捕まった私
「今、私の部屋の時計を見たけど一年で半日程の時間差があるだけよ。運が良ければ元の時間と場所に戻れるって。それまで、鈴木さんがここで生きるなら、仕事を見つける位してあげるわ。
あの住所不定の魔術師が元気なら、何年後かに魔石を持ってくるはずだし。その髪と目は色が目立つけど、仕事しながら待ってみたら?」
椎名さんは、少しは悪いと思ったのか読み書きが出来るように、不機嫌そうに長めの鎖のネックレスを差し出してくる。
「言語変換の魔具よ。これがあれば読み書きが出来るわ。自分で一から覚えてたら仕事も出来ないでしょ」
私はお礼も言う気にもならず、椎名さんの手から黙って受け取った。
「高価な物だから、誰にも見つから無いように身につけなさいよ。盗まれたりなんかしても、すぐには作れないんだから」
椎名さんの言葉一つ一つに苛立ってきてしまいながらも、素直に首にかけて制服の中に濃い青色のペンダントトップを隠した。
椎名さんの言葉で、私が此処にいる事を本当に人事だと思っていると感じた。椎名さんが、巻き起こした事なのに。
ネックレスをくれても、何もしようとしてくれない椎名さんの冷たさを思い知らされ、また涙が出てくる。
そんな私の肩に慰めるように椎名さんが手を置いてきても、触られたくなくて手で振り払い恨みがましく見てしまう。
「ここも良い所よ?」
良い所なら、異世界転移なんかしないで、この世界にいたら良かったじゃない。
口元に手を当て困っ様に微笑む椎名さんは、他の人には可愛く見えるだろうけれど、私には神経を逆なでされるだけだ。
何か言い返そうとした時、ノックの音が聞こえた。
「はい」
ドアが静かに開くと、紺色のワンピースに、小さくフリルで縁取らた白いエプロンをつけた若いメイドさんが表れた。
「そろそろ、出発のお時間でご…きゃあ!ジュリア様!誰か!誰か早く来てっ!」
「メリー静かに。私は大丈夫です」
その若いメイドさんは私と目が合うと、廊下に向かって叫びだした。椎名さんは慌てた様子もなく、ドアに向かいメイドさんの肩に手を置き話しかける。
開いたドアの向こうから、数人の大きな足音が聞こえて紺色の軍服のような服を着た男の人達が部屋に押し入ってくる。
その後すぐに、その人達が呆気にとられている私の方に駆け寄ってきて、叫びたくなるくらいに強く腕を背中に捩り上げ、強い力で伏せるように絨毯に身体を押さえつけた。
「動くな!」
お腹に響く大きな声と共に、首にジクジクする痛みを感じて目をやれば、銀色に輝く剣の刃が見える。
現実に身体を傷付ける武器と、あからさまな敵意を私に向けられられている事が信じられない。
あまりの恐怖に抵抗も出来ず、身体が震えてくる。
「ジュリア様。お怪我はございませんか?」
軍服のような服の人の声が背中から聞こえるけれど、私から椎名さんは見えない。ただ、今まで経験した事のない恐怖と痛みに、ひたすら耐えるだけだ。
「おやめなさい!この者は大丈夫。怪しい者ではありません。私が先日、市井で助けられた者です。仕事の紹介の為に私が呼んだのです。乱暴な事はおやめさない!」
さっきのメイドさんの時とは違い、必死に私をかばうような椎名さんの声が聞こえる。私の隣に来ているらしく、違和感を感じながら椎名さんの口調に本当にお姫様なんだと思った。
「しかし…」
「皆に反対されるだろうと私が抜け道を案内し、この中庭にくるように手引きしたのです。決して、この城の者や私に害を加えるような、怪しい者ではありません。抜け道も、もう私が塞ぎました」
「ジュリア様…それはそれで問題です」
「わかっています。私が悪いのです。けれど、この者が憐れに思えてしまって……。聞けば、異国からきた者らしいです。
この国で頼るあても無いようでしたし、貧相でみずぼらしく、身を立てるだけの何かを持っているようには見えません。私は、とても憐れに思えてしまったのです」
椎名さんが泣いているような声で、出鱈目な事を並べ立てている。
さんざんな言われように、学芸会じゃあるまいしと心で悪態をついた。
周りからも、困惑と戸惑いが伝わってくる。
「しかし、見なりも変わっております。碌な者ではございませんでしょう……」
「そ、それは、助けられた折の容装があまりにもみずぼらしかったので、私が市井で買い求めた物です。私が選んだそれが、碌でもないとでも言いたいのですか!」
椎名さん。自分に都合が悪く、聞かれたくない事に関してだけは、かばってくれるのね。気持ちは嬉しいけど無理がありすぎるだろう。そんな気持ちもいらないし。
「分かりました。けれど、陛下にご報告いたします。この者の処分もそれから……でよろしいでしょうか」
処分の言葉に身体が固まる。これからも私は、生きて行けるのかと不安が大きくなる。
「私が、まいります。私が、お父様にお話いたします。この者が、少しでも賢ければ良いのですけれど」
椎名さんは、恩人に向けるとは思えない言葉を残し、止めるメイドさんを待つ事なく部屋を出たようだ。
背中から小さな溜息が聞こえ、私を押さえる力が少し弱まる。
「おい。起きろ」
しばらくすると、押さえ付けられていた力が無くなり、捩り上げられていた腕も解放された。
解放されても、身体はすぐには動かず、痛む肩と腕をかばいながらゆっくりと座る。
目鼻口からでた水分でグシャグシャになった顔を、手に持っていたハンカチで拭く。せっかくハンカチで拭いたのに、動かした時の首や肩や腕の痛みに、また涙がこぼれてしまう。
なんで私がこんな目に会わないと行けないんだろう。
「立て」
俯いて泣くだけの私は、その言葉に従えない。静かに首を横に振り否と答えた。
「おい。立て!」
声からして私を押さえ付けた人だろう。その人が立ったまま、腕を取り引き上げられても、やっぱり私は従えなかった。
「あの……。腰が抜けたようで力が入らないんです」
初めて見たその人の厳しい顔が、私の言葉で呆れた様に変わった。
よく見ると、その人は少し長めのストレートの明るい茶色い髪に、灰色の瞳。切れ長なのにハッキリとした目に、形よく高い鼻と薄目の唇。俳優さんのように美形だった。
「すみません……」
私が悪い訳でも無いけと、しおらしく謝った。
心の中では、美形なんて怖いだけで嫌いだと思ったけど。
その人は、私の腕を掴んだまま何か考えている風だった。
周りを盗み見ると10人位の男の人がいる。
同じ青い軍服のみたいな服を着た男の人や、映画で見たような足首まで隠す白の修道服をいる人もいる。
目の色がみんな違い、髪の色も金に近い色から白銀まで様々だった。
しかも、みんな180センチ位の身長があり私には異国風に見える顔は整っている。
155センチ位しかない私はそんな人達に囲まれ、剣先を向けられている。更に怖くなり、私の世界に帰りたくなった。
白銀の背中まである長い髪の白い修道服のような服装の人が、腕を掴んだまま考える人に、小さく何かを言っている。
腕を掴む人がやっと口を開いた。
「クロス。いいのか?
なら頼む。地下…いや、留置室で見とけ。俺は殿下の所に行ってくる」
明るい茶髪の美形は言葉の割には、そっと腕を離し部屋を後にした。
それだけで、いくらか私の気持ちも軽くなった。
「私が留置室まで同行します。魔力もごくわずかしか感じられませんし大丈夫でしょう。ロイズ。連れて行ってあげなさい」
クロスと呼ばれた白銀の髪の濃い紫の瞳の人が、ふわふわした赤い髪に青い瞳の人を見て言った。
え~。俺かよ。面倒くさい。
そんな言葉が聞こえて来そうな顔をして、ロイズが私の前にしゃがみ話しかけてくる。
「おい…。まだ立てないか?」
立てなければ、抱え上げてでも連れて行かないといけないんだろう。それは私も遠慮したい。
無言で立とうとすると、足は震えているけれど何とか立てる。
私は、ロイズに支えられながら留置室とゆう所へ自分の足で歩いて向かった。
留置室は、違う建物にあった。留置室と言われて暗い牢屋を想像していたけれど、思ったより普通に見える。
艶の無い木の床と壁に、隅には毛布が一枚。つい立ての向こうはトイレかも知れない。
天井近くの高い位置に一ヶ所だけの窓と、通路に面した壁には頑丈そうな鉄の棒が何本もはめ込まれ並んでいる。
留置室の中で紫の軍服のような服を着た女性に、ボディチェックをされると、同じように鉄の棒が並ぶ扉にはすぐに頑丈そうな大きな鍵がかけられた。
何だか私が極悪人のように思えたけれど、椎名さんの部屋で絨毯に押さえ付けられて、剣を突き付けられ囲まれているより、よっぽどましだった。
留置室の真ん中に突っ立ったまま、高い窓から見える小さく区切られた空をずっと見ていた。
「こちらにいらっしゃい」
ぼんやりしすぎていたのか、声に驚き振り向くと牢越しに微笑むクロスに手招きされている。
恐る恐る近づくと、牢の隙間から私の首に向かい手が伸ばされてくるので、怖くなり身体をびくつかせて後ずさってしまう。
「治療をするだけです。危害は加えません」
クロスの慈愛に満ちた微笑みに、また少しずつ近づくと肩から腕に手をかざされ暖もりを感じた。次に、首にも同じようにされる。
「どうですか?他に痛む所はありますか?」
指先で首を触ると痛くない。手の平で撫でても痛くなかった。捩り上げられた肩も腕もグルグル回しても曲げても、痛くない。むしろ快調だ。
「あの……。ありがとうございました」
「いいえ。あと、その首の物を見せてもらっていいですか?」
いくら治療をしてくれても、それは駄目だ。取り上げられたりしたら、私はこれからどうなる。
「これは、ジュリア様に頂いた物で、誰にも見せるなと言われてるから無理です」
椎名さんが話した出鱈目に合わせながら、制服の上からネックレスを両手で隠して答えた。
「わかりました。なら私は、背中を向けておきますから外してどこかに置いて下さい」
クロスが私に背中を向けたまま動かないので、私はしぶしぶネックレスを外して毛布の下に隠して、そのまま座る。
「*******?」
振り返り無言のままの私を見つめるクロスは、はじめは驚きやがて怪訝な表情で何かを言った。
「*****。」
何を言っているのか全く分からなかった。信じながらも、まさかと思っていた言語翻訳は本当だった。
「******?」
クロスの動く口を見ても言葉は理解できずに、不安が押し寄せてきてぽろぽろと涙がこぼれてくる。
「*********。*******」
慌てる口調のクロスに無言で背中を向けて、ネックレスを付け、ペンダントトップを隠した。
「****全く魔力のない人物に*****会いま**。」
おまけに、ネックレスをつける最中に混ざる言葉。両手を床についてうなだれる。
これは絶対に無くせない。無かったら、生きて行けないかも知れない。
無くした時の為に、話せるようになっていた方がいいか?いや……それより、私は帰りたいんだ。
「よく、この国まで来られましたね。他に魔具もないようですし、ここから出てもいいでしょう」
そうして私は留置室から出される事になった。
簡素な応接室の様な部屋でクロスは、きちんと来客用に使うようなカップに紅茶のような物を私に入れて渡してくれる。
他に人は居なく、クロスの穏やかな口調にいくらかは落ち着くける。けれど、緊張を解いて安心は出来ない。
私はお茶を三分の一程飲んだ後、カップを見つめるだけの時間を過ごしていた。
そんな沈黙の中、扉が開き誰かがひょっこり現れた。
「あ?出してたんですか?」
見ると赤毛のロイズだ。今度も分かりやすく驚いたような顔に書いてある。
どうして、出して呑気にお茶してんだ?
お茶を飲む私達を見て、不思議そうな顔になっていた。きっと、裏表のない良い人だ。
この人なら、椎名さんの話が本当かどうか聞けるかも知れない。
「……ロイズ」
私は、少しよろめきながら立ち上がると、迷子の子供が親を見つけたような心境でロイズに向かい足を進めた。