序章 疫病神
ワイウイ新シリーズ滅びの開幕です
楽しんでいただけたなら幸いです
風の城。森羅万象の司である精霊達の住まう異界・イシュラースで、風を統べる王と彼が率いる風一家の暮らす城だ。
風の王は世界の刃。異界を渡ることを許され、世界に仇なすモノを狩り、命の行く末を見守る者。戦い続ける宿命を負うため、不老不死の精霊の中において短命だ。
現在の風の王は、15代目風の王・リティル。一家と風の城に協力してくれる協力精霊達のおかげで、翼をもがれずに日々を生き延びていた。
烈風鳥王という異名を持ち、荒々しい風を操るが、精霊達は彼を慈愛の王と呼んでいた。
明るい笑顔と、立ち上るような生き生きとした力強い虹彩の瞳で、温かな風を吹かせる彼は、死を裁きだとは考えられず、生き抜くことを強要する。そんな姿勢が、彼を慈愛の王と呼ばせるが、生き長らえさせた命がトラブルを引き起こすことは多々あった。
風の城の応接間は、恐ろしく広いことで有名だ。
高い高い天井に向かって聳えるような天井窓の下、一家の集うワインレッドの革張りのソファーと机が置かれ、暖炉の前に肘掛け椅子とテーブルが置かれている以外、家具らしい家具のない部屋だ。あとは、クジャクとフクロウの踊る広大な象眼細工の床が広がるばかりだ。
「大変!大変なんだよ!」
壁に掛けられた大鏡の中から、両耳の上に髪飾りのように牡丹の花の咲かせた、身長190センチを越す長身でがたいのいい、華やかな顔立ちの男性が飛び出してきた。大鏡にはゲートと呼ばれる次元を越える力が宿っていて、この先は太陽王夫妻の統治する太陽の城に繋がっている。赤色がとても映えるミイロタテハの羽根をはためかせ、牡丹の精霊・ペオニサは血相を変えてソファーまで一目散に飛んできた。
ソファーでは、デスクワークに勤しんでいる小柄で童顔な青年が顔を上げたところだった。
金色のオオタカの翼を持つ、半端な長さの髪を黒いリボンで無造作に縛った彼が、15代目風の王・リティルだ。
「なんだよ?リフラクが家出でもしたのかよ?」
冗談だった。
「え?知ってたの?じゃあじゃあ居場所知ってる!?」
ペオニサはソファーの背を掴んで、尖頭窓を背にして座っているリティルの方へ身を乗り出した。
「家出したんですか?」
ペオニサを見上げたのは、彼の乗り出すソファーに座った、見目麗しい青年だった。風の王の長男で王の副官、雷帝・インファ。父親のリティルよりも年上の容姿をしている。精霊は目覚めたとき容姿と精霊的年齢が決まるため、生きてきた年月が年功序列ではないのだ。至近距離で超絶美形と称されるインファと見つめ合ってしまったペオニサは、思わず息を飲んで僅かに身を引いた。ペオニサがインファに気がつかないとは珍しいことだった。
「イ、インファ、いたの?朝1でこの距離、美の暴力だね!」
「そうですか。目が覚めたようで何よりです。ところで、リフラクは太陽の城にいないんですね?」
まるで口説いているような態度だが、ペオニサにそのつもりはまったくない。彼は、繁栄と衰退の異界・グロウタースで官能小説家をしている異色の精霊で、インファの容姿が大好物なのだ。そんなペオニサは、百華の治癒師の異名をもつ、風一家の一員で、戦い続ける風の城の治癒の要だ。太陽の城に居候している花の王・ジュールの息子で、兄弟達で結成された諜報機関・花の十兄妹の長兄も務めている。しかし、ペオニサには諜報の能力は皆無なのだが。
ペオニサは、軽口にまったく動じずにニッコリ微笑んで応じたインファに頷いた。そして「座りませんか?」と隣を指定してきたインファの隣に、ソファーの背もたれを飛び越えてストンッと収まった。
「で?いつからいねーんだよ?」
リティルの問いに、ソワソワしながらもペオニサは答えた。
「う、うん……。姿が見えなくなったのは2日前かららしい。チェリリ姉が真っ青だったよ!」
長女・チェリリが出し抜かれるとは、リフラクは順調すぎるくらい順調に育っていたようだ。大人しかった為に油断していたなと、リティルは思ったがあまり深刻には考えていなかった。
「ジュールからも、チェリリからも、情報は来ていませんね」
インファの言葉に、リティルは頷いた。
「ジュールのことだ、チェリリに捨ておけとでも言ったんだろ?大丈夫だペオニサ、居所ならすぐにわかるぜ?」
「ほ、ホント?はああ……よかったぁ……」
脱力するペオニサの肩を、インファは軽く叩いて慰めていた。
「大丈夫だ。おまえ、ずっと見てきただろ?信じてやれよ」
「うん……信じてる……でも……何か、胸騒ぎがするんだ……」
兄弟のことを心底心配するペオニサを、リティルは優しい笑みで見つめていた。
元花の十兄妹長兄、フリージアの精霊・リフラク。
彼は、奇襲を得意とする戦闘に長けた花の精霊だった。風の城の軍師でもある雷帝・インファと並び称される精霊となるはずだった。それが、どこで歯車が狂ってしまったのか、インファに固執し、同性であるのに仄暗い感情を抱き、インファに拒絶されると今度は、インファに勝つことだけに執着するようになった。
そして、事件を起こした。
インファになぜか気に入られたしまったペオニサは、実の兄であるリフラクに暗殺されてしまったのだ。幾重にも死へ突き進む魔法をかけられ、一時生死の境を彷徨う羽目になってしまった。リティルの妻である花の姫・シェラのおかげで一命を取り留め、間に合った花の王・ジュールとインファが魔法を解き、ペオニサは救われて今一家の一員として風の城にいる。
リフラクが起こしたことは、それだけではない。
ペオニサが面倒を見ていた末弟のミモザの精霊・アシュデルも、成人直前に暗殺されていたのだ。それは、ある精霊によって救われ隠された。アシュデルには、その暗殺の記憶はない。一連の事件の衝撃と、成人が重なり心に多大な負荷をかけられたことで、記憶を失ってしまったのだ。
これはアシュデルも覚えていることだが、ペオニサを暗殺したリフラクは、インファに勝つ為に再びアシュデルの命を利用した。アシュデルは風の城主導で処刑されるという憂き目にあってしまった。が、インファに阻止され、リティルに命を救われ、アシュデルはそのままグロウタースへ出奔し、放浪の精霊となった。
そんなミモザの精霊・アシュデルは現在、グロウタースを転々とする放浪の精霊のままだが、風の王夫妻の娘でもある闇の王、陰りの女帝・イリヨナと婚姻を結び、王配となっている。一時風一家にいたが、今は闇の王配下で風の城とは協力関係にあった。
数々の事件を起こしたフリージアの精霊・リフラクは、リティルの手で魂のリセットをかけられ、生まれた時から人生をやり直す罰を受け、太陽の城で何も知らずにすくすくと健全に育っているはずだった。のだが……。
「それで、どうしてボクの所に来るの?」
精霊を両親に持つ精霊は、純血二世といって、12年の幼少期を経て成人を迎える。現在大魔導の称号を持つアシュデルは、幼少期、幼児の姿だったのだが、成人を迎え42才の中年男性へ変貌を遂げた。幼なじみの翳りの女帝・イリヨナを射止めたとき、引き換えのように両目の視力を失ったが、心眼という魔法で問題なく景色を見ている。
アシュデルは、嫌そうに眉根を潜めながら招かれざる客と対していた。
「師匠、茶葉を取ってきます」
アシュデルにそっと背後から耳打ちしたのは、彼の作った特殊中級精霊のギンヨウ。グロウタースに暮らすアシュデルは拠点として置いている工房に1人ずつ、弟子という肩書きの特殊中級精霊を住まわせているのだ。中でもギンヨウは1番弟子という肩書きで、離れた場所にいる弟子達の総轄をしている。ギンヨウは招かれざる客に一瞥もくれずに、眼鏡を押し上げるとだるまストーブに温められた部屋を出て行った。
「そんなこと、わかりきってるよねぇ?君を、利用しにきたんだよ」
悪びれた様子もなく、フワフワの明るい緑色をした髪の少女のような容姿の男性が、可愛らしい笑みで毒を吐いた。アシュデルはため息をついた。僅かに俯いたその横顔に、結わえ損なった深緑色の髪が流れ落ちた。
「記憶戻ってる――わけじゃなさそうだけど、ボクはペオニサ兄さんみたいに優しくないよ?それに、陰りの女帝の王配になっても、リティル様の協力精霊だよ?」
アシュデルは淡々と開かない瞳から、確かな視線を招かれざる客――フリージアの精霊・リフラクに向けていた。
「優しくない君だから、存分に利用できるじゃないか。とてもじゃないけど、ペオニサ兄さんは頼れないねぇ」
不意にアシュデルの斜め背後の木の扉が開き、ギンヨウが紅茶の缶を持って戻ってきた。そのままギンヨウは部屋を横切り、窓際にしつらえられたキッチンへ向かった。作業台の奥には出窓があり、外の景色が見えていた。
「あなた相手じゃ、ボクに勝ち目ないから従うけど、警告はしたからね?ボクの何を利用したいの?」
抵抗らしい抵抗はせず、アシュデルはリフラクに白旗を振った。それを見てリフラクは、それはそれは可愛らしい笑みを浮かべたのだった。十字に仕切られた窓がカタカタ鳴っている。外は雪だ。風に踊る白が大地と木々を白く染めていた。