第十話 なんか面白くなってきたな
翌朝、グランは頭に鈍い痛みを感じながら目を開けた。
高級宿の寝台は相変わらず柔らかく、寝起きの体を沈めたまま離してくれない。だが、頭だけは妙にはっきりしていた。酒を飲みすぎたわけでもないのに、後頭部の一か所だけがじんと重い。理由はすぐに思い出した。
昨夜、酔ったルシアを背負って帰ってきたあと、寝かせたところまではよかった。そのあと寝る前に、何の気なしに「重かったな」と口にしたら、眠そうな顔のまま蹴られたのだ。
理不尽だと思う。
そう思いながら寝台から起き上がると、部屋の向こうではルシアがもう起きていた。白金の長い髪を指で梳き、鏡の前でいつものように整えている。昨夜は少しだけ珍しく酔っていたのに、朝になればもう顔色ひとつ乱れていない。高位エルフとかいうやつは本当に便利だな、とグランは思う。
「もう起きてたのか」
「さっきな」
ルシアは鏡越しにこちらを見る。
「おぬしこそ、朝から鈍い顔をしておるの」
「誰かに蹴られたからな」
「覚えがないのう」
「あるだろ」
グランがそう言うと、ルシアは一瞬だけ視線を逸らし、それから咳払いをした。
「余計なことを言うからじゃ」
「重かったのは事実だろ」
次の瞬間、枕が飛んできた。
顔面で受け止める。たいした痛みではないが、さすがに二発目は避けた。
「ど阿呆」
「蹴って投げて朝から元気だな」
「おぬしが余計なことを言うからじゃ」
機嫌が悪いのかと思ったが、顔色を見る限りそうでもない。むしろ少しだけ気恥ずかしいだけなのだろう。その程度は、最近のグランにもなんとなく分かるようになってきていた。
朝食は宿の一階だった。
アルトリアの高級宿は朝からやたらとしっかりしている。米、魚、肉、焼いたパン、汁物、果物まで並んでいる。前まで泊まっていた地方の宿より明らかに質が違う。食器も上等だし、給仕の動きも静かで無駄がない。
グランは迷わず米の器を手前へ引き寄せた。
米があるだけで気分がいい。
向かいではルシアが匙で汁をすくい、静かに口へ運んでいる。今日は朝から酒ではなく茶だった。昨夜のことを少し気にしているのか、あるいは宿の朝食が普通に気に入っているのかは分からない。
「昨日の店、悪くなかったのう」
魚をほぐしながらルシアが言った。
「生のやつか」
「うむ。あれは予想外じゃった」
「うまかったな」
「うむ」
それだけの会話なのに、少しだけ空気が柔らかい。
昨夜、背負って戻る時のルシアは珍しく大人しかった。正確には、最初だけ暴れて、あとは勝手に寝た。その重みと体温がまだ肩に残っている気がして、グランはなんとなく肩を回す。
「何をしておる」
「なんでもねえ」
米をかき込む。
うまい。魚も肉も悪くないが、やはり米があると違う。地方を回っていた時も米は食えたが、こうして安定して出るのはありがたい。
食事を終えたあと、二人はまた街へ出た。
アルトリアの朝は騒がしい。だが、昨日感じた単なる賑わいとは少し違う気配もある。大河沿いの風は気持ちいいし、通りには珍しい店が並んでいる。面白い。だが、それとは別に空気が少し張っている。
衛兵が多い。
しかも持っている武器が、やはりあの細長い筒だ。槍でも弓でもない。昨日門で見たものと同じだが、街中で見ると余計に違和感がある。二人一組、三人一組で通りを回り、商人たちの荷や路地の奥まで目を配っている。
「やっぱり変だな」
グランが言うと、ルシアは静かに頷いた。
「妙じゃの」
だが、その妙さもグランにとっては面白さの一部だった。
「なんか面白そうだろ」
「おぬしは全部そう言う」
「だってそうだろ」
実際、変わったものが多い都市は退屈しない。なら、それでいい。
最初に入ったのは武器屋だった。
入口の上に大きな盾の看板がかかっている。中へ入ると、壁一面に剣や槍が並び、奥には鎧まで掛かっていた。だがグランの目を引いたのは、やはり普通の武器ではない。
店の中央に並べられていた、あの細長い筒だ。
黒い木と金属で出来ていて、弓とも杖とも違う。持ち手があり、先端には穴がある。見れば見るほど変な武器だった。
「これか」
グランは躊躇なく一本持ち上げた。
思ったより重い。だが片手でも扱えないほどではない。筒の先を見てみようとして、自然にそのまま銃口を覗き込む。
「お客様!!」
店の奥から店員が飛んできた。
かなり慌てている。
「危ないです!」
「なんでだ」
グランはまだ覗いたままだ。店員は一瞬どう説明すればいいか迷った顔をしたが、すぐに言う。
「それは魔道銃です! 加工した魔石を、魔力で撃ち出す武器でして!」
「へえ」
グランはようやく銃口から目を離した。
隣に来たルシアが眉をひそめる。
「危険ではないか?」
店員はすぐに銃の側面を示した。
「安全装置がございます。解除しなければ魔力は流れませんので、今の状態では大丈夫です」
グランは少しだけ考える。
「……そうか」
納得したような、していないような顔だ。
そして次の瞬間には、まるで別のことを思いついたように口を開いた。
「これ、もっとデカくしてこれでぶん殴った方が良くねえか?」
店員が固まる。
「は?」
「だって筒だろ。長くて重くて硬いなら、そのまま振り回した方が強くねえか?」
「銃身が歪みますので……」
「歪まねえぐらいデッカく」
そこで店員が少しだけ遠い目をした。
「デカいのでしたら……城壁に大砲がありますよ」
「大砲?」
その言葉にグランの目が輝く。
十分後、二人は城壁の上にいた。
何をやっているのかといえば、見に来たのだ。大砲とやらを。
それは確かにデカかった。鉄と木で組まれた太い筒が車輪付きの台へ乗っている。人間が何人かがかりでようやく動かすような代物だろう。普通なら。
「おお」
グランは感心した。
「これなら殴れそうだな」
「殴るものではない!」
近くにいた衛兵が叫んだが、その時にはもう遅い。
グランは砲身を抱え込み、そのまま持ち上げた。
衛兵たちの顔が変わる。
「何してる!!」
「戻せ!!」
「それは備品だ!!」
怒号の中で、ルシアだけが少しだけ肩を揺らしていた。
「おぬし、本当に何でも持つのう」
「重いけど持てるぞ」
「そういう問題ではない」
結局、大砲は元に戻させられた。衛兵たちからこっぴどく怒られたが、グランにはいまいち何が悪いのか分からない。持てるから持ってみただけだ。
そこから街を少し外れ、森の方へ向かった。
今日の修行はそこでやるらしい。都市の外れから少し入るだけで、木々が濃くなり、人の声が遠のく。大河の湿った風が葉を揺らし、土の匂いが濃くなる。
「今日は何だ」
グランが聞くと、ルシアは短く答えた。
「もっと強く」
「雑だな」
「おぬしにはそれで十分じゃ」
空いた場所へ出ると、グランは近くの大岩の前に立った。
岩は背丈より少し低いくらい。表面は固く、苔まで生えている。普通に殴れば割れるかもしれない。だが今日はそれでは足りないらしい。
「まず殴れ」
「いつも通りだな」
グランは肩を回し、足を踏みしめた。拳を握る。腰を落とす。次の瞬間、踏み込んで一撃。
鈍い音が森へ響いた。
岩の表面が大きくへこみ、ひびが走る。
だが、砕けてはいない。
ルシアがすぐに言う。
「散っておる」
「割れただろ」
「ひびが入っただけじゃ」
「十分だろ」
「足りぬ」
ルシアは岩のひびを指先でなぞる。
「力そのものは悪くない。だが入れる場所が広い。余計なところへ逃げておる」
「逃がすなってことか」
「そうじゃ」
グランは岩を睨む。
もう一度立つ。今度はさっきよりも狭い一点だけを見る。拳の当たる場所を決める。踏み込みを深くする。腰から肩、肩から腕へ力を通す。
殴る。
さっきより重い音がした。
ひびが一気に広がる。
だが、まだ足りない。
「まだじゃ」
「うるせえ」
さらにもう一度。
今度は踏み込みで地面の土がえぐれた。拳が入った瞬間、大岩の中心が砕ける。表面だけではない。中から壊れ、亀裂が一気に走り、最後に全体が崩れた。
砕けた石が足元へ落ちる。
グランは拳を見た。
「……いけたな」
ルシアが頷く。
「今のじゃ」
「最初からそう言えよ」
「最初から出来ておれば言わぬ」
その後も、立木、倒木、別の岩と、殴る相手を変えながら修行は続いた。より強く。より一点に。余計な力を散らさず、全部を一撃へ集める。
それが今日の課題らしい。
途中で魔獣も出た。
大猪が低く突っ込んでくる。グランは正面から受け止めた。牙が腹へ届く前に、額へ拳を叩き込む。一撃で沈む。次は狼の群れ。散らばろうとしたが、逃がさない。真正面から踏み込み、一匹ずつ叩き潰していく。避けるより前に殴る方が早い。
「いいな」
グランは笑っていた。
「どんどん出てくる」
ルシアは少しだけ周囲を見回す。
「やはり多い」
「そうか?」
「本来なら、ここまで都市に近い森にこれほど出ぬ」
「でもいるぞ」
「おぬしにはそれで十分じゃろうな」
最後に出たのは、熊型の魔獣だった。
黒くて大きい。先日の旅でも見たやつに近いが、こっちの方が肩が高い。大口を開けて吠えた瞬間、グランは面倒そうに鼻を鳴らし、そのまま踏み込んだ。
一撃。
熊の顔面が潰れ、そのまま沈む。
余計なことはなかった。
「今のは悪くない」
ルシアが言う。
「まあ、悪くはない」
認めたのはそれだけだ。だがグランには十分だった。
帰る頃には、狩った魔獣が小山のようになっていた。
猪、狼、熊。ついでに途中で見つけた大きな鹿型の魔獣までいる。グランはそれをまとめて担いだ。肩に乗せ、腕に引っかけ、さらに大きいのは引きずる。普通なら荷車がいる量だ。
街へ戻ると、門番がまず固まった。
「……なんだあれ」
次に衛兵たちがざわつく。
「魔獣か?」
「何匹いる?」
「どうやって持ってるんだ」
通りを歩く商人たちまで道を空けた。
グランは気にせず歩く。重いのは重いが、持てないほどではない。ルシアはその横を普通に歩いている。こっちはこっちで変だ。
素材の買取所へ持ち込むと、今度は査定の係が慌てた。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「いっぺんに置かないでください!」
「数が……!」
「めんどくせえな」
グランがそう言うと、ルシアが横から口を挟む。
「頑張れ」
他人事だ。
査定が終わるまでにだいぶ時間がかかったが、金額は悪くなかった。大きい都市だけあって、素材の流通も太いらしい。旅の途中なら買い叩かれて終わりそうな量でも、ここではちゃんと値がつく。
「肉は持って帰らねえのか」
「全部食う気か?」
「食えるだろ」
「飽きるわ」
それもそうだ。
買取所を出て、酒場へ向かう途中、グランはふと足を止めた。
通りに面した服屋だった。
店先に、他ではあまり見ない服が並んでいる。体の線が出るように細く、妙な装飾が入り、布の切り方も変わっている。前に見かけたのと似た系統だ。その中の一着に、グランの目が止まった。
すらりと長く落ちる布。首元の形。腰の締まり。どこか見覚えのある違和感。
「おい」
グランが指さす。
「これ、お前に似合いそうだな」
ルシアが足を止める。
その服は、実はさっきから少しだけ気になっていた。だが自分から店先で立ち止まるほどではない、そう思って流しかけていたのだ。それをグランが、まっすぐ指さした。
「……そうか?」
言ったあとで、自分でも少しだけ声が揺れた気がした。
店の中から出てきた女が、そのやり取りを面白そうに見ていた。
「それ、うちの新作なんですよ」
軽い口調だった。
「これお客さんくらいスタイルが良くないと着こなせないんですけどね」
そして、少しだけ胸を張る。
「私がデザインしたんです」
ルシアはその服をもう一度見た。
白金の髪に合うかもしれない。そう一瞬思った自分が少し癪だった。
「……ふん」
結局その場では買わない。
だが、頭の片隅に入れておく。
そのまま二人は酒場へ入った。
昼下がりの店内は、昨日より落ち着いている。常連らしい連中がゆるく飲み、商人たちが遅い昼を食っていた。給仕をしている若い女が、二人を見るなり少しだけ目を細める。
「昨日の方ですね」
「そうだ」
グランは適当に答え、ルシアはすぐに酒を頼んだ。
その酒場は、つまみが面白かった。
魚を干したもの。小ぶりな魚を丸ごと焼いたもの。串に刺した肉。内臓を漬けたような臭いもの。奇妙な匂いのする豆に、生の卵を落としたもの。白くて柔らかい塊。
ルシアは片っ端から試した。
魚の干したものを齧る。
「……まあまあじゃな」
小ぶりな魚を丸ごと焼いたものを食う。
「これも悪くはない」
串に刺した肉はタレを舐め、塩も舐める。
「これは良いな」
「塩も悪くない」
だが次の内臓の漬けたやつで、顔が止まった。
「……これは無理じゃ」
その皿はそのままグランの方へ押される。
グランは食う。
「うめえぞ」
「おぬしの舌はどうなっておる」
奇妙な匂いのする豆に、生の卵を落としたものも同じだった。
ルシアは匂いを嗅いだ瞬間、眉を寄せる。
「腐っておるのではないか?」
給仕女がすぐに否定する。
「違います」
ルシアは少しだけ口へ運んだが、そのまま箸ならぬ叉を置いた。
「……やめじゃ」
それもグランの前へ来る。
グランは少し匂いを嗅いだ。
「……変な匂いだな」
一口食う。
それからもう一口。
「……うめえな、これ」
ルシアが嫌そうな顔をする。
「本気か?」
「本気だ」
さらにグランは少し考えてから顔を上げた。
「醤油あるか」
給仕女の動きが一瞬止まる。
「……あるけど」
持ってくる。
グランはそれを回しかけ、もう一口。
「……これだな」
少し考える。
「……米あるか?」
今度はルシアまでそちらを見た。
給仕女がじっとグランを見つめる。
「ありますけど……」
「持ってこい」
持ってくる。
さらにグランは言った。
「……箸あるか?」
そこで、給仕女の手が本当に止まった。
「……あるけど」
出された箸を、グランは何でもないように受け取る。そして、奇妙な匂いのする豆と卵を米へ乗せ、醤油を足し、ぐちゃぐちゃとかき混ぜた。
それをためらいなくかき込む。
「……うめえ」
もう一口。
「……おかわり」
給仕女はしばらく無言だった。
それから小さく言う。
「……あんた」
一拍。
「変わってるね」
グランは口の中のものを飲み込み、きょとんとする。
「そうか?」
「うん」
それ以上は言わなかった。
言えば何かが決まりそうだったからだ。だが、その目だけは少しだけ変わっていた。警戒でも、呆れでもない。妙なものを見る目だ。
ルシアはその横で、白くて柔らかい塊を気に入っていた。
「これは良いな」
「なんだそれ」
「豆を固めたものらしい」
「へえ」
「酒に合う」
「飯にも合いそうだな」
「おぬしは何でも飯と合わせたがるのう」
「合うならいいだろ」
それもそうだ。
店を出る頃には、外はもう夕方だった。
アルトリアの街は夜へ向かうほど騒がしくなる。灯りが増え、通りを行く人の数も減らない。だが、その賑わいの下にあるものを、ルシアは確かに感じていた。
衛兵が多い。
武器を持った人間の顔が硬い。
どこかで怒鳴り声もする。
それでもグランは楽しそうだった。
森で殴り、街で変な武器を見て、魔獣を山ほど狩り、変な食い物まで食えたのだ。面白くないわけがない。
「なんか面白くなってきたな」
夜の通りを見ながら、グランが低く呟く。
ルシアはそれを聞いて、小さく息を吐いた。
「おぬしがそう言う時は、だいたいろくなことにならぬ」
「でも面白いだろ」
「それは否定せぬ」
なら問題ない。
グランはそう思って、肩を鳴らした。
この都市には、まだ何かある。
しかも、たぶん面白い。
それだけで十分だった。




