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月明かりの庭園

 客室のベランダ側の大きな窓を開けると、口元に悪戯っぽい笑みを浮かべたディンがいた。


「行くぞ」


 本当に散歩に誘いに来てくれたディンの言葉が嬉しくて慌ててショールを巻き、外を歩いて良さそうなヒールの靴に履きかえてベランダに出る。 どうやって降りる?此処は2階だ。


 ディンを見上げると、濃い灰色の瞳で私を見つめニヤリと笑うと、背中と両膝裏に腕を回され抱え上げられる。浮遊感に思わずディンの首にしがみつくと、同時に転移してしまう。


「うわぁお」


 着いた場所は、大きなギリシャの女神様のような彫刻のある噴水の近くだった。彫刻の女神様は坪を肩に抱えていて、水が流れ出ている。ぽっかりとひらけた噴水の周りには木々が多く、東屋もあるけれど人気はない。


「ここは?」


「城内の逢い引きの名所だ。一応、隠しとけ」


 な、なんですと?あ、逢い引きって響きからして刺激が強すぎます。


 ディンは、当たり前に言うと私を芝生の上に降ろしショールで髪を隠すように巻き直した。視線だけで周りをよく見ると、木々が揺れたり、陰から人の気配がする。きっと、見てはいけないはずだ。


「仲良くしてるだろうから目立つ事なく大丈夫だろう」


 そういう問題じゃない。デートもした事が無い私には、いきなりレベルが高すぎるんだ。サラっと現状を告げるディンの言葉に一人で顔を赤らめてしまう。


 背中を軽く押されてびくつきながらも、ディンの隣を歩き始めた。なるべく、人気の無い場所のベンチに二人並んで座り夜空を見上げる。月は満月で私の世界より大きく、隣に三分の一程の青い星もある。


 月明かりが意外と明るく、ぼんやりと満月を眺めていると金髪と濃い群青色の妖精が空中で追いかけっこをして遊んでいるのに気が付いた。今までした事がなかったけれど、月を見上げる事も良いかも知れない。


 そんな私の背中辺りのベンチの背にディンが腕を伸ばしてくるので、悪意はないとわかっていても身体に力が入ってごまかすように姿勢を正してしまう。


「それで仕事はいつからだ


 ディンは私をチラッと横目で見ると問いかけてくる。


「木箱の解説が終わってからになると思います」


 そうなると、いよいよ近日中だ。バイトすらした事が無いのに、ちゃんと働けるかと不安になってしまう。


「俺は明日からしばらく城にいない。クロスも忙しくなるはずだ。今までのようにはならないだろう。けれど、困った事があれば誰かに必ず聞け」


「え?」


 ディンとクロスの最初の出会いは悪くても、今までは一番近くにいてくれた人だ。そんな二人が私から距離を取る事になり、寂しいという感情とは違い状況の変化に不安が大きくなる。ランバートのような人ばかりに囲まれるかとも考えてしまい、少し憂鬱にもなってしまう。


「お前はお前の出来る事をまずは覚えて頑張ればいい。俺もそうしてるだけだ」


 思考と連動して俯いた私の髪にディンは指を差し込み絡めるようにして撫で始める。


「そうすれば自然と慣れて、流れも理解できて人の話も自分の役割も見えてくる。まずは、がむしゃらに仕事してみろ。お前なら出来るだろう」


 本当にそうだろうか。出来るだろうか。ディンだから言える事なのかも知れない。捻くれて軽く睨むようにディンを見ると、私を観察するような目つきだ。見上げるようになる私と自然に視線が絡み、ディンのがさつた指先が私の顔の輪郭を辿っていく。


「デ、ディンさん?」


「なんだ。ディーでもいいぞ」


 いや、ディンさんは隊長でしょう。周りと違う愛称で呼び捨てに出来る訳がない。絶対に視線が刺さる。とゆうか、ディンの瞳が艶めいてみえる。

 もしかして、これが噂の甘い空気か?周りの空気にあてられたのか?なら私じゃなくて、甘さを喜ぶゴージャスなお姉さんにしてもらいたい。


 なんとか、甘ったるくなりかけた空気を変えようと顎に添えられたディンの手を両手で包み私の膝に置く。剣の鍛練のせいか、ディンの手はゴツゴツ骨張った大きな手だ。手が大きいだけでなく爪も大きく観察してしまう。

 するとディンは片手でショールをほどき私の髪を耳にかけ私の背中に回すと、また首の傷をつけた場所に顔を埋め唇を添え舐めてくる。

 いや、やめてくれ。治っているのは知ってるだろう。私は健全な散歩がしたいんだ。


「あ、あの。ディンさん?」


「俺は、いつになったらお前の名を正しく呼べる?」


 名前?あ、発音か。それはもういい。だからしゃべるな。身体が勝手に動いて顔が赤くなるじゃないか。


「い、いつか教えますから。それまでユウリでお願いします」


「そうか。良い名なのだから自分でも呼んでみるといい」


 耳元で少し掠れた低い声で囁かれ、さらに距離が縮む。膝に置いていたディンの手が私の後頭部に回り、額を筋肉質なたくましい胸に押し当てられる。

 まずい。空気を変えたい。けど、甘さレベルが高すぎる。これまで甘味の無かった人生の私には、かわしかたが分からない。けど耳や額に唇を寄せられる、このままの状態は絶対に無理だ。


「えっと、あのね、ディンさん疲れてない?まだ大丈夫?悠理あっちの方も歩きたいの。けど暗いから、悠理ちょっと怖いな。ディーも一緒に行ってくれる?悠理、もう少し外を歩きたいの」


 ディンの胸を両手で押し距離をとり、似合わないと分かりつつ自分を名前呼びして、声を高く作り口調も変える。両手を合わせて自分の片頬に添え上目遣いでお願いしてみる。私の苦肉の策だ。このまま密着している事は、遊びにしても私には大人の付き合いすぎる。


 私の行動に珍しく身体も表情も固まるディン。私の唇を親指で撫でると、顔を背けて立ち上がる


「ユウリ、行くぞ」


 いや、無視ですか?笑う所でしょう。笑って下さい。じゃないと私が恥ずかしいだけじゃん。

 学校で友達は笑ってくれたのに。文化の差は難しいと思いながらショールを巻き直し歩き始めたた。


「そろそろ戻るぞ」


 慣れない靴と長いスカートで芝の上で何度かコケそうになった。見兼ねたディンの固い剣だこがある大きな手に引かれながらの散歩になったが楽しいものだった。

 やっぱり外はいい。空気からして違う。月明かりで怖くもない。

 会話は多くは無かったけれど、のびのびと身体を動かせて気持ちが少し楽になった。まだ、外にいたくなり月を見上げてしまう。


「また歩くか?」


「はい。また歩きたいです」


 元の噴水の広場に戻るとディンは足を止め私と向かい会うと、問いかけてくる。私は、また散歩を楽しめるかと思うと自然と笑みが浮かんだ。


 ディンは無言で私の腰に両手を回し引き寄せると、客室のベランダに転移する。そして、手を離すと客室の中に一緒に入ってきた。


 ディンは私を隠していたショールを肩にかけ直すと、左手をまた私の腰に回し右手で髪を整えるように撫でて、耳にかける。近すぎる距離と過度なスキンシップに止めてもらおうと顔をあげると、頭に口づける感触がしてピアスの無い耳も食むように口づける。


 慌てて耳を押さえて距離を取ると、なぜかディンは不満げにしている。いや、そんな顔をしたいのは私の方だ。最近、挨拶のキスもスキンシップも濃すぎる。


「その耳には俺がピアスをつける。じゃあ、またな」


「あの、散歩ありがとうございました。明日から気をつけて行ってきて下さいね」


 慌てふためく私を置いて、普段通りの態度でドアから出て行こうとしたディンの足が止まる。

 振り返ったディンは不思議そうな顔をして私をみていて、何かおかしな事を言ったかと更に慌ててしまいそうだ。


「ユウリ……。帰りの予定は一週間後。その日にまた歩こう。迎えに来る」


 ディンは、私が驚く柔らかな笑顔を浮かべて約束するように言いドアから出て行った。


 廊下を歩くディンは、クロスに会ったそうだ。


「クロス。こんな所でどうした」


「やはり、ディンでしたか。外にいたのですが、転移の明かりが見えたので来てみたのです」


 そのまま、二人並んで一階に向かい歩き始める。


「そうか、悪かったな」


「ユウリの様子はどうでしたか?」


「特に何もない。気分転換に庭を歩いたが楽しんでいたぞ」


 クロスは、ディンの言葉に深く溜め息を落とす。


「やはり、ユウリは警戒心が薄いのですね。夜の庭を男と二人で歩く危険など分かってないのですね」


 ユウリは、分かっていたようだが可愛らしさに見とれて、軽々しく手を出せなくなったと自覚しているディンだ。何も答えられずに黙っていた。


「ユウリは、私が同性を好むと思い込んでいました。相手はディンで、切ない想いをしているとまで思ってましたから悔しくなり、唇に口づけたのですが嫌われたようでした」


 クロスの懺悔のような呟きに、ディンは自分の事は棚に上げて問い詰めるようにしてしまう。


「唇にか?あのユウリだぞ。それより、俺の相手もクロスだと思われていたのか?」


「唇です。可愛らしい所か睨まれました。私とディンの恋愛ですよ?一部の噂も知らないはずのユウリに、想像されて私は自分の容姿が嫌でたまらない」


 クロスと自分の言葉にディンは思い出した。

 軽食の時のユウリの猫の様な頬を染めた笑み。ぼんやり視線を定めず自分の方向を見ていたあの時、自分とクロスの恋愛を想像していたのかも知れない。


「そんなのごめんだ」


「私もですよ。ディンより女が良いに決まってる」


 二人の肩に今日の疲れが重くのしかかり、それぞれ仕事の残る隊長室に戻ったのだった。




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