第1話 肉うどん
空はもう真っ黒だった。ついさっきまで夕方だったはずだが、時間の流れが速い。渋川詩音の時計は午後二十二時を示していた。
「はぁ、どうしよう……」
かといって詩音は家に帰りたくない。今は、夫から逃げていたから。
半年前に結婚した。まだ新婚といえる時期だったが、夫の食事マナーが悩みだった。特に何でも食い尽くしてしまい、詩音のご飯もない日が続き、今日は我慢の限界がきた。こうして逃げ、町を彷徨っていた。
結婚したら、自動的に幸せになれると思っていた。アラサーという年齢もあり、あせってもいた。正直、結婚前の夫の食事マナーは、見てみぬフリをしていた。冷静に考えれば、結婚前も食い意地が汚く、レストランでのマナーも悪かったが、結婚後、こんな深刻な問題になるとは、想像もしていない。
夫の方は何の罪悪感もなく、けろっとしている。詩音がなぜ怒っているのかも、全く勘付いていない模様で、余計に憤っていた。
こうして彷徨っているうちに、どこかの商店街に迷い込んでしまった。商店街といっても、ほとんどの店がシャッターが降りていた。営業されている雰囲気はない。昭和の遺物のような商店街だったが、コアワーキングスペースや無人のジムなどもあり、完全に息絶えてはなさそう。
「へえ、こんな商店街あったんだ」
結婚して引っ越してきた詩音には、このあたりの土地勘がない。反対側のショッピングモールの方はよく行くが、人気のないここは、なんとなく避けて通っていた。
街灯はあるので、夜でも暗くない。昭和の遺物のような商店街だったが、なぜか妙に落ち着く。詩音は平成生まれだったが、わからない。ギリギリ昭和生まれの夫なら、その謎も特に解けるだろうか。思えば日曜日の夜には昭和世界のアニメが放送されている。朝ドラも昭和世界を描いているものが多い。日本人が反応してしまう時代かもしれない。
そんなことを考えながら歩いていると、妙な店を見つけた。
「二十四時間営業、オートパーラーって何?」
小屋みたいな雰囲気の店だった。トタン屋根だろうか。ボロい。雨漏りしてそう。決して令和に建てられた雰囲気ではないが、電光掲示板だけは夜闇にキラキラと光っていた。
「二十四時間営業って?」
こんな昭和レトロな商店街と二十四時間営業は結びつかない。さっき見たコアワーキングスペースや無人ジムなら令和風だが、なんとなくそこへ足を運んでしまった。
どうせ今日は家に帰りたくないし、冒険気分に火がついてしまったらしい。
「え、これは食堂?」
中に入って驚く。本当に食堂と表現していいのか謎。中にあるのは自動販売機ばかりだったから。どちらかといえばコインランドリーにも近い雰囲気。
それに見たこともない自動販売機ばかりだ。ペットボトルやタバコの自販機じゃない。うどんやラーメン、トーストなどの食事を提供する自販機だった。
自販機は全部昭和レトロな趣き。うどんの自販機のロゴなど、令和には決してない雰囲気だった。イラストやロゴは、良く言えばレトロ。悪く言えば垢抜けないが、色遣いはぱっと華やか。
五百円玉も使えない張り紙もあり、両替機も置いてある。つまり、この自動販売機は五百円ができる前に製造されていたということか?
「な、なにここ。私、タイムスリップした……?」
勘違いするほどだったが、スマホで確認すると、今はちゃんと令和だった。店の壁にもちゃんと今年のカレンダーが貼ってある。
店は外観と違い、床や壁も綺麗だった。テーブルや椅子も、清潔だ。
それに自販機も、丁寧にメンテナンスされている。自販機の塗装は剥げていない。誰かの手で塗り直されたのだろう。
全部の自動販売機がそうだった。見た目はレトロだが、誰かが丁寧に大切に扱われてきた痕跡が濃い。おかげで無人なのに、無機質さが薄い。似たような自動販売機専門の餃子やスイーツの店も入ったことがあったが、監視カメラの圧が強く、冷たい雰囲気だった。
「へぇ……」
詩音は一人、言葉を失っていた。
そういえば、結婚してから、時間に追われていた。仕事もフルタイムで続けていたし、時短、タイパ、コスパという言葉ばかり考えていた。この空間は、今の詩音と全く違う何かがありそう。
とはいえ、食事が買える自販機なんて、面白いじゃないか。治安がいい日本でしか成立しないのも、レアだ。コンビニと違って監視カメラも付いていない様子だが、日本の治安だったら、アリか。特にこの田舎街は極端に犯罪件数が少なく、ネットで少し話題になってた。
「せっかくだから、なんか食べるか」
どれにしようか迷ったが、うどんにしてみた。今の時期は秋の終わりだ。風も冷たい。温かいものがいい。
三百円をチャリンと入れる。本当に五百円玉は使えないらしいが、たった三十秒でうどんが出てきた。
「うそ、はや!」
この速さに驚くが、容器を持つと、ちゃんと熱い。ふわっと湯気もでていた。湯気と共に出汁のいい匂いもする。
安っぽいプラスチックの容器だったが、今はそれも悪くない気がする。隠れてこっそり食べる夜食、たぶん高級料理は似合わないから。
さっそくテーブルにつき、うどんを食べ始めた。テーブルには割り箸や七味も置いてあり、サービス精神、抜かりない。
濃い味の肉うどんだった。ふわり湯気に混ざり、出汁や醤油のいい匂いもする。
安っぽい器だったので期待していなかったが、麺はモチモチとし、ピンク色のかまぼこも可愛い。
熱いのでゆっくりと丁寧にうどんを啜った。
無言で食べる。今は丁寧にうどんと向き合うのも悪くない。
ちゃんとよく噛む。そういえば、最近、忙しく、よく噛んで食べていなかった。それにこの肉うどん、出汁がよくきき、肉も噛めば噛むほど、味が染みておいしいじゃないか。
「ご馳走さま」
気づくと綺麗に完食していた。お腹もいっぱいのなり、心もほっと温かくなってきた。
確かに夫の食い意地の悪さに悩まされていたが、詩音自身も、丁寧に食事していていなかった。忙しさにおわれ、何か大事なものを失っていたかもしれない。
「あれ、なにこのノートは」
ふと、テーブルの端にノートがあるのに気づく。表紙には来客日誌と書かれていた。客が自由に感想やクレームなど書けるらしい。
「へー」
中をペラペラとめくると、英語や韓国語、中国語もあった。確かにこの昭和レトロな自販機、外国人観光客にも人気かも。外国では、治安の関係上、自販機自体が珍しいと聞いたことがある。
韓国語や中国語は読めないが、詩音は一応英文科だった。英語のコメントは読める。中には結婚記念日で日本に旅行にきた夫婦のコメントもあった。
「結婚は、相手を幸せにしたいと思うこと、か……」
そんな英文を読んでいたら、詩音にも何か足りない部分があったと気づいてしまう。結婚して、相手からの愛情を貰うことばかり考えていた。だから余計に相手の欠点が許せなくなってしまったのかも。
「そっか……」
ノートを読んでいたら、目尻に涙が滲んできた。自分のことばかり考えていたから、うまくいかなかったのか。ふっと悩んでいた問題の答えがわかった気がする。
スマホには夫からの着信がいっぱい届いていた。こんな風に逃げているのは、きっと、良くない。
「もしもし」
詩音は夫に電話をかけた。この食堂の場所を伝え、夫に迎えに来て貰う。
十分足らずで、車で夫がやってきた。
「何じゃこの食堂は……?」
夫は昭和の遺物のようなこの場所に驚いていたが、子供のように目をキラキラとさせ、自販機を観察し始めた。
「たぶん、丁寧にメンテナンスされているよ、ここ。無人なのに、全く無機質じゃないのはなぜだ……?」
夫も肉うどんを買って食べていた。ゆっくりと咀嚼し、いつものように食い尽くしていなかった。
「ここにいると、俺って今まで雑に生きてきた感じがしてきた」
夫も詩音と全く同じ感想をもっていた。
「そうだよなぁ。なんかちゃんと食事したいって気分になってきた」
「同意だわ。なんかここにいると、タイパとかコスパとかどうでもいい感じがする。無駄なことこそいいのかもね?」
「珍しく意見が合うな……」
夫も苦笑し、肉うどんを完食していた。久々に温かい食事ができた気がする。
「ごちそうさま……」
二人の声が重なって響いていた。




