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最強獣人に転生したのに女王様エルフに調教されるオレの話  作者: ねこ丸


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第ニ十五話  ……朝から呼び出すとは、ただ事ではないのう


 扉を叩く音で、ルシアは目を覚ました。


 夢から現へ引き戻されるには、少し強い音だった。まだ外は暗い。窓の隙間から忍び込む光は、夜がようやく薄くなり始めたことを知らせる程度で、部屋の中の輪郭は灯りがなくとも分かるが、色までは判然とせぬ。街全体が大きく寝返りを打つ、その直前の静けさが家の中にも残っていた。


 そんな時間に、木の扉を叩く音だけが妙にくっきり響く。


 しかも、一度ではない。遠慮はしているが、躊躇しているわけでもない。起こして構わぬ相手だと知った者の叩き方で、なおかつ用事は急ぎだと言っている。


 ルシアは薄く息を吐き、隣へ視線を滑らせた。


 グランがもう目を開けていた。


 あやつは目覚めが妙に早い。いや、早いというより、起きるとなれば一息で覚めるのだろう。眠気を引きずって身じろぎするでもなく、あっさり上体を起こし、そのまま何も考えず寝台から降りようとする。


「待て!」


 ルシアの声が、思ったより大きく出た。


 グランが片足を下ろしかけたところで止まり、半ば振り向く。まだ寝起きのせいで目つきは少しだけ重いが、それでも何を止められたのか本気で分かっていない顔だった。


「なんだ?」


「なんだ、ではないわ!」


 ルシアは寝台の端へ丸めて放ってあった服をひったくり、そのままグランへ投げつけた。


「下ぐらい隠せ!」


 飛んできた服を、グランは何の苦もなく受け取った。受け取っただけで、慌てるでもなく、羞じらうでもなく、ただ手の中の服とルシアの顔を見比べる。


「別に減るもんじゃねえだろ」


「減る減らぬの話ではない!」


 言い返したところで、ルシアは自分の肩へ触れる空気の軽さに気づき、反射的に布を掻き寄せた。


「……っ」


 こやつを怒る前に、自分も何か着ろと言われればその通りである。だが、だからといって先に立ち上がろうとするな。この大馬鹿者。


 グランはまだ半分ほど裸のまま、投げられた服を無造作に腰へ当てている。外に誰が立っておるかも分からぬというのに、平然としているその神経が理解できぬ。


 扉がもう一度叩かれた。


 間が少し詰まった。向こうも、起こした相手がもう起きているのは分かっているらしい。


「おる!」


 ルシアは声を返しながら、急いで服へ腕を通す。袖が少し絡まり、髪が首筋へ落ちる。寝起きの体は思うように動かぬし、何より隣で平然としている大男が腹立たしい。


「おぬしもさっさと着ろ」


「着てるぞ」


「着ておらぬ!」


「半分は着た」


「残り半分が大事なのじゃ!」


 言いながら、ルシアは自分の腰紐を結ぶ。昨日までのことが、まだ体のあちこちへ残っている。背のだるさ、太腿の奥の重み、布が肌に擦れるだけで妙に意識してしまう感覚。こういう時に限って朝から呼び出しとは、ほんに間が悪い。


 いや、間が悪いのは呼び出した相手ではなく、昨日から今朝にかけて一切加減を知らなかった隣の男の方か。


 ルシアはその方へ険しい目を向けた。


 グランは、ようやく腰へ服を巻きつけたところだった。堂々としすぎている。怒られている自覚がほとんどない顔も腹立たしい。


「下だけで満足するな。上も着よ」


「別に寒くねえぞ」


「寒い寒くないの話ではないわ!」


 なおも言い募ろうとしたところで、また扉が鳴る。今度は控えめだった。中がばたついているのが伝わったのだろう。


 ルシアは一度息を吸い、吐き、どうにか髪を手ぐしで整えた。


「わらわが開ける」


「オレでもいいぞ」


「良くない」


「なんでだ」


「今の姿のどこが良いのじゃ」


 ぴしゃりと言ってから、ルシアは扉へ向かった。


 戸を開けると、外にはブレイクが立っていた。


 早朝の冷気を肩に乗せたまま、腕を組むでもなく、ただいつものようにしっかり立っている。だが、その顔には少しだけ急いだ気配がある。焦っているわけではない。ただ、起こして悪いと思いながらも、今すぐ来てほしい用だと分かる顔だった。


「すまんが、市長が呼んでる」


 挨拶より先に、それだけ言った。


 ルシアは小さく目を伏せる。


「……やはりか」


 来るだろうとは思っていた。


 あの商店で末端の盗賊どもを引きずり出し、顔馴染みの衛兵がいる詰所まで運び込んだ時点で、街の上の方へ話は上がる。しかも、やったのがグランだ。静かに済むはずもない。


 その後ろからグランが顔を出した。


「?」


 本気で何も分かっておらぬ顔である。


 ブレイクがその顔を一瞥し、呆れたように鼻を鳴らした。


「あまり分かってないようだな」


「なんのことだ?」


「おぬしは本当に何も考えぬのう」


 ルシアが言うと、グランは少しだけ眉を寄せた。


「考えたぞ」


「どこをじゃ」


「一人残した」


 それは考えたうちに入るのか、と言い返しかけてやめる。今ここで始めても無駄だ。ブレイクの前で延々とやっても仕方がない。


「中へ入るか?」


 ルシアが問うと、ブレイクは首を振った。


「いや、急ぎだ。向こうで話す」


「向こう?」


「いつもの酒場だ。開けてもらってる」


 市長だけなら市庁舎でもよかったはずだ。酒場を使うということは、堅い話ではあるが、役所の机を挟むような形にはしたくないのだろう。あるいは、人目の問題か。


 ルシアは頷いた。


「少し待て。すぐ出る」


 扉を閉める。


 振り向くと、グランがようやく上着へ手を伸ばしていた。


「朝飯あるか?」


 第一声がそれである。


「あるかどうかなど知るか」


「呼び出すなら飯ぐらい出してほしいよな」


「おぬしの頭の中は本当に飯だけで出来ておるのではあるまいな」


「そんなことないぞ」


「では何がある」


「肉」


「同じじゃ!」


 ルシアはそう怒鳴りつつも、自分の口調へ棘ばかりがあるわけではないことを、自分で分かっていた。


 昨日からこっち、怒ってばかりいる気がする。だがその怒りの半分は呆れで、もう半分は、こうして隣にいて、いつも通りの顔をされるとどうにも力が抜けるせいでもある。


 着替えを終え、髪をもう一度整え、戸締まりを確認する。


 外へ出ると、朝の空気が頬に冷たかった。


 夜の底を抜けきらぬうちの街は、石畳から静けさを立ち上らせている。まだ灯りの残る窓もあるが、多くは閉じたままだ。遠くの方で荷車の車輪がきしみ、どこかで水を撒く音がする。パンを焼く匂いがかすかに漂ってきて、朝がもう近いと分かる。


 三人で歩き出した。


 最初は誰も口を開かない。


 グランは何も気にしていない足取りで前へ出る。ブレイクは半歩だけ前を行き、通りの様子を自然に見ている。ルシアはその間で、冷えた空気を吸いながら頭を働かせた。


 盗賊どもから取れた情報は、末端のものばかりだった。


 どこで物を受けるか、誰に流すか、その途中の点は少しずつ見えた。だが本拠地までは届いていない。首領も幹部も、捕まえた連中はまともに知らぬ顔だった。


 だからこそ、市長が動いた。


 そして、それだけでは足りぬから、こうして早朝に呼び出された。


 大筋はそうだろう。


「市長は何と言っておった?」


 ルシアが歩きながら問うと、ブレイクは前を向いたまま答えた。


「向こうで話す。外で広げる話じゃない」


「当然か」


 納得して、それ以上は追わなかった。


 グランは欠伸を一つ、噛み殺しきれずに漏らした。


「眠いのか」


「腹減った」


「聞いておらぬ」


「同じようなもんだろ」


「違うわ」


 こういうやり取りができる程度には、まだ街は静かだ。昼になれば通りの喧騒へ飲まれて消えてしまう。ルシアはそれを少しだけ心地よく感じた。


 酒場のある通りへ入る。


 普段なら扉は閉まり、昨夜の熱気だけがまだ木の中へ籠もっている時間だ。だが今朝は違った。扉の隙間から明かりが漏れ、煙突からは薄く煙が上がっている。


 ブレイクが先に戸を押した。


 中は暖かかった。


 外の冷気と対照的な、火と飯の匂いが一気に押し寄せる。煮えた湯の匂い、焼いた肉の脂、炊けた米の甘い香り。いつもの夜の酒場とは別物だ。喧騒がなく、代わりに木と鉄の乾いた音がよく通る。


 すでに卓を囲んでいる者がいた。


「おはよう」


 最初に声を掛けたのはリナだった。いつも通りの声だ。寝起きの重さもなく、もう完全に店の顔をしている。


「おはよう」


 エリナも手をひらひらと上げる。市長の妻として一応同行したのだろう。


 市長は立ち上がり、きちんと頭を下げた。


「こんな時間に申し訳ありません」


 その言い方は丁寧だった。立場ではなく、個人として頼みに来たという空気を崩さぬ。


「ただ事でないことぐらいは分かる」


 ルシアが答えると、市長はわずかに苦笑した。


「ええ。そう受け取っていただければ助かります」


 席へ案内される。


 ルシアが腰を下ろすと同時に、リナが皿を運んできた。


「はい、グラン」


 置かれたのは山盛りの肉と、同じくらい勢いのある米だった。


 朝食である。


 朝食なのだが、見た目だけなら昼でも夕でも足りそうな量だ。


 グランの目つきが変わった。


「おう」


 短く答えた瞬間、もう食い始めている。


 箸で米をすくい、肉を掴み、何の迷いもなく口へ運ぶ。その勢いの良さに、ルシアは半ば呆れた。


「朝からその量か」


「呼び出されるならこれぐらい要るでしょ」


 リナはさらりと言う。


 あくまで店主として、信用できる相手へ飯を出しているだけだ。そこに気負いはなく、妙な踏み込みもない。その距離感が、むしろ心地よい。


 エリナは自分の前の軽い朝食へ手を伸ばしながら笑った。


「この人はこういうの出しといた方が話早いもんね」


「扱いが獣の餌やりみたいじゃの」


「違うぞ」


 グランが口を動かしながら言う。


「どこが違うのじゃ」


「肉がうまい」


「そこではない」


 ルシアの前へは、温かいスープと薄いパン、卵と少しの塩漬け肉が置かれた。十分だ。むしろ朝の胃にはちょうどよい。ブレイクも市長も、似たような軽めの食事である。


 イリスの姿はない。


「イリスは?」


 ルシアが問うと、ブレイクがパンをちぎりながら答えた。


「子どもがまだ寝ているからな。今日は来ていない」


「そうか」


 当然だろう。あの女は頼めば来るかもしれぬが、だからといって呼ぶ話ではない。


 市長が一度だけ視線を巡らせてから、静かに話を切り出した。


「あの商店で捕らえた者たちの件ですが」


 その一言で、卓の空気が少し変わる。


 堅くなりすぎはしない。酒場だからだろう。だが、これから口にするのが朝飯の雑談ではないことは、全員へ伝わった。


 グランだけは変わらぬ。


 肉を食っている。


 ルシアはそれを横目で見て、ある意味では助かると思った。こやつが黙って食っている間は、話が変に脇へ逸れにくい。


「衛兵から報告は受けました」


 市長が言う。


「表で動く盗賊たちの流れは、いくらか見え始めています。誰が荷を受け取り、どこへ繋ぎ、どの辺りまで手が伸びているか。その途中の線は拾えました」


「途中だけじゃな」


 ルシアが言うと、市長は頷いた。


「ええ。入口は見えました。ですが、その先がまだ見えない」


 ブレイクが低く唸る。


「本拠地も、首領も分からんか」


「捕らえた連中はそこを知らないようです」


 市長の声は淡々としていたが、その事実が厄介だということは誰にでも分かる言い方だった。


「末端にすぎぬ、ということじゃな」


「そう見ていいでしょう」


 リナが肩をすくめる。


「だったら早いとこ上を引っ張り出した方がいいんじゃないの?」


 エリナも頷く。


「待ってても向こうが引っ込むだけなら、動いた方がいいと思う」


 ブレイクは少し違う顔をしていた。


「急ぐのは分かる。だが、あまりに乱暴に見えると別の火種になる」


「獣人が野蛮で凶暴だと思われるかもしれん、か」


 ルシアが先に言うと、ブレイクは頷いた。


「そうだ」


 その時、グランが何でもない顔で言った。


「オレは野蛮で凶暴だぞ」


 卓の空気が一瞬止まった。


 ブレイクが口を開きかけ、閉じ、最後に小さく息を吐く。


「……そうだな」


 納得してしまった。


 リナが吹き出し、エリナが肩を震わせる。市長まで笑いを噛み殺している。


 ルシアは額を押さえた。


「そこで堂々と認めるな」


「本当のことだろ」


「おぬしはそういうところを直せと言うておるのじゃ!」


「なんでだ?」


 心底分からぬ顔をする。


 ほんに疲れる。


 だが、変に飾らぬその単純さを、市長はむしろ見ていた。


「私は」


 笑いの余韻が少し薄れたところで、市長が口を開く。


「どちらかといえば、攻めるべきだと思っています」


 ルシアは目を向ける。


「ほう」


「相手の態勢が整う前に叩くべきでしょう。兵は拙速を尊ぶとも言いますし」


 その言い回しに、ルシアは首を傾げた。


「……?」


 聞いたことのない表現だった。意味はなんとなく分かる。急ぎすぎは愚かでも、遅すぎるよりはまし、そういうことだろう。だが、その音の並びが妙に異質である。


「なんじゃ、その言葉は」


 問うと、市長は少しだけ目を伏せたあと、軽く笑った。


「昔、どこかで聞いた言い回しです」


「便利な言い回しじゃの」


「ええ。こういう時には」


 はぐらかされた気もしたが、今はそこを掘る場ではない。


 グランがその横から言った。


「一気にのどぶえを噛み切った方が早いよな」


 ルシアはそちらを見る。


 あやつはまだ食っている。だが、話の芯だけは拾っていた。


 市長の整った言い方を、こやつの中で訳すとそうなるのだろう。表現はひどい。ひどいが、本質は近い。


「……妙なところで話が通じておるの」


 ルシアが呟くと、市長も苦笑した。


「表現の差はありますが」


「表現だけでは済まぬ気がするがのう」


 それでも、方向としては一致している。待って相手が大きくなるよりは、今のうちに喉元へ手をかける。そこまでは皆が分かっていた。


 問題は、その喉元がどこか分からぬことだ。


 市長がそこへ戻した。


「ただ、問題は変わりません。捕らえた盗賊たちは、本拠地も首領も知らないようです」


 ルシアは小さく舌打ちしたくなった。


 そこが見えねば、いくら攻めるべきだと決めても、殴る先がない。


「末端から辿るにも限界がある、か」


「ええ」


 市長が頷く。


「だから、本当ならもう少し線を集めてからでもよかった。ですが、向こうも気づくでしょう。店をひとつ失えば、手足を引っ込めるくらいの知恵はあるはずです」


 そこでグランが顔も上げずに言った。


「そんなのすぐに見つけられるぞ」


 ルシアは言葉を失った。


 本拠地が分からぬ、という話をしているのだ。その直後に、まるで落とした匙を拾うくらいの気軽さで何を言う。


「本気で言うておるのか」


「本気だぞ」


「どうやってじゃ」


「分かるからだ」


 説明になっていない。


 ルシアだけでなく、市長もリナもエリナも、一瞬だけ同じ顔をした。こやつはまたそれか、と。


 だがブレイクだけは、完全には否定しなかった。


「その獣人以外になんと言えばいいのか分からんが」


 そう前置きしてから、ブレイクは少しだけ視線を上げた。


「狩りの上手い獣人は、匂いだけで追うわけじゃない」


「匂い以外でもか」


 ルシアが小さく言うと、ブレイクは頷く。


「そうだ。匂い、空気、足音、場の違和感、相手の隠れ方。上手く説明できんが、体の方が拾う。こいつはその手の勘が異様に鋭い」


 グランは肉を噛みながら頷いた。


「いるやつは、いる感じがする」


「やはり説明になっておらぬ」


「だが、あの商店は当てた」


 ブレイクが言うと、ルシアは黙った。


 事実だ。


 理屈は分からぬ。だが、あやつは末端の盗賊が潜っていた場所を当てた。しかも、迷いなく。


「……不安しかないが、否定もしきれぬのう」


 ルシアが呟くと、リナが肩をすくめた。


「じゃあ、行くなら少人数じゃない?」


 エリナも続く。


「多いと目立つし。普通にしてる方が向こうも油断しそう」


 その意見に、市長が静かに頷いた。


「ええ。場を乱さぬためにも、動く側は絞りたいですね」


 ここから先は、意見ではなく整理だった。


 誰が動くのか。


 誰がいつも通りにしているのか。


 市長は後ろで信頼できる衛兵を動かす準備へ回る。リナは酒場を開け、普段通りの顔をする。エリナも表ではあくまで市長の妻として、何事もないように過ごす。それぞれ、一般人として出来る範囲のことをするだけであり、戦う側へ加わるわけではない。


 実際に動くのは、グラン、ルシア、そしてブレイク。


 その三人だけだ。


 話がまとまりかけたところで、グランが最後の肉を口へ放り込み、水を一気に飲み干した。


 空になった皿が卓へ置かれる。


「じゃあ行くか」


 あまりにもあっさりしていた。


 ルシアは目を細める。


「どこへじゃ」


「探しに」


「それは分かる。どの辺りを探るつもりじゃ」


「歩けば分かる」


 やはり説明にならない。


 だが、その顔には迷いがない。昨日の件で、こやつの勘が拾うものを少しだけ見せられているだけに、強く否定する気にもなれなかった。


 ブレイクが立ち上がる。


「俺も行く」


「衛兵の手配はどうする」


 市長の問いに、ブレイクは即答した。


「こいつが当たりを引いた時点で、俺が走る」


 それが一番早い。


 市庁舎は酒場から遠すぎない。信頼できる衛兵の顔ぶれも、市長の方で絞れる。グランとルシアが当たりを引き、ブレイクがそれを繋ぐ。その形なら無駄がない。


 ルシアはゆっくり頷いた。


「それでよかろう」


 市長も立ち上がる。


「では、こちらは準備しておきます」


 リナは空いた皿を下げながら言った。


「気をつけてね」


 それは店主として、顔馴染みへかける普通の言葉だった。


 エリナも笑う。


「暴れすぎないように」


 こちらも同じだ。軽口ではあるが、現場へ混ざる気配はない。


 ルシアは椅子から立ち上がった。


 早朝の酒場の空気は、すでに少しだけ昼へ近づいていた。外では街が動き始める気配が強くなっている。戸板を外す音、人の声、荷の軋み。時間は待ってくれぬ。


「行くぞ」


 ルシアが言うと、グランはもう扉の方を向いている。


 ためらいのない背中だ。


 街の表も裏も、こやつには関係ない。ただ自分の感覚へ自信がある。それだけで歩き出せる男だ。だから危うい。だから強い。


 ブレイクが扉を開ける。


 朝の光が一段明るくなっていた。


 冷たい空気と、動き始めた街の匂いが流れ込む。昨日までと同じようでいて、同じではない朝だ。どこかにまだ見えぬ巣があり、そこへ続く線を探しに行く朝である。


 三人は外へ出た。


 後ろでは市長が酒場の中へ残り、リナとエリナはそれぞれの位置へ戻る。誰が何をするかは、もうはっきり分かれていた。


 実際に歩くのは、グラン、ルシア、ブレイク。


 だが、まだ何も見つかってはいない。


 本拠地も首領も、依然として闇の中だ。


 ただ、グランだけが何の疑いもなく前へ出る。


「こっちだな」


 そう言って歩き出した背中を見て、ルシアは小さく息を吐いた。


「本当に分かっておるのじゃろうな」


「分かってるぞ」


 振り返りもせずに返してくる。


 ブレイクが苦笑した。


「まあ、今さらだ。ついて行くしかない」


「そうじゃの」


 ルシアもそれに頷く。


 早朝の街を、大きな足音がまっすぐ進んでいく。


 その先に何が待っているのか、まだ誰にも見えてはいなかった。

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