第十七話 お前よりルシアの方がずっといい女だぞ
グランディアの朝は、前の日よりも少しだけ静かだった。
いや、静かというのは違う。人の数が減ったわけではない。通りへ出れば朝から屋台の煙が上がり、酒場帰りの声もまだ残っているし、荷車の車輪も絶えず石畳を鳴らしている。ただ、騒ぎの質が変わっていた。
浮ついた熱が少しだけ沈み、その下から硬い期待が顔を出している。
勝ち残った者だけが立つ場へ、誰が上がり、誰が落ちるのか。
そういう目が、街全体に増えていた。
宿の窓から見下ろせば、朝のうちから闘技場へ向かう人の流れが出来ている。喧嘩が見たい者もいれば、賭け札を握りしめている者もいる。遠くから見物に来たらしい者たちは、まだ眠そうな顔のまま、だが足取りだけは速い。
ルシアはその流れをしばらく眺めていた。
卓の上には水差しと杯。朝から酒を飲まなくとも、目は十分に冴えている。背後では寝台の布がわずかに擦れる音がした。グランが目を覚ましたのだろう。
「起きたか」
振り返らずに言うと、寝台の方から低い声が返る。
「……ん」
まだ少し眠たそうな声だ。だが、その中に妙な弾みがあることをルシアは聞き逃さない。
「機嫌がいいの」
「悪くねえ」
素直な返事だった。
グランは大きな欠伸を一つ噛み殺し、上体を起こす。寝癖で少し乱れた髪を片手でかき上げ、肩を鳴らした。その仕草一つにも、これから強い相手と殴り合えるという期待が滲んでいる。
昨日の重戦士は、それなりに良かったのだろう。
そう思うと、ルシアの口元もわずかに緩む。
「今日は女じゃぞ」
軽くそう言うと、グランは寝台から足を下ろしながら首を傾げた。
「そうだったか」
「覚えておらぬのか?」
「覚えてる。魔法のやつだろ」
「それだけか」
「それだけで十分だろ」
確かに、この獣人にはそれで十分なのかもしれない。
ルシアは小さく息を吐き、窓から離れた。
朝の支度は手早く済んだ。水で顔を洗い、髪をまとめ、軽く食堂へ下りる。昨日と同じ宿だが、やはり空気が少し違う。泊まり客の中には武器を持っていない者も多いが、ただの旅人には見えない。会話の端々に昨日の試合の話が混じり、勝者の名が飛び、賭けの話が囁かれる。
「重戦士を埋めたの、本当か」
「見た。あれは引いた」
「引くな、喜べ」
「お前はそうだろうよ」
そんな言葉がどこからともなく聞こえてくる。
グランとルシアが食堂へ入った瞬間、その視線の幾つかが自然とこちらへ寄った。
奴隷紋の獣人。
長身の女エルフ。
今のグランディアで、その組み合わせはもう十分に噂になっている。
だが前日と違い、ただ珍しがるだけの目ではない。値踏みをし、試すように見てくる目だ。強いか、どこまで行くか、どこで落ちるか。そういうことを考えている顔が増えていた。
グランは相変わらず何も気にせず席へ座り、運ばれてきた肉へすぐ手を伸ばした。
焼き目のついた厚い肉を一口噛めば、脂と塩の味が口へ広がる。朝から食うには少し重いが、このくらいの方がいい。
「美味い」
短く言う。
ルシアは薄いスープを飲みながら、横目でその様子を見た。
「今日もそれだけで動く気か」
「腹減ってる方が調子悪い」
「それはそうじゃな」
あっさり認める。
ルシア自身も、何も入れぬまま戦うよりはよほどましだと思っている。食えぬほど緊張するような相手でもない。むしろ、今日のグランは昨日よりずっと自然だ。
肉を食いながら、グランが聞く。
「お前は食わねえのか」
「飲んでおる」
「それだけで足りるのか」
「足りる」
「そうか」
それで終わる。
食堂のざわめきは、その短いやり取りのあとも途切れなかった。どこかの卓では、露出の多い衣装の女が今日の本戦に残っているらしいと、品のない笑い声つきで語られている。
「おいおい、今日は眼福だぞ」
「見てるだけで気が緩みそうだ」
「お前は元から締まってねえだろ」
それを聞いたルシアは、何となく嫌な予感を覚えた。
グランはというと、全く反応していない。肉を食い、パンをちぎり、最後に水を飲み干して立ち上がる。
宿を出ると、朝の光はもう石畳を白く照らしていた。
通りには人が多い。だが昨日のような、何でもいいから騒ぎたいだけの熱ではない。言葉は少し抑えられ、視線だけが鋭くなっている。強い者を見る日。そういう空気だった。
闘技場の前まで来ると、その空気はさらに濃くなる。
入口の周りには露店が並び、焼いた肉や酒の匂いが入り混じっていたが、誰もが片目は会場の方へ向けていた。勝者の顔を見たいのだろう。
ルシアは足を止める。
「行ってこい」
「おう」
「今度は埋める前に終わらせよ、などとは言わぬ」
「なんだそりゃ」
「何でもない」
グランは少しだけ笑って、出場者の入口へ向かった。
ルシアは観客席へ上がる。
本戦二回戦の客席は、昨日よりも明らかに埋まっていた。すでに勝ち上がった顔ぶれが濃いからだろう。誰が強いかを語るのではなく、本当に見たい相手を見るために座っている。ざわめきはあるが、無駄に高くはない。
ルシアは少し高い位置へ腰を下ろした。
見晴らしがいい。砂地の細かな動きも、出場者の呼吸の乱れも、武器の角度も見える。そういう位置だ。
まもなく、試合の名が呼ばれた。
先に女魔導師が姿を見せる。
歓声が上がった。
予想していたよりも露出が多い。肩も腹も惜しげなく晒した衣装に、細かな金具や薄布を絡め、歩くたびにそこかしこが揺れる。色気を見せるためだけに作られたような格好だ。観客席の一部からは露骨な口笛まで飛ぶ。
「おおっ!」
「いいぞ!」
「脱がなくていいからそのまま来い!」
下品な声も混じる。
女魔導師はそれに慣れているのだろう。薄く笑い、手を振るような仕草まで見せた。観客の空気がそれだけで少し緩む。
次にグランが出る。
ざわめきの質が変わった。
歓声もある。だが、笑う者は少ない。むしろ、どこまで本物かを確かめたがっている目が集まる。奴隷紋の獣人。乱戦を一瞬で片づけ、重戦士を地面へ沈めた男。
グランはそんな視線にまるで関心を示さなかった。
歩き、中央へ立つ。
向かいに女魔導師が立つ。
女はその視線を受けて、わずかに首を傾げた。観客の男たちのような反応が来ないことに、少しだけ違和感を覚えたらしい。
「珍しいわね」
小さく笑って言う。
「何がだ」
「わたしを見ても、目が変わらない」
グランは平然と答えた。
「そうか?」
その返しに、女魔導師の笑みがほんの少しだけ深くなる。
「そういう人、嫌いじゃないわ」
ルシアは観客席で眉ひとつ動かさなかった。
だが耳の奥が少しだけ熱い。
それが何に対してなのか、自分でもよく分からなかった。
審判の合図が響く。
試合が始まる。
女魔導師は最初から距離を取った。砂を踏む足取りは軽く、まるで踊るみたいだった。指先がゆっくりと空をなぞる。唇が動く。声は聞こえぬほど小さいのに、空気の方がわずかに揺れた。
観客席の男たちの空気がふっと緩む。
前のめりだった体が椅子へ沈み、妙にだらしない笑みが浮く。隣の男へ肘を入れていた者まで、目を細めて口を開けたまま女を見ている。
ルシアはその変化を感じ取り、冷たく目を細めた。
「魅了と……その先か」
ただ色気で揺さぶるだけではない。
警戒をほどき、そのまま心の内側へ手を入れる。そういう魔法だ。
女魔導師はそのまま、ゆっくりとグランへ視線を絡めた。
「ねえ」
柔らかい声だった。
「楽しくやりましょう?」
グランは何も変わらない。
ただ立っている。
女魔導師のまぶたが一度だけ揺れた。
もう一度、指先が動く。
今度は声にもっと強く魔力が乗った。甘い響きが空気へ溶け、観客席の男たちからへらりとした笑いが漏れる。何人かは、まるで夢を見ているような顔で女を見つめていた。
グランは、やはり変わらなかった。
目もぼんやりしない。呼吸も緩まない。視線も逸れない。ただ普通にそこにいる。
女魔導師の笑みがわずかに固まる。
「……どうして?」
小さな声が漏れた。
その瞬間、グランが歩き出した。
スタスタと、いつもの歩幅で。
女魔導師の目が見開かれる。
魔法を重ねる。視線を合わせる。声を乗せる。指先が震えるほどに魔力を注ぐ。だが、それでもグランの足は止まらない。
観客席がざわつき始める。
「効いてねえぞ」
「おい、何だあれ」
「止まんねえ」
女魔導師は一歩下がる。
次にまた一歩。
グランは変わらぬ速度で近づく。
恐怖が女の顔に滲む。さっきまでの余裕は跡形もない。唇が震え、肩が揺れ、目だけが必死に相手を見ていた。
「なぜ……」
声が掠れる。
「どうして、効かないの……」
グランはそこでようやく足を止めた。
目の前まで来ている。
女魔導師は逃げたいのに足が動かないらしい。魅了で縛る側の人間が、恐怖で体を縛られていた。
グランは本当に不思議そうな顔で言う。
「お前よりルシアの方がずっといい女だぞ」
会場が止まる。
一瞬、風の音すら消えたように感じた。
次の瞬間、観客席が爆発した。
「言いやがった!」
「何だそれ!」
「今この場で言うか普通!」
「最高だろ!」
爆笑と歓声が一緒くたに押し寄せる。
ルシアは表情を変えない。
だが耳だけが、はっきりと赤かった。
「……馬鹿者」
小さく呟く。
その声は歓声に紛れて誰にも届かない。
闘技場の中央では、女魔導師が完全に硬直していた。
呪いも魔法も関係ない。ただただ心が折れている顔だ。
グランはそのまま一歩だけ踏み込み、足を払った。
女魔導師の体勢が崩れる。膝が落ちる。無理に防ごうとする動きもない。そのまま跪くような形になる。
グランは少しだけ首を傾げた。
そして、軽く尻を引っ叩いた。
乾いた音。
女魔導師の体がびくりと震え、そのまま糸が切れたように前へ倒れる。
失神だった。
観客席からまた大きな笑いが起こる。
「終わりかよ!」
「尻叩いて終わりか!」
「無茶苦茶だ!」
審判は一瞬だけ絶句したが、すぐに意識を取り戻し、倒れた女魔導師を確認して腕を上げた。
「勝者、グラン!」
グランはその声に特別な反応も見せず、振り返って闘技場を出た。
女魔導師の方は、運び出される間もまだ顔が真っ赤だった。
観客席を下りてきたルシアは、グランの顔を見るなり少しだけ目を細めた。
「おぬしは……」
「なんだ」
「いや、もうよい」
何を言っても無駄だと、この時点で半分くらい悟っている。
だが耳はまだ熱いままだった。
準決勝まで少し間があった。
会場の外でも、中でも、さっきの一戦の話でもちきりだ。ルシアはそれを聞き流しながら、グランへ水を渡した。グランはそれを一気に飲み干し、喉を鳴らす。
「次は爺さんだな」
ルシアは短く頷く。
「妙な気配をしとる。油断するでないぞ」
「しねえよ」
「本当か?」
「面白そうだからな」
その答えに、ルシアは少しだけ息を吐いた。
やはりこの獣人は、強い相手を前にすると妙に素直になる。恐れもしない。だが侮りもしない。ただ楽しそうにする。それが一番厄介で、同時に一番頼もしい。
準決勝。
会場の空気は、二回戦の時とはまた違っていた。
笑いや浮つきが薄れ、代わりに静かな熱が満ちている。勝ち上がった者しかいない。観客もようやく、ただ珍しいものを見るのではなく、本当に強いもの同士がぶつかるのを待つ顔になっていた。
老人が姿を見せる。
細い。軽い。枯れ木のようだ。武器らしいものは見えない。歩く音すら薄い。だが、場へ出た瞬間に分かる。普通ではない。
対するグランはいつも通り。
中央へ出て、相手を見て、口元を少しだけ上げる。
「面白そうだな」
老人は何も言わない。
ただ、そこに立っていた。
審判の合図。
開始。
グランは普通に歩いた。
走らない。構えもしない。ただ距離を詰める。
老人の手が揺れる。
ほんのわずかだった。
だがグランはそれを見逃さなかった。腕を伸ばし、そのまま掴む。老人の腕は細い。握れば折れそうなくらいだ。
指先の間に、細く透明な針が挟まっていた。
陽に透けて、ようやく見える程度の細さ。
「毒針か」
グランが言う。
「つまらん」
その瞬間、老人が口を開いた。
含み針だった。
細い光が一直線に飛ぶ。目を狙った軌道。
だがグランは気にしない。
顔を逸らさず、そのまま老人の腕を掴んだまま振り上げる。
次の瞬間には、老人の体が大きく宙を描いていた。
軽い。
だからよく飛ぶ。
しかし、飛ばしたことに意味はない。重要なのはその先だ。
グランはそのまま老人を地面へ叩きつけた。
鈍い音が会場へ響く。
砂が跳ねる。
老人の体が地面へ深くめり込む。体格の小ささに反して、落ちる瞬間の音は妙に重かった。
観客席が静まる。
「死んだんじゃねえか……?」
誰かが本気でそう呟く。
ルシアも一瞬だけ息を止めた。だが次の瞬間、老人の指先がぴくりと動いた。肩もわずかに震える。生きている。だが立てない。
グランはそれを見て鼻を鳴らした。
「しぶてえな」
審判が恐る恐る近づき、状態を確認する。老人はまだ動いていたが、とても戦える状態ではない。勝者が告げられる。
「勝者、グラン!」
歓声が遅れて追いつく。
今度は笑いではない。本物のどよめきと歓声だ。女魔導師の時とは違う。静かなものを一瞬で叩き潰した、その力の無茶苦茶さに対する歓声だった。
ルシアはそこでようやく息を吐いた。
妙な武器、妙な技、含み針。そういう小細工めいたものを全部ごと叩き潰した。らしい終わり方だ。
ブレイクの準決勝も、ちょうど決着していた。
相手はあのエルフの弓使いだった。
距離を取り、間合いを支配する戦い方だった。踏み込めば矢が来る。退けば位置を変えられる。
一歩ごとに削られるような嫌な戦いだ。
だが、ブレイクは止まらない。
一本。
二本。
三本。
それを受けながら、まっすぐ進む。
鉄棒を構えるでもない。振りかぶるでもない。
ただ距離を詰める。
エルフの目が変わる。
さらに矢を重ねる。
だが、ブレイクの足は止まらない。
踏み込み。
一気に間合いを潰す。
そこで初めて、鉄棒が振られた。
横薙ぎ。
空気が焦げつく。
エルフは咄嗟に弓で受ける。
だが、受けきれない。
体が大きく弾かれる。
砂を滑る。
立て直す前にもう一歩。
ブレイクが前に出る。
振り下ろし。
鈍い音。
それで終わりだった。
エルフの弓使いはその場で崩れ落ちた。
動かない。
審判の声が遅れて響く。
「勝者、ブレイク!」
観客席から、重い歓声が上がる。
派手さはない。だが、実力で押し切った勝ち方だった。
勝者が確定したあと、少し離れた場所で二人の目が合った。
グランが口元を上げる。
ブレイクも、ほんの少しだけ笑う。
言葉は要らない。
明日、ぶつかる。
それだけで十分だった。
ルシアはその視線の交わりを見たあと、すぐにグランの手を取った。
「行くぞ」
「おう」
「早く来い」
いつもより少し強めに引く。
グランは抵抗しない。だが歩幅が大きいので、結局ルシアの方が早足になる。
通りへ出ると、人々の視線が一気に集まった。
「あれだ」
「仲いいなあ」
「お熱いねぇ」
「確かに美人だな」
勝手な声が飛ぶ。
ルシアの耳がまた熱くなる。
だが止まらない。
グランは全く気にしていない。むしろ通りに漂う匂いの方へ意識が向いていた。
「腹減ったな」
「今はそれどころではない」
「飯は大事だろ」
言いながら屋台の前で止まる。
焼いた肉、串魚、香草をまぶしたパン。迷わずどんどん買い込み始める。ルシアは少し離れた場所で腕を組み、早くせいと言いたげな顔で待つ。
だが、その待っている姿まで妙に絵になるものだから、周りの視線が余計に寄る。
「ほら見ろ、やっぱり仲いいじゃねえか」
「尻に敷かれてるのはどっちだ?」
そんなことを言われても、グランもルシアも返さない。
ようやく買い終えたグランの手を、ルシアは再び引いた。
宿へ戻る。
廊下を通り、部屋へ入る。
扉が閉まった瞬間、外の喧騒が薄くなった。
ルシアはその場で振り返った。
「人前であのような事を言うな!」
グランは手に持っていた包みを卓へ置き、首を傾げる。
「本当の事だろ」
「そういう問題ではない!」
「違うのか?」
「違わぬが!」
言ってから、ルシアは一瞬だけ固まった。
違わぬ。
口に出してしまったことに気づき、さらに顔が熱くなる。グランはそんなことを気にする様子もなく、むしろ素直に納得した顔をした。
「じゃあいいだろ」
「よくない!」
「なんでだ」
ルシアは本気で頭が痛くなった。
ここで説明しても無駄だ。何が駄目で、どこが恥ずかしくて、なぜ人前でああいうことを言われると困るのか。グランに理屈で伝えたところで、たぶん半分も届かない。
届けたところで、次も同じように言う。
それが分かるから余計に腹立たしい。
ルシアは大きく息を吐いた。
「……もうよい」
「そうか」
「そうじゃ」
諦めた、と言った方が正しい。
ルシアは卓の前へ歩き、包みを開く前にふと足を止めた。
老人。
毒針。
含み針。
気にしていないような顔をしていたが、あれが本当に何も残していないかは別だ。
グランへ近づく。
「何だ」
「黙っておれ」
ルシアはそう言って、そっとグランの顔へ触れた。
頬。顎。首筋。耳の下。目元。
傷がないか、針が刺さっていないか、毒の変色が出ていないか。指先で確かめる。グランはそれをされるまま立っていたが、しばらくして喉の奥が低く鳴った。
「……ゴロ」
「鳴くな」
「気持ちいい」
「獣か、おぬしは」
「獣人だぞ」
当たり前みたいに返され、ルシアは言葉を失う。
もう一度、指先で首筋をなぞる。何もない。呼吸も正常。体温も変わらない。ようやく少しだけ肩の力が抜けた。
その時だった。
グランが平然と言う。
「やっぱりお前の方がずっといい女だな」
ルシアの手が止まる。
顔が一気に熱くなった。耳だけでは足りない。頬も、首も、全部が熱い。
「……馬鹿者」
小さく呟く。
それ以上の言葉が出ない。
そして次の瞬間、ルシアはそのままグランを抱きしめていた。
自分でも、半分くらい衝動だったと思う。
腕の中の体温はいつも通りだ。呼吸も落ち着いている。鼓動も、特に変わらない。何も異常はない。それを指で確かめたばかりだというのに、こうして抱きしめると妙に胸の奥が静かになる。
グランは少しだけ首を傾げたが、嫌がらない。
腕の中で、また小さく喉が鳴る。
「……あまり心配させるでない」
ルシアが低く言う。
「おぬしはわらわの奴隷じゃぞ」
グランは少しだけ考えるような顔をした。
「心配なんてしてたのか?」
ルシアは答えない。
答える代わりに、ゆっくりと腕をほどいた。
そのままグランの手首を取る。
強くはない。だが迷いはない。自分が何をしたいのか、今はっきり分かっている手だった。
寝台の方へ、そっといざなう。
グランは何も言わずにそれについていく。
視線が合う。
ルシアはそこで少しだけ目を細めた。熱を帯びた目だった。言葉はない。だが、言葉がなくとも今は十分だった。
寝台の布が沈む。
外の喧騒はもう遠い。
部屋の灯りが揺れ、その影が壁へ細く伸びる。
グランが何か言いかけるより先に、ルシアの方が少しだけ近づく。
距離が縮まる。
熱が混じる。
そのまま、夜が静かに深くなっていった。
本日はここまで
次回は明日朝6時投稿予定です
よろしければ評価、ブックマークお願いします。




