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人の善意と道の先(2)

 目的地である街はまだまだ遠い。弟の足ではどれだけ時間がかかるか分かったものではない。

 弟の食事や寝る場所も考える必要もあるし、時間をかけたらあの二人が現れるかもしれない。小さな村や集落は点在しているようだが、どこもそれなりに距離がある。どうしたものか。

「カラスさん?」

 時間をかけすぎたか。弟に目を向ける。

 弟はまだ気付いていないようだが、荷を積んだ馬車が近付いてくるのが見えた。商人だろうか一人の男だけが御者台に座っている。人間には関わりたくないが、そう言っていられる状況でもないか。

 馬車の上空に向かう。弟も気付いたらしい。今度は上手くやれよ。

 馬車は弟の目の前で停まった。大きな馬に見とれているらしい弟に、男は訝しむような目を向けた。

「坊主、この辺では見ない子だな。一人でどうした?」

「お母さんをさがしているんです」

「事故にでもあったか? 何があった?」

 弟は黙って首を振る。男は何か考えるように顎を撫でた。

「分からないか。すまんが俺も仕事があってな。近くの村に何か話が来ているかもしれんが、一緒に来るか?」

 弟が何も分かっていないのは確かだが、男はこちらに都合よく動いてくれるようだ。

 頷いておけ、と声を上げる。

「ありがとう。お願いします」

 男は頷いて馬車を降りると、弟を持ち上げて御者台に座らせた。男は弟と並んで座り、馬車を走らせる。さほど速いわけでもないが、弟の足に合わせて飛ぶよりは幾らかマシになったな。

 車輪と蹄が地面を蹴る音を響かせると、弟は顔を綻ばせた。

「風がすごく気持ちいい。ながめもいいし、こんなに速いだなんて、すてきな乗り物だね」

 男が吹き出した。何にでも感動するのは結構だが、恥ずかしい奴だ。

「そうか。こんなぼろ馬車で喜んでくれるとは思わなかったな。見た感じからすると、お前は街から来たのか?」

 再度、頷いておけ、と声を上げたが、弟は困惑したように首を傾げただけだった。

「それも分からないか。まぁ、近くの村に行けば何か分かるさ」

 楽天的なのか考えなしなのか、男は声を上げて笑い、それにつられるように弟も微笑んだ。

 男は鼻歌混じりに馬車を走らせる。底抜けに陽気な旋律に、弟は聞き入っているらしい。

「とってもすてきな曲だね。おじさんは、音楽家さん?」

 鼻歌が途切れたところで弟が拍手をしながら尋ねると、男は声を上げて笑った。そんな訳があるか。音楽など初めて耳にするのだろうが、過大評価にも程がある。

「褒めてもらえて光栄だが、しがない商人だ。本当に変わった坊主だな」

 そう言いながらも男は気をよくしたのか、とうとう馬車を操りながら歌いだした。どれもこれも明るい曲調で自らの仕事を面白おかしく歌ったものだったが、弟は喜んで聞き続けた。こいつらに芸術を解する能力は期待できないようだな。

 男の独唱を何曲か聞き終えた頃、まだ日の高いうちに村らしい場所に着いた。規模こそ小さいが、交通の要所にでもなっているのか、人や馬車の往来はそれなりにあるらしい。

「よし、荷を下ろすついでに食事と情報収集といこうか」

 男は弟を馬車から下ろすと、そのまま馬車に積まれた荷物を幾つか抱えた。

「お前も腹が減っただろ。ここのメシはなかなか美味いぞ」

 男は弟と並んで、すぐ近くの食堂だか酒場だかに向かっていった。先回りしてその店の屋根にとまる。店外のやや開けた場所にも木の卓と椅子が並んでおり、何人かの女が姦しい声を張り上げながら、同じく騒々しい客に給仕している。

 やって来た弟はその賑わいに驚いたのか、辺りをしきりに見回していたが、すぐに明るい表情を浮かべた。

「よぉ、女将さん。相変わらず繁盛してるな」

 男が特に忙しそうに立ち回っている年長らしい女に声をかける。女は振り返ると、すぐに男の隣に立つ弟に目を向けた。

「アンタ、とうとう子供まで扱うようになったのかい? 人さらいから仕入れる物はないよ」

 弟は驚いたように男を見上げ、男は豪快に笑った。

「こいつが信じちまうだろ、人聞きの悪い冗談はやめてくれよ。道で一人きりだったんだ。何か事故やら事件やらの話を聞いてないか?」

「アタシは聞いてないね。お客さんにも聞いてみるけど、アンタはまず荷物を置いてきな」

「はいよ。いつもの場所に運んでおくから、俺とこいつの分のメシを頼むよ」

 女が頷き、男は店内に入っていった。女は給仕の一人に声をかけると、弟を空いている席に案内した。

「それじゃ、坊やはここで待っておいで。すぐに食事も来るからね」

「ありがとう」

 女は弟に笑顔を返すと、客に声をかけ始めた。何の話もあるわけはないが。

 荷物を手放して戻ってきた男が弟の正面に座ると間もなく、卓上に食事が並べられた。結構な量がある。

「おまちどおさま。ちょっとこの辺では見ない感じの子だよね。目の保養になるわぁ」

 食事を運んできた給仕が弟の隣に座ろうとしたが、客に話を聞き終えたのか、弟たちに近付いてきた女がそれを防いだ。

「遊んでるんじゃないよ」

 給仕は悪びれる様子も見せず仕事に戻った。男が声を上げて笑う。騒々しい連中だ。

「やっぱり、この辺で何かあったって話はないみたいだね」

「そうかい。どうしたもんかね」

 男は言いながら食事を始める。

「遠慮してないでお前も食え。品はないが美味いぞ」

「下品で悪かったね」

 女が男を見下ろして睨む。なかなかの迫力じゃないか。

 弟は一口食べると笑顔を見せ、次々と口に運ぶ。何でも喜んで食う奴だな。ころころと機嫌が変わることといい、オレなどより余程カラスらしい。

「気に入ったか?」

 弟は食事をほおばったまま笑顔で頷いた。

「アタシの店なんだ。当たり前だろ?」

 女が笑う。言葉の割には不安げに、弟を見ていたがな。

「この子の名前は何て言うんだい?」

「そういえば聞いてなかったな。何て言うんだ?」

「今更かい。まず聞くべきことだろうに」

 食事を進めながら尋ねる男に、女が溜息をつく。弟は食べ物が口に入っているせいか、無言で首を振った。

「それも分からないか」

「どういうことだい?」

「何に巻き込まれたんだか、分からないことばかりでな。お母さんを捜しているらしいんだが」

 またもこちらに都合よく解釈してくれたらしい。この男は使える奴かもしれない。

「そうかい。アタシも気にしてみるけど、これからどうするんだい?」

「まぁ、あまり連れ歩くってわけにはいかないよな。それこそ人さらいになりかねん」

 早くも食事を終えたらしい男が声を上げて笑う。楽天的というよりは、やはり考えなしなのだろう。

「あの、街まで連れて行ってもらえませんか?」

 弟が男の顔を見上げる。どうやら車上でのオレの意図は伝わっていたらしい。褒めてやろう。

「何か憶えているのか?」

 二人が弟を見る。弟は困惑した様子でわずかの間オレを見た。まさかオレに従っているなどと言い出したりはしないだろうが。

「なんとなく、街に行けばいいような気がするんだ」

 頼りない返答ではあるが、最低限は人間どもの言う、常識、を弁えているようだ。オレとしても、弟が無用な注目を受けることは避けたい。

「そうか。まぁ、街まで行けば何かしら分かるだろうしな。ただ、俺はしばらく街に行く用事がないんだよな」

「無責任な奴だね、こんな所で放り出そうって言うのかい。街まで連れて行ってやりな」

 男は女に追従笑いを向ける。どこかわざとらしい。

「そうしたいのは山々なんだが、こっちにも仕事ってもんがあるからな」

「アンタからの次の仕入れは倍にしてやるよ。それでいいだろ?」

「最近はなかなか厳しくてね。次からの三回分でどうだ?」

「二回だ。これ以上は無理だよ」

 男は大きく頷くと女と握手を交わした。話はまとまったらしいな。ようやく街に向かうことが出来そうだ。

「ありがとう。ごめんなさい」

「誰が損するってわけでもないんだ。坊やが気にすることはないよ」

「そうそう。俺も女将さんも、人助けで気分が良くなる分、徳にして得ってわけだ」

 男は声を上げて笑う。さっき渋っていたのは誰だ。分かりやすく現金な奴だ。

「どうせなら早い方がいいだろ? 俺はここらの用事を済ませてくる。お前はゆっくり食ってな」

 男は弟を見ながらも返事は待たず、足早にこの場を離れていった。

「忙しない奴だね。まぁ、悪い奴じゃないから、安心して送ってもらいな」

「ありがとう」

 笑顔の弟に女は笑いながら手を振ると、仕事に戻っていった。

 弟が笑顔のままオレを見上げる。何を得意がっているんだか。あの二人がこちらに都合よく動いてくれただけだ。首を振ったオレを、弟はどう受け取ったのか笑顔のまま食事に戻った。まったく。

 弟の長い食事が終わった頃、男が戻ってきた。

「食べ終わったみたいだな。それじゃ、行くか」

 頷いた弟が立ち上がったところで、女が近付いてくる。

「行くのかい。簡単な食事を用意したから、持っておいき」

 女が差し出した小さな包みを受け取り、弟が頭を下げた。

「丁度よかった。お前にいい鞄を見付けたんだ」

 男は弟の肩に鞄の紐を掛けた。商人らしくなかなか気が回るようだ。弟は鞄の手触りを確かめるように何度か撫で、貰ったばかりの包みを中にしまうと、満面に笑みを浮かべた。

「本当にありがとう。お母さんに会えたら、きっと、二人にお礼をします」

「楽しみに待ってるぞ」

「気にすることはないよ」

 二人が同時に返し、女は呆れたように笑った。どうでもいいが、このままでは弟がお礼しなければならない人間がどんどん増えていってしまうな。

「アンタにも、いつものだよ」

「どうも。何か分かったら女将さんにも話すから、楽しみにしててくれよ」

 頷いた女に男は笑い、弟を伴って馬車に戻っていった。オレもそれを追い、近くの木の枝にとまる。

「食事も済ませたことだし、出発するか」

 馬の頭を撫でながら男が弟を見る。

「お馬さんも?」

「こいつも満腹だとさ。撫でてみるか?」

 弟が目を輝かせて頷くと、男は笑って弟を持ち上げた。弟はゆっくりと馬の頭を撫でる。

「あったかくて、なんだか気持ちいい」

「こいつも気持ちいいってよ」

「おじさんは、お馬さんが何を考えてるか分かるの?」

「何となくな」

 男が笑いながら頷くと、弟は馬に手を置いたままオレを見上げた。

 人間の下僕に甘んじているその馬と比較されるのは心外極まりないが、お前ももう少しオレの考えを理解すべきなのは確かだな。

「よし、そろそろ出るか」

 男はそのまま弟と並んで御者台に座り、馬車を走らせた。オレも枝を離れ、再び馬車の上空を飛ぶ。

「街まではどのくらいかかるの?」

「ここからなら、着くのは明日の夕暮れ時ってところだな」

「用事もないのに、ごめんなさい」

 弟が頭を下げると、男は声を上げて笑った。

「さっきはああ言ったが、本当は街に行く予定だったんだ。俺も礼を言わないとな」

 情けは他者の為のものではないそうだが、こうも即物的に自らの利とするとはな。考えなしかと思っていたが、なかなかしたたかな男じゃないか。弟にも見習ってもらいたいものだ。

「うそだったの?」

「まぁ、嘘と言えば嘘なんだが」

 弟の視線に、男はばつが悪そうに頭をかいた。何を後ろめたく思う必要がある。どんな存在も目的のためなら嘘をつくものだ。

「何事も騙し騙され持ちつ持たれつ、それが社会ってもんだからな」

 男は気まずさを誤魔化すためか豪快に笑う。人間どもの社会のことなど知りたくもないが、この男なりの捉え方なのだろう。

「そうなんだ。なんだか、むずしいね」

「お前もいずれ分かるさ」

 弟は納得したのかしていないのか、困惑したような表情でわずかに頷いた。

 男は朝と同じように呑気に歌いつつ馬車を走らせる。とうとう弟も男に合わせて歌い始めた。まったく、見習う必要のないところを見習ってくれる。

 日も沈んだ頃、男は貰った食事を摂り始め、弟も勧められるままに包みを取り出すと、それを開いて食べ始めた。

「なんだかぜいたくな気分だね」

「こんな馬車の上で食べることがか?」

 笑顔の弟に男が笑い、弟が大きく頷く。

「喜んでもらえて何よりだ。俺もお前みたいに楽しく生きないとな」

 弟は褒められたとでも思っているのか笑顔を浮かべた。オレには皮肉にしか聞こえないがな。

 男は食事を終えると、まだ食べ続けている弟を横目に馬車を走らせる。

 ようやく弟が食事を終えた頃、男は一軒の建物の前に馬車を停めた。辺りはすっかり暗くなっている。

「今日の宿に着いたぞ。こいつを預けてくるから、ちょっと待っててくれ」

 男は弟を下ろすと、馬を引いて歩き出した。

 弟が建物を眺める。この辺りを通る人間が利用するための宿なのだろう。周囲に他の建物や人間の暮らす場所は見当たらないが、それなりに大きな建物からは光と喧騒が漏れている。

「それじゃ、入るか。あまり上品な場所とは言えないけどな」

 馬車を預けてきたらしい男が笑いながら建物に向かい、弟もやや遅れて歩き出した。

 さすがにこう大きな建物に入られては、弟を見ていることなどできない。不本意極まりないが仕方ない。

 オレは弟のもとまで滑り降り、鞄をつつく。

 弟にも意図は伝わったらしく、口の開かれた鞄に入る。翼をわずかに広げることすらできない。最悪の気分だ。

 弟は鞄から頭だけを出したオレを満面の笑みで見下ろす。本当に、最悪の気分だ。

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