終章 巡り会えて よかった
レイシは納得がいかなかった。
風の城への出入りは許されたが、一家入りは見送りとなり、未だ、太陽の城でリフラクの下にいる。今日も、リフラクに連れられて、風の城に来ていたレイシは、当然の様にソファーに座っているシャナインに絡んだ。
「なんで、あんたがよくて、オレはダメなんだよ!」
「さあ。騒がしいから、ではないのですか?」
シャナインは、澄まして絡んでくるレイシを躱していた。
彼女の黒い髪は、まったく縛れないくらい短く切られていた。風の王夫妻の乱入で、インリーの影から解放されたシャナインは、風の王夫妻の娘という、インリーと同じ位置にいる。しかし、インリーとは似ても似つかない。
愛くるしかった笑顔はなくなり、始終真面目な表情を崩さず、何事にも積極的で、指先から弾丸のように飛ばす風魔法も、体術も恐ろしいスピードで高めている。
新たな名は、流星姫・シャナイン。高い攻撃力を誇り、すでに一家の主力の1人だ。
脳筋か?思えばそうでもなく、四天王のしているデスクワークもすんなりこなしている。だのに、料理は壊滅的だ。「ギンヨウ君が根気よく教えてたんですけどねぇ」と、インジュは首を傾げていた。
「兄貴!まだダメなのか?」
向かいで紅茶を飲んでいたインファに、レイシは縋るような視線を向けた。
「あと2年です。成人したら、歓迎しますよ。レイシ」
インファはニッコリ微笑んだ。
「くそ……転生しなけりゃよかった……。しかも、なんで太陽王夫妻の息子なんだよ!この風の力、父さんの力なんだろ?」
斑ボケだったレイシは、記憶を取り戻していた。インリーの影の消失で、解放されたツェエーリュアに無理矢理戻されたのだ。彼女曰く「黒歴史は背負って生きるべし!」だそうだ。しばし思案したインファは、同い年となったレイシに視線を合わせた。
「……ジュールの息子がよかったですか?」
「なんで!?」
父さんの風と言ったのに、なぜにそこにジュールが出てくるのかレイシにはワケがわからなかった。
「ツェエーリュアは、確かに父さんの風を預かりましたが、彼女も風の王の娘です。その彼女から風の力を得たということは、ルーツは5代目風の王・インラジュールということに――」
じょ、冗談じゃない!レイシは慌ててインファの言葉を遮っていた。
「わかった!師匠の息子でいい!リフ兄と名実共に兄弟になんか、なりたくない!」
「ほお?このボクの弟分は嫌だというのかい?恩知らずとは、このことを言うと思わないかい?インファ」
嘆かわしい。と、大袈裟なリフラクにインファは苦笑した。
「ところで、そのコート、暑くないのかい?」
リフラクは、青ざめるレイシの隣で、澄まして紅茶を飲んでいるシャナインを見た。
シャナインは、明るい茶色のコートを着ていた。袖口にキラキラと光を返す銀糸で雪の結晶の絵が縫われていた。前のボタンはキッチリ留められているが、コートの裾から覗く足は素足だ。その下は前面がミニ丈のスカートでスパッツを履いていた。
なんともアンバランスな出で立ちだ。
「体感温度など、霊力をちょっと操作すればどうとでもなります」
確かにそうだ。そして、精霊は、自分の霊力で服も作ってしまうため、服装も富に富んでいるが、シャナインのコートは霊力で作られたものではない。
「そうだけれどねぇ。君、狩りにまでそれ着ていっているよねぇ?グロウタース産じゃ、すぐに朽ち果てると思うけれどねぇ」
リフラクは心配していた。シャナインがこのコートを着ている意味を、知っているからだ。だが、グロウタースは移ろいゆく世界。彼の異界から持ち込まれた物は、いつか朽ち果てる運命にある。それに気がついていない様子のシャナインに、誰も、インファも教えていないらしい。それに疑問を持ちつつ、リフラクは我慢できなくなって指摘していた。
「リフラク」
「何かな?」
指摘すると、シャナインがジッとリフラクに視線を送ってきた。言ってはいけないことを言ってしまったかい?と思ったが、シャナインの続けた言葉は違っていた。
「このコートを、このまま保存する方法を、知りませんか?」
シャナインから、切実な想いを感じた。
「……余っ程大切なんだねぇ。よし、魔法を作ってやろう。だが、すぐにとはボクとていかないからねぇ。魔法ができるまで、それは壊れないように大事にするんだよ?」
「ありがとうございます。リフラク」
大真面目なシャナインの様子に、リフラクはレイシを残念そうに見た。
「……彼女の方が好感が持てるのは、なぜなんだろうねぇ?レイシ」
「知るか!なあ、兄貴、なんか手頃な魔物いない?」
「わたしもご一緒します。レイシ」
キラリとシャナインの瞳が光った気がするが、気のせいだろうか。
「あなた方にちょうどいい魔物……ああ、これをお願いします」
インファは心当たりを探すように、書類の束をめくった。それを、レイシに渡した。
「元々シャナインと父さんに頼もうと思っていたんですが、レイシ、あなたの鍛錬にもなるでしょう」
「魔物の群かい?面白い、ボクも行ってやろう。討伐数を数えてやる」
「勝負か。負けないぞ!シャナイン!」
「吠え面描かせてやりましょう。レイシ」
シャナインは、リフラクに言われたことを覚えていたようで、そそくさとコートを脱ぐと、丁寧に畳んで「預かりますよ」と言ってくれたインファに手渡した。
「言ったな!見てろよ!」
3人は騒がしく狩りへ向かって行った。
インファは静かになった応接間で、ラスの入れてくれた紅茶を飲んでため息をついた。そして、隣へ置いたシャナインのコートに視線を落とした。
「会わなければ、忘れられるよ」
「ええ。そうですね。幼い、未熟な者を守るのは、大人の仕事ですからね」
紅茶のおかわりを持ってきたラスに、インファは答えた。
このコートの贈り主はギンヨウだ。傷を負ったギンヨウだったが、今は白虎野島で変わらない生活を送っている。
シャナインから婚姻の証を贈られたギンヨウは、目覚めると即、リティルに連絡を寄越した。そして、シャナインと話したいと言った。リティルは承諾し、早いほうがいいという彼の願いで、シャナインを伴って白虎野島へ赴いたのだ。
リティルとシャナインが扉を抜けると、白虎野島にあるアッシュの工房へ繋がった。
シャナインには見慣れたダイニングキッチンにある、ダイニングテーブルの椅子に、ギンヨウは座っていた。
「おまえ、起きてて大丈夫なのかよ?」
「あなた方と一緒にしやがらないでください。まったくもって、大丈夫ではなくてやがりますよ」
ベッドにいるものと思っていたリティルは驚いて、ギンヨウに駆け寄った。ギンヨウはフフと微笑んで、嫌みを忘れなかった。
「座ってやがるのも辛いので、簡潔に。シャナイン、あなたの心は受け取れません」
リティルのいる前で、ズバッと返事をしたギンヨウに、口を挟みそうになって耐えた。彼が受け取らない選択をすることなど、事前に話をしなくてもわかりきっていた。
ギンヨウは、腕時計の文字盤が見えるように腕を上げた。そのガラスに、光の加減で現れる氷の結晶の絵はすでになかった。
「これが答えでやがります。わたしのことは、キッパリスッキリ忘れやがってください」
シャナインは、何も言わずにギンヨウに深々と頭を下げると、踵を返し風の城へ戻ってしまった。
「……ギンヨウ……」
振り方が、その昔のインファを見ているようだった。超絶美形のインファは、その昔、辟易するくらい、女嫌いになるくらい女性に群がられていた。いちいち対応などしていられない。凜としたギンヨウの姿が、あの頃のインファに重なるようだった。
違っていたのは、清々したような表情だったインファとは違い、ギンヨウは罪悪を感じているような、そんな切ない表情をしていることだ。
「叱ってくれやがりますか?リティル」
疲れたように笑ったギンヨウは、腕をテーブルに置くと、文字盤を数回引っ掻いた。そして、ペリペリとガラスに貼られていた文字盤のシールを剥がした。その下のガラスには、あの氷の結晶の絵がそのままあった。
「産まれて初めてなんでやがります。誰かに好きだと言われたのは……もう少し浸っていても、よくてやがりますか?」
切なげにガラスに浮かぶ雪の結晶の絵を見つめるギンヨウに、リティルは彼の心に気がついた。
「おまえ、本心――」
「シャナインは子供だ。これから、多くと出会うでしょう。リティルの戦いに見とれていた彼女には、戦える精霊の方がいいんでやがります。風の城で生きるシャナインと、ここで、アクセサリーを作り続けるしか能のないわたしとでは、接点はなくてやがりますよ。師匠とイリヨナさんのような関係は、特殊中級でしかないわたしが相手では、築けやがりません」
正論だった。だが、ギンヨウがシャナインを子供だと、言いいきるとは思わなかった。ギンヨウだけが、シャナインを見たままのシャナインとして接していたと感じていたからだ。
そうか、だからかと、リティルは思い直した。風の城へ引き取ってから判明したのだが、シャナインはなんと、まだ幼少期の成人前の精霊だったのだ。
体がインリーだった為に、一人前の精霊だと思っていた。あのノインでさえそうなのだ、インジュも気がついていなかった。それほどシャナインは、強力な精霊なのだ。幼少期の精霊に無体を働いたと、ノインは気に病み、インジュとインファと共にシャナインを献身的に指導している。
おまえだけが、ありのままのシャナインを見ててくれたんだな?シャナインを救ったのは、紛れもなくギンヨウだ。あんな、剥き出しの力のような危ない精霊を守ってくれたのは、まったくイシュラースを知らない、彼だった。
ギンヨウは、机に肘をつき、拳を額に当てた。
「なぜ……わたしだったんでやがりますか……!わたしは、あなたを、監視していやがったんですよ……?」
わからねーか?それは、ギンヨウに微塵も打算や駆け引きがなかったことの証明だ。
自然体で付き合って、2人は恋に落ちたのだ。
「落ちるときは、一瞬だ。インジュに聞いた。シャナイン、おまえがモノを作るところを、キラキラした目で見てたってな。料理も好きで、シェラとお菓子作りしてるぜ?戦闘じゃあんな自信たっぷりなのにな、下手くそで、こないだなんか、こんな傾いたケーキ焼いてきたぜ。あいつに心をくれたのは、おまえなんだよ、ギンヨウ」
「わたしもチョロくてやがりますね……師匠のことを、言えやがりません……」
眼鏡を外したギンヨウは、テーブルに突っ伏していた。
彼女を思い出すとき、その殆どが真面目な顔だ。そんな娘だったが、感情がなかったわけではない。ギンヨウにとって当たり前の、料理を作ること、アクセサリーを作ることを、驚いたような感激するような顔で、興味深げに見ていた。ギンヨウは、面白い娘だなと思っていた。
どうやら敵のようだが、戦いとは無縁のギンヨウにはいまいち実感はなく、非現実なことはインジュに任せておこうと、態度を変えなかった。たったそれだけだ。彼女に、何か特別なことをしたつもりはまったくなかった。まして、愛されてしまうようなことは、何も仕掛けてはいなかった。
傷が癒えて目が覚めると、心配そうなアシュデルがいて、時計の文字盤の保護ガラスに霊力が刻まれていることを指摘された。
「どういうこと?」と問われたが、ギンヨウにわかるはずもなかった。
アシュデルはこともあろうに「君がいいなら、ボクは止めないよ?」と言った。正直、師匠が乱心したと思った。風の王の娘の最上級精霊とグロウタース生まれの特殊中級精霊が、どうこうなるはずがない!ギンヨウには、受けられないの1択しかなかった。
だのに、消せなかった。婚姻を受けないなら、贈られたアクセサリーは破棄することがルールだ。どうしても消せずに苦心していると「受けていいよ?リティル様には、ボクから話そうか?」またしても乱心の師匠は役に立たなかった。
思わず「彼女は幼少期の、成人前の精霊でやがります!わたしを、子供を誑かした悪い大人にするつもりでやがりますか!?」と叫ぶと、気が遠くなった。
「え?シャナインって、成人してないの!?」
……師匠の目は節穴だと思った。どこをどう見たら、彼女が一人前の精霊に見えるのか甚だ疑問だ。情緒も知識も肉体年齢に見合わず、力ばかりが強力な、あんな成人精霊がいるはずがない。
「ともかく!断りやがります。リティルとシャナインを呼びやがってください。ダメ師匠!」
考えたら負けだ。そう思った。返事を急いだのは、なぜこんな落書きのような婚姻の証を消すことができないのか、心が悟る前に断らなければいけないと思った。
なんとなく、アシュデルに同席してほしくなくて、ギンヨウは心配する師匠を工房から追い出してしまった。
1人になって、偽造のシールを霊力で作って貼り付け、ダイニングキッチンで待った。本調子とはほど遠い体をむち打った状態でもなければ、断れない!と思ったのだ。
「巡り会えて、よかったと、思うことにしやがります。彼女が本物の恋をしたら、教えやがってください。キッパリスッキリ消しやがります」
もう、これっきり会わない方がいい。
リティルもそう思っているだろう。
住む世界が違いすぎる。共にいられはしない。精霊的年齢も17と、27。この年齢の10才差は大きい。きっと、すぐにわかるだろう。
「大人って、こういうとき面倒くせーよな」
「結ばれろと言いやがりますか?レイシの二の舞はごめんでやがります」
「ギンヨウ、これまで通り、風の城への出入りは自由だぜ?」
「行きません。それも、これまで通りでやがります」
ギンヨウは、笑みを浮かべて見せた。
こうして、シャナインの初恋は終わった。終わったはずだった。
2年後、成人したレイシが風の城へ戻ってきた。
「長かった……2年って、こんな長かったんだ……」
レイシは、応接間のソファーにグッタリと身を沈めていた。
「おかえりなさい、レイシ。これからは気兼ねなく仕事させますから、そのつもりでいてください」
変わらない笑顔を浮かべるインファに、レイシは体をガバッと起こした。
「ああ、もちろん!オレの通常の相棒って、シャナイン……あれ?なんか、雰囲気変わった?」
「それはそうです。わたしはまだ幼少期ですので」
少し見ないうちに、背が伸びたようなシャナインに、レイシは気がついた。
「はあ?マジで?じゃあ、成人で大変身したりすんの?」
「わからねーな。ってことはだ!レイシ、うかうかしてられないぜ?」
「え?」
「わからねーか?シャナインは、成人前で流星姫なんだぜ?9年でどこまで成長するか、楽しみだな!」
「お父さん」
「ん?」
「成人したら、ギンヨウに、もう1度会いに行ってもいいでしょうか?」
キリッと真面目に言ったシャナインの言葉に、インジュは素直に驚いて声を上げていた。
「マジですか!?シャナイン、そのコートはいい思い出なんだと思ってました!」
背が伸びてしまい、袖が少し短くなったコートを、シャナインは頑なに着続けていた。劣化防止の魔法を、リフラクは約束通り完成させ、シャナインはそれからずっとコートを着ているのだった。
「いいんじゃねーか?付きまとって困らせるのはダメだけどな、会うのは止めねーよ」
「ありがとうございます。お父さん」
シャナインは、少しだけ大人びた瞳に、意思のある光を灯らせリティルを見返していた。
あと8年と11ヶ月と3日。シャナインは、ギンヨウの前に再び立つことを、誓ったのだった。