第一章4——『きれいな朝日』——
——空が、泣いていた。
天地を裂く黒雷が奔り、世界が軋む。
魔王ヴァルゼスが放つ魔力は、もはや災害そのものだった。
山が崩れ、海が荒れ、空そのものが割れ落ちる。
その中心に、ひとりの少女が立っていた。
金の髪が血に濡れ、杖を支えに立ち尽くす。
「……これが、あなたの“夜明け”なら……」
ミディアは息を切らしながら呟いた。
「私は、それを拒む“黄昏”として——立つ!」
魔王が嗤う。
「巫女よ、貴様の祈りはもう尽きたはずだ。
封印も果たせぬ半端な光に、何ができる?」
ミディアの掌から、かすかな光が漏れた。
——それは、壊れかけた《アエテルナ》の欠片。
「何も……できないかもしれない。
でも、“終わらせる”ことはできる。私の、この命で!」
彼女の詠唱が始まる。
声は震え、息は浅く、それでも美しかった。
「《黎明詠唱・断罪ノ式》——
光よ、我が祈りを受け入れよ。黄昏の巫女が命ずる、今ここに——」
一方そのころ、遠く離れたアルシェル学園。
学園の鐘楼から、異様な魔力の波動が感じ取られていた。
リリィは立ち上がる。
「これ……ミディアの魔力!? でも、あんなに大きいなんて……!」
隣でカイルが剣を握り締める。
「行くしかない。彼女が一人で戦ってるなら、俺たちも行く。」
「でも、王都から北の谷までは三日もかかるのよ!?」
「間に合わない……だから——」
その時杖の先から、金の光柱が天へと伸びる。
魔王が咆哮し、闇の翼を広げる。
黒と金がぶつかり合い、世界が爆ぜた。
リリィとカイルはその光景を見上げ、叫ぶ。
「ミディアぁっ!!」
だが、彼女の声は届かない。
「このままじゃミディアが死んじゃうわ!
カイル急いで!」
「確かこれだ!」
カイルは懐から一枚の札を取り出す。
古代転移魔法の符。かつてミディアがこっそり彼に渡したものだ。
『もしもの時、私のいる場所に届くように作ったの。』
その言葉を思い出す。
「今が“もしも”だろ。」
リリィは頷き、彼の手を握った。
「絶対に助けよう。あの子を、一人にはしない。」
二人は札を掲げ、叫んだ。
「——転移魔法、発動!」
白光が爆ぜ、彼らの姿が掻き消える。
光と闇の奔流の中、ミディアは一人、魔王へと歩み出た。
「ヴァルゼス……あなたがどんな存在でも、私はあなたを許さない。」
「ならば消えよ。お前の“愛”ごと、すべてを呑み込んでやる!」
魔王の右腕が薙ぎ払われ、闇の刃が奔る。
ミディアの体が吹き飛び、地に叩きつけられた。
血が地を染める。
それでも、彼女は立ち上がった。
その姿を見て、魔王が初めて息を呑む。
「……なぜ、立てる。」
ミディアは微笑んだ。
「あなたが“闇”であるように、私は“祈り”だから。
消えないのよ——たとえ届かなくても。」
彼女の身体から、金の光が溢れ出す。
もはや肉体を焼き尽くすほどの魔力。
それは命そのものを燃やす力。
「《最終祈祷——エンド・オブ・トワイライト》」
言葉と共に、光が爆発した。
眩い閃光が魔王の胸を貫く。
ヴァルゼスが呻き、黒い血を吐き出す。
「……この、巫女め……!」
その咆哮に、空が割れる。
しかしその身は確かに傷ついていた。
黒い翼が焦げ、片腕が消し飛んでいる。
——それは、神代以来初めて“魔王が後退した瞬間”だった。
ミディアは膝をついた。
視界が霞み、音が遠のいていく。
杖が砕け、指先が震える。
「……やっと……届いた……?」
魔王がよろめきながら、後退する。
「今は退こう……巫女よ。次に会う時が——貴様の終焉だ。」
闇の門が開き、魔王の姿が霧に消える。
嵐が止み、世界に静寂が訪れた。
その中で、ミディアは力尽きるように崩れ落ちた。
リリィとカイルが駆け寄る。
「ミディアっ! お願い、目を開けて!」
リリィが必死に治癒魔法を放つが、傷は深すぎた。
カイルが歯を食いしばり、震える手で彼女の手を握る。
「もういい……戦ったんだ、ミディア。十分だ……!」
ミディアはゆっくりと目を開け、二人を見た。
唇が、微かに笑みの形を作る。
「……ごめんね。私、約束……守れなかった。」
「守ったよ! だって、世界はまだここにある!」
リリィが泣き叫ぶ。
「あなたが守ったの! 誰も、消えなかったのよ!」
ミディアは小さく頷き、空を見上げた。
雲の隙間から、朝日が差し込んでいた。
「……きれい。ちゃんと、朝が来た……」
その言葉を最後に、彼女の瞳から光が消える。
しかし、その唇には確かな微笑みが残っていた。
しばらくして——。
空は完全に晴れ、世界は静けさを取り戻していた。
だが、誰も“終わった”とは言えなかった。
魔王は生きている。
再びその封印を完成させなければ、いずれ世界はまた闇に飲まれる。
リリィはミディアの杖の欠片を拾い上げ、胸に抱いた。
「ミディア……あなたの願い、絶対に繋げる。
次は、私たちが祈る番だから。」
その隣で、カイルが沈黙のまま剣を握る。
「魔王は必ず討つ。……お前の残した光で。」
そして、風が吹いた。
金の花弁が空へ舞い上がり、遠い空で輝いた。
それは、まるでミディアがまだ見守っているようだった。
——こうして、黄昏の戦いは一度の終焉を迎えた。
しかし、それは本当の終わりではない。
“黄昏の巫女”は眠りにつき、
“黎明の継承者”たちが新たな祈りを紡ぎ始める。
そしていつか、再び闇が訪れるその時——
ミディアの名は、伝説ではなく希望として語られるだろう。
「彼女は敗れなかった。
ただ、“明日を託した”だけだ。」




