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最強獣人に転生したのに女王様エルフに調教されるオレの話  作者: ねこ丸


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第四話 金になるなら悪くねえ


 朝、目が覚めた瞬間に最初に来たのは痛みではなく、空腹だった。


 腹の奥が妙に軽い。からっぽで、機嫌まで一緒に削られている感じがする。前日、走らされて殴られて魔獣を食い千切ったせいで体は当然重い。肩も背中も脚も鈍く軋むし、首から胸、腕へ走る奴隷紋の線もまだじわりと熱を残していた。だが、それでも気分を一番悪くしているのは腹の減り方の方だった。


 目を開けると、焚き火の灰が朝の光を受けて白っぽく見えた。空は薄く晴れていて、冷たい空気の中に湿った草の匂いが混じっている。少し離れたところでは、ルシアがすでに起きていた。白金の髪を後ろへ流し、水袋の口を締めている。


 グランが起き上がると、ルシアがちらりと見る。


「顔に出ておるぞ」


 グランは眉を寄せた。


「腹減ってるだけだ」


「獣は正直でよいのう」


「うるせえ」


 言いながら首を回してみる。刻まれたばかりの紋は、昨日よりも少しだけ体に馴染んでいた。嫌な熱はまだある。けれど、昨日みたいに皮膚の下へ釘でも打ち込まれているような違和感ではない。線そのものが肉の中へ沈み、もともとそこにあった傷跡みたいに落ち着き始めている。


 だからといって嬉しくはない。


 鬱陶しいものは鬱陶しいままだ。


 ただ、暴れるたびに体の内側でずれていた何かが、少しずつ収まってきている感覚はあった。


 ルシアが荷をまとめながら言う。


「町へ行く」


「なんでだ」


「金が要る」


 ひどく当然みたいな言い方だった。


 グランは立ち上がって大きく伸びをし、そのまま唸るように息を吐く。


「なら殴ればいい」


「そのために行くのじゃ」


 返された言葉がそのまま答えになっていて、グランは少しだけ口元を歪めた。


「最初からそう言え」


「今言ったわ」


 焚き火の残りで少しだけ温めた肉を口へ放り込み、水で流し込む。量は少ない。だから余計に腹が立つ。だが、町へ行けば金になる。金になれば食える。そう考えると機嫌も多少はましになる。


 歩き出したのは朝日が低いうちだった。


 野営地を離れ、緩い草地を越え、土の乾いた道へ出る。風はまだ冷たく、草の葉先には露が残っている。けれど陽が高くなるにつれ、その冷たさはすぐ消えた。


 ルシアは必要のないことは話さない。前を歩き、道を選び、たまに立ち止まって風向きを確かめる。それだけだ。グランも黙って後ろを歩いた。空腹で機嫌が悪い時に無駄口は増えない。


 だが、町の影が見えた頃には少しだけ気分も変わっていた。


 石壁に囲まれた人間の町だ。門の前には荷車が並び、見張りの兵が槍を持って立っている。朝の陽を受けた壁は白っぽく乾き、町の中からは焼いたパンだか肉だかの匂いがうっすら流れてきた。


 腹が鳴る。


 ルシアが聞こえたらしく、肩越しに笑う。


「分かりやすいのう」


「だから腹減ってるだけだっつってんだろ」


 門をくぐった瞬間、視線が集まった。


 白金の長髪のエルフと、首輪をつけた獣人。しかも首輪だけではない。首元から鎖骨、腕へ覗く奴隷紋は、見慣れたやつにはすぐ分かる程度に浮いている。町の連中がざわつくのも当然だった。


「あれ、奴隷か」

「エルフが連れてるぞ」

「危なそうな面だな」


 ひそひそと耳に入る。


 グランはその方向を睨んだ。声の主は慌てて目を逸らす。面白くも何ともない。こっちを見るなら殴り返す覚悟くらい持って見ろ、と言いたかった。


 ルシアはそんな空気など最初から存在しないみたいに通りを歩く。


 背筋を伸ばし、視線を前へ向け、堂々としたまま。高位エルフとやらがどう見られるのかはよく知らないが、こいつに限っては確かに道の真ん中が似合っていた。


 ルシアが入ったのは、看板に剣と盾の印が描かれた大きめの建物だった。


 冒険者ギルド。


 扉を開けた瞬間、酒と汗と鉄の匂いが鼻を打つ。朝だというのに中はすでに騒がしく、卓を囲む荒っぽい連中、壁際で装備をいじる男、依頼札を眺める女、受付で揉めている小柄なやつと、いろんな奴がいた。


 ルシアが入ると、そのざわめきがひとつ小さくなる。


 そこへグランが続いたせいで、今度は別の意味で空気が止まった。


 首輪付きの獣人を連れたエルフ。


 そりゃ目立つ。


 グランは気にも留めず、ルシアの後ろから掲示板を覗き込んだ。木の板に依頼札が並び、討伐だの護衛だの採取だのと書かれている。細かい字を全部読む気はなかったが、ルシアが迷わず一枚を抜き取ったので、それを横から見る。


「相手は?」


「グレイウルフの群れじゃ」


 灰色の狼型魔獣。丘陵地帯に出て、家畜を食い荒らしているらしい。依頼札の端には被害の内容まで記されていて、羊数頭、牧童ひとり負傷、と書かれていた。


「数は?」


 ルシアが依頼札の文を追ったまま答える。


「多い」


 その言い方が雑で、グランは眉をひそめる。


「言っとくけど数ぐらいは数えられるからな」


 受付の向こうにいた女が、思わずこちらを見た。


 ルシアが口元だけで笑う。


「期待しておる」


 グランは鼻を鳴らし、掲示板から顔を離した。


「ならいい」


 依頼を持って受付へ向かうルシアの横で、受付の女が明らかに戸惑っているのが分かった。依頼札とルシアを見比べ、さらにグランの首輪と腕の紋を見て、困ったように唇を引き結ぶ。


「本当に、お二人で向かわれるのですか」


 ルシアは依頼札を差し出した。


「問題あるか」


「いえ、その……群れですので」


「だからじゃ」


 簡単に言い切る。


 グランは受付台に肘を乗せ、唇の端を吊り上げた。


「群れだろうが何だろうが、殴れば死ぬ」


 受付の女が目を丸くした。周囲の卓からもいくつか視線が飛んでくる。誰かが喉の奥で笑い、別の誰かが馬鹿を見る目をした。


 ルシアは止めない。


 依頼の手続きを終えると、振り返りもせずに歩き出した。


「行くぞ」


 ギルドを出て、町を抜け、少し歩くと道は丘陵へ続く緩い登りになった。風が強くなる。乾いた草がざわざわと流れ、ところどころに大きな岩が露出している。遠くまで見渡せる地形だが、その起伏のせいで獣が隠れる場所はいくらでもあった。


 途中で羊の群れとすれ違う。


 柵の中に寄せられた白い毛玉たちは、こちらを見て一斉に鳴いた。数が減っているのか、柵の中は妙に広く見える。近くにいた牧童が怯えた顔でルシアを見、次にグランを見て明らかに距離を取った。


 ルシアが羊を眺めながら言う。


「肉も食えるが毛が役立つ」


 そのまま横目でグランを見る。


「お前の仲間じゃな」


 グランは即座に返した。


「だれが家畜だ!」


 拳をひとつ鳴らす。骨が鳴る硬い音が風の中に短く響いた。


 ルシアは楽しそうに笑う。


「似たようなものじゃろ」


「噛みつくぞ」


「もう十分噛みついておるわ」


 そう言われると昨日の魔獣の喉の味が少しだけ蘇って、グランは舌打ちした。


 丘をいくつか越えた先で、風向きが変わった。


 獣臭い。


 しかも複数だ。


 ルシアが立ち止まり、顎を少しだけ上げる。


「前じゃ」


 丘の上から覗くと、向こう側の浅い窪地に灰色の影が散っていた。


 グレイウルフ。


 灰色の毛並みは草と土に紛れやすいが、近くで見ればよく分かる。普通の狼よりひと回り以上大きい。肩が高く、首が太く、牙は長い。しかも数がいる。五体ではきかない。七、八……もう少しいるかもしれない。


 先頭にいた一体が鼻を上げた。


 こちらの匂いに気づく。


 次の瞬間、群れ全体の空気が変わった。低く唸り、左右へ散り、輪を描くように位置を取る。正面から来るやつもいれば、斜めから回ろうとするやつもいる。ちゃんと群れだ。


 グランは口の端を持ち上げた。


 面白い。


「来るぞ」


 ルシアが言う。


 グランは首を鳴らし、視線を前だけへ固定した。


「お前は手を出すなよ」


 ルシアの目が細くなる。


「生意気じゃの」


「見てろ」


 最初に飛び出したのは左から来た一体だった。


 速い。脚が長く、丘の斜面を滑るみたいに詰めてくる。真正面ではなく、横から肩へ噛みつくつもりらしい。だが、見えている。


 グランは半歩だけ前へ出た。


 横から来るなら、その前へ出ればいい。


 踏み込みと同時に拳を振り抜く。頬骨から頭の横へ、骨ごと叩き潰すつもりで打ち抜いた。


 鈍い音。


 グレイウルフの頭が弾け、体がそのまま草の上を転がる。血と脳漿が風に散り、灰色の毛が赤く濡れた。


 そこで終わりじゃない。


 今度は正面と右から二体同時に来る。


 片方を殴り飛ばす余裕はある。だがもう片方が腕へ食いつく。牙が肉を裂き、前腕へ深く食い込んだ。普通なら痛みで引くところだ。


 だがグランは引かなかった。


 腕を噛ませたまま、もう片方の狼の頭を掴む。


 硬い毛の下で頭蓋の形が指に当たる。そこへ力を込めた。


 骨が軋み、次の瞬間には潰れる。指の間から温かいものが溢れ、狼の体が崩れ落ちた。


 残った一体はまだ腕に噛みついたままだ。


「離せ」


 低く言って、今度はその頭を反対の手で掴む。牙がさらに食い込む。腕の肉が裂け、血が垂れる。だから何だという話だった。


 指に力を込める。


 グレイウルフの目が見開き、喉が唸る。


 そのまま頭蓋ごと握り潰した。


 噛みついていた口が力を失い、ぬるりと外れる。血まみれの腕が自由になる。グランはそこへ付いた肉片を乱暴に振り払った。


 残りの群れが一瞬だけ怯む。


 それでも逃げない。囲み直し、低く唸り、数で押すつもりらしい。賢いのか馬鹿なのか、どちらにしても都合がいい。


 正面から二体、後ろへ回る気配がひとつ、少し離れた位置で様子を見るのが二つ。


 昨日までなら前しか見えていなかったかもしれない。


 だが今日は違った。


 足音が分かる。草を裂く音も、地面を蹴る間隔も、風に混じる獣臭さの位置も、体が勝手に拾っていく。わざわざ考える必要がない。ただ、来る方へ体を向ければいい。


「そうじゃ、それでよい」


 後ろでルシアの声がした。


 褒めているのかどうかも分からない声だ。だが今はそれで十分だった。


 次の一体が飛びかかる。


 グランは避けずに前へ出た。肩からぶつかり、相手の体勢を崩し、そのまま鼻先へ拳を叩き込む。牙が折れ、頭がのけぞる。そこへ膝を持ち上げて顎を砕き、落ちかけた首を掴んで地面へ叩きつけた。


 別の一体が背後の低い位置から脚を狙う。


 感じた瞬間に足を上げ、頭を踏み抜く。草と土が跳ね、狼が短い悲鳴を上げた。だがまだ動く。なら終わらせるだけだ。しゃがみ込み、その喉元へ噛みつく。


 硬い毛皮を歯で裂き、その下の肉へ食い込む。血の味が口いっぱいに広がり、熱が舌に乗った。首を振って引きちぎると、狼の体から力が抜ける。


 背後から別の個体が飛んだ。


 振り向きざまに拳。


 まともに顔へ入り、頭が横へ弾ける。折れた牙が飛び、草むらに白く散った。


 最後に残った二体は、さすがに少し後ずさった。


 それでも完全には逃げない。低く唸り、タイミングを測っている。いい根性だと思った。


 グランは血のついた口元を手の甲で拭う。


「来いよ」


 応えるみたいに、二体が左右から同時に走った。


 今度は避けない。


 真正面だ。


 右の一体へ踏み込み、頭蓋へ拳を突き上げる。骨が割れ、血が飛ぶ。だが左から来た一体の牙が脇腹を掠めた。痛みはある。だが浅い。


 そのまま体を回し、両腕で狼の首と胴を抱え込む。持ち上げる。重い。だが持てる。いや、持つ必要があるなら持つだけだ。


 そのまま地面へ叩きつけた。


 一度では足りず、二度、三度と続ける。骨が砕ける感触が腕へ伝わり、ようやく完全に動かなくなった。


 静かになった。


 風が草を撫でる音だけが戻る。


 丘陵地帯の窪地に、灰色の死骸が転がっている。血の匂いが強い。グランの腕からも血が流れていたが、すでに気にならない程度だった。


 少し離れた場所からルシアが歩いてくる。


 死骸をひとつずつ見回し、最後にグランを見る。


「魔獣よりケダモノじゃな」


 その言い方に、グランは口の端を上げた。


「褒めてんのか?」


「事実を言うておるだけじゃ」


「ふうん」


 ルシアはしゃがみ込み、グレイウルフの毛並みを軽く撫でた。確かに毛は厚い。羊より粗いが、使い道はありそうだった。


「悪くない」


 短い評価だった。


 グランは脇腹の血を手のひらで押さえながら、先に聞く。


「で、金は?」


 ルシアが笑う。


「現実的じゃのう」


「腹減ってるからな」


「それは朝から知っておる」


 討伐証明に必要な部位だけ切り取って町へ戻る。


 ギルドへ入った時の視線は、朝より露骨だった。首輪付きの獣人が本当に群れを潰してきたのだと、血と毛皮が嫌でも証明している。受付の女は一瞬言葉を失い、それから慌てて奥の確認役を呼んだ。


 部位を並べるたび、周囲の空気が変わる。


「本当にやったのか」

「群れ全部か?」

「あの獣人が?」


 好きに言わせておけばいい。


 ルシアが受け取った報酬袋は見た目にも重かった。じゃらりと音がする。そのまま彼女は当然みたいに中身を仕分け、自分の袋へ大半を移していく。


 グランの手の上には、小さくなった袋がひとつだけ落ちた。


 重みはある。だが比べると露骨に少ない。


「少なくねえか?」


 ルシアは一切悪びれない。


「奴隷じゃ」


「知ってるけど少ねえ」


「九割はわらわじゃ」


「そういう約束なのは知ってる」


「なら問題あるまい」


 問題はある。気分の問題だ。だが今ここでどうこうなる話でもない。グランは袋の口を開け、中をざっと見た。これだけあれば肉くらいは買える。あと何か一つくらいならいけそうだ。


 ルシアはすでに別の方向へ歩き出していた。


「買い物をするぞ」


 町の市場は昼に向かって少しずつ賑わいを増していた。果物、干し肉、穀物、布、塩、道具。いろんな匂いが混じって鼻をくすぐる。腹が減っていると余計に全部うまそうに見える。


 その中で、グランの足がひとつの店の前で止まった。


 木箱に山と盛られた白い粒。


 米だ。


 見た瞬間、何かが引っかかった。前世の知識の残り滓みたいなもので、食べ方まで全部思い出せるわけではない。だが、これを炊いて食う、という感覚だけは妙にはっきりしていた。


「これ、うまいのか」


 店番の老人が目を細める。


「炊けば食える」


「鍋は?」


 老人が店の奥を指した。


「あるぞ。小さめならその棚だ」


 グランは迷わず鍋を手に取った。片手で持てる程度の大きさで、旅に使うならちょうどいい。蓋付きだ。米と一緒に買えば今夜には試せる。


 隣ではルシアが塩を選んでいた。指先で粒を確認し、匂いまで確かめている。さらに別の店で酒を見つけると、今度は真顔で銘柄を見比べ始めた。


「お前、食いもんにだけ真剣だな」


「生きるのに必要じゃ」


「酒はなくても生きられるだろ」


「つまらぬ生き方になるのう」


 言い切る顔が本気なので、グランはそれ以上言わなかった。


 荷が少し増えたところで、ルシアが喉を鳴らすように息を吐いた。


「喉が渇いた」


「水でも飲めばいいだろ」


「酒場へ行く」


「最初からそう言え」


 町の酒場は昼前だというのにもう騒がしかった。木の卓が並び、壁際には樽が積まれている。肉を焼く匂いと酒の酸い匂いが混じり、床には昨日のこぼれ酒がまだ少し残っていた。


 席につくなり、ルシアは迷いなく酒を頼む。


 最初は金属の杯で出てきた。琥珀色の酒だ。グランも一口飲む。強い。喉が熱くなり、胃まで落ちる感じが気持ちいい。


 ルシアは一息で飲み切り、二杯目を頼んだ。


 グランも続く。


 三杯目。四杯目。


 周囲が少しずつこちらを見るようになる。エルフの女と首輪付きの獣人が、昼間から妙な勢いで酒を空けているのだから当然だ。


「お前、強えな」


 グランが言うと、ルシアは杯を置きながら鼻で笑った。


「わらわのような高位エルフは酔わんのじゃ」


「便利な体だな」


「当然じゃ」


 杯では足りなくなり、次は大きめの器になる。それでも足りない。店主が苦笑いしながら小さな樽をひとつ卓へ置いた時、周囲のざわめきははっきりした。


「本気かよ」

「昼だぞ」

「潰れるだろ普通」


 普通ならな、とグランは思う。


 樽の栓を抜き、直接あおる。酒が喉を流れ、胸が熱くなる。だが頭はまったく鈍らない。ルシアも同じだ。白い喉を鳴らしながら平然と飲み、飲み終わるたびに次を求める。


「いい女だな」


 酒の勢いもあって、グランはそのまま口にした。


 ルシアは眉を寄せるでも照れるでもなく、ただ冷ややかに返す。


「黙って飲め愚か者」


「褒めてんだよ」


「酔っておるのか」


「酔ってねえ」


「なら余計に質が悪いのう」


 結局、樽ひとつ分を二人で空けたところでようやく酒場を出た。周囲は完全に引いていたが、知ったことではない。


 外へ出ると、陽が少し傾き始めていた。


 町を離れ、歩き、野営地へ戻る前に小さな泉を見つける。岩の間から水が湧き、浅い溜まりを作っていた。昼の熱を受けた体にはちょうどいい。


 ルシアが立ち止まり、額の髪を払う。


「汗が気持ち悪い」


 そう言うなり、迷いなく上着を脱ぎ始めた。


 グランも肩を回して上着を脱ぐ。飲んだあとで体は少し熱く、血の匂いもまだ残っている。水に入れるならありがたい。


 泉に足を入れると、思ったより冷たかった。けれどすぐ慣れる。膝まで、腰まで進み、水を両手ですくって肩へかける。血と汗が流れ、ようやく一息つけた。


 対岸でも、ルシアが同じように水を浴びている。


 白金の髪が濡れて肌へ張りつき、長い手足に水滴が伝う。無駄なく引き締まっているのに女らしい丸みもある。鍛えられた体だ。弱さがひとつもない。


 グランは素直に見たままを言う。


「お前、いい体してんな」


 ルシアが髪を絞る手を止める。


「何じゃ急に」


「思っただけだ」


 そのまま続けた。


「十人は産めるな!」


 ルシアの足が水を切る。次の瞬間、小さな波と一緒に蹴りが飛んできて、グランの肩へきれいに入った。


「ど阿呆」


 痛いことは痛い。だが笑える程度だ。


 グランは肩をさすりながら笑う。


「何だよ、褒めてるだろ」


「褒め方が雑すぎるわ」


「雑でも本当だ」


「黙れ」


 そう言いながらも、ルシアは本気で怒ってはいない。昨日みたいに奴隷紋を灼くこともなく、水を浴びて髪を流すのに戻る。その自然さが妙におかしかった。


 野営地へ戻る頃には陽はだいぶ落ちていた。


 火を起こし、買った鍋を据える。米を洗うのも水加減も、記憶が完璧に残っているわけじゃない。だから適当だ。見た感じこれくらいだろう、と勘で水を入れて蓋をする。


「本当に食えるのか、それ」


 ルシアが塩を振りながら訊く。


「多分な」


「多分で作るな」


「うるせえ」


 鍋の中で湯がふつふつと鳴り始める。蒸気と一緒に、どこか懐かしい匂いが立った。肉の匂いともパンの匂いとも違う、穀物が熱でふくらむ匂いだ。


 グランは少しだけ目を細めた。


 何かを思い出しかける。白い湯気、温かい椀、机の上の木目。だがすぐ霧みたいに消える。前世の記憶なんて大体そんなものだ。輪郭があるようで、掴もうとすると逃げる。


 だから無理に追わない。


 今食えるならそれでいい。


 炊き上がった米は、少し固かった。


 だが食えないほどじゃない。むしろ噛めばちゃんと甘みが出る。グランは肉と一緒に口へ運び、満足そうに頷いた。


「悪くねえ」


 ルシアも恐る恐るひと口食べる。意外そうな顔をした。


「……妙な食い物じゃの」


「うまいだろ」


「なくはない」


 言い方は偉そうだが、箸も何もない世界で指先で摘みながら二口三口と続けているので、気に入ったのは分かる。塩を振った肉と合わせると、確かに悪くない。酒も進む。


 夜が深くなり、焚き火の明かりが揺れる。


 食後、グランは自分の取り分の袋を取り出して中身を見た。大きくはない。だが自分で殴って取った金だと思うと、重さは悪くなかった。


「もっと稼げば、もっと早くお前を買えるな」


 袋を揺らしながら言うと、ルシアが酒の器を傾けたまま目だけを向ける。


「買えると思うておるのか」


「当たり前だ」


「自信だけはあるのう」


「お前が言ったんだろ。稼げば自由だって」


 ルシアは小さく笑う。


「では稼げ」


「その前に地方の武道会でも潰していく」


 グランは袋を閉じた。


「賞金も出るんだろ」


「出るのう」


「修行にもなる」


「そうじゃな」


「なら先にそっちだ」


 ルシアは器を置き、火を見つめたまま頷く。


「奴隷紋が完全に馴染んだら、長く走らせる。地方の武道会を回りながら、賞金も稼ぐ」


「いいじゃねえか」


「その先に神武会じゃ」


「順番はどうでもいい。全部勝てばいいんだろ」


 ルシアが口元だけで笑った。


「相変わらず単純じゃのう」


「分かりやすい方が好きなんだよ」


 火がぱちりと鳴る。


 腹は満ちていた。酒も入っている。体はまだ痛いが、さっきまでの不機嫌はきれいに消えていた。拳で潰し、噛み潰し、金に変えて、米まで食えた。


 悪くない一日だ。


 どころか、かなりいい。


 ルシアは高位エルフだから酔わないらしい。グランも大して変わらない。酒を飲んでも頭ははっきりしている。焚き火の向こうで揺れる白金の髪を見ながら、グランは改めて思った。


 強くて、綺麗で、偉そうで、金まで持っていく。


 腹の立つ女だ。


 だからこそ、手に入れたい。


 寝転ぶ前にもう一度だけ袋の重みを確かめる。少ない。けれどゼロではない。この先もっと稼げばいい。地方の武道会でも何でも潰して、賞金も取る。強くなりながら金まで増えるなら、そんなに悪い話じゃない。


 グランは草の上へ背を預け、夜空を見上げた。


 星がよく見える。風は少し冷たいが、火と酒と飯があるせいで気にならない。遠くで羊の鳴き声が小さく聞こえた気がして、グランはふっと笑った。


 殴って稼げるなら、この旅は思ったより悪くなかった。

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