3分くらい英語でスピーチをしてくれて、その中で動物が好きなことや以前はバンドマンだったことを知り趣向の面では親近感が湧いた(もちろんリスニングが出来たわけではなく、そのあと少したどたどしい日本語で再度同じ内容のスピーチをしてくれていたからだけど)。

というのも私の家も犬、熱帯魚、インコ、ハムスターを飼っており軽く動物園状態だったし、小さい頃からピアノを習っていたり、当時は吹奏楽部だったという程度の共通点ではあるが、多感な思春期の私には多少なりとも異国の文化に興味を持つためには十分な要素だったんだと思う。


そんなある日、彼が日本人にも馴染み深い『カントリーロード』をよく鼻歌で歌っていることに気付いた。

みんながあまり気づかない中でなんで私だけがすぐに曲目までわかったかというと、次のコンクールで発表する曲がこれだったからだ。しかも私の担当は引退した3年生の先輩から引き継ぐ形でメインのメロディーを奏でるトランペットだったので、繰り返し練習しているうちにかなり耳に残っていたんだと思う。

そのコンクールを翌週に控えた放課後、自分のポジションの重要性とそのプレッシャーに押し潰されそうになったいた私は毎日居残りして1人で黙々と練習していた。

しかし、なかなか不安は解消できず悶々としていたときである。アコースティックギターを持った彼が音楽室に入ってきたのだ。

「僕で良ければ練習に付き合うよ。」

と言って一緒に演奏してくれて、特に何か指導を受けたわけでもないのに、何故か少し自信が湧いてきて凄く楽しい時間になったのをよく覚えている。

帰り際に彼は

「日本の漢字って面白いね。musicを日本語にすると『音楽』っていうだろ。『音』を『楽しむ』なんて最高にロックな表現だと思わないかい?」

と、いつものたどたどしい日本語で話してくれた。バンドマンだったのを知っているから納得できる言葉だったが、当時担当していたというエレキではなくアコギを片手にそれを言われるとジョークにしか聞こえなくて私は笑ってしまった。

そんな練習の甲斐あってかコンクールではうちの学校は金賞をもらい、顧問の先生も凄く誇らしげだった。

その後も彼とはたまに一緒に演奏したり、部活の休みの日にはこっそり音楽室に忍び込んでは私が弾くピアノに合わせて彼が歌ってくれたりという日々が続いた。


そして、2年生の2学期が終わる頃、任期を終えた彼は学校を去ることになった。最後の授業の日、みんなは笑顔で彼を送り出していたが私だけは涙をこらえるのがやっとだった。

最後は和訳の書かれていない彼からの手紙が全員に配られ

「ここに書かれた僕からの感謝のメッセージは、君たち自身が考えて、選んで、繋げた言葉や表現で翻訳してほしい。それが僕が日本で学んだ、外国語を楽しく学ぶための1番の方法だからね。」

と、彼は最後のスピーチをした。その言葉は私の生き方を決めるに値するものだったと今でも思う。そして私のプリントにだけ歪な日本語の文字で「ホノカ、またセッションしよう!」と書かれていたのが嬉しくて堪らなかった。


私にとって始まりは音楽だったが、それでも言語を学び、相手の国の文化や風習に関心を持つことで理解し合えるのは人として凄く素晴らしいことのように思えた。

そこから1年みっちり勉強した私は自宅からでも通える距離にある英語の指導に定評のある私立高校に進学し、修学旅行とはいえ初めて海外に行ったり、夏休み返上でショートステイを経験したりもした。


そして、大学在学中に1年間の短期留学をしたこの国での出逢いが私に大きな影響を与え、もっと語学を勉強したいと思うようになった。

自分の想いを大切な人にもっともっと届けるために・・・。


バスと電車を乗り継いで辿り着いたフィリップの住む街を歩いて回ると、いかにも欧米のクリスマスシーズンといった感じで、日本でも鮮やかな時期だとは思うが、やはりこっちは桁というか質が違うと実感した。

ベンチに座って人目をはばからずキスをするカップルや、お父さんに肩車されながら嬉しそうにアメコミのフィギュアを振り回す男の子を見ていると、少しおかしな表現かも知れないが「帰ってきた」という感覚が湧いてきた。

簡単に買い物を済ませ、今年から1人暮らしを始めたという彼のアパートの前まで来た私は深呼吸をした。

フィリップには最初に何て言葉をかけようか・・・。


挿絵(By みてみん)


「でもやっぱり初恋の人が英語の先生って凄いよねー。」

玲子ちゃんが両手にスーパーの袋を持ってそう零した。

「しかもカナダ人。次元が違うよ。」

杏奈ちゃんも大きな目をパチクリさせながら言った。

「そうかなー?でも、当時はあれが恋だなんて思ってなくて、振り返ってみたらそうだったのかなって感じだよ?それにカッコいい先生だったら2人もときめくんじゃないの?」

私は正直な意見を述べる。

12月の初め「まぁ、今年のクリスマスはそれぞれお相手がいるわけだし、女子だけで早め軽めの忘年会ということで!」と玲子ちゃんが数日前に言い出したので、私の部屋で女子会ということになった。今はその買い出しの帰りである。


「残念ながら、あたしは先生にそういう感情は抱いたことないなぁ。ていうか、外国人が嫌いなわけじゃないけど、やっぱり男として意識できることが凄いよ。」

大学の授業でたまたま席が隣になって以来仲良くしている五代玲子ごだいれいこちゃんの言葉の意味がイマイチ私には理解できなかった。私からすれば恋愛において肩書や歳の差、ましてや国籍なんて関係ないのに。

「まぁ中学の頃の初恋ならわからなくも・・・いや、わからないけど。この歳になって考えるとさ『好き』って気持ちだけじゃどうにもならないこともあるように思えてきたんだよねー。」 

玲子ちゃんは学生の頃から本当にリアリストだと思う。それが年齢と共に更に洗練されてきた気がするのは私だけじゃないはずだ。

「やっぱり結婚とか将来のこととか?」

私が相槌を打つと

「まぁ、最終的にはそこに行きつくのかな。例えば自分がフリーだったとしたらさ、今から付き合う男として学生はアリかナシか、みたいな。何処で植えつけられた先入観なのかわからないけど本人もそうだし、自分と関わっていくうえでの将来性を考えずにはいられないんだよね。」

と、玲子ちゃんが続けたので、素直に

「あー、わかるかも。」

と、返したら杏奈ちゃんがあからさまに驚いた。

「え!?穂野花でもそんなこと考えるの?」

「恋する乙女の杏奈ちゃんには言われたくないなー。」

私は冗談めかして言ったつもりだったが

「まったくだ。」

玲子ちゃんのツッコミは適格かつ、いつだって冷静である。


一条杏奈いちじょうあんなちゃんとも大学の頃に同じ授業で一緒になることが多くて自然と仲良くなったのだが、彼女は玲子ちゃんとは真逆の性格である。

「でもさ、でもさ、そもそも好きって気持ちがなかったら何も始まらないじゃん。ふとした時に『いいな』って思ったのがきっかけで始まる恋もあるかもよ。」

このように杏奈ちゃんはゆるふわガーリー、対照的に玲子ちゃんは堅実でボーイッシュと言ったところか。その気持ちもわからないわけじゃないが、独自の世界観さえ感じさせる杏奈ちゃんの女子力は度を越えているとさえ思う時がある。

ちなみにそんな印象を2人に抱いている私は彼女たちからよく「天然」だの「不思議ちゃん」などと言われるが全くもって自覚はない。

「杏奈、違うよ。『好き』だの「いいな」だのの前に歯止めがかかるって言ってるの、あたしは。」

そうだ、そういうことだ。

「それはその程度の相手だったってことじゃない?ステキな出逢いはね、細かい理屈なんかふっ飛ばしちゃうんだから。」

「・・・合コンで知り合った男と付き合ってるくせに・・・」

玲子ちゃんの心の声が漏れていた。

「なんか言った?」

「別に・・・」

やっぱり対照的だこの2人は。

「ねぇ、穂野花もそう思わない?」

「うーん、どちらとも・・・」

こうして話を杏奈ちゃんに振られると、中立的な答えに辿り着く。この2人は極端だが、それぞれの言ってることもわからなくはないし、そこが私からすると不思議な居心地の良さを感じるポイントなのかもしれない。


酔って記憶を飛ばしたことはないが、話した内容をところどころ覚えていないということはよくある。きっと今日もそうなるだろう。

「なんで!?たった10時間ちょっとの距離なのにこんなにたまにしか逢えないの~?」

そして自覚してるがお酒が回ると私は決まってフィリップのことを話したくなってしまう。それをこの2人は聞いてくれるので、いつも本当に感謝している。

「また始まった・・・」

缶ビールを片手に小声で玲子ちゃんが何か言った気がしたが、私の耳には入ってこない。

「まぁ、いいんじゃん?だって今月だもんねー、穂野花?」

「うん!クリスマスだよ?クリスマス!!」

杏奈ちゃんの言葉に私はアルコールで掻き消されそうな意識を引き留めながら答えた。

最後に逢った今年の夏、私はフィリップに自分から逢いに行くと約束した。留学中に向こうで出会って恋人同士になった私たちではあるが、私が帰国してからは年に2、3回彼が日本に来てくれている。

私から逢いに行きたいと思ったことがないわけじゃないし、出来ることならもっと頻繁に一緒に過ごしたいとは思っている。ところがこっちに帰ってきてからは休学扱いになっていた大学を卒業するためにバタバタしながら就活をしたりと、物理的にも精神的にも余裕がなかった。あの頃は社会人としては1年先輩の杏奈ちゃんや玲子ちゃんにサポートしてもらえたことが凄くありがたかった。

「でもさ、杏奈。やっぱり穂野花って抜けてるところはあるけど、行動力とか発想の面では本当に凄いと思うんだよねー。」

「何?玲子ちゃ~ん、褒めてくれてるの~?」

酔っぱらうとこういう絡み方しか出来ないのは申し訳ない、自覚してるだけに。

「確かに。恋の力って凄いなって穂野花を見てると思うもん。彼ともっと上手にコミニュケーションを取りたいからって更に英語勉強して、それを生かしてこの歳で英会話教室の先生だもんね。特にスキルのないわたしからすれば羨ましいよ。」

「杏奈ちゃん、ありがと~。」

「はいはい、どういたしまして~。」

いつもの調子で杏奈ちゃんは答える。

そして彼女の言う通り、私は英会話教室の講師をしている。大学のときに教員免許も取ってはいたが、いわゆる「学校の英語の先生」にならなかったのは社会に出るのが同級生だったみんなより1年遅れたことで、あらゆる情報が事前に耳に入ってきたからだ。

「今どきの中学や高校はその辺のブラック企業よりもタチが悪い」と聞かされただけで私は教師になるのを断念し、外資系企業の受付嬢、英語専門のテレフォンオペレーターなど、英語を日常的に使うであろうあらゆる職業を検討していたところ、条件の良かったこの仕事を選んだ。


夜も深まり、杏奈ちゃんと玲子ちゃんの頬も少し赤らんでいるように思えた。もちろん1番酔っているのは私だろうけど。

「やっと・・・やっと逢いに行けるの~。ずっと我慢・・・してきたの~。」

胸の内を2人に打ち明けると瞳が潤んでくる。

「うわ、今日は泣くパターンか。」

「いいじゃん、玲子。留学してたとき以来だもんね、穂野花?」

杏奈ちゃんが優しく声をかけてくれる。

「そうだね、最高のクリスマスにしてきなよ。」

玲子ちゃんのその一言も凄く嬉しかった。今から本当にクリスマスが待ち遠しい。



フィリップの部屋のインターフォンに手を伸ばすと日本の空港からここに辿り着くまでの出来事が走馬灯のように脳裏に蘇ってくる。


約10数時間のフライトを終え、この国に降り立ってからは何とも地に足が着いていないような感覚が抜けきらない。それでも初めて来たこの街についてわからないことがあれば道行く人に尋ねてみたりすると、みんな優しく答えてくれた。

さっきだって寒かったのでコーヒーを買いに寄ったお店のおばあちゃんに

「この辺りでは見ない顔だけど、あなた中国人?」

と、欧米で日本人がよくされる質問のトップ3に入るであろう問いに

「日本から来ました。今からダーリンと久しぶりにデートなの。」

と答えると

「あら、ステキ!それにしても流暢な英語ね。」

なんて会話が出来たくらいだ。


きっとこれまで以上に私の想いをフィリップにきちんと伝えることが出来る、そう信じて鈴のマークの描かれたボタンを押そうとするとドアが開いた。

「わっ!!」

予想外の出来事に声を上げると

「オカエリ、ホノカ。」

と、片言の日本語で彼は出迎えてくれた。

「ただいま、フィリップ。」

私が英語で返すと、彼は嬉しそうに微笑んで私の手を取りながら部屋に招き入れた。

夕日に照らされたその表情が嬉しくて私も笑顔が零れる。


フィリップと出会ったのは3年ほど前、私が1年間ホームステイさせてもらった家の近所に彼の実家があった。

公園のバスケットコートでいつも友人と3on3で対決したり、犬の散歩をしていたり、自慢のバイクを乗り回したりと、そんな彼の様子を見ていると日本の大学生ともそう変わらないと思った。

ある日、私が公園のベンチで本を読んでいると彼の家で飼っているゴールデンレトリバーが飛びついてきたのがきっかけで彼と初めて言葉を交わした、というより本当の意味でフィリップ・レッドフィールドという人物を認識した。

それまでは近所の男の子という印象しかなくて、遠目にたまに見かけるという距離感だったからだ。

でも、後から聞いた話だと彼は意外とシャイで、近所にホームステイしている私のことが気になってはいたものの声をかけられなかったんだとか。

それからは2人で頻繁に逢うようになり、ツーリングに連れて行ってもらったり、彼の家のホームパーティーに呼んでもらえたりと自然と仲は深まり、私たちの国際恋愛はスタートした。

でも、それと同時にわかっていたのはあと数か月でこれが遠距離恋愛になるということだ。


1年の留学生活を終え、この国を発つ日、フィリップはもちろん空港まで見送りに来てくれた。

「僕はホノカのことも日本という国も大好きだからね、必ず逢いに行くよ。」

「私も・・・私もまた必ずここに来るからね。待ってて・・・。」

それ以上は言葉に出来なかった。今の胸の内を英語でどう彼に伝えようかと考えてみたものの、頭が心に追いつかない。そして、今日に至るまで彼は何度も日本まで来てくれたが、私はここに辿り着くまで3年近くかかってしまった。

そして今日やっと言葉では上手く説明できない距離を縮めて、彼を捕まえることが出来た気がした。


「乾杯。」

2人で声を揃えてグラスを傾けた。私が来るとわかった今年の夏頃から用意してくれていたらしいロゼのスパークリングワインは、ほんのり甘くて私好みの味だった。

「それにしてもホノカ、また英語が上達したんじゃないかい?僕ももっと日本語を勉強しなきゃなぁ。」

「そうかな?たぶん毎日人に教えてるからかも。間違ったこと教えるわけにはいかないし、特に発音なんかは凄く重要。」

「そうだよね。うちの会社にも何人か日本人のスタッフがいるけど、もう何年もこっちに住んでるのに、イントネーションがおかしかったりするよ。まぁ、生活に支障が出るレベルじゃないからいいんだけど。」

IT系の会社に勤めている彼は笑いながら続けた。

「でも、そんな彼らよりも更にたどたどしい英語しか話せなかった女の子が僕のハートを射止めたんだけどね。」

ウインクしながら生ハムの乗ったバゲットをかじる彼に

「恥ずかしいからその話はやめてよ。だから頑張って勉強したんだもん!それに、日本ではそういうこと言ってると女の子に『チャラい』って言われちゃうよ。」

と答えると、自称親日家の彼は目をまん丸くして

「『チャラい』?それはどういう意味だい?初めて聞く言葉だ。実に興味深いなぁ。」

「女ったらしに見えるって意味かな?」

「こっちではこれくらい普通というか、割とシャイな僕でさえ言うくらいなんだから、女の子から見ても違和感はないと思うけど・・・」

「確かにね・・・」

というか、かつては本当にシャイボーイだったが私と付き合うようになってだいぶ垢抜けたというか、はっちゃけたというか。そもそも本当にシャイな人は自分のことをシャイなどと言わないだろう。

「だけど、日本の流行語っていうのは本当に面白いよ。夏にそっちに行ったときに友達の写真を見せてくれただろう?若い女の子は写真を撮るときに『ドヤ顔』っていう表情になるんだよね。何年か前に日本に行ったときにはまだ聞かなかった言葉だ。」

「違う、フィリップ。それ『キメ顔』ね。」

「おー、そうだったっけ。ははは。」

こうやって日本国内と海の向こうではズレた認識が生まれるのだろう。ちなみに彼の今の笑い方を日本人にわかりやすく表記すると「HAHAHA」といったところだろうか。

彼みたいなタイプの人をきっと天然と呼ぶのだろう。だから、私は断じてそういう人間ではないと思うんだが。



翌日、私は彼の腕の中で目を覚ました。

部屋の時計に目をやると短い針は11を過ぎたところだ。ずっと欲していた体温に、このまま時が止まればいいのになんて考えてしまう。


今日はクリスマス、世界中のカップルが甘いひと時を過ごすに違いない。

街に出ると昨日の夕方に見た景色とはまた違った雰囲気に心が躍った。

私がホームステイしていた、つまりフィリップの実家のある町からは車で2時間ほどの距離らしいが、凄く都会で、あの頃を過ごしたのと同じ国だと思いながら街並みを眺めると少し不思議な感じがした。

2人で手を繋いで歩く。そんな世界中の何処の国でもありふれているカップルとしての行動のひとつひとつが私たちには今はまだ非日常の出来事だ。

コーヒー片手に街を散歩したり、買い物をしたり、凄く当たり前なことなのに一々嬉しくなってしまう。

それと同時にあと何年経てばこれが当たり前に感じられるようになるんだろうかとも思ってしまった。まだ私たちの間には「何年後に一緒に暮らそう」みたいな明確な指針がない。

それぞれ仕事もやっと落ち着いてきた頃だし、今すぐにでも・・・という気持ちに現実が追いつかないのが現状だ。それでも、そう願わずにはいられないのも事実。


数時間後、シンプルなデザインながら可憐という言葉がぴったりな薔薇色のドレスに身を包んだ私は、食事を楽しみながら

「どうしてサイズがわかったの?」

とフィリップに問い質していた。

「夏にそっちに行ったときにホノカの服を選びに行っただろ?試着している間に店員さんにこっそり聞いておいたんだ。スリムなままでいてくれて良かったよ。」

と、笑いながら答えているが、食事の前に寄りたいところがあると言い出すから何事かと思ったら、物凄くオシャレなサロンに連れていかれたときは驚くしかなかった。知り合いのスタイリストやヘアメイクの人に頼んで、今夜のために私は着飾らせてくれるなんて。

「ホノカ、綺麗だよ。僕からのプレゼント気に入ってくれたかな?」

そう言って微笑む彼の中では今日のための準備はあの頃から始まっていたんだと思うと、感謝してもし切れないくらいで、私まで顔がほころんでしまう。慣れない服を着ていたり、アルコールのせいもあるが、浮き足立っているというのこういう感覚なんだろう。

コースで提供された料理はどれも美味しかったし、何よりお店の雰囲気がステキだった。

でも、その気持ちの高揚は同時にこの幸せな時間の終わりを刻一刻と告げているようで、お店を出るときには切ない思いで胸が苦しくなりそうだった。

「切ない」なんて日本語にしかない表現をどう言葉にしていいかわからずにいることをアパートまでの帰り道を歩きながらフィリップに打ち明けると

「その言葉のニュアンスは僕にはわからないけど、今のホノカの気持ちを察することは出来るよ。僕も同じ気持ちだからね。」

そう言って優しく抱きしめてくれた。


翌朝、夜中に私がわざとらしく派手な靴下の中に入れて彼の枕元に置いておいたプレゼントを彼はえらく気に入ってくれたようだ。

「デザインがカッコいい。」

と、本来ならパソコンの画面と向き合う時に目の負担を軽減するための眼鏡を彼は朝起きてからずっとニコニコしながらかけたり外したりしている。

帰りの飛行機まで残り数時間という中で、私たちは部屋から出ることもなく他愛もない会話をしながら手を繋いだり、キスをしたりしながら過ごした。

最後の食事くらいは私が手料理をご馳走したいと言うと

「じゃあ、やっぱりオムライスがいいな。」

と彼は目を輝かせながら答えた。

まだ付き合い始めたばかりの頃「ホノカの作る日本の料理が食べてみたい」と言われ、作ったのがこれだった。

日本に帰ってから友達に話すと「それって和食が食べたかったって意味じゃないの?」と大半の人からはツッコまれ「洋食だって立派な日本の料理だと思う」と言うとみんなに笑われた。

それでもオムライスは私も、そしてこのとき以来彼も大好きな料理だ。普段はあまりお米は食べないらしいが、このケチャップライスはかなり気に入ったみたいである。

「凄いね、偶然材料が全部揃ってる。」

と私が冷蔵庫を漁りながら言うと

「作ってもらいたかったから先に買っといた。」

と彼は得意げに笑い、その表情が私にはより一層愛おしく思えた。



挿絵(By みてみん)


☆ふわとろオムライス☆

材料

・鶏モモ肉・・・150g ・タマネギ・・・1/2個 ・ごはん・・・お茶碗2杯分

☆卵・・・4個 ☆牛乳・・・50cc ☆砂糖・・・大さじ1 ・バター・・・20g

・塩・・・適量 ・コショウ・・・適量 ・ケチャップ・・・大さじ3~4

・サラダ油・・・適量

① 鶏肉は小さめの一口大に、タマネギは粗めのみじん切りにしておく。

② ☆の材料と塩ひとつまみをしっかりと混ぜ合わせておく。

③ 熱したフライパンにサラダ油と鶏肉を入れ塩をひとつまみ振ったら中火でソテーする。

④ 鶏肉に火が通ってきたらタマネギを加え、透き通ってきたら温かいごはんを入れ、ほぐすようにして炒めたらケチャップ、塩、コショウで味を調えて、楕円形にして器に盛る。

⑤ 熱したフライパンにバターを10g入れて溶かし②を加えたら強火で焼きながら半熟になるまでかき混ぜる。

⑥ 火から一旦離し、手前に寄せるようにしながら形を整えてフットボール型にし、ひっくり返して繋ぎ目を焼き、表面が固まったら④に乗せ中央に切れ込みを入れて開き、ケチャップ(分量外)をかけてお好みでドライパセリなどを振る。

※⑤~⑥は1人前の作り方です。2人前のときは同じ行程をもう1度繰り返してください。


HONOKA’s Point♪

「⑤と⑥はとにかくスピーディーに!少しコツがいるけど何度か練習してるうちにきっと上達するハズだよ!」


☆ホウレンソウとベーコンのサラダ☆

材料

・サラダホウレンソウ・・・1束 ・エリンギ(大きいもの)・・・1本

・ベーコン(ブロック)・・・40g ・オリーブオイル・・・大さじ1

・しょうゆ・・・大さじ1/2 ・コショウ・・・適量

① サラダホウレンソウは食べやすい大きさにカットして水にさらしておく。

② ベーコンは5mm幅にカットし、エリンギも3mmくらいの厚さで同じくらいの幅に切っておく。

③ オリーブオイルを熱したフライパンにベーコンを入れソテーし、カリッとしてきたらエリンギも加える。

④ エリンギに火が通ったら、鍋肌からしょうゆを加えて火から下ろす。

⑤ 水気をしっかり切った①を皿に盛り④を上からかけ、黒コショウをたっぷり振る。


HONOKA’s Point♪

「食感の違いを楽しめるように具は炒め過ぎないのがポイント!しょうゆとソテーしたときに出る水分がドレッシング代わりになるよ♪」



食事を終え、帰りの身支度を済ませた私は、空港まで送ってくれると言う彼と一緒に部屋を出ようとしていた。

「またオムライス作ってね。」

と言う彼の声が少し寂しそうに聞こえて、思わず抱き付いてしまう。「帰りたくない」という言葉を飲み込もうとすると瞳が潤んできた。

自分から逢いに来たからだろうか、寂しさがいつもの何倍にも感じられる。それでもいつか一緒に暮らしたり出来る日が来るなら、私がこっちに来たいと思った。

もちろん日本は好きだし、離れると決まれば寂しくもなるだろうけど、こういう恋愛を続けてきたからこそ、この国で彼と一緒に過ごす時間の方が2人の距離をより近く感じさせてくれるとこの3日間で私は実感したから。

「フィリップ、行こうか。」

私は彼に寄り添っていた身体を離し、ドアノブに手をかけた。ここに来たときと同じような夕日が部屋に差し込む。

私が彼の手を取ると、一昨日彼に手を引かれてこの部屋に入った瞬間がフラッシュバックする。再会のときもしばしの別れのときも同じような構図でいることが、妙にドラマチックに感じられた。

「ホノカ・・・?」

手を握ったまま動けずにいると、彼は心配そうに私の顔を覗き込んでくる。

次はいつ逢えるだろうか。いつかこの切なさを味わうことがない日が来ることを願いながら、私はフィリップに微笑み返した。


挿絵(By みてみん)


<逢いたくても逢えない距離を越えて、やっと迎えた今日に、

またしばらく逢えない分、2人の“好き”を確かめて・・・。>

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