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一章 凶花の想い

 アシュデルは、ダイニングテーブルに残ったカップを、見えない目で見つめていた。すでにリフラクは退出している。

「アシュデル」

そっと隣に近寄ってきたギンヨウに、アシュデルは大丈夫と示すように口角を上げて微笑んで見せた。身長190センチを超える猫背な体躯のアシュデルは暗い髪色も相まって陰気に見えるが、笑うと得も言われぬ色香がある。その笑みが今は更に甘かった。アシュデルはギンヨウの肩を抱き寄せた。彼もその腕の中に素直に収まった。

「見えた?」

耳をくすぐるような声にギンヨウは、僅かに身震いしつつコクリと頷いた。ギンヨウの吐いた熱い吐息に、アシュデルは彼の顔を見た。

「――貴重な時間壊して大変申し訳なく思ってやがりますが!わたしの姿でイチャイチャしやがらないでください!」

バンッと扉が開かれ、ギンヨウが心底嫌そうな顔でツカツカと入ってきた。

「はっ!ごめんなさいですの!変身していたこと忘れてましたですの!」

アシュデルの腕の中のギンヨウがピッと背筋を伸ばし、可愛らしい女性の声がその口から飛び出した。アシュデルが苦笑しながら手を放すと、ギンヨウの姿が蜃気楼のように揺らめいて、黒の残滓が鱗粉のような輝きを残して消えていった。

あとには、黒髪を巻いたツインテールに結った、ビスクドールのように真っ白な肌の瞳の大きな少女――いや、背の低い女性が立っていた。彼女の頭には鳥の羽根の装飾が美しい王冠が飾られている。闇の王、陰りの女帝・イリヨナ。アシュデルの妻だった。

「リティルには報告してやがります。その場にペオニサとインファもいたので、今頃風の城は修羅場でやがりますね!」

半ばヤケクソなようで、ギンヨウは腰を手にふんぞり返った。彼は平穏をこよなく愛する。平穏を脅かされそうで、気が立っているのだ。

「あー……あははは。上手く言っといてくれた?」

ギンヨウはニヤリと笑った。

「抜かりなくてやがりますよ」

そこは信用できる。彼は優秀なのだ。

「あ、あのですの!リフラクは正常ですの。それから、あの態度は強がりですの。過去のようなことは起こさないと思いますけれど、別の注意は必要ではないかと……」

報告しなくちゃ!と意気込むように、イリヨナが割り込んできた。

「うん。ありがとう、イリヨナ。急に呼び出してごめんね」

「いいえ!夫の窮地に駆けつけるのができる妻ですの!ああでも、もう戻らなければ!」

左手首に巻かれた腕時計を見たイリヨナは、名残惜しそうに告げた。そんな妻を、アシュデルはギュッと腕の中に抱き込んだ。

「また今夜ね」

「……はいですの」

イリヨナもアシュデルの背に腕を回した。彼女の左手の薬指には蝶の飛ぶピンクゴールドの指輪が光っていた。

こんな容姿でもイリヨナは、闇を統べる王だ。故に、王としての責務を果たさねばならず、グロウタースを点々とするアシュデルとは殆ど離れて暮らしている。

そんなイリヨナが、ギンヨウに変身してまでこの場にやってきたのは、負の感情にどれだけ飲まれているかが見える彼女に、リフラクが狂気に堕ちていないか見てほしいとギンヨウから通信があったからだ。抱擁を終えたイリヨナは、黒いリボンの結ばれた鍵を取り出すと、鍵は開いているはずの扉にそれを使いその中へ消えた。

『アッシュの鍵』という魔導具だ。それは、アシュデルがグロウタースの各地にある工房を転々とするために作ったモノで、扉に使えば行きたい工房へ空間を繋げてくれる。イリヨナに渡したそれは、闇の城とアッシュの工房を繋いでくれるのだ。2人の距離は異界という壁に隔たれているが、この鍵がそれをないものとしてくれているのだった。

 イリヨナを見送り、ギンヨウがアシュデルに眼鏡の奥から視線を送った。

「どうしやがりますか?うちにはすでに居候がいやがりますよ?」

「放り出すわけにもいかないでしょう?ボクを選んだってことは、グロウタースに用があるってことだろうし、ボクがしっかりしてれば、父さんもリティル様も手は出せないよ」

「守るんでやがりますか?」

ギンヨウは不満そうだ。それはそうだろうとは思うが、アシュデルは退くわけにはいかなかった。

「仕方ないでしょう?ボクは嫌だけど、本当に気が進まないんだけど、ペオニサ兄さんに傷ついてほしくないからね」

「安定のブラコンでやがりますね」

ギンヨウにはため息をつかれてしまった。無理もない。彼にはイシュラースのことなど関係ないのだから。関係しないように、この、隔絶された地・白虎野島に工房を開いたのだから。ギンヨウを世界から遠ざけることは、今でも上手くいっている。

「兄さんを守れば、インファ兄を守れる。インファ兄を守ればリティル様を守れるんだ。リティル様はイリヨナの父親だよ。合理的でしょう?まあ、ブラコンの否定はしないけどね」

いつの間にか、しがらみで雁字搦めだ。こんなはずではなかったのだが、ギンヨウには苦労をかけることは目に見えている。だが、彼以外に巻き込める弟子はいないのも現状だ。危ういがしかたがない。それにしても、アシュデルが白虎野島にいるときに、リフラクが来てくれてよかったとも言えた。アシュデルがいなかったら「アシュデル呼んでくれるよね?」とギンヨウが拷問に遭ったかもしれない。絶対に口を割らないだろうギンヨウを思うと、恐ろしくて肝が凍り付く思いがした。本当に、今日ここに来ていて良かった。そんな師匠の心中などつゆ知らず。ギンヨウはハアとため息をつきつつも、顔を上げて前向きな目をしてくれた。

「師匠の考えはわかりましたが、レイシ、どうしやがりますか?おそらくリフラクさんと、血を見るほどに衝突しやがりますよ?」

「ああ、そうだね……でも、それもいいかもね。リフラク兄と渡り合えるなら、風の城復帰の見込み、あるんじゃない」

アシュデルの言葉に、ギンヨウは瞳を瞬いた。

「ボーッとした顔して、スパルタでやがりますね。あの可愛い男性、凶花の異名があったんではなくてやがりますか?」

ギンヨウはどこまで風一家と、花の十兄妹のことを知っているのだろうか。時々彼の優秀さが怖くなる。この小さな島を出て行きたいと、言い出しそうで。それよりも、リティルにこれ以上目をつけられてしまったら、どうしてこんな平凡その者の容姿で、こんな場所に隠しているのか意味を成さなくなってしまう。

「うん。過去の事だけど、あのインファ兄を出し抜いた人だからね。戦闘能力、知略、それから残忍さはピカイチだね。いったい何をしたいのか、考えつかないけど、」

アシュデルは再びリフラクが使ったカップを見つめた。

「ペオニサ兄さんを頼れないって言ったあの人の瞳、信じたいんだ」

――昔は、あんなじゃなかった

光溢れる太陽の城で唯一暗い部屋だった、アシュデルの部屋の中でペオニサが吐露した想い。優しかった兄の幻影を大切に守る、次男だったペオニサの想いだ。

暗殺されてもなお、ペオニサが信じているリフラクは、今でも可愛くて強い花の十兄妹の長兄なのだ。風の城に、インファの手で討たれるしかなかったリフラクを、リティルは魂の強制リセットという裏技を使って救った。リフラクは赤子に戻され、これまで生きてきた時間を引き換えに、生き直しを、魂の導き手である風の王に許されたのだ。今でもリフラクを怖いと思っている。だが、もう、凶花だったリフラクはいないのだ。アシュデルの好きなペオニサを、殺そうとしたリフラクはいないのだ。

リフラクを追い詰める要員の1つとなった、花の十兄妹長兄の座に自ら座ったペオニサは、今度こそリフラクを救うんだと、太陽の城に頻繁に足を運んでいる。アシュデルはそんなペオニサの味方でいたかった。

「あと、気になることがあるんだ」

「何です?」

「リフラク兄は、ペオニサ兄さんに守られて、過去を知られないように徹底的に管理されてたはずなんだ。なのに兄さんのあの目……過去を知ってる。誰が兄さんに過去を漏らしたんだろう?」

それは大きな悪意だ。風の城を危険にさらす行為だ。風の王に対する宣戦布告だ。

いや、風の城だけではない。花の十兄妹の父である花の王・ジュール、彼とは兄弟の杯を交わす居候先の太陽王・ルディルをも敵に回す行為だ。救いだったのは、記憶を知ったリフラクが過去に心を持っていかれなかったことだが、リフラクをエスコートした人物は消されるだろうなと、アシュデルは思った。アシュデルも許せない。

「リフラクが可愛いんだ!兄さーんって満面の笑みで駆け寄ってきてくれるんだよ!凄くない?」と嬉しそうにはしゃいでいたペオニサの明るい笑顔が、脳裏に浮かんだ。兄さんを傷つけるヤツは許さない。

「どなたか存じませんが、その方、あまりいい死に方はしやがらないでしょうね」

平穏を乱されたギンヨウは、苛立っている様子だ。彼の平穏のためにも、師匠であるボクがしっかりしなければと、アシュデルはこれから来るであろう嵐を心した。


 知りたくなかった。自分に、償いきれない罪があることを……

リフラクは、物心ついたころ、花の十兄妹の次男であると告げられた。

子供心におかしいと思った。花の十兄妹は花の王・ジュールの11人いる子供達の中で、花の精霊だけで結成された部隊だ。だが、産まれた順番がそのまま呼び名となっているはずだった。だのに、リフラクは次男という名を与えられた。

すでに、末弟のアシュデルも成人しているというのに、なぜなのか疑問だった。

あるとき、長兄のペオニサに聞いてみた。いつも一緒にいてくれる長女のコスモスの精霊・チェリリには聞きづらかったが、兄妹達の憧れである風一家の一員であるなかなか帰ってこない兄は気さくで明るくて、話しかけやすかったのだ。

「ああ、変だって思うよね?それはね、おまえが赤ちゃんの姿のままずっと寝てたからだよ。内緒だけど、おまえはホントは長男なんだ。でも、赤ちゃんだったからオレが長兄になっちゃったんだ」

「ボクが、本当は長兄なの!?」

衝撃だった。次男だと言われるのも変だと思うのに、本当は長男なんて受け入れがたかった。それほど、リフラクの目にペオニサは大きく、輝いて見えていたのだ。

「うん。リフラク、おまえが成長して花の十兄妹に認められたら、長兄を返すよ」

「ええ?でも、兄さん……」

兄さんの位置にボクが?怖じ気づいたのがわかったのだろう。ペオニサは頭を撫でてくれた。

「重荷に感じないでよ。次男でいいっていうなら、オレ、長兄のままでいるからさ!」

ペオニサに、長兄の座を奪われたなんて、思った事もなかった。殺戮にまみれる風の城で、百華の治癒師と呼ばれながら、華やかさを振りまく兄を疎ましく思ったことなどなかった。

 成人を迎え、なぜか風の城への出入りを禁じられたままだったが、リフラクは1つ、夢を見るようになっていた。

ペオニサは、血の穢れで威力が落ちてしまうため、治癒の力を守るために一切命を奪えない。しかし、強力な魔物と戦う一家の為に、戦場へ赴く。そんなペオニサを守る布陣を雷帝・インファは整えているらしいが、それだけでは不十分だと、リフラクは思っていた。リフラクはいつしか、そんな兄を守る専属の護衛として風一家になれたのならと、夢を持った。その為に力を高めてきた。

いつか風の王・リティルに認められ、一家入りできることを夢見て。


「彼女」を見掛けたのは、アシュデルの結婚式の時だった。

末弟のアシュデルとは一度も会ったことはない。

彼は放浪の精霊で、グロウタースに居を構えていると聞いた。そして、風一家だ。この婚礼を最後に一家からは抜けてしまうというが、陰りの女帝の王配ではしかたのないことだとリフラクにもわかっていた。しかし、紡いだ縁は消えない。

風の王・リティルに認められ、彼の娘を娶り、そして、ペオニサとも仲がいいアシュデルを羨ましいなとボンヤリ思った。風の城の中核を担う4人の風の精霊・風四天王と笑うアシュデルを見て、そこへ自分も混ざりたいなと思った。

 ペオニサの最愛である雷帝・インファの姿を見たのも、このときが初めてだった。

アシュデルとイリヨナの婚姻に感極まって号泣するペオニサを宥める、完成された芸術品のような風の精霊――なるほど、ペオニサが「綺麗だ」「綺麗だ」と言ってしまう気持ちがわかるほどの美貌だった。一見、守りは必要なさそうなほど、隙のない強さを秘めた人だが、そんな強さをペオニサは守りたいんだと合点がいった。

自他共に認める変態であるペオニサを受け入れる、その懐の深さもさすが風一家の長兄だなと思った。だが、それだけだった。雷帝・インファにそれ以上心は動かなかった。


 次に「彼女」を見掛けたのは、アシュデルの結婚式後だった。

「あの娘とは、関わらないほうがいいわよ?」

チェリリはいつも辛辣だ。所在なさげにトボトボ歩くその後ろ姿を、何気なく見ていたリフラクに、チェリリは言った。

「彼女は誰?」

問うたリフラクに、チェリリは嫌そうに答えた。

「風の姫巫女・インリー。リティル様の娘だけど、信じられないくらいの無能よ!アシュデルとイリヨナ様の婚姻に水を差して、離婚させられたんですって。アシュデルも災難ね」

「災難?」

「彼女の無能仲間の元夫、押しつけられたのよ。混血精霊なんですって」

チェリリはいつも辛辣だ。

ちなみに、混血精霊とは、精霊とグロウタースの民との間に産まれた者のことだ。「ふーん」と生返事を返しつつ、リフラクは、風の王の娘なのに、ハクチョウの翼を持つ黒髪の風の精霊の後ろ姿を見ていた。上級以上の風の精霊なら、金色の猛禽の翼を持っているはずなのに、風の精霊なら髪の色は金色のはずなのに、なんだか混血精霊みたいだなと思った。

 彼女の事がなぜか気になって、リフラクはペオニサに聞いてみた。

「インリーちゃん?えっと……オレ、インファ絡みであの()によく思われてないから、よく知らないんだ」

ペオニサは「ごめん」とすまなさそうに言った。シュンとなったペオニサに、リフラクは焦った。しかし、違和感を覚えた。

ペオニサは雷帝・インファの友人という位置づけではなかったか?

百華の治癒師の異名を持ち、一家の治癒を一手に引き受ける風の城の要ではないのか?

リティルの娘ということは、一家の上に立つ人ではないのか?だのに、快く思っていない?

「あ、でも、彼女の夫君のことはよく知ってるよ!」

気を取り直したように明るくペオニサは言った。

「空の翼・レイシって言って、リティル様の次男だよ。養子だけど。炎を纏った大剣を片手でぶん回すんだ。すげぇ格好いいよ」

混血精霊なのに、風の王・リティルの息子?インリーは混血精霊と婚姻を結んだ?しかも養子の息子とはいえ兄弟と?

……色々衝撃だった。

「アシュデル、インリーと何かあったの?」

「え!?」

他意はなかったのだが、ペオニサが固まった。……何かあったんだと、瞬間わかった。

「答えなくていいよ。ごめん、兄さん」

結婚式の時、1人浮かない顔で、アシュデルを物言いたげに見ていたということは、横恋慕でもしたのだろう。

しかし、アシュデルとイリヨナは、共に暮らしていたと言っても過言ではないほどの、幼なじみだったはずだ。アシュデルがグロウタースへ出奔し、イリヨナと再会するまでの間に関係があったのだろうか。あれ?でも、レイシと夫婦だったって――

「ないから!」

「うえ?どうしたの?兄さん?」

強い口調で、どこか必死にペオニサは短く怒鳴った。いろいろうるさい言動の兄だが、こんな風に怒鳴る姿を初めて見たかもしれない。

「アシュデルはイリヨナちゃん一筋だから!筋金入りの幼女趣味だから!」

「に、兄さん!それフォローになってない!イリヨナ様はあの容姿で27才でしょう?幼女じゃないよ?アシュデルが一筋なのはわかったから、変な事言わないの!」

ペオニサの様子から、インリーの事は、とんだとばっちりだと何となくわかった。

だが、疑問が残る。完全なインリーの横恋慕なら、彼女は浮気したことにならないか?

ああ、浮気がバレて、インファの怒りを買ての離婚なのか。そう思った。


「彼女」との、インリーとの遭遇は突然だった。

突然、行く手を遮られたのだ。驚いて固まるリフラクの前で、行く手を塞いだくせに、インリーはオドオドとしていた。

「――何か用かい?」

兄妹達とペオニサの様子から、彼女には関わらないつもりだった。だったのだが、逃げるのはなんだか癪だった。しかし、プライドなんて本当にいらないなと、後悔する羽目になった。

「あ、あの、ペオニサに、アシュデルに、レイシと逢わせてもらえるように頼んでほしいの」

兄さんに?アシュデルに?レイシは確か、この人の元夫?リフラクは、インファが元夫婦が会うことすら禁じていることを、何となく察した。そして、彼女がペオニサに話しかけられないことも悟った。

「インファに頼めば?」

関わるべきじゃないな。リフラクは早々に去ろうとした。だが、引き留められてしまった。

「お兄ちゃんが許してくれないの……」

俯くその姿に、庇護欲をそそられたが、リフラクは同時に怒りが湧いていた。

「だから、兄さんに?しかも、兄さんがインファにじゃなくて、アシュデルに?君、君の頼みを聞いた兄さんとアシュデルがどうなるか、想像したかい?」

「え?」とインリーは顔を上げた。リフラクはこの瞬間、チェリリが憎らしげに無能だと言った気持ちがわかった。

 花の十兄妹は、風の城を助ける為にある。ジュールの補佐的な動きをしているチェリリも、本心では風一家に入りたいのだ。だが、ジュールを助けることでも風の城を間接的に助けられると、チェリリはこの太陽の城で励んでいる。

他の兄妹達もそうだ。ジュールの下で働きながら、憧れの風の王・リティルの下で働きたいと思って切磋琢磨している。だのに、風の王の血を引いているという理由だけで、風の城に当たり前のように住み、雷帝・インファを”お兄ちゃん”と呼ぶ権利を持っている。

反感を買って当然だ。それに、彼女は笑顔で癒やしをくれる兄を嫌っている。兄妹達に嫌われて当然だ。花の十兄妹長兄、牡丹の精霊・ペオニサを、否定する兄弟はこの城にはいないのだから。

「君とレイシの面会謝絶は、副官の決めた事じゃないのかい?副官は、風の城のナンバー2だよね?兄さんとアシュデルは雷帝・インファよりも偉いのかい?上司に逆らってまでする頼みとは思えないねぇ」

「じゃあ」とリフラクは去ろうとした。

「――のせいなのに……」

……あなたのせいなのに?気にしなければよかった。リフラクは、インリーのつぶやきに振り向いてしまった。

刹那、憎しみとも怒りともしれない瞳で、睨まれた。リフラクが初めて向けられた悪意だった。

「あなたがアシュデルを暗殺なんてしなければ、わたしがアシュデルを助けることもなかったのに!なのに、どうしてわたしが罰を受けて、あなたには何もないの?」

あなたがアシュデルを暗殺した?何を言ってるんだ?とリフラクはインリーが乱心したと思った。だっておかしい。仮に彼女が言った事が全部正しいとして、なぜ、アシュデルの命を助けて罰を、離婚させられるのだろうか。

「どうして、ペオニサもお兄ちゃんもあなたを気遣うの?ペオニサを後ろから刺して殺したくせに!お兄ちゃんを襲ったくせに!」

泣き出したインリーにリフラクはただただ呆然とした。

ペオニサ兄さんを殺した?生きてるけど?

インファを襲った?戦闘を仕掛けたってこと?何の為に?

「何をしてるの!」

チェリリが駆けつけなかったら、リフラクはインリーを殴っていたかもしれない。


 ペオニサを待つべきだったのかもしれない。

インリーの言ったことを問うていたら、少なくとも最後にペオニサに会うことはできた。しかし、リフラクが問う相手に選んだのは、花の王・ジュールだった。

やけに優しい顔をした波打つ艶やかな緑色の髪をした、女性を魅了してやまない美貌を持つ男性――花の王・ジュールが、リフラクの問いに眉根を潜めた。

「あの娘め……やってくれたな」

賢魔王の異名を持つジュールが、嫌いなタイプの女だと思っていたが、彼の嫌悪は相当だった。

「こりゃ、マズいな」

ジュールと同席したのは、オレンジ色の髪を伸ばしたい放題伸ばした、ずぼらな印象を受ける大男だった。夕暮れの太陽王・ルディル。この太陽の城の主だ。マズいと言いながら、ルディルは深刻そうな顔はしていなかった。

「リフラク、おまえには知る権利がある。だが、おまえのその命は、風の王・リティルの慈悲で続いていることを忘れるな」

「彼女の言葉が、事実ということかい?」

ジュールの瞳は険しかった。父王の瞳を、リフラクは肯定と受け取った。

「まあ、だとしても、おまえさん、ペオニサに嘘はねぇぞ?」

言い聞かせるような強い瞳で、ルディルが言った。そんなこと、言われなくてもわかっている。ペオニサを疑ったことはない。今も、疑いたくは、ない。

「そうだとしても、ボクはこのまま知らないまま、兄さんとは付き合いたくないね」

本当は、嘘だと否定してほしかった。しかし、例え父王が嘘だと言ったとしても、確かめに行ったと思う。

「リフラク、記憶の精霊を訪ねる許可をやろう。心のままに生きろ」

父王の前を去ったとき、これで二度とこの城には帰れないだろうと感じた。

 そして知った。

記憶にない自分の姿は、信じられないくらいに鮮やかに咲き誇る、残虐な凶花だった。

涙と、愛された記憶はここに、置いていく。

リフラクは再び、凶花になることを選んだ。


 アシュデルの工房を出たところで、リフラクは茶色の髪の、十代後半の青年に遭遇した。晴れた空に吹く風が、サラサラと雪を舞わせていた。

「リフラク……!?なんで、ここに……」

彼の冷たい紫色の瞳が驚きに見開かれた。リフラクは「へえ?」と瞳を細めた。

「ボクを知ってるのかい?ボクには覚えがないねぇ、混血精霊!」

インリーとレイシ夫婦のことも、洗いざらい記憶の精霊に見せてもらった。

実の父に殺されかけて、心を歪ませたが、優しい養父のリティルに守られ、精霊の至宝の守護者に選ばれた。そして、インリーを得た。

確かにリフラクは、2人の離婚の発端にはなったようだが、決定的になっただけで、すでに多くの不利益を風の城にもたらしていた。インファは、2人を物理的に引き離し更生させようとしただけだ。

 レイシは、リフラクの放ってきた突きを咄嗟に避けていた。

「生ぬるい憎しみだねぇ……そんなモノでいいのなら、ボクの憎しみの餌食になってくれないかい?」

さて、こいつは残して逝っていい者なんだろうか?リフラクは、ニッコリと可愛いと愛でられるその顔に似合いの笑みを浮かべた。

「はあ?いきなり何言ってんだよ!」

隙を作って繰り出してやったリフラクの巨大虫ピンを避けようとしたレイシは、雪に足を取られた。白虎野島には、すでに数ヶ月暮らしているはずだ。だのに、雪中での戦いを会得していないとは、アシュデルは甘やかしすぎじゃないか?と呆れた。

「しま――」

「た」と言わせなかった。高速で閃いた鋭い光にレイシが目を見開く頃には、雪の上に標本にしてやっていた。しかし、体に傷は一筋もつけなかった。

「そんなざまで、風の王の懐刀なのかい?おまえ、ペオニサ兄さんより弱いんじゃないのかい?」

こいつは単細胞だ。すぐに頭に血が上る。プライドを傷つけられ、怒りの形相で睨んできたレイシから、太陽光の熱が迸った。

「舐めるなよ!」

単純なヤツ。なぜこんなヤツが、風の王のそばにいるのか、いられるのか理解できない。飛び起きたレイシの右手には、ペオニサが格好いいと言っていた炎を纏う大剣が握られていた。

ギリッとリフラクは奥歯を噛み締めた。

こいつは、兄さんにずっと拒絶の視線を送っていた。おまえは、インファを敬愛しているんじゃないのかい?インファが選んだ人を、おまえは!怒りが沸点を刹那超えた。ああ、これが、凶花として咲いてしまったリフラクの欠点だったのだと感じた。

ああ、ボクはもう、戻れないな……。迷いは霧散した。もうこのまま、突き進むとリフラクは心を決めた。

「!」

 レイシの大剣は、リフラクの虫ピンに片手1本で止められていた。

「――さび付いてるねぇ。恥ずかしいヤツ」

なんなんだ?何なんだよこいつ!レイシは弾かれないように堪えるだけで精一杯だった。ハッと気がついた時には、リフラクの左手が突き出されていた。喉をつかれ、レイシはその場に頽れていた。息を奪われ、生理的な涙が流れた。

「それくらいにしておいて。リフラク兄」

レイシが嘔吐きながら視線を上げると、工房の入り口からアシュデルが出てくるところだった。

「チェリリ姉が言っていたよ。アシュデルは災難だってねぇ」

リフラクはレイシを見下ろし、静かに感情なく言った。その言葉に、アシュデルはため息をついた。

「はあ、あの人辛辣だから、レイシを押しつけられたとでも言ってた?違うよ。ボクが引き受けるって言ったんだ。それから、ここではボクのことはアッシュって呼んでね。羽根も隠してよ?」

リフラクはフフと可愛らしく微笑んだ。

「リティル様の許可、降りたんだねぇ」

「家出なんだってね。ペオニサ兄さんが真っ青だったよ。インファ兄が来るって言って揉めに揉めてたから、しばらく猶予がありそうだよ?」

いったい、何の話をしているのだろうか?リフラクと普通に会話して見えるアシュデルが、レイシには信じられなかった。だって、リフラクのせいで、イリヨナとの婚姻がダメになりそうだったのだ。恨んで、恐怖してしかりの相手に、どうしてこんな穏やかに対応できるのだろうか?

「そう。インファに感謝しなくちゃねぇ」

「何するつもりなのかしらないけど、やることがあるなら早くしたほうがいいよ。でないと、ペオニサ兄さんとインファ兄が乗り込んでくるから」

「それは急がないとねぇ。でも、ボクは今回も勝つ」

「兄貴が、目的なのかよ!」

させるか!と掴みかかったレイシは、リフラクに呆気なく躱されていた。まったくこちらに注意を向けていないと思っていたのに、背後をとられ背中をトンッと押されていた。

「インファが目的だって?ああ……今ここで殺してやりたいねぇ……おまえをさ……」

ヒュンッと冷たい空気が斬れた。リフラクに背を押され、雪に突っ込んだ体を起こして振り向いたレイシは、喉に虫ピンを突きつけられていた。

「ボクの目的はただ1つ。風の姫巫女・インリーの首だ」

「なんだって?」レイシは声を出すことすら許されなかった。圧倒的だった。

アシュデルのため息が聞こえた。そして言葉も。

「兄さんに過去を教えたのは、インリーなんだね?なんてことを……」

――え?耳を疑ったレイシは、声は未だ出させてもらえなかった。

「感謝すべきなんだろうねぇ……風の城出禁の理由、ボクが次男の理由……全部知れたよ。ボクの夢は、風一家に入って、戦う力を持たないペオニサ兄さんの専属護衛になることだったって言ったら、君は笑う?」

凄まじい憎しみを感じた。しかし、リフラクの表情は、愛くるしい笑顔だった。

「兄さん……あなたは正気だ。やけを起こしちゃいけない」

この笑顔でこの殺気で正気?とレイシは思ったが、そういうアシュデルもいつもの淡々とした様子だった。

「アシュデル、ボクは凶花だ。だからわかるんだよ。インリーは腐った風だ。彼女の腐敗はやがて風の城を破滅に導く。だから、連れて逝く」

「兄さん!望まない人の為に兄さんが命を捨てることはないよ。ボク達花は、最愛の為に咲き誇るんだ。散ることは許されないんだ!」

アシュデルがやっと声を荒げた。

「最愛か。それを得られた兄さんは、本当に幸せだね。ねえ、アシュデル、兄さんは風の城で愛されている?」

こいつ、インリーがペオニサを嫌いなことまで知ってんの?レイシは愕然とした。なぜならリフラクは、太陽の城からすら出してもらえていなかったはずだったからだ。そして、彼がペオニサを大事に思っていることを感じた。

なんで?ペオニサを暗殺したくせに!レイシには、リフラクと普通に話をしているアシュデルのことも理解できなかった。アシュデルも、自分を害し、ペオニサを傷つけたリフラクを憎んでいるとそう思っていたのだ。だのに、リフラクを案じて聞こえた。

「みんな頼りにしてるよ。だから、心配いらない!あなたが死んだら、兄さん……悲しむどころじゃないよ?わかるでしょう!?」

アシュデルの悲鳴のような叫びに、リフラクは哀しそうに微笑んだ。

「耐え難いんだよ、アシュデル……この記憶は、耐え難いんだ……」

リフラクは唐突にレイシに突きつけていた虫ピンを退くと、ペオニサの羽根によく似た、赤色が美しいミイロタテハの羽根を広げて飛び去った。

「兄さん!」

 アシュデルは数歩、慌てたように足を進めたがすぐに立ち止まった。そして、立ち上がれないレイシを、普段のアシュデルからは想像もつかない機敏さで振り向いた。

「レイシ!悪いけど、そのままをリティル様に報告するよ?」

レイシは、アシュデルが何を確認したのかわからなかった。早く知らせなければ、インリーの命が危ない。報告を躊躇う理由を思い至れなかった。

それを見透かされたのだろう。アシュデルは大きなため息をつき、未だ立ち上がらないレイシの腕を掴むと引き上げた。そして、そのまま至近距離から苛立ちを隠さない声で言われた。

「あのね、リフラク兄は、近々インファ兄に引き合わされる予定だったんだ!」

「はあ!?なんで?危険――」

「リフラク兄は、ボクの結婚式でインファ兄を見てるんだ。でも、その後変化が見られなかった。ペオニサ兄さんが何度も確認してるけど、凶花が目覚める兆しはなかったんだよ!だから、インファ兄が何回か会って、それでも大丈夫なら、過去の話をしようって父さんとルディル様、リティル様と決まってたの!それをインリーは台無しにした。それがどういうことかわかる?」

アシュデルはレイシの言葉を遮って、一息に言い切った。

「な、なんで……リフラクにそこまで……?」

アシュデルは再びため息をついた。

「レイシ……あなたの主君は誰?」

「風の王・リティルだよ!」

「そうだね、リティル様だね。リフラクは、リティル様が助けた命だ。その命が生きられるようにするのは、一家として当たり前なんじゃないの?リティル様はそういう王様だよね?」

話にならないよ。アシュデルはそう呟くと、レイシを置いて小走りに工房へ入っていった。

リフラクは……危険だから監視されてるんじゃなかった……。レイシはやっとそのことに気がついて愕然とした。

かつて、リフラクに背後から襲われ、体の自由を奪われて、さらに貞操を奪われかけたインファは、すでにそのことを許していたのだと、いや、生き直しを強要されたリフラクを新たな命と割り切って導く気だったのだと、レイシはやっと知った。

ペオニサは、初めから恨んではいない。むしろ、壊れてしまった兄弟関係をもう1度築き直すのだと、いつも以上に前向きだった。

インリーは、なかなかくっつかないアシュデルとイリヨナに焦れて計画された、政略結婚に水を差したときと同じように、風の城と太陽の城の3人の王が長期に計画していたことを壊したのだ。

アシュデルが風の城にリフラクの事を報告しても、守られるのはリフラクでインリーではない。

レイシは、やっと事の重大さに気がついたのだった。


 リティルは、インリーを問い詰めているまさにその時に、アシュデルからの通信を受けた。

「わかった。リフラクはまだ白虎野にいるんだな?」

リフラクとレイシの騒動のことと、彼の望みを聞いたリティルはアシュデルに確認した。

白虎野島というのは、グロウタースにある極寒の島の名だ。今、アシュデルがいる場所だ。

『うん。島から出た形跡はないよ。でも、どこにいるかわからない』

アシュデルからの報告を聞いたのは、リティルとインリーだけではない。他の風四天王――副官、雷帝・インファ、補佐官、煌帝・インジュ、旋律の精霊・ラスと、ペオニサ、風の王妃・シェラ、そしてリティルの兄である力の精霊・ノインも同席していた。

「まいったな……リフラク相手に、レイシが手も足も出なかったって?全盛期の力を取り戻してるのか?記憶を見ただけで?」

不良息子とはいえ、レイシは風の城の主力の1人だ。その彼が手も足も出なかったとは、ずっと城に閉じこもっていたと知ってるだけにリティルは素直に驚いていた。

「違うんだリティル様。リフラクはずっと、力を高めることを怠ってないよ。記憶を見て、当時の戦い方を再現したんだ。リフラクなら、やれる」

口を挟んできたのはペオニサだった。いつもヘラヘラ笑っているペオニサが、今日は辛そうだった。

『……リティル様、言おうかどうしようか迷ったんだけど、聞いてくれる?』

「なんだよ、改まって」

神妙な様子のアシュデルに、リティルは思わず居住まいを正していた。

『リフラク兄の夢を聞いたんだ。兄さん、風一家に入って、ペオニサ兄さんの専属護衛になりたかったって言ったんだ』

「そんなの、なれるわけないよ!」

アシュデルの言葉に、誰が反応するよりも早く声を上げたのはインリーだった。

「リフラクはお兄ちゃんを襲ったんだよ?そんな人が、風一家に入れるわけない!しかも、ペオニサの専属護衛って、ペオニサ、いつも四天王の誰かに守られて戦わないじゃない!どうして、そんな夢――」

「黙れバカ娘」

リティルのいつになく低い声に、インリーは言葉を失った。もの凄い圧力が体にのし掛かり、インリーはソファーに座ったまま体を折らされていた。

「おまえ、治癒魔法使えるよな?治癒の力は、生き物の命を奪うと一定量威力が落ちるよな?ペオニサは、どんな大怪我も、毒とか麻痺の状態異常も短時間で癒やせるように、日頃から準備してるぜ?小説書きながらな!そんなあいつの治癒をアテにしてるのは、オレ達だ。こいつが手を汚さねーでもいいように守るのはおかしなことかよ!」

リティルの怒りに、インファが小さくため息をついた。

「はあ、本当はペオニサを、戦場へも連れて行きたくないんですよ?四天王の誰かがつくのは、無傷で守るためです。ペオニサに倒れられたら、本末転倒ですからね。治癒師がいるから、オレ達は無茶もできるんです」

「無茶禁止だから!こないだのインジュの戦い方、何!?ペオニサがいるからいいですよねぇ?って言って、毒の水球に突入だよ!?……ってごめん、こんなときに……」

インファの言葉に聞き捨てならないと口を挟んでしまったペオニサは、慌てて巨体を小さくした。そんなペオニサに皆は和やかに苦笑し、リティルは興が削がれたとインリーを押しつぶしていた圧力を解放した。

「ペオニサ、花の十兄妹、長兄のおまえに問うぜ?インリーの処分、どうしたい?」

リティルに王の瞳で見つめられ、ペオニサは息を詰めた。そして僅かな逡巡の後、ゆっくりとインリーに視線を向けた。

「……インリーちゃん、ごめん……レイシのところに行ってくれる?」

それを聞いたインリーは目を丸くすると、嬉しそうに立ち上がった。

「うん!ありがとう、ペオニサ!」

そしてインリーは、皆の視線に気がつかずにゲートを開くと飛び込んで行ってしまった。

「悪いな、ペオニサ、アシュデル」

 心底呆れた様子でインリーの姿を見送ったリティルは、深いため息をつくと、ペオニサ達に詫びてきた。

『ううん。ボクはリティル様の決定に従うだけだよ』

「ごめん……リティル様……オレ……インリーちゃんを……」

震えて項垂れるペオニサの肩を、インファは慰めるように触れた。

「気にするな!バカ娘がバカのまま逝くならレイシが一緒だ。少しはまともになって逝くなら、レイシだけは帰って来るぜ?」

「しかし、どちらの場合も、斬るのはリフラクではありません。オレです」

ペオニサは、インファの声に顔を上げられなかった。インリーに死刑宣告できた自分がいまだ、信じられなかったのだ。リフラクがインリーに敵わなかったとしても、守られるのはリフラクでインリーは断罪される。断罪を決めた風一家がしくじることはない。

「バカ言うなよ。あいつらはオレの子だ。オレがやるぜ?」

リティルは腕を組むと、挑むように瞳で宣言した。

「リティル、あの子達の母親はわたしよ?わたしが引導をわたすわ」

リティルの隣に座っていた、インリーと同じ、青い光を返す黒髪の可憐な美姫が、その瞳に覚悟を滲ませていた。

インリーと血の繋がる彼等は、その時がきたとき、躊躇いなく命を奪えることがペオニサにはわかっていた。他のモノの命を奪ってきている彼等は、身内には特に厳しいのだ。

けれども!

「まだ、2人が死ぬって決まったわけじゃないよ」

百華の治癒師・ペオニサの矜持は、殺戮を否定する。リティルが斬ると決定を下している今回だが、リティルは慈愛の王だ。他の命が相手だったら、ギリギリまで殺さない選択をする。凶花と言われ、魂の輝きを失い、風一家に敵対したリフラクを、救ってくれたように!

インリーは血を分けた娘だ。殺したいはずがない!

ペオニサに、リティルは同情するような微笑みを浮かべた。

「ペオニサ、もういいぜ?インリーは、おまえさえ受け入れられねーヤツだぜ?これまでもことごとく、レイシと仲良くオレの決定に背いてきてるんだ。これまでは、そんな意見もあるよなーって放っておいたんだけどな、今回は、命がかかってるんだ。見過ごせねーよ」

娘より、ペオニサとリフラクを選ぶと言ってくれたリティルに、ペオニサは泣きそうになって、涙を振り払うように叫んでいた。

「リフラクを説得できればいいんでしょう!?オレの専属護衛になりたかったって、何?嬉しすぎて泣ける!実現……難しいかぁ……!インファがいいっていってくれても、あいつ、絶対にうなずかないよね……」

 リティルも、リフラクがそんな夢を持っているなんて知らなかった。リフラクは、こちらの思惑通りにきちんと育っていたのだと確信する。

「ああああ……なんで1人で見ちゃうかなぁ!?」と頭を抱えたペオニサに、リティルはため息交じりに苦笑した。たしかに、ペオニサが一緒に記憶を見るなり、その場にいるなりしていたなら、傷心のリフラクは凶行に走ったりしなかっただろう。防げた事態であるだけに、もしもが止まらないのだ。いつも的確な助言をくれる力の精霊・ノインが何も言ってくれない。こんな事態になるまでインリーを放置していたことを、呆れられているのかもしれない。聡明な兄であるノインには、それとなく忠告されていたのにこれだ。彼にとっては、誰が娘を殺すのかという取り合いも含めて茶番に他ならないだろう。

「なあ?インリーのやったことは、許しがたいんだよ。リフラクはまともだ。イリヨナも太鼓判押してる。ゆっくりいけば、凶花は咲かなかったぜ?それがわかってるだけに、悔しいんだよ!」

ドンッとリティルは拳を机に叩きつけた。

「オレ、やっぱり諦められない。リティル様、リフラクの所へ行かせてよ!説得してみせるよ!」

「父さん、リフラクが未だ白虎野に留まっているのは、理由があるはずです。オレも現地へ行かせてください」

インファの視線を受けて、リティルは息子を見返した。

「リフラクと争うことになるぜ?」

「オレもそこそこやるって、見せちゃうよ!」

「これ以上、勝ち逃げされるわけにはいきません」

わかりやすく意気込むペオニサと、静かに熱く見つめてくるインファに、リティルは救いを感じている。いつからか歯車が上手く噛み合わなくなってきた風一家に、抗うペオニサと賛同するインファがいてくれることが、リティルを安堵させる。

まだ、大丈夫だ。と。

「わかったよ。おまえらも連れて行ってやるよ。みんなそういうことだ。インジュ、ラス、城の事頼むな!」

リティルは補佐官・インジュと執事・ラスに城の事を任せた。そして、落ちついた大人の雰囲気を醸したミステリアスな仮面の男性に、視線を合わせた。濡羽色の短い髪とオオタカの翼を持つ彼が、視線に気がついてこちらを向いた。

「兄貴」

「……悔いのないようにな」

ノインの感情は、リティルでは読めない。風の精霊ではない兄は、遠慮してこういうときあまり口を出してはくれないのだ。この兄に、失望されたくない。リティルは奥歯を噛むと、インファとペオニサと共にグロウタース・白虎野島へ旅立ったのだった。


 島は、猛吹雪に見舞われていた。

すべてを拒絶するかのような荒れ狂う風の中、インファとペオニサは雪道を進んでいた。この島に合わせた防寒具に身を包んではいるが、2人は吹雪に翻弄されることはない。インファの風が2人を守っていた。

「インファ、ホントにいいの?」

「いいとは、何がいいんですか?」

ペオニサの情けない顔に、インファは笑いを堪えながら問い返した。

「オレ、さ、リフラクを信じてるよ?でもさ、インファは襲われたわけじゃない?だから、怖いんだ。あいつがもしって……。オレ、最低だね!リフラクを信じてるっていいながら、心の底じゃ……」

葛藤するようなペオニサを見上げながら、インファはフフと微笑んだ。

「オレが襲われた時の事を、話しましょうか?」

「ええ!?いいよ!ダメだよ!インファ、なんで自分から傷つくようなことしようとするの!?」

途端にペオニサはワタワタとしだした。この感情を隠さない腹芸のできない友人を、インファは好ましく思っている。

「笑い話だからです。確かに、リフラクの奇襲には反応できずに、体を麻痺させられましたが、インジュが駆けつけなくとも、貞操は守りましたよ?」

「それは……そうなんだろうけど、インファだし」

未遂に終わった結末は変わらなかったと言い切るペオニサに、インファは苦笑した。

「のし掛かってきた小柄で可愛らしい顔立ちの者が、男なのか女なのか、考えてしまったんです。オレはいったい、どちらの性の者に犯されようとしているのか?と思ってしまったんですよ。女性ならばこう来る、男性ならばと、これから相手がしてくるであろう手順を考えてしまいまして、逃げるのが遅れたんですよ」

インファは大袈裟に肩をすくめてみせた。

「ちょっ!そんなこと逃げてから考えてよ!それで、いつリフラクが男だってわかったの?」

恐る恐るペオニサが問うてくる。リフラクの見た目は、髪が肩までで短くとも美少女だ。超絶美形と称されて、男女と共にそんな目で見られたことのあるインファは、本気でわからなかったのだ。

「彼が脱いだからです。胸板を見て、ああ、男だったのかと思いましたね。その頃には全裸にされていましたが」

「……修羅場くぐりすぎ……じゃあ、ずっと冷静だったってこと?」

「ええ。思うに、戸惑ったのは、彼も同じだったのではないかと思われます。オレが無抵抗なので、引っ込みがつかなくなったんですよ。悪いことをしましたね。彼はノーマルですから」

「それは……うん。だからオレも驚いたんだ。……あの、さ」

「あのとき、リフラクに欲望はありませんでしたよ?馬鹿にしてるのか?と言いたげな怒りを感じましたね。オレが無抵抗だったせいです。オレとやり合いたかったリフラクの想いを、オレは、呆れるようなことを考えていたせいで、踏みにじってしまったんです。それからジュールやインジュのガードが鉄壁を通り越してしまいまして、お互い近づけなくなってしまいました。オレも真意がわからず、ジュールやインジュの善意を無駄にすることは本意ではありませんからね。有耶無耶にしてしまいました」

インファは、真っ白で右も左も、上も下もわからない吹雪を見上げた。

「彼が、あなたと同じ、オレの為に作り出された精霊だと知っていたなら、是が非でも、接触しました。彼が凶花となってしまったのは、オレのせいです」

「インファのせいじゃないよ!強姦未遂が誤解だったとしても、奇襲だよ!?アプローチが間違ってるよ!?」

必死に擁護してくるペオニサを、インファは穏やかに笑いながら見上げた。

「アプローチを間違ったのは、あなたも同じでしたね」

「うっ!」とペオニサはバツが悪そうに視線をそらした。

自分の容姿が嫌いな雷帝・インファに向かってペオニサはこともあろうに「今日も綺麗だね」と初対面で言ってきたのだ。インファはこの華やかな大男を、その瞬間警戒した。

「一瞬でオレの視界に入ってきたという点では、間違っていないと思いますよ?これまで、ジュールの息子という認識でしかなかったというのに、あなた達は、初対面で強烈な印象を、オレに残すことに成功したんです。さすがとしか言いようがありません。あなた方を作ったジュールには、一生勝てる気がしません」

「あんなアホ親父褒めないでよ!あんな顔して、中身魔王よ!?インリーちゃんを出禁にしなかったのだって、問題起こさせて、兄妹達の誰かに暗殺させるつもりだったんだから!」

恐ろしい……と、ペオニサは大袈裟に体を震わせた。そんなペオニサに、インファはすみませんと心の中で謝った。知っていた。知っていて、インファは止めなかった。父・リティルはそこまで気がついていなかっただろうが、ノインは気がついていた。だから「インリーを太陽の城に行かせるのをやめろ」と進言したのだ。ジュールの思惑に嵌まってしまえば、誰かが犠牲になってしまうと、ノインは花の十兄妹の誰かを案じたのだ。しかし、リティルが動くことはなかった。

「だから勝てないんですよ。彼と渡り合えるのは、ペオニサ、あなたくらいですよ」

「で、ででできるわけないでしょ!?」

「そうですか?あなたは、ジュールの思惑通り、太陽の城にいる花の十兄妹すべてを敵に回したインリーを、守ってしまいましたよ?」

「そ、それは……親父に刃向かったわけじゃなくて……」

ペオニサはただ、兄妹達に風の精霊を殺してほしくなかったのだろう。風一家に憧れる兄妹達の想いを、守りたかっただけだろう。インリーは風の王の娘だ。彼女に手を出せば、風一家に頼りにされたい夢は断たれてしまう。と。ペオニサがジュールの思惑に気がつくはずがないとすれば、ノインの入れ知恵だろう。ノインには、結末が見えているのだろうか?身内の不始末の結着は身内でやるものだ。くらいには思っているだろう。そして、まんまと風の王夫妻に腰を上げさせた。しかし、弟夫婦に、実の娘を討たせるだろうか?彼もまたインファと同じくわかり辛いが愛情深い。まさか、自分で?と過って、それはそれで守りすぎだ。

「あなたは、ジュールから花の十兄妹を動かす指揮棒を奪い取ったんです。兄妹達は口を揃えて言うと思いますよ?インリーをなぜ殺さなかったんですか?ペオニサ兄さんが殺すなと言ったから。と」

「嘘だ……」

ペオニサが兄妹達に、命令を下したことは1度もない。形ばかりの長兄で、指揮権はジュールにあると思っていることだろう。いったい、ノインはペオニサに何と言ってその気にさせたのだろうか?応えることのできるペオニサもペオニサだが。

「本当ですよ?まったく……あなたまで、オレの導きが必要なんですか?いいですか?ペオニサ。あなたが花の十兄妹を戦場へ、自分の護衛として指揮することも可能ですよ?兄妹達には、すでにその力があると思われます。だから、リフラクの絶望は深かったんです。オレを傷つけた過去を持つリフラクが、風一家に入れる可能性はゼロに等しいですからね。リフラクが夢見た場所を得るのは、他の兄妹の誰かですね。過去を知り、それを見送るのはできることではありません。自分が負けた理由が、力量の差ではなく、どうすることもできない別の場所にあるんですから」

 インファの言葉が、ペオニサの心に重く響く。

リフラク……オレが、凶花になる前に止めてたら……。ずっとペオニサの中にある後悔が、ずっと蓋をしていた後悔が押し寄せていた。あのときも、リフラクがまだ長兄だった頃も、チェリリにいわせれば、ペオニサなら止められた!だったのだから。赤子になったリフラクを前に、ペオニサは打ちひしがれていた。ノインが「よかったな。これでやり直せる」と言ってくれなかったら、今のリフラクに、ここまで関われなかっただろう。やり直す。やり直していいんだ!と、わからなかったことだろう。

「それで、なんで……リフラクはインリーちゃんと心中しようとしてんの?あいつが、自殺しちゃうのはわかるとして、なんで?」

「リフラクはインリーを腐った風と呼びました。ただ死んだのでは、あなたやオレの役には立てません。リフラクは、自分の過去以外にも、インリーの過去を見たんでしょうね。そして、オレ達の誰かがインリーを処分する未来を推測したんです」

「ホントに……?ホントに、そんな未来……」

「ありましたね。インリーがあのままならば、確実に訪れたでしょうね。いえ、遅すぎました。あなたを拒絶した時点で、オレが決断すべき事でした」

「な、なななんで!?」

誰に何を思われても平気だった。インファがいる。ずっと友人でいてくれるインジュとラスがいる。風四天王がついていて、あのノインが認めてくれていて怖い事なんてない。

「あなたが加わる前は、一家の治癒にインリーも参加していました。インリーが風の精霊の色ではない黒髪なのは、母である花の姫という無限の癒やしを操る精霊の血を、色濃く継いでいるからです。本来なら、ペオニサの位置に、インリーがいなければならないんです。しかし、どうですか?インリーの治癒能力は今や、エーリュよりも下ですよ?エーリュは生粋の風の精霊です。夫のラスと共に血にまみれて飛んでいます。その彼女よりも下なんですよ?」

力の優劣を、ペオニサは今まで考えたこともなかった。そんな自分にはない能力の優劣まで把握しているインファは、同じ長兄を張っていても、やはり格が違うなとペオニサは思った。

「自分の立ち位置を見極め、力を高めることを怠り、なおかつ、一家の治癒師として花の姫・シェラの無限の癒しに匹敵する治癒能力を、男性でありながら手に入れたあなたを否定しますか?あの場にいた全員が呆れかえりましたよ。父さんが怒っていなければ、母さんが殺していましたね」

「オレ……インリーちゃんに嫌われてる理由、わかった気がする……」

「自業自得です。血縁ということでハードルは低いんですよ?あなたには、聳えるように高かったですよね?それを越えたあなたと、低いハードルすら越えられないインリー、組織として重用するのはどちらか、わかりきっています。とはいえ、あなたに、ここまでにはなってほしくありませんでした」

「それ、まだ言う?オレをただの友人にしておきたかったって?そんなの無理だよ!だってさ、あんた、すぐ傷ついちゃうじゃない。今だって、そうでしょ?」

「そうですよ。オレの痛みを知って、そばにいようとしてくれるあなたが、オレには必要です。手放せないのはオレの方ですよ。それをなぜわからないんですかね?」

インファの素直な言葉に、ペオニサはカアッと顔が熱くなるのを感じた。

「わかった!わかったから、やめよう?もおお!帰ったらちゃんとセリアに慰めてもらってよ?オレが何とかとめる。だからさ、そんな顔しないでよ」

セリアは、距離感のおかしいペオニサに嫉妬しないインファの愛妻だ。

彼女はどうも、ペオニサをインファを守る同志だと思っているらしい。今回も出掛けにセリアは飛び込んで来て「インファの事頼むわよ!」とペオニサの手を握ってきた。ペオニサは「手握る相手、違うくない!?」とインファの顔と握られた手を交互に見て焦ってしまった。

 恵まれている。インファはその幸福に感謝している。だから飛べる。どんな嵐の中も。

「ペオニサ、ジュールは、リフラクも消そうとしていました。これは、ジュールのシナリオ通りです」

「え?」

立ち止まった2人の守られた空間に、風の隙間から雪がチラチラと降ってきた。

「あなたが、オレとリフラクを想うあまりに、オレ達を引き合わせることを躊躇した隙を突かれましたね。オレも悠長すぎました。オレの方から申し込めばよかったと、後悔していますよ」

ノインに言われていた「まだ躊躇っているのか?」と。あんなことを言ってきたくらいだ。彼には上手くいく確信があったのだろう。だが、インファは躊躇った。ノインの確信を信じればよかったと、はらわたが煮えくり返るほど後悔している。

「親父が……リフラクを?なんで?」

「失敗作だからです。オレを補佐する為の精霊の位置に、あなたが納まりました。もう、必要ではないんですよ。そして、いつ凶行に走るかもしれないその精神を問題視されたんです。過去を見たリフラクは理解したでしょう。雷帝・インファの為に作られたその精霊としての理のため、何をすることが最善か。オレを守るペオニサを貶め、引き離す要因となり得るインリーを排除すること。それが道だと思わされたんです。その理は父さんが断ち切りました。リフラクはすでに、オレの為の精霊ではありません。ただの、花の十兄妹の1人です」

「親父ぃ!自分の息子、信じてないわけ!?」

「あの人は一貫していますからね。元風の王として、現在の風の王・リティルを守りたいんです。花の十兄妹は初めから、その為の組織ですよ。副官のオレは、父さんと比べると心許ないですからね、オレの補佐をするための精霊に兄妹達を束ねさせ使わせようとしたんです。ジュールにとってリフラクは、今でも組織内の腐敗なんですよ」

そうは言ったが、ジュールはあれで子煩悩だ。リフラクを消そうとしていることは確信しているが、ノインが止めないことには疑問がある。リフラクは優秀だ。いらないのならばオレがもらうと、ノインに言わせられるだろうに。ジュールの真意は、ここまできてもわからない。

「あんの魔王!」

「魔王に勝ちますよ?ペオニサ。リフラクはオレがもらいます」

「わーお肉食王子様!うん。もとよりそのつもり!」

2人は再び、リフラクの気配を頼りに吹雪の中歩き始めた。


「霊峰・ツェエーリュア?あの山、そんな名前があったのか?」

アシュデルの工房に1人残ったリティルは、ギンヨウからコーヒーの入ったカップを受け取りながら問うた。風の王とはいえ、グロウタースのすべてを把握しているわけではない。まして、何の落ち度もない場所のことはまったくもって知識にない。世界の刃と呼ばれていても、グロウタースは所詮異界なのだ。

「はい。あの山には、この島の守護神がいるんでやがります」

「神か。信仰度はどれくらいかわかるか?」

神という存在は侮れない。下手をすれば、最上級精霊に匹敵する力を持っていたりするのだ。できれば、敵対したくない。

「この島の者なら、誰でも知ってやがります。あるとき空から舞い降りた天使ツェエーリュアは、その美しさと歌声で島民の心を掌握しやがりました。しかし、ツェエーリュアは、侍らせていた美女達とともにこの島の守護神となり、死にやがるんです」

清々しいほど簡潔すぎる。

こいつ、インファみてーだな。と、リティルは思わず思ってしまった。インファも伝説を情緒なく語ってしまい、ペオニサに「もうちょっとさあ!」と言われている。読書家だが、語るのは苦手なのだ。その点、作家のペオニサは語るのも上手い。

「……島に何かあって、滅亡を食い止めるためにその美女達とともに柱になったって、そういうことか?」

「混血精霊でやがります」

「その美女達がか?じゃあ、ツェエーリュアも混血精霊なのかよ?」

「ハクチョウの翼を持つ混血精霊だったみたいでやがります。信憑性があるか知りませんが、この島で1番有名な絵でやがりますよ」

用意のいいギンヨウはどこからか本を持ってきて、ページを開いて見せてくれた。

「ハクチョウの翼……インリーと一緒かよ!」

リティルは見たくない!と言いたげに、本を閉じると机の端に追いやった。

「機嫌が悪くてやがりますね」

「機嫌がよくなるようなことがねーよ」

「そんなに酷いんでやがりますか?リフラクさん、もの凄い怒りと憎しみでやがりましたね。雪原の雪、溶かす勢いでやがりました。インファも十華も、眼中にはなさそうでやがりましたね」

十華とは、ペオニサのグロウタースでの名だ。官能小説家・宝城十華(ほうじょうじっか)。ペオニサは自費出版するためにグロウタースの各所に出版社を持っているが、そういえばこの島にはない。

放浪の精霊となったアシュデルは、ペオニサを影ながら助けようと彼の出版社のある場所に工房を置いていたと記憶していたが、ここは、例外のようだ。そんなこともあるだろう。アシュデルはグロウタースを巡りながら、その風景に魅せられたようなことを言っていた。ここは、リティルの目から見ても美しい。

「でも、レイシ、わたしは好きでやがりますよ?わたしが見る限りでは、問題行動はしやがりませんし、師匠の世話も文句1つ言わずにこなしてやがりました。わたしの手料理も、美味しそうに食べてくれやがります」

「その点は僕も同感かな?いろいろ連れ歩いてみたけど、いい子だったよ。たまに考え込んでたけど、時が経てば、自分で何かを見つけられる人だと思ったんだけどね。そういう意味じゃ、残念だよ」

アシュデルが、渋い顔で言った。

「リフラクさんがやると、思ってやがりますか?」

「ペオニサ兄さんが薫風なら、リフラク兄は食虫植物だよ。バリバリ戦闘系で、毒を食らわば皿までってタイプだね。徹底的に凶花を演じると思うよ?レイシがインリーを庇うなら、一緒にやると思う」

「ペオニサとインファにも、刃を向けると思うか?」

リティルの問いに、アシュデルは静かに答えた。

「向けるよ。戦闘不能にする術は、インファ兄より心得てるんじゃないかなぁ。あの人とやり合えるのは、この中じゃリティル様だけだ」

「オレかよ?」

意外な答えだったが、アシュデルは確信を持って頷いた。

「それか、ペオニサ兄さんだ」

「実践で役に立ちやがるんですか?」

「攻撃魔法はともかく、剣は、人体構造に詳しいから、相手の攻撃が見切れれば、急所攻撃で簡単に相手を殺せるね」

「はは、鍛えすぎたな。1回も実践で使ってねーんだぜ?」

「実践に十分使えるって、ノインが心配そうに言ってたよ。それにしても吹雪いてるね。こんな吹雪なかなかないけど、みんな大丈夫かなぁ?」

 外を見てくると、アシュデルは部屋を出て行った。

アシュデルはグロウタースに暮らしていることで、戦いとは無縁の位置にいる。だが、彼は風の城のことをよく知っている。それは『アッシュの鍵』を一家の皆が無断で使い、彼とお茶しているからだ。もう風一家ではない。だからなのだろうが、アシュデルは皆の愚痴を聞かされているらしい。

それにしても、ノインまで?聡明でクールな兄のことを思い浮かべていた。彼が、ペオニサが心配だとアシュデルに愚痴ったということは、ペオニサの剣は相当に危険なレベルまで達しているらしい。

「インラジュール颪でやがりますね」

カタカタ鳴る窓を見ていたギンヨウのつぶやきで、リティルは現実に引き戻された。

「……インラジュール?」

リティルにとっては、思わぬ名だった。

「はい。霊峰・ツェエーリュアから吹き下ろされる風のことでやがります。そういえば、名前の由来に精霊が関わってやがりましたね」

「おまえ、その伝説詳しいか?」

「興味あるんでやがりますか?常識の範囲内ですが、暇ですし、ご披露しやがりますか?」

「ああ、頼むよ」

これは、とんでもないことが起こりそうだな。リティルはギンヨウの話に、本腰を入れて耳を傾けたのだった。


 リフラクがこの島の秘密を知ったのは、偶然だった。

グロウタースに興味を持ったのは、ペオニサが宝城十華として、彼の世界に出入りしているからだ。城から出ることを許されていなかったリフラクは、ペオニサが出版社を置くグロウタースの各所のことを読み漁っていた。

そして、父王・ジュールと関係の深い島を見つけたのだ。

 2代目花の王・ジュールは、以前は5代目風の王だった。

5代目風の王・インラジュール。数々の混血精霊を産み出した稀代の色欲魔としても知られている。だが、風の王時代の子供達は皆、すでにこの世にはいない。5代目風の王・インラジュール崩御の際、運命を共にしたのだ。

理由はわかる。混血精霊が、この世で生きていくのは困難だ。移り変わるグロウタースでは、その力を恐れられ迫害される。受け入れられたとしても、それは瞬きするくらいの期間で、死が、一時の安らぎを奪っていく。やがて心をすり減らし、化け物となって風の王に狩られる運命を辿るのだ。

では、精霊達の暮らす、イシュラースではどうか。

今度は、グロウタースの民に近い心が、永遠の重さに耐えられず、やがて自堕落に堕ちていく。そしてやはり、風の王に狩られるのだ。永遠の命を持ちながら、混血精霊は弱い心のために長くは生きられないのだ。インラジュールの子供達は知っていた。だから、父王の死と共に死を選んだのだ。

たった1人を除いて。

 雪月花のツェエーリュア。純白のハクチョウの翼を持つ、それはそれは美しい混血精霊だったようだ。

彼女は、極寒の白虎野島を愛した。白く輝く雪が好きだった。時に命を奪う冷たいその自然に魅せられ、迫害を受けていた混血精霊達を集めて島民と仲良く暮らしていた。

しかし、インラジュールが崩御してしまい、ツェエーリュアは選択を迫られた。

インラジュールなくして、生きられないことを知っていたツェエーリュアは選択した。この、愛した大地が永劫に生きていけるように、柱となることを。それに賛同した、彼女に救われた混血精霊達が運命を共にした。

 多くの精霊の魂を持った混血精霊と同化した白虎野島は、彼女達の力で永劫に存在する力を手に入れたのだ。その後島には、ツェエーリュアの歌う、歌声がたまに聞こえるという。

 ツェエーリュアと巫女達の魂は、永遠に白虎野島に囚われている。

風の精霊ではなくとも、同じ父を持つリフラクは、ツェエーリュアとは姉弟だ。今でも歌っているというツェエーリュアの魂と、共鳴できるはずだ。

風の王の娘の魂を手に入れられれば、インリーを確実に仕留める力が手に入る。あの魔女は、腐っていても風の王の娘だ。潜在能力だけは高いのだ。今のままでは返り討ちに遭うかもしれない。

 リフラクは、ツェエーリュアの魂を得るためにここへ、白虎野島へ来たのだった。

記憶の精霊にツェエーリュアの最後の記憶を見せてもらい、彼女がどこで死んだのかすでに知っている。しかし、地形が変わっているために正確な場所を知るために、現在の祭りのことを調べねばならなかったのだ。アシュデルがいてよかった。いなかったなら、彼の弟子のあの伊達眼鏡の青年を脅さなければならなくなっていた。しかし、アシュデルは祭りのことを知らず、資料を取りに行くと言って退出し、ギンヨウに変身したイリヨナと入れ替わった本物のギンヨウが説明してくれたが。あの特殊中級精霊、こちらをまったく恐れた様子がなかったが、何者なのだろうか?特殊中級精霊にしては、強すぎると思うのだが……。一瞬、アシュデルもジュールと同じく実験したのか?と思ってしまったがやめた。もう会うことはない相手だ。ギンヨウが、ペオニサとリフラクと同じく実験体だろうがなんだろうが、関係ないことだ。

 霊峰・ツェエーリュアに、祭りの時だけ入れる禁足地。そこにある祭壇が、目指す場所だ。

未だに祭りを続けているとは、この島とツェエーリュアとの絆は深い。ツェエーリュアは、相当の力を持つ、神となっているはずだ。

神とは、その地に暮らす者が崇めることで力を得た存在だ。精霊とグロウタースの民のように、顔を合わせ触れ合える存在ではないが、確かな力を持ち、その地を守護している。

神が歌うという話は聞いたことがないが、風が吹き抜けるときに音でも鳴っているんだろうと思っていた。

 リフラクは、山をくり抜かれて造られた洞窟を抜け、ツェエーリュアの祭壇にたどり着いた。

洞窟を入ってしばらくしてから感じていたが、ここの空気は深呼吸したくなるほど清浄で、防寒着が必要ないほど温かだった。

洞窟の最奥は、山の内部がそっくりくり抜かれたかのような広い空間だ。

丁寧に作られた長い階段を降りると、舞台につく。大きさのことなる岩が8つ並び、その岩には大小の穴が開けられ、記号のような模様が彫られていた。舞台に立って見上げると、四方の壁には神話にあるツェエーリュアと巫女達の絵が描かれていた。何度も修復されているのだろう。その絵は、今しがた描いたかのように色鮮やかだった。

階段の正面を見上げると、ツェエーリュアとおぼしき女性の像が、背後に描かれた雪の結晶の舞う絵の前に立っていた。その手にはなにやら記号のような模様と大小の丸が彫られた、垂れ下がる巻物の形に彫刻されたモノを持っていた。

「……楽譜?なるほど、ツェエーリュアの歌の正体は、この石を意図的に鳴らす音だったんだねぇ?」

ツェエーリュアの像の前に立ったリフラクは、像に手を触れた。同じ源流の力を感じた。これなら、問題なく力を使えそうだ。

「………………?ツェエーリュアが、いない?」

大きさの異なる色の異なる力を、1つ1つ端から掌握していったが、ここにいるはずのツェエーリュアの魂だけが抜け落ちていた。共に柱となった巫女8人の魂しか、ここにはなかった。ツェエーリュアの像から手を放したリフラクの背後に、8つの朧気な白い人影が立った。

「ツェエーリュアを捜してこい」

振り向かないまま命令を下すと、8つの影は風のように飛び去った。


 吹雪が、風に切り裂かれた。雪山を徒歩で登っていたインファとペオニサは、異変を察知した。

「え!?な、なに?」

咄嗟にインファに庇われたペオニサは慌てて、右手に長剣を牡丹の花びら舞う風の中から抜いていた。護身のつもりだろうが、インファとしては彼が相手と剣を合わせる事態すら阻止したい。

「わかりません。しかし、何か、来ます!」

通り抜けざまにインファの槍を弾いたモノは、旋回して再び襲いかかってきた。再び吹雪が切り裂かれる。

「風の精霊!?」

「違います。これは――」

インファは襲いかかってきたモノの軌道に割り込み、通り抜けられないように行く手を塞いで攻撃を槍の柄で受け止めた。相手は、ここではない雪の舞う風を纏った、白い煙のような女だった。優しげな顔で微笑んだ刹那、インファは弾かれていた。

「ペオニサ!一旦退きます!」

インファの背に、金色のイヌワシの翼が現れた。ペオニサは腕を引っ張られ、慌ててミイロタテハの羽根を羽ばたくとその場を離脱した。

 吹雪はいつの間にか止み、空には青空が広がっていた。ペオニサはインファに腕を引かれて懸命に飛んでくれるが、蝶の羽根ではスピードは出なかった。ペオニサは、チラッと背後に視線を送ったのがわかった。

「うわ!あの人ついてくるよ!」

白い女は、白く輝きながら髪とスカートを、緩やかに風に遊ばせながら追ってきていた。しかし、見た目のような優雅なスピードではない。お荷物がいるとはいえ、イヌワシのスピードについてくるとは、相当だ。彼女の両手に武器らしいモノは見えない。そうだ彼女は、素手でインファの槍とやり合ったのだ。インファはグイッとペオニサの腕を引くと、空中で場所を入れ替えてペオニサの背を庇うように立った。

「迎え討ちます!ペオニサ、あなたは退いてください!」

「え?う、うん。インファ、気をつけてね!」

ペオニサはあっさり退いてくれた。ペオニサを追わせないように牽制したインファは、真っ直ぐに襲いかかってきた女と激突した。女はインファを標的と定め、透明な氷の刃で打ち合った。空に互いの斬撃が、金色と青白い輝きとなって鋭く煌めいた。

さっきはペオニサがいたために力を抑えていたが、もうその必要はない。女を突き放したインファの槍が、白い閃光を纏った。突き放されて蹌踉めいた女に向かい、インファは鋭い突きを繰り出していた。迸った雷が、女の纏っていた雪の舞う風を弾き飛ばした。体の中心に大きな穴を開けられた女の体が、空気に溶けるように消えていった。

 はあと一息息を吐くと、インファは眼下を見下ろした。

未だ吹雪の中にある霊峰・ツェエーリュアに、今し方対峙した女と同じような気配がいくつもある。インファは踵を返した。

やってやれないことはないが、彼女はなかなかに強度があった。それにあのスピードだ。ペオニサ1人では、凌ぐのは難しい。インファは先に行ったペオニサを追いかけて、翼をはためかせた。


 インファに退けと言われ、逃げたペオニサは水晶球を手にしていた。

「リティル様!風の精霊みたいな女の人に襲われてるんだ!」

『風の精霊みたいな女?……インファ、苦戦してるのか?』

「オレを逃がして1人で戦ってる!」

『わかった。あいつは大丈夫だ。おまえはそのまま帰ってこい。迎えに行ってやる!』

わかっていた指示だ。いつものごとく、後ろめたさに後ろ髪を引かれたが、ペオニサは心を押し殺してアッシュの工房を目指そうとスピードを上げようとした。

「え!?」

切り裂くような冷たい風を感じ、振り返ると吹雪を纏った女がいた。

インファが……負けた?いやいやいや今はそんなことより、逃げないと!インファが負けた相手に、ペオニサでは逆立ちしたって敵わない。

しかし、速い!これは逃げ切れない。だが、凌げるか?剣を使わずに?ペオニサは剣を握っていない右手にチラリと視線を送った。

「っ!」

女の繰り出した鋭い突きを、ペオニサは咄嗟に彼女の腕を両腕で押して軌道を逸らしていた。こんな鋭い攻撃、避け続けるのは無理だ!とゾッとした。

やっぱり剣を使うしか……

「あなたの腕前では、相手を殺す事はできても、命を奪わないということはできません」

途端に、インファの声が脳裏に蘇った。

「殺し合いにおいて、命を奪わずに勝つことは非常に難しいんです。オレはやりません。面倒ですから」

インファなら、殺し合いに発展する前に決着をつける。彼はそういう人だ。

「しかしあなたには必要なことですね。斬らなければならないモノも斬れませんから。しかし、どうすればいいのか……しばらく時間をください」

とまあ、保留中だった。仕方ない。障壁魔法で凌いでいれば、いずれリティルが助けてくれるだろう。

「って、これ、怖い!」

透明な緑色の球体を作り出して、その中に逃げ込んだが、彼女は攻撃の手を緩めずにしつこく襲ってきた。

彼女は見た目の優美さに反して、攻撃力も高かった。鋭利な氷の刃で、ペオニサの作った障壁が削り取られていた。戦えないペオニサの障壁魔法の強度は、なかなかのものだ。それを僅かだが、攻撃の度に削ってくる彼女は強敵といえる。ペオニサは、傷つく障壁をその都度修復しなければならず、地味に力を消耗させられていた。これは、長期戦は無理だ!

「リティル様……!早く!オレ、戦っちゃうからぁ!」

実践で使っていなくとも、ペオニサの練習相手は百戦錬磨の風の精霊達だ。インファのみならず、世界の裏側を歩く執事のラスにも「殺すだけなら、怖がらなかったらペオニサにもできるね」と太鼓判を押されている。だが、四天王の4人から「戦うなよ?」と釘を刺されていた。

実際、ペオニサは障壁の中から彼女の攻撃が見えてしまっていた。治癒師で人体の構造に詳しいペオニサには、どこにどう刃を食い込ませれば相手を殺せるのかわかってしまう。余裕のないこんな心では、致命傷を避けるなんてそんな芸当できる自信などなかった。恐怖から反撃すれば、たぶん殺してしまう。

 のめり込まなければよかった!ペオニサにとって剣は、執筆の合間の息抜きだった。お遊びなのだ。戦えないのだから、知らなくてもいいものだったのだが、やっていると楽しくなって、四天王がつきあってくれるものだから、メキメキ腕が上がってしまった。4人は戦い方が違って、手合わせしていると楽しいのだ。急所を本気で狙っても誰も当てさせてくれないから、余計に。

一瞬の気の緩みから、ペオニサの障壁は割られていた。

――あ。

体が勝手に剣を繰り出してしまう。止めなければと思うのだが、体に染みついた剣技が心を裏切る。

キイン!と高い音が鳴って、ペオニサの剣は弾かれていた。そして金色の強風が女の真上から落ちてきた。ペオニサの見開かれた瞳に、剣を弾いて女の背に刹那乗っかったインファが、槍を彼女の背に振り下ろす様を見た。

一瞬の出来事だった。一瞬でペオニサの前から女と風は地上へ落下していた。

速い。どうやったらあんなに速く動けるのだろうか。体に負担、影響はないのだろうか。

いやいやいや!あり得ない!

「っインファ!」

遅れて、ドンッ!と大地を揺るがし、雪煙が吹雪の止んだ雪原を覆い隠していた。

 慌てて舞い降りたものの、視界は真っ白でインファの気配はわかるが姿は見ることはできなかった。

「大丈夫ですか?ペオニサ」

「う、うん!大丈夫だよ!インファこそ大丈夫!?」

「問題ありません」

インファの声にホッとしたのも束の間、血の臭いと、いつもよりも低い位置から聞こえた彼の声に違和感を感じていた。

「問題ありまくりのくせして。ほら早く癒やせよ!ペオニサが卒倒するぜ?」

リティル?声と気配を頼りに白い視界の中を進んでいたペオニサは、思わぬ者の声を聞いた。

「そんなに酷くはありません。ちょっと骨が折れただけです」

「折れたなんて可愛いもんかよ。複雑通り越して粉砕だぜ?ああ、こりゃダメだな。ペオニサ!早く来いよ!」

雪煙が唐突に晴れた。

「うっわ!やっぱりあんなに速く動けるわけないよね!?」

「加えて大地まで割ってるんだ。体が保たねーよ。風と重力と大地のサンドイッチだな」

「ごめん!オレのせいで……」

腕を組んで仁王立ちしたリティルと、その足下に伏しているインファ。インファは辛うじて顔を横に向けて息はしていたが、その瞳は閉じて顔も血で汚れていた。ペオニサは慌ててインファの横に座り込むと、両手をかざした。緑色の光が両手の平に灯る。

「おまえのせいじゃねーよ!オレ、間に合ってたんだぜ?それをこいつがかっこつけたんだよ!」

「リティル様!オレを庇っちゃダメ!超回復能力、生命維持に使って。神経は最後に繋ぐよ今痛覚もないでしょ?両手足も後回しね!内臓も結構やられてるよ?中からいくから、貧血は我慢してよ?」

インファが無茶をしたのは、ペオニサの剣を弾くことと敵を倒すことを、同時にせねばならなくなったからだ。インファは、ペオニサの命と、治癒能力を守ってくれたのだ。

「あなたに任せますよ。父さん、あれは何ですか?」

インファが口を開くと、口から血が流れ落ちた。それを見て顔をしかめたリティルは、乱暴に腰を下ろした。

「教えてやるから、口閉じてろ!話していいか?ペオニサ」

「いいよ。むしろ、何か話してて」

ペオニサは顔を上げないまま、インファの体を瞬きもせずに凝視していた。

「あの女は、神の眷属だな。この島には、守護神がいるんだ。守護神・ツェエーリュア。かつて、この島と同化した混血精霊だ。おまえ達が襲われたのは、ツェエーリュアと一緒に柱になった混血精霊達だ」

「オレ達は禁忌に触れてしまったんですか?」

「いや。リフラクには会えたか?」

「いいえ。山登り中に襲われてしまいましたから」

「リフラクの気配は、霊峰・ツェエーリュアに続いてたんだな?だったら、禁忌に触れたのはリフラクだな」

「そうじゃないかもしれないよ?リティル様」

見れば、アシュデルがギンヨウを伴って立っていた。

「ツェエーリュアは、5代目風の王・インラジュールの娘なんだ。ボク達の腹違いの姉弟だよ。ボク達の持つ遺伝子情報で、眷属を掌握できるかもしれない。リフラク兄の狙いは、ツェエーリュアの魂だったんだね?」

「風の王の娘の魂か……よっぽどあいつ、インリーが許せねーんだな」

「でも、インリーは強いよね?」

「手伝うよ。止血」とアシュデルも左手に『魔書・デルバータ』を開くと、治癒に参加し始めた。

「強いぜ?けどな、リフラクが勝てねーとは思えねーよ。あいつは示したいんじゃねーか?風の王の子供は、こうだ!ってな。マズいな。リフラクの暴走の一端に、オレもいるのかよ?」

責任を感じるリティルに、アシュデルは微笑むと告げた。

「そりゃね。だって、風一家入りは花の十兄妹の夢だから。一家入りしてたボクと一家にいる兄さんは、それだけで尊敬されてるんだ。帰り辛いよ?ボクは特に、イリヨナと婚姻結んでいるし」

全部成り行きで、尊敬されるいわれがない。と、アシュデルは困り顔だった。

「ジュールのヤツ!子供達を洗脳しやがって!」

憤ったリティルに、アシュデルは穏やかに首を振った。

「洗脳じゃないよ。ボクが言うのはあれだけど、みんな、リフラク兄に感化されただけだよ」

「……インファ、たぶんまだ痛いと思うけど、神経繋ぐよ?」ペオニサのその言葉の直後、インファが呻いた。

「リフラク兄は、兄さんを目標にしてた。過去があってもリフラク兄を大事に守ってる兄さんを見て、みんないつしか同じ目標を持つようになったみたいだね」

「……おまえ、なんでそんな詳しいの?インファ、もう動いて大丈夫なの?」

くすぐったそうに顔をしかめて視線を上げたペオニサは、直後体を起こしたインファを慌てて支えて、うわ!触っちゃった!と慌てて手を放した。

「ええ。ありがとうございます。情報提供者はチェリリですか?」

まだ治癒が不十分だと、ペオニサはインファの体に再び手をかざし始めた。

「うん。あの人、結婚式後からよく来るんだ。それで、これ見よがしにインリーのこと話したりしてたよ。レイシに動いてほしかったみたいだけど、レイシがまったく無反応だから、怒ってたなぁ」

アシュデルは困ったように微笑んだ。

「チェリリ姉の話を総合すると、兄さん、兄さんはリフラク兄を救ったよ」

アシュデルの言葉が、ペオニサの心に、重くのしかかった。アシュデルはただ、慰めてくれただけだ。だが、ペオニサはリフラクを救えたとは思っていなかった。

「オレは……リフラクを追い詰めた。全部、自己満足だった。オレ、さ……ただあの人と、もう1度笑い合いたいって、思っただけだったんだ!なのに!あいつはまた……!」

ペオニサの幼少期、兄のリフラクは強く輝いて見えた。「今日も可愛いね!兄貴!」と言うと、リフラクは「ペオも可愛いよ?」と言って、笑顔をくれた。確かに、憎しみのない兄弟だった時間があったのだ。ペオニサは認めたくなくて、ずっとその時間に縋ってしまった。リフラクの葛藤に気がつかず、追い詰められていく大好きだった兄を助ける機会を逃してしまった。

だからペオニサは、赤子に戻ってしまったリフラクに、かつての優しかった兄と同じ事をした。兄妹達に遠巻きにされていたリフラクを構い倒して、たくさん笑った。初めはぎこちなかったリフラクは、自然と笑うようになった。

姿を見つけると「兄さーん!」と走ってくるようになった。風の城の話、グロウタースの話をせがまれて、聞かれるままに話してしまった。

リフラクが、父王・ジュールと太陽王・ルディルに魔法と剣を習っていると聞いたのはいつだったか。ああ、花の十兄妹、長兄を返せるかなぁ。とお気楽に思っていた。

思っていたのに!光を失ったペオニサの手を、見た目に反して無骨な手が握ってきた。ハッと顔を上げると、インファの鋭い瞳と目が合った。

「ペオニサ、諦めないでください。あなたが諦めた瞬間、この戦いは終わります。リフラクの手を放さないと、決めたのならば貫くべきです」

「あんたが……オレを逃がさなかったみたいに?」

泣きながら、ペオニサは笑っていつもの軽口を叩いた。それに答えて、インファも笑う。

「そうです。オレが一緒に行きます。そして、アシュデル、お願いできますか?」

白羽の矢を立てられたアシュデルは、開かない瞳で微笑んだ。

「ボクで役に立つなら、喜んで」

2つ返事のアシュデルを見上げた後、リティルはインファを険しい顔で見やった。

「神の眷属は、おまえ1人じゃしんどいのかよ?」

先ほどの失態は勢い余ったようだったが、インファには珍しいことだった。

「戦うぶんにはいいんですが、ペオニサを守りながらではオレ一人では無理です。儚げですが、そこそこの強度とスピード、攻撃力も侮れません。そして、8人です」

「3人で大丈夫かよ?」

「何とかしますよ。父さんはレイシを捜してください。インリーは選択しましたが、レイシはまだです」

ハアとリティルはため息をついた。

「後回しにしてーところだけどな。死んじまう前に聞いてやるか」

「父さん、オレ達に強がる必要はありませんよ?アシュデルは大人ですし、ペオニサはペオニサです」

気の進まない様子のリティルに、インファが苦言を呈した。アシュデルは見透かしたように穏やかに、ペオニサは「なに?」と首を傾げながら、リティルに注目した。

「おまえなあ……強がるだろ?あいつらはオレの子供達なんだぜ?バカでもアホでもな!死んでほしいわけねーよ。でもな、インリーにはもう、オレの言葉は届かねーよ。長年あいつの支配下にあったレイシも、どうだかな……。オレもあいつらと同じ十代だ。自信ねーんだよ」

「リティル様!」

「うわ!な、なんだよ?」

急に身長40センチは違うペオニサに詰め寄られ、リティルはたじろいだ。

「よかった……もう、2人を助けないんだと思ってた!そんなのダメだよ!哀しいよ!助けてよ!リティル様!」

「はははは。ボクも兄さんに賛成。レイシは引き続きボクにくれると嬉しいんだけど?インリーとは関わりたくないけど、イリヨナが悲しむからね」

「おまえら……そういうの、無理難題って言うんだぜ?」

そう言いながらも、リティルはどこか嬉しそうだった。

「父さん、オレ達には殺す事は簡単です」

「ああ。しかたねーな、足掻いてやるよ!けどな、決めるのは本人だ。オレは、魂の導き手として最後の決断には手を出せねーよ。おまえらも、リフラク殺すなよ?」

「了解しました」

「善処するよ」

「絶対連れ帰るから、見てて!」

ペオニサは、吹雪の中にある霊峰・ツェエーリュアを見上げた。

――待ってて。今度こそ離れない。助けてほしかったあんたを、今度こそ見捨てない!

笑顔なく、挑むようなペオニサの横顔から、インファも険しい瞳で霊峰・ツェエーリュアを見上げた。

「話はまとまりやがりましたか?終わりましたら工房へ寄りやがってください。わたしの手料理を振る舞ってさしあげます」

蚊帳の外からギンヨウが声をかけてきた。

「はは、おまえの料理、かなり旨いからな!さあ、早くかたづけてご相伴に与ろうぜ?」

リティルが返すと、ギンヨウは一瞬驚いたが、フフと安堵したように笑った。

ギンヨウは「今はそんなこと!」と怒鳴られる覚悟をしていたことだろう。

気遣ってくれるヤツを、怒鳴ったりしねーよ。ここ、白虎野は極寒だ。温かい食べ物や飲み物は、最上のもてなしであり命を繋ぐ癒しなのだ。ギンヨウは戦えない。彼はいつでも、待っていることしかできない。だからなのか、彼の料理の腕は相当のものだ。

落ち込むとギンヨウの所に行っているらしいイリヨナは、彼の手料理も目当てのようだった。

彼にしかできないやりかたで、傷つき戻ってくる皆を、労ってくれようというのだ。嬉しくないわけがない。

リティルはふと、ギンヨウがレイシをいい子だと言ったことを思い出した。彼がここに来たのは、口には出さないがレイシを案じてくれているのかもしれない。だったらなおさらレイシを連れて、戻らないとな。リティルは、ギンヨウの微笑みに思った。


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