第ニ章6——『リリィ・アークライト』——
三十層——そこはまるで時間そのものが凍りついたかのような世界だった。
氷柱が空に向かって伸び、結晶が音もなく漂っている。
空間の中央には、巨大な竜の影が静かに眠っていた。
「……あれが、“氷竜エイレーン”。」
リリィの声が震える。
レオンが前へ出る。
「ミディアの記録にあった。彼女がかつて契約を結ぼうとした竜……だが、成し遂げられなかった。」
カイルが息を呑む。
「ってことは、今度はリリィの番ってわけか。」
その瞬間、空洞全体に響き渡る低い咆哮。
氷の嵐が巻き起こり、竜の瞳が蒼く開かれた。
「——巫女の血を継ぐ者よ。
貴様が、ミディアの後継か。」
竜の声が心に直接響く。
「ミディアは強く、そして優しかった。だが、彼女は“人を守るために自らを失った”。
貴様はどうだ、リリィ。巫女であることを、恐れてはおらぬか?」
リリィは唇を噛む。
「……怖いよ。
けど、ミディアの願いを継ぐって決めた。
たとえその道がどんなに苦しくても、私が——光になる。」
竜の瞳がわずかに揺らいだ。
「ならば証を示せ。己の魂を以て、この氷を砕け。」
その声とともに、周囲の氷柱が動き出す。
鋭利な氷刃が雨のように降り注ぎ、空間が白に染まった。
カイルが前に出てリリィを庇う。
「くっそ、止めどきがねぇ!」
彼の剣が氷を弾くが、竜の吐息一つで氷壁が再生する。
「このままじゃ……!」
レオンが魔力を集中させるが、竜の魔圧が強すぎて詠唱すら崩壊する。
リリィは膝をついた。
身体の奥で、何かが脈打っている。
——ミディアの声。
『リリィ、もう迷わなくていい。
あなたは“私の続き”じゃない。あなた自身の光を、見せて。』
涙が零れる。リリィは立ち上がり、杖を強く握った。
「ミディア……見てて。」
「——《聖環解放》!」
光が爆発する。
リリィの髪が純白に変わり、背後に六枚の光翼が広がった。
氷の空間が共鳴し、竜の魔力が一瞬、抑え込まれる。
レオンが呆然と呟いた。
「……これが、“真の巫女”……。」
リリィが杖を掲げる。
「氷の竜よ、あなたの鎖を——解き放つ!」
杖の先から純白の光が伸び、竜の胸を貫いた。
氷が砕け、封印が解かれる。
エイレーンの瞳に穏やかな光が戻る。
「……ミディアの魂が、確かにお前を選んだ。
巫女の後継者、リリィよ。今より我が加護を授けよう。」
リリィは膝をつき、静かに頭を下げた。
「ありがとうございます、エイレーン様。」
竜は翼を広げ、リリィの背に光を落とす。
「汝の中に“氷の印章”を刻もう。これにより、汝は“凍結”を超える存在となる。」
その瞬間、リリィの右手に蒼い紋章が浮かび上がった。
空間が揺れ、氷が花のように咲き散る。
「——我が名はリリィ・アークライト。
黄昏の巫女として、この世界を救う!」
竜が満足げに頷き、姿を光に変えて消えた。
嵐が止み、氷の空洞は静寂を取り戻す。
カイルが呆然とリリィを見た。
「……お前、ほんとにすげぇや。」
レオンも微笑む。
「ミディアでも成し得なかった“契約”を、やり遂げたんだ。
これで、あいつの願いも少しは報われたな。」
リリィは右手の紋章を見つめる。
「この力で、今度こそ……魔王を止める。」
天井から光が差し込み、
中央の大扉がゆっくりと開いた。
その先には、黒い階段が深淵へと続いている。
「次の階層……三十一層からは、“無限回廊”。
現実と幻が混じる、精神の試練の領域だ。」
レオンの声が低く響く。
リリィはその光を背に受け、静かに頷いた。
「行こう。——この先に、“第二の巫女”が眠っている。」
“巫女は氷を越え、己の魂と契る。
その光は、黄昏をも貫く。”




