クロスの事情聴取1
「え?なんだ?どうした?」
うろたえるロイズに向かう私の肩を、引き止めたのはクロスだった。
「魔力も無いし、ろくな魔具も持っていないので大した害はないだろうと思い、私が出したのです。どうしたのですか?」
後ろから聞こえるクロスの声は穏やかなのに、背筋を伸ばして起立の姿勢のロイズは、何故か顔が引き攣っている。読めない……。
「下女として働ける事になりましたので、隊長から説明の為に連れて来るよう言われ参りました」
「そうですか……。では、城内に置くのですね」
クロスの不満気な声に浮かんだロイズの愛想笑いに、私までドキドキする会話が続く。
「ぶ、部署や、詳しい事はまだ決まってないようですけど……。後からクロスさんに隊長が説明されるそうです」
「分かりました」
クロスは足を進めて私の前に立つと、そっと私の頬に片手を添えて顔を見つめ続ける。
「では、また会いましょう」
色気を感じる声と眼差しで、私の頬をそっと撫でてクロスは留置室のドアに向かう。
ドアが閉まると、ロイズと二人でその背中を見つめながら、同時に溜息をついた。思わず手でゴシゴシと頬を拭いてしまう。
「あの……あの人っていつもあんな感じなんですか?」
「いや……違う。お前、何かしたのか?」
「いえ……何も。ただ、クロスさんが傷を治してくれただけです」
「そうかぁ……とりあえず隊長室行こう。俺もあんまり行きたくないけど」
「私は、もっと行きたくないです」
少し話しただけなのに、あの場にいたロイズがやっぱり怖くない。ロイズは良い人だと私の中で確定した後、重い足どりで二人で廊下を歩いた。
隊長室は同じ建物内にあった。ロイズが言うには、この建物は騎士が生活する騎士棟になり、棟続きで魔術師棟もあるそうだ。
留置室を出て少し歩くと、周りより少し立派なドアをロイズが背筋を伸ばしてノックする。
「ロイズです。連れて参りました」
「入れ」
隊長の返事に緊張すると、ロイズがドアを開けて私が入るのを待ってくれている。応接セットと、天井まである棚と、大きな机に山と積まれた書類が目立つけれど、全体的に整理された飾りの一つもない部屋だ。
「ロイズご苦労だったな。もういいぞ。お前は……まぁ、座れ」
「はい」と短く返事をして、私を見ながらドアを閉めるロイズを羨ましく思いながら見送る。
どこに座れば良いかも分からず立っていると、隊長が応接セットの椅子に疲れたように座ったので、私もテーブルを挟んだ向かいに座る。
「で、お前は何物だ?魔力も感じられないし。どうして、あの部屋にいた」
「鈴木悠理です。普通の人間です。何かを害そうとして、あの部屋にいた訳ではありません。実は……私にも何で此処にいるのかよく分からないんです」
この世界の事は何も分からないので、少しの嘘を混ぜて答える。椎名さんに巻き込まれて異世界から来た、と言っても信じて貰えないだろうと思ったから。
「害があるか無いかは、これからこちらが判断する事だ。スズキユウリが名か?分からないとはどうゆう事だ?」
「鈴木と周りから呼ばれる小さな普通の家に生まれ、悠理と名付けられました。なので、名は悠理です。分からない事が、分からないんです。気が付いたら何も知らない、この国にいたんです」
嘘は少ない方がいい。これ以上、疑われないように気をつけながら答える。自分で言いながら、
本当に何も知らず、分からないこの世界の現実に涙が滲んでくる。
「名は分かるんだな?ユウリか……」
「悠理です」
言語変換の魔具をつけていても、名前だけは少し違った発音で聞こえる。
訂正した時に、隊長が溜息をつき肘掛けに体重を預け、ガチャっと鞘にしまわれた剣が音をたてた。
とたんに自分でも驚く程に身体がビクッとする。
剣の色光りと首の痛み、捩り伏せられ剣先を向けられる痛みと恐怖の記憶が頭に広がり血の気が引いてしまう。
「おい。どうした?ユウリ?」
どうやら私は、巻き込まれた転移と緊張の連続で限界だったようだ。生まれて初めて気を失ってしまった。
「まったく、まだ冷える時期なのにこんな薄着で……。熱を出すのも当たり前です。どうしますか?医務室に移しますか?」
「いや、ここでいい。まだ、話しも聞けていないしな」
「分かりました。また様子を見に来ます」
何かの燃える音と、小さな話し声で目が覚めた。ゆっくりと身体を起こすと、柔らかいベッドと暖かい布団に挟まれている。
さっきの部屋とは違う。火がゆらゆら燃える暖炉の前で、隊長が火かき棒で火加減を調整している。
「起きたか?」
隊長が起きた私に気付き、低く声をかけてくるから私の身体は緊張する。部屋には隊長しかいなかった。
「あの……。ここは?」
「俺の居室だ。そう怯えるな」
私の態度は分かりやすかったみたいだ。けれど、すぐにあの強烈な記憶を忘れられないし、態度も変えられないので黙っているしかできない。
「気を失って倒れたんだ。熱も出てる。薬を飲んで着替えられるか?」
ポットからカップにお茶の様な物を入れ、隊長にすすめられた。鼻を近づけると薬の匂いがする。
「薬だ。旨くはないが、よく効く。飲め」
躊躇う私に感情の無い低い声で言う隊長。厳しい顔はしていないので、少し安心して温いお茶を一気に飲んだ。漢方薬を飲んだ時の様な、強い後味に顔をしかめてしまう。
「果汁を入れた水だ。飲むか?」
無言で頷き奪う様にコップを受け取り、水を飲むと口の中は随分とマシになる。柑橘系の香りがする、少し甘くて冷たい水は美味しかった。
「ジュリア様の口添えがあるとはいえ、まだお前を自由にする訳にはいかない。今夜は、これに着替えてここで寝ろ。俺が監視につく」
そう言って重ねて渡されたのは、若草色のワンピースとカボチャパンツとコルセットの様な物だった。
「着替えの間だけ席を外してやる。さっさとしろ。」
言葉の通り隊長が部屋から出ると、思わず大きなため息が出て身体の力が抜けていく。 隊長が気を使ってくれてるのは分かるが、厳しくはないけれど引き締められた表情と抑揚のない低い声に余計に疲れていた。
あの喋り方と威圧感は半端ない…。もうやだ。留置室に連れてってほしいよ。
心の中で文句を言いながら、ベッドから降りる。近くに私の靴とルームシューズの様な物が揃えておいてあったので、ルームシューズを履いた。
そして、少し悩んで踝まであるワンピースを着てから、ショーツだけを履き変えた。
靴下も脱いで下着と一緒に落ちないように 畳んでスカートのポケットに入れ、制服を畳んでいると新たな悩みに気が付いた。
どうしよう……。トイレに行きたい。
いやまだ余裕はある。我慢だ。けど我慢にも限界がある……。
隊長に聞く?なんだか恥ずかしいし聞きにくい。
ずっと我慢する?出来る訳ないし、粗相もしたくない。
一人脳内会議を開いているうちに、じわりじわりと高まる生理的欲求を無視できなくなってくる。
我慢しすぎてお腹が痛くなったらどうする。限界がきてトイレが遠くて粗相したらどうする。
ここの世界の人も当たり前にトイレは使うはずだ。
開き直って隊長に聞こうと、隊長が出て行ったドアに向かうとノックの音が聞こえた。
ノックをされた事を不思議に思いながら、ドアを開くと隊長がいる。
通れる様に身を引くと、隊長が無言で中に入り続いて微笑むクロスと、食事の乗ったトレイを持ったロイズが入ってきた。
クロスは暖炉上に何か石を置いて、隊長のように前のラグに座り、ロイズは応接セットに向かう。
私はロイズの後ろを着いていき、テーブルにトレイを置いた所で声をかけた。
「ロイズ……」
「な?なに?俺じゃなくても、隊長やクロスさんがいるだろ?」
私の声に背中をびくつかせて振り向いたロイズの顔には、俺に聞くなと書いてある。
「いや……迷惑はかけないから。あのね、トイレどこ?」
あの二人がいても、聞くなら断然ロイズがいい。それでも、恥ずかしくて下を向き小さな声になってしまう。
「わわっ、クロスさん睨まないで下さい!隊長……どこ案内したらいいですか?」
慌てるロイズの声の中、私の視界に黒い靴が入って来た。少しずつ視線をあげると近い距離に隊長がいて、身体に力が入ってしまう。
「こっちだ。ロイズ。済まなかったな。もういいぞ」
隊長の声に、ロイズは姿勢を正し私の世界と同じ敬礼をすると、足早に部屋を出て行ってしまう。
案内されたのは、居室のトイレで鏡と洗面台の様な所の奥にあった。 様式のトイレの様な形で、中を覗いてみると穴がポッカリ空いていて、微かに水が流れる音がする。
近くには厚めのチリ紙の様な物だけが、壁につけられた棚に置いてある。
多分、これで良いだろうと適当に用を足すとスッキリはしたけれど、気分が沈んでしまう。
トイレ一つでこれだけ悩んだ私。日常生活となると、日付に時間にお金に、さっきのコルセットみたいな物の使い方から沢山の事を覚えなければならない。
椎名さんは、あの様子なら当てにはならないだろう。
暗い気持ちのままトイレを後にした。
「こちらへどうぞ」
ドアを閉めるとクロスに呼ばれラグを手で示された。身体は怠いけれど素直に暖かそうなラグに座る。
暖炉を挟み向かいあって隊長とクロスが座っていたので、私は二人の間の暖炉の正面の位置だ。
暖炉の中の炎は私の世界の物と、同じに見えてとても安心出来る。
「失礼します」
ぼんやり見る火は色も動きも飽きがこず、心が安らぐ。そんな時に、クロスに声をかけられた。
クロスの方を見ると、手がのばされて来るので避けるように身を引いてしまう。
「熱をみるだけです」
苦笑するクロスに、恥ずかしくなり避ける事をやめた。
「熱がこの位のままなら薬だけで明日には下がるでしょう。食事はとれそうですか?」
その言葉に隊長が、さっきのトレイを取りに行き私の前に置いてくれる。
「テーブルより、こっちの方が暖かい。じゃあ、行ってくる。クロス、すまないな」
私は、また出て行く隊長の背中を見送っていた。
「ディンも食事ですよ」
「ディン?」
「隊長ですよ。いては、くつろげないでしょう。ほらお食べなさい」
野菜と肉のスープとロールパンみたいなのが2個。後はウインナーみたいな物を焼いて、卵焼きらしき物と色々な豆のサラダにデザートなのか赤い果実もある。
いただきますと手を合わせ、あまり食欲も無かったので恐る恐るスープを一口食べてみる。
味は薄めだけど美味しく感じて、それだけでお腹が一杯になってしまう。
食べてる私を確認すると、部屋に着いている小さな机でクロスがお茶をいれて来てくれた。
「もういいんですか?」
「あまり食欲が無くて……。残してすみません」
クロスがトレイを片付け渡してくれるカップを受け取りながら、元気でも全部食べられない量だったので謝ってしまう。
「かまいませんよ。
けれど、少し聞きたい事があります。あなたはユウリという名だそうですね。ディンから少し話しを聞きました」
クロスの尋問するような口調に、無言で正座に座り直して背筋を伸ばした。聞かれた事に、すぐに答えられるか分からず不安と緊張が膨らむ。
「気が付いたら、何も知らない分からないこの国にいて、市井で偶然会ったジュリア様を助けたそうですね」
「はい」
そう。クロスの言う通りだ。助けたのが学校の階段で、市井じゃないだけ。
「何から、ジュリア様を助けたのですか?」
「階段から私に向かって倒れてきたので、支えて助けました」
これも本当だ。椎名さんもそう言うだろう。
けれどクロスは、濃い紫の瞳で私の目をじっと見つめて言った。
「おかしいですね…。ジュリア様は、さらわれそうになった所をユウリが偶然見つけ、大声で人を呼び助けたとおっしゃいましたが」
その言葉に、ため息が出て身体の力が抜けた。
椎名さん……。そうするなら、そうすると、ちゃんと言っててよ……。