第一章3——『巫女ノ覚悟』——
月光が落ちる夜。
王都から遥か北にそびえる《漆黒の谷》には、今もかつての戦いの痕が残されている。
そこが、魔王が封じられた場所——《魔王城跡地》。
冷たい風が吹き荒ぶ中、ミディアはただ一人、そこへと歩を進めていた。
手には、巫女の証である蒼い宝珠。
その光だけが、闇を裂く灯となっていた。
「……誰も来ては、いけない場所。だから、私が行く。」
その声は静かだった。
けれど、瞳の奥には決意の光が宿っている。
かつて封じたはずの魔王の気配が、再びこの地から滲み始めていた。
ミディアはそれを感じ取っていたのだ。
自分が動かなければ、再び世界が滅ぶ——そう理解していた。
谷を抜けると、廃墟のような城が現れる。
崩れた尖塔、砕けた石柱、焼け焦げた床。
しかし、その中心にはいまだ禍々しい魔力が残滓として漂っていた。
「出てきて。八魔星——魔王の影たち。」
その言葉に応えるように、闇が揺れる。
八つの光点が灯り、異形の存在が姿を現した。
「ククク……久しいな、巫女よ。」
「貴様が再びこの地に足を踏み入れるとはな。」
「封印の巫女……我らを滅ぼした女……!」
八魔星——かつて魔王直属の守護者たち。
人でも魔でもない、怨念の集合体。
ミディアは杖を構えた。
髪が風に舞い、足元に光の魔法陣が浮かぶ。
「もう、この世界に闇はいらない。」
瞬間、世界が閃光に包まれた。
戦いは、一瞬だった。
——第一星。炎の剣を振り下ろす巨人。
→《風裂の祈祷》で斬撃を逸らし、心核を凍結。
——第二星。幻術を操る蛇の女。
→《月影の封》で心象界ごと粉砕。
——第三星。毒の霧を撒く獣。
→《浄界の光》で一瞬にして浄化。
——そして残りの五星。
一つ、また一つと倒れ、灰となり、闇に還る。
息をつく間もなく、最後の一体が崩れ落ちた。
八魔星は、完全に殲滅された。
「……終わった。」
だが、その時。
地の底から、鈍い振動が響いた。
——ドン……ドン……ドン……
まるで巨大な心臓が鼓動しているようだった。
ミディアの表情が凍る。
「……間に合わなかった、の……?」
城の奥、かつて封印が施された大広間。
そこには巨大な魔法陣が刻まれ、中心には黒い結晶が脈動していた。
ミディアは駆け寄り、宝珠を掲げる。
「光よ、再びこの地を縛れ! ——《黄昏封印陣》!」
聖なる光が奔流のように広がり、結晶を包み込む。
しかし——同時に、空間が歪んだ。
「おやおや、やはり来てくれましたね、“巫女”殿。」
冷たい声が響く。
闇の中から、黒衣の男が姿を現した。
彼の名は《ヴェル=イグナート》。
魔王崇拝派《深淵教団》の幹部にして、“封印破壊者”と呼ばれる男。
「お前たち……まだ生きていたの……!」
「生きているとも。いや、我らは“信仰”と共に在る。
巫女よ、貴様の祈りなど無駄だ。今宵、封印は終わる。」
ヴェルが手をかざすと、八魔星の残滓が彼の周囲に集まる。
黒い霧が魔法陣を侵食し、光が軋む。
「やめてっ!」
ミディアは宝珠を掲げ、光を放つ。
しかし、ヴェルは笑った。
「お前がこの封印に魔力を注ぐほど、それは“裏返る”。
黄昏の巫女よ、貴様の力こそ、封印を解く鍵なのだ!」
「な……にを……!」
地面が裂け、魔法陣が反転する。
白金の光が黒に染まり、蒼い宝珠が悲鳴のような音を上げた。
「——封印、解除。」
ヴェルの声が響いた瞬間、世界が崩れた。
光が裂け、闇が噴き出す。
城壁が砕け、空が赤く染まる。
「ふ、ふざけないでっ……!」
ミディアは全身の魔力を解放し、封印を再び上書きしようとする。
だが、間に合わない。
魔法陣の中心から、巨大な影が立ち上がった。
——世界を滅ぼした“魔王ヴァルゼス”。
かつて彼女が封じた最古の闇が、再びその姿を現した。
「……あぁ、懐かしい声だ。巫女よ、再び我を縛りに来たか。」
その声は低く、しかし圧倒的だった。
大気そのものが震え、空気がひび割れる。
ミディアは杖を握りしめ、立ち向かう。
「今度こそ……あなたを、終わらせる!」
「終わりなどない。闇は形を変え、時を超える。
だが良い、巫女よ。黄昏に再び、血と祈りを捧げよう。」
魔王の翼が広がると、空そのものが黒く染まった。
月が割れ、星が消え、世界が震えた。
——黄昏が、再び始まる。
瓦礫の中、ミディアは膝をついた。
宝珠は砕け、光は失われている。
だが、まだ諦めない。
「誰かが……誰かが守らなきゃ。」
ふと、頭の中に声が響く。
——《ミディア、お前は一人じゃねぇぜ!》
——《約束したでしょう、“夜明け前の約束”を》
それは、リリィとカイルの声だった。
遠く離れた学園から、祈りの魔力が届いている。
ミディアはゆっくりと立ち上がる。
崩れゆく城の中で、彼女は最後の詠唱を始めた。
「……この命が、灯であるなら。
光よ、たとえ消えようとも、夜明けを照らせ——!」
光が再びあふれる。
魔王の咆哮が響き、闇と光がぶつかり合った。
黄昏の空に、二つの力が交錯する。
そして——新たな運命の幕が上がろうとしていた。




